03 《識別の間》にて
《識別の間》。城の片隅にある荘厳な小部屋だ。
ここは数十年に一度、コアを持った赤子が生まれてきたときに必要となる。
壁には『生命の樹』をモチーフにしたタペストリーが、部屋の奥には楕円形の曇った鏡がかけられている。なにも映っていない鏡には人間がひとり立っているような不思議な存在感があった。
「来たか、フローラ」
アルフレッド殿下は壁際に置かれた椅子に座って私を待っていた。
声は冷ややかで、私をドア越しに慰めてくれたときの優しさはかけらもない。
「は……はい」
私は震える声でうなずく。
殿下の前で無礼だとわかっていても顔に巻きつけたストールを取ることはできなかった。心臓がばくばくと鳴っている。
「アルフレッド殿下、この間は大変失礼いたしました。せっかくお越しいただいたのに……」
「そんなことはいい」
殿下の態度が私の緊張を加速させる。
彼の様子も気になったけれど、彼の傍らに立っているカリアの姿も気にかかった。
──どうしてカリアがここに……?
私の視線に気づき、カリアは悲しそうに目を伏せる。
──どうして? どうしてそんな顔をするの……?
「用件は手紙に書いたとおりだ」と殿下が言う。
「貴殿が真の聖女であるかどうか試させてもらう」
「…………」
「貴殿も知ってのとおり、この《識別の鏡》は新たに生まれた聖女が本物かどうかを判別するためのものだ。時折、ただの宝石を持たせて聖女が生まれたと嘘をつく親がいるものでな。そのため、申告があったときは赤子にコアを持たせてこの鏡の前に連れてこさせることとなっている。
真の聖女が手をかざせば鏡は澄みわたる。だが、偽物なら鏡は曇ったままだ」
それはトロフィセ王国に住むだれもが知っていることだ。
さすがのそのときの記憶はないけれど、私も生まれてすぐここにきて鏡に手をかざしたのだし、《識別の鏡》の言い伝えがあるためにこの国の人々は鏡の前ではけして嘘をつかない。王家と守り神の大樹を裏切ることになるから。
「鏡に手をかざせ、フローラ」
「……どうしてですか、殿下。お言葉を返すようですが、なぜ私がもう一度鏡の識別を受けなければならないのですか?」
「いいからはやくやるんだ。貴殿が真の聖女ならばなにも問題はない。そうだろう」
「え、ええ……」
殿下の言葉にはなにか含みがある。
そう思ったけれど、たしかに彼の言うとおりだ。私が手をかざせばいいだけ。
ふたりの視線を感じながら私は《識別の鏡》の前に立ち、コアを胸の前でにぎりしめた。片手を鏡にかざす。
結果は────
……なにも、起きない。
鏡は曇ったまま。目の前に立つ私の姿さえも映しださない。
「そんな……」
うそだ。こんなはずない。
動揺で指先が震える。けれど何度手に力を込めても結果は同じだった。
──どうして? 鏡がおかしくなってしまったの……?
そのとき、だれかが「ああ……」と悲しそうな吐息を漏らした。
「かわいそうなフローラ……」
「……やはり、きみの言ったとおりだったな。カリア」
意味の取れないやりとりをカリアと殿下が交わす。
そして、カリアは私を押しのけるようにして鏡の前に立つと──
「……!」
鏡がみるみるうちに澄みわたっていく。
──鏡が壊れたわけじゃない。なら、どうして……
「こういうことですわ、殿下」と彼女はアルフレッド殿下を振りかえって言った。彼は重々しくうなずく。
「やはり真の聖女はカリアだったか」
「え……?」
「カリアからすべて聞いたぞ。貴様はその外見から異端者として人々に恐れられていた。だから人々に取りいるために聖女の座を欲した──そうだな?」
「なっ……ちがいます! 私はコアを持って生まれてきた、本物の聖女です……!」
「それもいまでは疑わしい。大方、貴様の両親が異端の娘の将来を案じて始めたことだったのだろう。なんの力もない、ただの宝石をコアと偽って娘に持たせ、真の聖女であるカリアを脅して、貴様の識別の際にカリアに力を使わせて鏡が貴様が手をかざしたタイミングで澄みわたるようにさせた。
それからずっと貴様はカリアを利用してきた。大聖堂の陰にカリアをひそませ、彼女の力を自分の力と偽って人々を騙してきた。
これは大罪だ。わかるな?」
なにを言われているのかわからない。
私の両親が宝石をコアと偽って持たせた? カリアを脅して自分のかわりに力を使わせていた?
