04 牢の中の絶望
私は城の地下にある牢獄に入れられた。
床は地面が剥きだしで、牢の中にはベッドしかない。悪夢みたいな光景だった。
──どうしてこんなことに……
なにかの間違いだ。アルフレッド殿下なら誤解だとすぐにわかってくれるはず。
私はベッドの上に倒れこむようにして座り、自分の体を抱きしめた。
「ひでぇ顔だな」
「ずっとカリアさまを脅して聖女のふりをしてたんだろ? 天罰が下ったんだ」
交代のとき、見張りの兵たちが私を見ながらそんなことを話しているのを聞いた。
ちがう。そう言いかえしたいけれど、私にできることは自分を抱きしめることだけだった。
「久々の女囚人なのに首から上が化け物じゃな」
「下は女だろ?」
「いくら女でも顔が目に入った途端に萎えちまうよ」
「たしかにな!」
下卑た笑い声に耳を打たれながら私は待ちつづけた。
すまない。私が間違っていた。そう言って殿下が私を迎えにきてくれることを。
『あっという間に楽になった。きみはすごいな』
いまから五年ほど前。アルフレッド殿下が高熱をだし、私は城へと呼ばれた。
ベッドで苦しそうに呻く彼の傍らにひざまずき、その手に自分の手を重ねて私が治癒をするとみるみるうちに彼の顔色はよくなっていった。彼の金髪も緑色の瞳も輝きを取りもどし、殿下はベッドに起きあがると私を見て微笑んだ。
──なんてきれいな方。
彼の持つ気品に私は息を呑んだ。当時の殿下はまだ十三歳だったはずだけれど、すでに王太子としての貫録を持っていたと思う。
『もったいないお言葉です……』と私は両手を膝でそろえて頭を下げたが、『顔をあげてくれ、フローラ』と言われておずおずと従った。
『もっときみの顔が見たい』
『わ、私の顔なんて……』
『ほんとうに真っ赤な瞳をしているんだな。髪も雪のようだ。さわってみてもいいか?』
あのときに私は殿下に恋に落ちた。
瞳を覗きこまれて。そっと髪をなでられて。私はアルフレッド殿下に夢中になってしまった。
でも当時の私は修道院で暮らす孤児でしかなかった。本来なら言葉を交わすことのできる身分ですらないのだ。
この恋が叶うことはない。
彼を想えば想うほど胸は苦しくなって、いっそすべてを忘れてしまえたら、と思ったこともあった。けれど彼は太陽のように私の中で輝きつづけて。
『フローラ、あなたに養子の話がきていますよ』
スノウベル侯爵家の養女となって、侯爵から『実は……』とその話をされたとき。彼の輝きは私の中でさらに増した。
『きみを妻にしたいとアルフレッド殿下から相談されたんだ。そこで、きみを私の家に迎えることにした。きみの聖女としての功績も考えれば侯爵家の令嬢として王家に嫁いでも不自然ではないからな』
夢のような日々だった。侯爵も夫人も優しくて、使用人たちもみんな私によくしてくれた。
その上、王太子殿下の婚約者となって。私は幸せだった。
この幸せがずっとつづくと信じていた──のに。
「アルフレッド殿下……」
かすかな声で私はつぶやく。
あなたならわかってくれますよね、殿下。私を信じてくださいますよね……?
牢屋に窓はなかった。だから、朝晩二回差し入れられるという食事でだいたいの時間を測るしかなかった。
もっとも、私は食事を断つことで祈りの力を強めようとしていたから口をつけてはいないけれど。
一日目が終わった。二日目が終わった。
三日目が終わっても、私が牢からだしてもらえることはなかった。
……アルフレッド殿下。
地面にひざまずき、大樹に祈りを捧げながら私は彼に話しかける。
だいじょうぶです、私はわかっています。あれは作戦なのですよね? カリアの嘘に乗ったふりをして彼女の真意を探ろうとしているのですよね……?
