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30 豊漁祭の夜に(2)



 夕闇に染まった町は昼間のように活気があった。

 浜辺も村のひとたちや観光客らしいひとたちでいっぱいでにぎやかだったけれど、灯台の中の螺旋階段を登っていくとその声は波が引いていくように遠ざかっていく。


「──ここの灯台の管理人とは知り合いでしてね」とランタンで私の足元を照らしてくれながらラピスさまが言う。


「今夜、花火があがっている間だけでいいから部屋を貸してくれと頼んだら快く聞いてくれました。フローラさまは灯台にくるのは初めてですか?」

「ええ。トロフィセ王国は海のない国ですから」


 何の気なしにその国の名を言うと苦いものが口の中に広がった。灯台の中でその名前は不気味な影のように反響する。


「──それなら花火は? ご覧になったことがない?」


 その影を払うようにラピスさまが優しく尋ねてくる。

「あ、言われてみれば……」知識としてはあるけれど実際に見たことはなかった。私の世界は──とてもせまかったのだといまになって気づく。


「でしたらきっと楽しめますよ」


 塔の八分目くらいまできてラピスさまはひとつの扉を開けた。

 そこは管理人のひとが休憩するための部屋らしい。壁際に寝台が据えられていて、窓の前にコーヒーテーブルが置かれている。


 窓からは海が一望できた。

 藍色の空に満月がぽっかり浮かび、数えきれないほど無数の星たちが瞬いている。その下で海は空と同じ色に染まって波間にきらきらと月光を反射させていた。


 寄せては返す波の音が幻想的だ。

 もしあの日、ラピスさまに拾われていなかったら──私はどうなっていただろう。


 物思いにふける私に彼はなにも言わずつきあってくれていた。やがてドアがノックされて私は我に返る。


 部屋に入ってきたのはエディさんで、彼はお皿に乗った貝の網焼きやスープをテーブルの上にならべていく。


「ほかにご入用のものはございますか?」

「いや、手間をかけたな。あとは入り口で見張っていてくれ」


 エディさんは私たちに礼をすると静かに部屋をでていく。

「さあ、私たちも豊漁祭をはじめましょう」と笑ってラピスさまはフォークを手に取った。


 私もスプーンを取ってエビや魚の切り身が入ったスープをひとくちすする。

 あれからずっと食欲はないのだけれど──魚介の旨味がよくでていて素直においしいと思った。


「お口に合いましたか?」


 私は黙ってうなずく。


「それはよかったです」


 ──取り繕わなくちゃ。ちゃんと、笑って『おいしい』と言わなくちゃ。


 でもなぜかここでは演技をする気にはなれなかった。

 きらきら光る月の光のせいなのか。一定のリズムでくりかえされる波の音のせいなのか。それとも、私を静かに見つめるラピスさまの紫色の瞳のせいなのか──それはわからなかったけれど。


 気を緩めたら涙が零れてしまいそうだった。私はスプーンの先を震わせながらスープを飲み干し、殻から身を外して貝を口に運ぶ。肉厚な身は塩気があって後を引くおいしさだった。


 あれだけつらいことを思いだしたのに。ご飯は、ちゃんとおいしく感じるなんて。


 情けないような泣きだしたいような気分でいると、「おいしかったでしょう?」と自分の分のお皿を空にしたラピスさまがそっと尋ねてくる。


「それなら心配はいりません。おいしいものをおいしいと感じるということは、あなたの体も心も生きていたいと思っているということですから」

「──私……」

「ずっと無理をさせてしまいましたね」


 石造りの部屋は月光に照らされている。その中で彼は優しく微笑んだ。


「いま、ここには私とあなたしかいません。もう我慢しなくていいんですよ」

「……それ、なら」


 私はあきらめて言う。どれだけ強がったって、彼の前ではすべてばれてしまうようだ。


「ラピスさまもふたりのときみたいに話してください。大聖女と護衛騎士じゃなくて」


 彼が地元の言葉でしゃべってくれないことがさびしかった。でも彼は、私が言った言葉に一瞬だけ微笑みを消すと。


 そんなことなかったかのように、また優しい微笑を浮かべた。


「できませんよ。あなたはいま弱っている。弱っているときにつけこむようなこと私にはできません」

「つ……、」


 私にもその意味はわかった。普段だったら彼がそうやって私を大切にしてくれることに感謝しただろうけど、


 ──婚約者に見捨てられた女──


 私は膝の上でスカートをつかむと。唾を飲みこんでから、考えるよりも先に言ってしまった。


「つけこんでも……いい、ですよ」


 彼が微笑を消した。


「……それは、」


 ぎい、とイスが引かれる音がして彼が立ちあがる。壁にできた彼の影は本人よりもずっと巨大だった。


 こつこつと足音を鳴らし、ラピスさまは表情を消したまま私の横に立つ。そして、テーブルに手をつくとゆっくり身をかがめて私の顔を覗きこんだ。

 ナイフみたいに鋭い瞳で。


「俺に、ただの男になれ言うとる?」


 ぱぁんっと窓の向こうの空で破裂音がした。部屋が一瞬明るくなって、またすぐに暗くなる。


 花火が上がっていると思ったけど、でも私に夜空を見上げる余裕なんてなくて。

 お互いの呼吸の音が聞こえそうなほど近くにいる彼を見つめることしかできなくて。


 彼が黙って手を伸ばしてきたとき、思わずぎゅっと目をつぶって体をこわばらせた私を、


 ──彼は、両腕で包みこむように抱きしめた。


「……堪忍してや。なんで、俺はここまでフローラを大事にしとるのにフローラは自分を大事にしてくれへんねん」

「…………」

「フローラともっとはよ会いたかったわ。そしたら俺がぜんぶ壊してやったのに。偽聖女だの……くだらん婚約だの……」

「ラピス、さ──」

「腹立つわ。こないなきれいな顔にあそこまで酷い傷つけよって。しかもコアのすり替えだのなんだのやることが汚いわ。フローラを守れたはずの婚約者はそれにまんまと騙されて……挙句の果てに、」


 彼は吐きすてるように言う。


「まだ、そいつはフローラの心を奪おうとしとる」

「────」

「なんでそんなやつのせいでフローラが傷つかんとあかんねん。許せへんわ。……目の前におったらきっと殴っとる」

「ラピスさま──」


 彼はふっと表情をやわらげる。

「お、もう花火始まっとるやん」とおどけるように言って、なだめるように私の背中をとんとん叩いた。


「な? 男につけこまれてもええなんて、軽々しく言うもんやないやろ」

「……ご、ごめんなさい」

「ほかのやつに言うたら絶対あかんよ」


 彼は私から離れて自分のイスにもどる。

 顔を真っ赤にしてうつむいたまま、私は「……ラピスさま以外になんて言いません……」とつぶやいた。


 花火の音に隠れて、きっと聞こえなかっただろうけど。

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