心当たりどころか意味を理解することさえ難しかった。
「待って……お待ちください、殿下。どうかお話を」
「フローラ・スノウベル、聖女を騙った罪により貴様をこの国から永久追放とする。当然、婚約は破棄だ。いいな」
「……そん、な……」
頭が真っ白になる。ひとつも身に覚えなんてないのに。
──これは悪い夢? 私は夢を見ているの……?
ふらっとよろけたとき、カリアの胸元で輝くコアに目が留まった。
深紅の薔薇のように輝くコア。
──彼女のコアはこんな色をしていただろうか?
ちがう。そんなはずはない。カリアのコアはほとんど白に近い赤だった。
それなら、あれはだれのもの?
「……っ!」
眩暈がした。あの日から私のコアの色がちがっていると思っていたけれど、ちがっていたのは色ではなくコアそのものだったのだ。
通り魔のようなものだと思っていたあの男はカリアと繋がっていて。
私が気絶している間に奪ったコアを、カリアに渡した──!
「返して!」
「きゃあっ!?」
「お願い、それは私の大事なものなの。返して……っ!」
自分のコアだと思っていた石を捨て、私はカリアに飛びつく。
けれどすぐ近衛兵に両腕を押さえつけられた。乱暴に彼女から引きはなされる。
アルフレッド殿下は急いでカリアの肩を抱いた。
「カリア、無事か!?」
「え、ええ。……殿下にすべてを知られて錯乱しまったようですね」
「ちがうの! 信じてください、殿下! 彼女が持っているコアは私のものなのです! 私の顔を傷つけた男に奪われて、それで──」
「黙れ、偽の聖女め。まだ言いわけをするか」
殿下は冷たい瞳で私をにらみつける。
「死罪にならなかっただけありがたいと思え。薄汚い詐欺師が」
「ちがう……! 私、私は……!」
必死に叫んだとき、私の顔を隠していたストールがはらりと落ちた。
その場の空気が凍りつく。
「──っ」
だれもが息を呑んだ。私の顔を見て。
傷だらけとなった、この、私の顔を見て。
「──そこまで……だったのか」
衝撃を受けたように殿下が言う。
私が顔に傷をつけられたという話はスノウベル侯爵から聞いていただろう。でも侯爵は娘の傷の程度まではっきり言えず、アルフレッド殿下も最悪の想像はしなかった。せいぜい化粧で隠せる程度だと思っていたのだ。
「ひどい……」
カリアが胸に下げたコア──私のコア……!──をにぎり、もう片方の手を私に向けて伸ばす。
よせ、と殿下がその手を押さえた。
「ですが、あれではフローラがあまりにも可哀想ですわ。治癒してあげなければ」
「……やめろ。罪人に情けをかける必要はない」
「ですが──」
「きみは優しいな、カリア。ずっとフローラに利用されていたというのに」
──ちがう。ちがう……!
顔を見られたショックで私の喉から声がでなくなっていた。
ちがうのに。私の顔を傷つけるよう命じたのはカリアなのに。
私のコアを奪ったのは、そこにいるカリアなのに……!
「ほら、行くぞ。化け物女」
「……っ!」
近衛兵のひとりが吐きすてるように言い、私の体をドアのほうへと引きずる。人間じゃなくほんとうに化け物相手にするように。
──殿下、気づいてください。カリアは嘘つきです。殿下……っ!
私は聞こえない声で叫びながら彼に手を伸ばしたけれど、アルフレッド殿下がもう私のほうを見てくれることはなくて。
私に向けられたのは。
殿下に寄りそって立つカリアの、憐憫と嘲笑が混ざった視線だけだった。