33 「フローラ、帰ってきていいぞ」
ルシラード王国の港にたどりついたアルフレッド一行には国から馬車が用意された。
大臣は直接やってきた他国の王太子に「先日は大変失礼いたしました」と恐縮しきったふうに頭を下げ、「ヒューベル護衛騎士からのお言付けです。もしアルフレッド王太子殿下がお見えになった際は私の屋敷でお待ちいただくように、と」
──アルフレッドがここへ来ることは見抜かれていた?
トロフィセ王国と友好関係を結んでおくのはルシラード王国にとっても悪い話ではない。
さては使者を追いかえしたことを王家のだれかに叱責されたな、と思いながらアルフレッドは馬車に揺られた。
なかなか見込みのある国だ。港には次々と貨物船が入ってきており、他国との貿易が上手くいっていることを示している。積み荷を降ろす労働者の顔つきも生命力にあふれていた。
アルフレッドが乗ってきたような客船も目につく。大聖女を頼ってきたかどうかまでは外目ではわからないが、近い将来、航海技術が発達して多国間の行き来がもっと楽になれば観光資源があるかどうかは国の発展に大きく関わってくるようになるだろう。
街中もきちんと整備されている。煉瓦造りの家や店が立ちならんだ道は見通しがよく、人々はみな小奇麗な身なりをしていていた。表情も明るい。
国民の衛生観念はそのまま国の発展具合に比例するというが、それでいうとルシラード王国は世界的にも有数の先進国であろうことが窺えた。
白色のドレスがこの国では流行っているようで、特に若い娘が着ているのが目立った。
側近を通して御者に尋ねると、「白は大聖女さまの色ですからね。大聖女さまにあやかろうってことで流行りはじめたそうですよ」と返事がきた。
大聖女──フローラ。
アルフレッドは勝ちほこった笑みを浮かべ、座席の背もたれに背中を預ける。
フローラと会ったらなんて言葉をかけてやろうか。いままでひとりで辛かったな。私のもとへ帰ってくるといい、か?
私と会った瞬間、フローラは感激で泣きだしてしまうかもしれないな。それとも笑顔で飛びついてくるか。
顔をベールかなにかで隠し、淡々と国民の治癒にあたるフローラの姿をアルフレッドは思いうかべる。
彼の想像の中では大聖女を手伝うシスターも護衛騎士という男もフローラにはよそよそしい。あのめずらしい白い髪と赤い目。そして顔の傷のせいだ。
彼女の孤独は日に日に深まっていき──夜眠る前に必ず祈るのだ。どうかアルフレッド殿下が私を迎えにきてくれますように、と。
(憐れなフローラ)
──いま、私が迎えにいってやろう。
ヒューベル邸に到着したアルフレッドは応接間へと案内された。ほどなくして扉が開き、長身の男に付き添われた白髪の少女が入ってくる。
アルフレッドは息を呑んだ。
あれだけ酷かった顔の傷はどこにもなかった。まさか人違いかと思ったが、髪の長さこそ変わっているがこれはたしかにフローラだ。
レース飾りがふんだんに使われた白いドレスを着た彼女はアルフレッドと目が合うと、
泣きだすことも抱きついてくることもなく。
貴族の令嬢のように麗しい微笑みを浮かべ、「はじめまして」と言った。
──はじめまして?
「アルフレッドさまですね。この度は遠いところからよくお越しくださいました。それで私に依頼というのは──」
「まっ、待て!」
完全に初対面の相手として話を進めていこうとするフローラにアルフレッドはあわてる。ソファからあたふたと立ちあがり、フローラの前に立った。
「よく見ろ。私だ。おまえの婚約者、アルフレッドだ!」
「──婚約者?」
「おまえはトロフィセ王国の聖女だった。その働きを称えて私はおまえを婚約者にすることに決めた。婚約パーティも盛大におこなっただろう。忘れたとは言わせないぞ!」
失礼ですが、とフローラは微笑を崩さない。「なんのことでしょうか。まったく思いだせません」
──バカにされている。アルフレッドは思わず拳をにぎりしめたが、いや、と考えなおす。
これはあてつけだ。すねているだけだ。私がすぐに迎えに来なかったからといってこんな態度を取るなんて、かわいいところもあるじゃないか。
「フローラ、帰ってきていいぞ」とアルフレッドはむりやり笑顔を作る。
「こんな知らない街でひとりきりでさびしかっただろう。みんなおまえを待っているぞ。トロフィセ王国に帰ってこい」
「……アルフレッドさま。ご依頼のことについてお話ししませんか?」
「ああそうか、私がなかなか迎えに来なかったからすねているんだな。だが私にも色々と事情があったんだ、そこはわかってくれ。それにこうしてちゃんとおまえを迎えにきただろう? さあ帰ろう、フローラ」
フローラは微笑みを消すと眉をひそめた。
……おかしい。そろそろすねるのをやめて飛びついてくるはずなのに。
「困ります、アルフレッドさま。私はこの国を守る大聖女です」
「──なにが欲しいんだ! あれか、婚約破棄のことを気にしているのか? あんなもの取り消しだ。私にはおまえだけだ、フローラ。あれはほんの一時の気の迷いだったんだ。私はずっとおまえを愛している。私の妻にふさわしいのはおまえだけだよ、フローラ」
「……カリアと婚約されたのでしょう?」
「やっぱり憶えているじゃないか! 婚約の話はだれから聞いた? まあいい。あんな女愛しているわけがないだろう。フローラがあんな目に遭ったからかわりにそばに置いてやっていただけだ。私の心はずっとフローラのものだ。一緒に国へ帰ろう」
「私は追放された身ですから」
「そんなもの忘れろ! はやく帰ってこい、フローラ! 『生命の樹』はおまえにしか治せないんだ!」
フローラはかたくなに態度を変えない。まさか、とようやくアルフレッドは焦りはじめた。
──まさか、国に帰ってくる気がないのか?
