05 『真の聖女』カリア
――聖女を騙った罪人、フローラ・スノウベルは水葬された。
罪人の骸を国の土壌に埋めることは赦されない。彼女は棺に入れられ、聖女のコアだと偽って所持していた宝石と共に川に流された。
フローラの死はすべてを暴かれて錯乱したことによる事故死として片づけられた。
彼女が最期に叫んだ言葉に怯える者。厄介払いができたと胸をなでおろす者。騙されていたことに憤る者。彼女の死は国の人々に様々な感情を呼びおこさせたが、
その死を悼むものはだれひとり、存在しなかった。
「すごいわ……どんな薬も効かなかったのに……」
「これが聖女さまのお力なのですね」
フローラの死から数日後。
大聖堂には元のように病める人々がやってきていた。医師や薬師、果ては祈祷師が手を尽くしても治らなかったのだと藁にでもすがる気持ちできた他国からの病人も多い。
長椅子に腰かけた中年の夫婦を見下ろし、「いえ、大樹の力ですわ」とカリアは謙遜する。胸にはフローラから奪った紅いコアが輝いていた。
「それにしても、偽聖女が消えてくれてほんとうによかった」
「ええまったく。いままでの奇跡は、すべてカリアさまのものだったのですからね」
そうささやきあうのは聖女の手伝いをするシスターたちだ。
彼女たちは一番近くでフローラの治癒行為を見てきた。だが、彼女たちは大樹の力そのものを信仰している。
最初は愕然としていたが、《識別の鏡》がフローラを聖女ではないと判断したと聞き、実際にカリアが人々のケガや病を治してみせたことで納得したようだ。フローラさま、フローラさまと慕っていたのが嘘のように彼女のことを軽蔑し陰で罵っていた。
(フローラのコアでも問題なく使えた。それはよかったのだけれど)
愛想よく微笑み、次のケガ人の前にしゃがみこんでカリアは思う。
(やっぱりこの感覚はきついわね。ああ、ほんとうに気持ち悪い)
これくらいのケガ、聖女に頼らず自力で治せばいいのに。胸の中でつぶやきながらケガを治癒し、「お大事に」と笑う。
(この量を毎日こなしていたなんて……)
朝から夕方まで、しかも昼休憩は取らずに通しでやっていたという。
あの女のお人よしっぷりには呆れて言葉がでない。
しかも、人々が感謝の気持ちとして持ってくる金銭や高価な物品は受けとりを拒否していたとか。そんな前例を作られてはカリアも受けとるわけにはいかず、後ろ髪を引かれつつも美しい宝石や装飾品を返すしかなかった。
聖女が受けとれるのは農産物やら手紙やら子供が作ったアクセサリーやら。
いや、それらはまだいい。カリアが耐えられないのは小太りのおばさんたちが自慢気に持ってくる焼き菓子で、いったいなにが入っているのかと思うと気味が悪くて吐きそうになる。
なので、甘いものは控えているからと言ってシスターや子供たちにわける。
けれどそれでも持って帰らざるを得ないときがあり、そういうときは帰宅してすぐゴミ箱に捨てさせることにしていた。料理人ならともかく素人の手作り菓子なんて反吐が出る。
(聖女も面倒ね。人数を制限しろって言ってるのに、どうしてもとかで入ってくる蟻んこがいるし)
彼女の目には聖女の奇跡を望む人々が蟻のように見えた。聖女という砂糖に群がる、自分ではなにもできない無能な蟻だ。
思わず溜め息が出そうになる。今日も気分がすぐれないと言って早めに切りあげてしまおう。
そう思いながらカリアは"蟻"に治癒行為を施していった。
「カリアさま、すこし休まれてから帰られてはいかがですか?」
「いえ、だいじょうぶよ。気にしないで」
「カリアさま!」
昼過ぎ。気分が悪いと言ってカリアが早々に大聖堂を後にしようとしたとき、小さな女の子が開放されたドアから飛びこんできた。
これ、と白い花をカリアに差しだしてくる。
「具合が悪いって聞いたから。どうぞ」
「……ありがとう」
カリアはにっこり笑って花を受けとる。
──ああ、バカらしい。本音が透けて見えないように気をつけながら。
(こんな雑草、いったいいくらになるっていうの?)
