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06 船上の騎士団長(1)



 潮の匂いがする。


 冷たくて暗い眠り。そこから、力強い手にひっぱりあげられるようにして私は目を覚ました。


「う……」


 見慣れない木の天井が目に入る。

 ここは……どこ?


「ああ、起きましたか」


 私は知らないベッドに寝かされていた。傍らには男性がいて、背もたれのないイスに座っている。


 年は二十代前半だろうか。ウェーブのかかった黒髪に、眠そうな垂れ目。左目の下にはほくろがあった。


 細いけれど体格がいい。胸元をくつろげたシャツと吊りズボン──どちらも仕立てがよさそうだ──という格好は船乗りには見えず、私は不思議に思う。


 ──このひとはだれだろう?


「まだ起きあがらないほうがいい。あなたは頭をケガしていますからね」


 そう言われて、まるで返事でもするかのように後頭部がずきりと痛んだ。手をやると細長い布……あとで包帯だと知った……が私の頭にぐるぐる巻きつけられている。


 さわらないように、と青年が言った。


「名前は言えますか?」

「なまえ……」


 なぜだか思いだすのに時間がかかった。「フローラ。フローラ、です」


「姓は?」

「……わかりません」

「どこにお住まいですか?」

「…………」


 わからない。

 私はどこで暮らしていたのだろう?


 青年はじっと私を見る。

 紫色の瞳は私の存在を問うているようで、急に不安になった。


「ほんとうなんです。あの、なにも思いだせなくて」

「……ああ、すみません。不安にさせましたか」


 それを疑っていたわけではありません、と青年は首を振る。


「あなたは頭をケガしている。一時的な記憶障害でしょう。

 ただ……めずらしい髪と目の色をしていらっしゃるから。どこの出身なのだろうと考えていたのです」

「え……?」

「ほら」


 青年は壁に固定された棚の引きだしから手鏡を取りだす。そして横たわったままの私に渡した。


 鏡に映った自分を見て私はひっと小さく悲鳴をあげる。


 白い髪。赤い瞳。

 そして……顔じゅうに走る無数の切り傷。


「え、あ……」

「……この傷のことも思いだせませんか?」

「は……はい……」


 私の手から落ちそうになった鏡を青年は取りあげる。

 記憶がなくてもこの髪と瞳が変わった色をしていることはわかった。──そして、顔の傷のことも……。


「ああ、泣かないでください」


 私の瞳から勝手に涙が零れる。

 悲しいわけでもつらいわけでもなく。ただ、ショックで。


「ほら……」


 青年はポケットから白い清潔なハンカチを取りだすと私の頬を優しくぬぐってくれる。

 落ちつくには時間がかかったけれど、彼は辛抱強く涙を拭きつづけてくれた。


 やがて私は言う。


「すみませんでした。取りみだしたりして」

「いえ、あなたの気持ちを考えれば当然です。フローラ、あなたがどうしてここにいるかお話をしても?」

「はい……」


 いまから六時間ほど前です、と彼は語りかけるようにゆっくり話しはじめた。


「あなたが海に流されているところを私が見つけました。流木に髪がからまり、それで浮いていたのです。

 私はすぐにあなたを救助しました。甲板に引きあげ、救命活動をおこなっているうちにあなたは息を吹きかえした。そこで私の部屋に運んで医者に見せました。彼が言うには頭の傷は漂流している際についたもの。顔の傷は……一週間ほど前に何者かに切りつけられたものではないか、と」

「…………」


 そう言われても私にはなにも思いだせない。ただ二の腕に鳥肌が立ち、背筋がぞくりとした。体だけがそのときのことを覚えているように。


「ここじゃろくな処置ができないから国についたらすぐ病院に連れていけとも言われました。……フローラ、気分は? 眩暈や吐き気などはありませんか?」

「……ええ。だいじょうぶです」

「髪が流木に絡まっていたからナイフで切るしかなかった。許してください」


 鏡で見た私の髪は顎のところまでしかなかった。

 許しを請われても、私はそもそももとの自分の髪の長さを知らないのだ。気にしないでくださいと言うしかない。


「それと、あなたが着ていた修道服ですが濡れていたので洗濯に回しています。かなりボロボロになっているのですが……着ますか?」

「…………」


 自分の体を見るとサイズの合わないシャツを着せられていた。シーツに隠れて見えないけれど、たぶん下はぶかぶかのズボン。男物しか船にないのだろう。


 修道服……教会にいるシスターが着ている白い服、だったはずだ。着たらなにかを思いだすだろうか? わからないけれど、とりあえず私はうなずく。

 そうですねと彼も応えて、


「国についたらあなたに似合うドレスを見繕ってあげましょう。あれで出歩くわけにはいかないでしょうから。──ああ、ちなみに着替えさせたのは先生で私ではありませんからね。勘違いされないように」

「……はい」


 その言い方がおかしくて私はくすっと笑う。笑える状況ではないのに。


「申しおくれました。私はラピスライト・ヒューベルと申します。ルシラード王国の第一騎士団長を務めております。任務で遠征していた帰りにあなたを拾ったというわけですね」

「ヒューベル……さま」

「ラピスで結構ですよ。フローラ、よければこのままルシラード王国の私の屋敷へきませんか」

「え?」

「あなたの家を探さなければなりませんが、それには時間がかかると思うんです。なにせ名字も国もわからないのですからね。その上、あなたは1ギルも持っていないときている。これじゃ宿にも泊まれない。国に帰る前に行きだおれてしまうでしょう。ですから、記憶がもどるまで私の屋敷に泊まってください」

「そんな……ご迷惑では」

「困っているご婦人を見捨てたらルシラード王国騎士団の名が廃ります。私を助けると思ってください、フローラ」


 そこまで言われたら断ることができなかった。

 漂流していたという私がお金を一切持っていないのはたしかだろう。そして記憶まで失っている。未知の国でひとり生きていける気はとてもしなかった。


 ラピスさまはにっこり笑う。


「決まりですね。先生を呼んできます、そのまま待っていてください」

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