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29 豊漁祭の夜に(1)



 トロフィセ王国には帰らない。


 私が出した答えを否定するひとはだれもいなかった。ラピスさまは「当然やわ」と言ってくれたし、チズ先生も「ええ、それがいいでしょう。あなたが責任を感じる必要もありませんからね」と言ってくれた。


 それでも──。


 すべてを思いだしたときから私の胸は重石でも載せられたみたいに重くなっていた。忘れていた悲しみとか。罪悪感とか。痛みとか。色々なものがごちゃ混ぜになって、つぶれそうになるくらい苦しかった。


 けれど大聖女としての勤めはきっちりこなさなければならない。

 私が不安そうな顔をしていたら国の人々まで不安になってしまう。だから無理して笑顔を作り、そばにいてくれるラピスさまにも気づかれないように意識して明るく振るまった。『私はだいじょうぶ』と何度も自分に言いきかせながら。


 チズ先生はルシラード王国に残ることを選んでくれた。いまはラピスさまの屋敷に泊まっている。

 主がお城にいるので張り合いをなくしていた執事長やスキーニさんたちは彼女を歓迎し、『大聖女フローラの先生』が泊まっているという噂を聞いた街の人々がやってきてはチズ先生のありがたいお説教を聞いて満足して帰っていくという。


「なんや、そのうち俺の屋敷乗っとられそうやな」とアンからその話を聞いたラピスさまがぼやいていた。


 そしてある日突然、マリウス王子さまから直々にラピスさまのお呼びだしがあった。

 私は突然──と思ったのだけれど、これはよくあることらしい。「よろしければフローラさまもご一緒に」と言われたので私もついていくと、マリウスさまは二階のサロンにいた。


 なぜか音楽隊もいて、彼が「よく来たな!」と言って指を鳴らすと一斉ににぎやかな音楽を奏ではじめる。そしてマリウスさまの横に置かれていたマネキンの布を側近の青年が音楽にあわせてはぎとった。


 現れたのは──深い藍色のタキシード。


「どうだ。大聖女の護衛騎士となったのにいつまでも騎士団長の制服というのも味気ないからな、私がデザインしてやったぞ。嬉しいか? 嬉しいだろう?」

「初めて殿下からまともなものを賜った気がいたします」

「そうだろう!」


 そうなの?


「アレクサンダーはもとはとんでもないじゃじゃ馬でしたからね……」

「おまえが飼い慣らせるか見ていたのだ。──ところで、胸ポケットにある花の刺繍は大聖女のドレスに使われているものとそろいなのだぞ。世界に一着しかない特別な制服だ。そしてカフスボタンに使われている宝石はフローラの瞳と同じ色であり……」

「さっそく着てみても?」

「いいだろう。残りはフローラに解説してやる」

「わ、私ですか……!」


 マリウスさまから「袖口のステッチは……」「ネクタイだが発色が重要で……」というこだわりポイントを長々と解説していただいているうちにラピスさまが着替えからもどってきた。


 ラピスさまは普段から素敵な方だけれど──彼の瞳と同系色のタキシードを着た彼は言葉にできないくらい凛としていてかっこよかった。月光に照らされた夜の海みたい。ひんやりとした雰囲気があって、つい目を惹きつけられてしまう。