帰ったらすぐ捨ててしまおう。そう思いながらカリアは外へでる。
そこに立っていたひとりの老女を見て足を止めた。
「……チズ先生」
「カリア、すこしよろしいですか」
「…………」
かつての聖女──チズは思案ありげにカリアを見据える。
だれかに聞かれてはまずい話にちがいない。
「馬車の中でもかまいませんか?」とカリアが言うと、銀髪の老女は静かにうなずいた。
馬車が動きだすなりチズが口を開く。
「話というのは、もちろんフローラのことですよ」
「……ええ。仕方がなかったとはいえ、彼女には可哀想なことをしましたわ」
憐れな少女に同情した顔をカリアは作る。
彼女を《《断罪》》してからずっと続けてきた演技だ。だれになにを言われてもこのスタンスは崩さなかった。
だがチズは表情を引きしめる。
「そのことですがね──私は聖女の先生として何年も彼女をそばで見守ってきました。彼女の聖女としての力は本物でしたよ。もちろん、コアもね。
私にはどうしても彼女が嘘をついていたとは思えないのです」
「ええ、私もです。ですが私は《識別の鏡》が彼女に反応しないのをこの目で見たのです。あれを見てしまっては……」
この国の人々にとって《識別の鏡》は絶対だ。
「それはそうですが……」とチズは目を伏せたが、すぐにべつの方向から疑問を投げかけてくる。
「フローラが捕らえられてから、あなたのコアは紅さを増しましたね」
「その通りです。おそらく、フローラと引きはなされたからではないでしょうか。彼女の持つ邪悪な力がコアをおかしくさせていたのかも」
「邪悪? あの子にそんな力などありませんよ」
「……チズ先生はご存じないのです。あの子の両親がどんなふうに私を脅したか」
カリアは目に涙をにじませる。
「男に命じてまだ幼かった私を汚し……自分の言うとおりにしなければ、そのことを世間に公表すると……。フローラの両親が事故死してやっと終わったかと思ったら、それはフローラに引きつがれていて」
もちろん口から出任せだ。しかしフローラも彼女の両親も死去したいま、真偽をたしかめることはだれにもできない。
「チズ先生。私、これで終わりではないと思いますの」
「……どういう意味ですか?」
「フローラは私とアルフレッド殿下の前で死をえらびました。まるで……まるで、私たちに呪いをかけるように。
私はそれが怖いのです。なので、できたらチズ先生に呪いを防ぐような結界を張っていただけたらと」
これはカリアの本心だった。フローラがあの言葉を叫んで飛び降りたときの光景はまだ目に焼きついている。
彼女は自分を呪いながら死んだと確信があった。
自分。いや、自分たちを。
(アルフレッド殿下はそう感じていないようだけど……)
フローラを牢に閉じこめてからふたりの仲は急速に縮まっていた。
いまから五年ほど前。高熱を癒してもらったことがきっかけでアルフレッドは聖女という存在に尊敬の念を抱いていたのだが、それが実はカリアの力だったと知ってフローラに抱いていた想いがそのままカリアに転化されたようだ。
フローラの死後まもないので、まだ彼ははっきりとは言わない。
けれどいずれカリアが彼の婚約者になることは間違いなかった。そのためには面倒でも聖女の仕事をこなし、不安の芽を摘みとっておかなければ。
チズは邪悪な力が侵入してこないように聖女の力を応用して結界を張ることができると聞いていた。聖女は自分のために力を使えないので、チズに頼むことは不自然ではない。
「そうですね……」とあまり気乗りしない様子でチズはつぶやく。
「勉強会にはろくに来ないとはいえ、あなたも私の教え子です。それくらいはいいでしょう」
「感謝いたしますわ、チズ先生」
チズはセーターの襟首からペンダントを取りだす。白っぽい赤色をしたコアを手ににぎりしめ、カリアに手をかざすとフローラが一切カリアに干渉しないための結界を張った。
ひとつ懸念が消え、カリアはほっと息を吐きだす。
だけど……とチズを彼女の家の前で下ろしたあとで思った。
あの老婆は、危険だ。
はやめに始末しないと。