「た……頼む。帰ってきてくれ」
「…………」
「『生命の樹』が枯れそうなんだ! カリアは聖女としての力をなくしてしまってもうだれも癒せない。聖女がいなくなったら王国は崩壊する。頼む! 帰ってきてくれ、フローラ! またいつものように治癒行為をしてくれ。たくさんの民を癒してくれ。お……おまえがいないと、私はすべてを失う」
「…………」
「頼む。フローラ、帰ってきてくれ。おまえがいないと私はダメなんだ」
「…………」
「フローラ……」
懇願は彼女に届かなかった。ああ、とアルフレッドはうなだれる。長い沈黙。
そのあとで──
目を見開くと、弱っていたのが嘘のような形相でフローラに指を突きつけた。
「帰ってこなければ貴様のせいでたくさんの人間が死ぬぞ。いいのか?」
「……っ、」
「私の父上と母上は病で亡くなった。貴様のせいだ! 貴様が治さなかったからふたりは死んだんだ! 貴様のせいだ! 貴様のせいだ! 貴様のせ──」
頬に衝撃が走った。と思った瞬間、アルフレッドは絨毯の上にひっくり返っていた。
フローラの隣にいた男に殴りとばされたのだと理解するのに数秒かかった。
「ああ、どうもすみません」と聞きなれない訛りで男は笑う。
「蠅がしゃべっとる思ったらどこかの王太子さまやったんか。こりゃえらいことしたわ」
「なっ……き、貴様──」
「さっきからなに勝手なこと言っとんねん」
男はアルフレッドの前に片膝をつくと胸倉をつかんできた。近衛兵が我に返ったように駆けよってこようとするが、男ににらみつけられてその場で固まる。
いい加減にせえよ、と男はアルフレッドを鋭い眼光で突きさして言った。
「そのカリアとかいう聖女をえらんでフローラを追放したのはそっちの都合やろ。なに責任押しつけてくれとんねん。それに人が病気で亡くなるんはふつうのことやろ。現実逃避すなや」
「せ……聖女がいる国だぞ……! 病死などありえないのだ!」
「そりゃめでたい国やな。そんで、放りだしてみたらやっぱり必要になったからフローラに帰ってこいって?」
「……そ、そうだ。その女さえもどってくればまたすべてが上手くいくはずなんだ!」
「アホらし」
「なっ──」
「フローラは物ちゃうわ。あんな目に遭った? 遭わせたんは自分やろ。それがどれだけフローラを傷つけたかわかってへんのか! なのに帰ってこい? 自分にはフローラが必要だ? アホ言うんも大概にせえよ!」
「貴様、どれだけ私を侮辱すれば……!」
「は? 俺だって敬意払う相手くらい選ぶわ」
男はアルフレッドを突き飛ばす。
うんざりしたように立ちあがり、「話は終いや。さっさと帰り」と言ってフローラと一緒に応接間を出ていこうとする。
「たっ──」
近衛兵が心配したように肩に手をかけてくる。その手を振りはらい、アルフレッドは体を起こすと絨毯に両手と両膝をついた。
絨毯にくっつきそうなほど深く頭を下げる。
「……頼む。トロフィセ王国を救ってくれ」
「…………」
ふたりが立ちどまる気配がする。だがかれらは振りかえらない。
「た──頼む! このままでは代々受けついできた国を私が滅ぼすことになる……! そんなことはできない。た、助けてくれ」
「……『頼む』? 『助けてくれ』?」
「た……」
男に低く聞きかえされ、アルフレッドは絨毯に爪を立てた。屈辱で血を吐きそうになりながらひたいをゆっくり絨毯に押しつける。
「お……お願いします。私たちを助けてください」
「…………」
「これまでのことはすべて謝ります。ですから……」
フローラが振りかえる気配がした。
アルフレッドがおそるおそる顔をあげると、彼女ははっきりと蔑んだ目でこちらを見下ろしていた。
かつて自分に夢中になっていたはずの女は溜め息をつく。
「……わかりました。私も、なにも悪いことをしていない人々が犠牲になるのは耐えられません」
「では──」
「ただし条件があります。聞いてくださいますね?」
アルフレッドは沈黙を返す。
彼女がこれから提示する条件に恋愛感情が一切からんでいないことは、彼女の冷えきった瞳を見れば明らかだった。