カリア。この国にいるもうひとりの聖女。
彼女となら国をもっとよくできたはずなのに、彼女は聖女としての力を使おうとはしなかった。それどころか私やチズ先生をはっきりバカにすることもあった。聖女として生まれただけで特別なのにどうして他人にぺこぺこしないといけないのかと。
──ほんっと、あなたもよくやるわね
顔を合わせるたび彼女は呆れたように私に言った。
その彼女がなぜ私のコアを盗んだのだろう。なぜ急に聖女の力を欲したのだろう……。
地面から這い上ってくる冷たさは彼女の悪意のようだった。
骨の髄まで冷えてしまうような、容赦のない悪意。
不意に、がしゃんと音を立てて牢の扉が開いた。私は目を開ける。
王家の方が直々に牢までくるとは思えない。でも、私はアルフレッド殿下の婚約者だ。彼も私に好意を抱いていたはずだ。
私は彼がそこに立っていることを期待した──けれど。
扉から入ってきたのは見張りの男ひとりだけだ。
「あの……?」
食事はさっき断ったばかりだ。なんだか異様な雰囲気を感じ、私は中腰になる。
見張りの男は修道服を着たままの私の体を見て舌なめずりをした。
「顔さえ見なきゃ関係ねえだろ……」
「……やめなさい。それ以上来たら大声を出しますよ」
「あんた、まだ自分が地上にいると思ってんのか? ここは牢屋だぜ」
私は後ずさった。すぐに背中が壁についてしまう。
男はベルトを外しながら私に近づいてくる。
「わ……私にふれてみなさい。天罰が下りますよ。私は、」
「聖女のふりをして国民を騙してたクズだろ。だれが、どう天罰を下すって言うんだ?」
「……私はスノウベル家の娘です。父に言えば、あなたはこの国にいられなくなりますよ」
「ああ、侯爵な」
なにが面白いのか男はぷっと吹きだす。
そして、「あんたに手紙がきてたぜ」とズボンのポケットから便箋を取りだした。封筒に入っていないのは検閲されたからだろう。
「おまえとは一切の関係を断つ、だそうだ」
「……え?」
「除籍ってやつだよ。二度とスノウベルの名を名乗るな。おまえの服や持ち物はすべて燃やしてしまうからそのつもりでいろ、だってさ」
「そんな……!」
男は私の足元に便箋を放る。
私は地面にしゃがみこんで手紙をつかみあげた。男がでたらめを言っているだけだと思いたかったのに、侯爵の字は同じことを綴っていた。
おまえの聖女としての功を認めて家に入れたのにそれが虚偽だったとは。よくもスノウベル家の名に泥を塗ってくれたな。この件については改めて裁判にかけるつもりだ……読んでいくうちに衝撃で文字がぐにゃりと歪んでいく。
「うそ……」
頭をがんがんと殴られたようだった。
侯爵家の養女となって五年。この時間は──侯爵が私に向けてくれた優しさは──いったいなんだったの?
おとうさまもおかあさまもこんな娘がほしかったって言ってくれたのに。
実の親のように私に接してくれていたはずだったのに。
あの時間はすべて嘘だったの?
信じられずにいると男が私の体を地面に引きずりたおした。スカートをつかまれ、「やめて……!」私は叫ぶ。
「おい、暴れんじゃねえ!」
「いや、いやぁっ! アルフレッド殿下、助けて! 殿下ぁああ……っ!」
「──なにやってんだ?」
ふいに牢の外から声がした。上級兵士はあきれたように男を見て、手振りで追いはらう。男は舌打ちすると私から離れた。
「罪人、フローラ。おまえの正式な処分が決まった。大広間へ来い。お優しい殿下は、最後におまえが挨拶できるよう特別に取り計らってくれたのだ」
「…………」
……ああ、もう終わりだ。淡々と告げられる自分の処分を聞いて私は思った。
助けはこなかった。あのひとも、真実に気づいて私を救ってくれようとはしなかった。
もう──すべてがどうでもいい。
後ろ手に縄をかけられ、私は汚れきった修道服で地上への階段を登る。
途中で軽やかな音楽が聞こえてきて、空耳かと思ったけれどそれは現実に鳴っていた。三階の大広間から。
……まぶしい。私はきつく目を閉じてから、まぶたを開く。
大広間では盛大なパーティがおこなわれていた。豪奢なシャンデリアが輝き、人いきれで部屋は熱い。
なぜ私をこんなところに……? 私は光を失った瞳で大広間を見渡すが、その理由はすぐに知れた。
「まあ、あれが偽物の聖女?」
「なんてみすぼらしい。子供にはとても見せられないわ」
「私は最初からあの女は怪しいと思っていたんだ。見ろ、あの髪と目を。あんな異端者、さっさと国から追放すべきだと思っていましたよ」
──私は、貴族たちを楽しませるための見世物だった。
「いやな臭い……」
「ひどいわね。まるで浮浪者だわ」
「スノウベル侯爵も騙されていたのね。お気の毒に」
「真の聖女を利用するなんて恐ろしい女だ」
ドレスやタキシードを身にまとった人々が私を見て眉をひそめたりくすくす笑ったりする。
その中には私がかつて病を癒したひともいた。けれど、そのひとは私が呪いでもかけたとでもいうようにおぞましそうに両腕をさすっている。
「ああ、最初からカリアさまを信じていれば……!」
──そのカリアはアルフレッド殿下と寄りそって立っていた。
カリアは純白のドレスを着て、まるで新しい恋人のように馴れ馴れしく王太子に寄りそっている。
私は近衛兵にふたりの前まで連れていかれた。
殿下は──アルフレッド殿下は、地面に落ちたゴミでも見るように私を見る。
「フローラ、貴様の顔を見るのはこれで最後だ。なにか言うことがあれば聞いてやろう」
かつて婚約者だったことなんて嘘のような冷たい声。
カリアはそんな彼の腕に自分の腕を絡め、薄く笑った。
その胸には──紅く輝く、私のコア。
くすっと私は笑う。
私はずっとこの国に尽くしてきた。カリアが治せない重度の病人も命がけで癒してきた。毎日大樹に祈りを捧げ、国と人々の幸福を心から祈っていた。
この国のため。殿下のために。
──その結果が、これ?
「ふふっ……あははははははっ!」
笑いが止まらない。ぎょっとしたように近衛兵は私から一歩離れる。
アルフレッドとカリアは気味悪そうに私を見ていて、
「さようなら」
その裏切り者たちの耳に焼きつくように、
「──■■■■■■■■■■■?」
笑いながら叫ぶと、私は開けはなされていたドアからバルコニーに飛びだした。そのまま勢いをつけて手すりを体ごと乗りこえる。
最後に私を抱きしめたのは。
氷よりも冷たくて、硬い石畳だった。