「わぁ……」

「大聖女は素晴らしくて言葉もないようだな。さすが私だ」

「……フローラさま……」


 見とれている私に気づいてラピスさまは弱ったように頬を赤らめる。

「今日からさっそくその衣装で回るがよい!」とマリウスさまに言われ、華々しい音楽で私たちは送りだされた。


「…………」


 音楽隊のひとたち、ひょっとしてこのためだけに呼ばれたのかな……。


「……なんだか照れますね」と私をエスコートしながらラピスさまがつぶやく。


「どうしてですか? すごく似合ってますよ! 騎士の制服も素敵でしたがこちらはラピスさまの魅力をぐぐっと引きだしてて、この姿を見たら女の子はみんな夢中にな──」

「……フローラさま?」

「…………」


 私はラピスさまの腕をつかんでいる手にぎゅっと力を入れる。


「夢中に……したら、だめです」

「え?」

「……え? あ、いえ! いまのはあのべつにラピスさまを好きな方が増えたらさびしいとかあのそのそういう意味じゃ……っ!」


 あわてた拍子に階段からすべり落ちそうになった。「フローラさま!」とすかさずラピスさまが体を支えてくれる。心臓が止まるかと思った。


「す、す、すみません……」

「……いえ、」


 ラピスさまはくすっと笑う。


「かしこまりました。それでは、あなたが妬かなくてもすむように『私はフローラさまのものです』と全国民に宣言しておきましょう」

「や、や、妬いてるわけじゃ……! それにそんなことしたら、あのっ、」

「ほんとうにやるのも面白そうですね」

「……え? え、あ、冗談……っ!?」



 ──そんなこともありながら。


 毎日は穏やかにすぎていった。私の大聖女の力で癒されることを望んでいるひとたちは数えきれないくらいたくさんいるし、時には『噂の大聖女を見たい』とやってきた他国の大使や王族の方々とお話をさせていただくこともあるけれど。


 忙しいほうが私は楽だった。昔のことを考えずにすむから。

 うんと忙しくて、体も心もくたくたになって、ベッドに横になったら気絶するみたいに眠りに落ちる日のほうが──ほんとうは、七日に一度きちんといただけるお休みよりもずっとずっと待ち遠しかった。


 もちろんそんなことはだれにも言わなかった。アンにも。チズ先生にも。


 けれどラピスさまには見抜かれていたことを、

 ──豊漁祭の日、私は知ることになる。





 大聖女としての勤めを終えて。馬車で城に帰る途中、ラピスさまが「今日ですよ」と微笑みかけてきた。


「今日?」

「豊漁祭です。以前話したでしょう? 船の上からあがる花火をあなたに見せたいと」


 ああ、と私は笑顔を作る。


「あれからもう一ヵ月経ったんですね。なんだかあっという間でした」

「ほんとうなら夕方につくように向かって屋台をめぐる予定だったのですが……あのときとは状況が大きく変わりました。混乱を避けるため、人混みには近づかないほうが無難でしょう」

「大聖女とその護衛騎士さま、ですものね……」


 いまと比べたらあのときの私はなにも思いだしていないも同然だった。

 偽聖女の烙印……。待っているはずのない婚約者……。気持ちが沈んでしまう前に、「ひょっとして花火はお城から見えたりするのでしょうか?」と彼に聞く。


「ええ、そのようですね。塔に登れば見えるとマリウス殿下から伺ったことがあります。ですが、それよりももっとよい『塔』がありますよ」

「……?」


 私は首を傾げたけれど、ラピスさまは「ついてからのお楽しみです」と微笑むだけで教えてくれなかった。





「──ねえ、おかしくない? だいじょうぶ?」

「へいきへいき。だってこれ、ラピスさまの見立てでしょ?」


 私の部屋に帰るとテーブルの上にラッピングされた小包が置かれていた。私がきょとんとしているとラピスさまが「私からです。たまにはこういうものもいいかと思いまして」と言って、あとはアンに任せて自分は隣の部屋に移ってしまった。


 アンと一緒に開けてみると、小包の中身は素朴な綿素材のワンピースだった。熟したリンゴのような赤色で胸元のリボンがかわいい。


「あんたにあれだけ惚れてるひとが選んだんだから間違いないない」と言いながらアンが私の髪を編んでリボンで飾ってくれる。あとは靴下と真新しい革靴を履いて完成だ。


 アンは私から一歩離れて満足そうにうなずく。


「へえ、こういうのもいいじゃない。村で評判のお嬢さんって感じね」

「どんな感じ……?」

「素朴でかわいいってこと!──さあお嬢さん、留守はおねえさまに任せてはりきってデートにいってらっしゃい」

「すぐからかうんだから……!」


 アンが開けてくれたドアからラピスさまの部屋に行くと彼も着替えていた。シンプルなシャツにだれでも買えそうなスラックス。

 街にいるごくふつうの青年の格好をした彼は私を見て、「フローラさまはなにをお召しになっても似合いますね」とにこりと笑った。


「あなたの生来の魅力が引きたっていてとてもかわいらしい。明日からはこの格好で国中を回りましょうか」

「……マリウスさまがすねますよ?」


 どこにでもいそうな男女になった私たちは、日が暮れるころに馬車で海辺の町へと向かった。


 彼が手を引いて案内してくれた先は、灯台──。

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