28 トロフィセ王国の現状(2)
「──国民たちの様子はひどいものでした。大人たちはみな不安と猜疑心で目をぎらつかせ、子供たちはそんな大人に影響されたのか泣きわめいたり無闇に怒ったり、かと思えば心を閉ざしてしまった子もいる。
聖女カリアは体調がすぐれないことを理由に屋敷に引きこもりました。民は『聖女さまの回復を待とう』という穏健派と『聖女をもう一度《識別の鏡》の前に連れていって本物かどうか確かめさせろ』という強硬派に分かれはじめています。
王太子──まだ即位していないのは民を刺激することを恐れてでしょう──は『聖女ならびに『生命の樹』が弱っていることについて現在調査中である』という逃げの声明しかだしていません。その他貴族も曖昧な態度を通し、現在の状況についてだれもが責任を取ることを回避したがっているように見えました」
「酷いものだな」
エディさんの話を受けてラピスさまがつぶやく。
「なんと浅ましい」とチズ先生が怒りを隠さずに言った。
「そのようなときこそ精神を鍛えて大樹に祈りを捧げることこそが重要なのに。……思えばカリアは、昔から修行を嫌う子でした……」
「チズ殿、そのカリアが聖女の力を失いつつあるのは彼女が修行を怠ったからですか?」
「ええ、きっとそうです。聖女の力というものはあくまで借りものなのですよ。その力にあぐらをかいて努力を怠るようでは……」
チズ先生の声が遠くなっていく。私は膝の上でハンカチをきつくにぎりしめた。
広場にある『生命の樹』はいつでも私たちを見守ってくれていた。聖女として生まれた私にとって大樹は癒しの力をくれた大切な存在で、私の心の支えだった。
その樹が枯れはじめているなんて。
「私……」
つぶやいた声は泡沫のように儚かった。息を吸いなおし「──私」と顔をあげて言いなおす。
「トロフィセ王国にもどろうと思います」
三人ははっとしたように私を見た。「な……」とチズ先生は言葉をなくし、「なにを言っているんだ!」とラピスさまが声を上ずらせる。
「『生命の樹』が弱っているのでしょう? もしかしたら、私の大聖女の力なら大樹を癒せるかもしれません」
「だが。……その国は、あなたを裏切った国だ」
ラピスさまは痛々しそうに首を横に振る。「あなたが救ってやる理由なんてどこにもない。聖女として尽くしてきたあなたを罪人扱いした国など放っておけばいい。私はそう思う」
「そうですよ、フローラ」とチズ先生もラピスさまに賛同する。
「放っておきなさい。これはカリアが自分で解決しなければならない問題です。あの子も愚かではありません。いずれ『生命の樹』の大切さに気づいて悔い改めるでしょう。聖女が『生命の樹』を敬い、崇めれば、大樹は力を取りもどす。聖女と大樹の関係とはそういうものです」
エディさんはなにも言わなかったけれどふたりと同じ考えのようだった。
「でも……」と私はうつむく。
大樹を、困っているひとたちをこのまま放っておいていいのだろうか。かれらを救える力が私にはあるかもしれないのに。
部屋の空気が重くなったとき、「そういえば」とエディさんが口を開いた。
「先程のチズさまのお話では、フローラさまは王太子殿下と最後の別れをするために大広間に連れていかれ、そこで錯乱してバルコニーから落ちたということでした。ですが逃亡の恐れもある罪人──いえ、失敬──を窓のそばに連れていくでしょうか?」
「彼女の死はただの事故ではなかった」ラピスさまが考えこむように言う。「そう言いたいのか、エディ」
「あくまで可能性の話ですが……」
再び三人の注目が私に集まるけれど、そのときの記憶はぽっかり抜け落ちていた。冷たい牢屋の感触は肌によみがえっているのに。
──事故ではなかったら、なに?
「チズ先生──」
私はかすかに声を震わせて尋ねる。
「最期のとき、私はなにを着ていたのかわかりますか?」
チズ先生は答えた。あっさりと。
「ああ、それなら修道服でしょう。あなたは聖女としての真偽を問われて城に呼びだされてそのまま投獄されたのですから、きっと修道服を着ていたはずですよ」
私は自分の部屋に飛びこんだ。ベッドの下に置いてあった箱を取りだしてふたを開ける。
薄汚れた修道服。
私が、最期のときに着ていた服。
この服を着ることが──記憶の扉を開けることが恐ろしかった。きっとそれは最悪の記憶にちがいないから。
いまだって怖い。でも。
私の勢いを見て心配になったのだろう、「フローラさま、だいじょうぶですか」とラピスさまが入口に立って聞いてくる。
私は修道服を箱から出した。そして彼に言う。
「着替えます。扉を、……閉めてください」
修道服は欠けていた私の記憶をすべてよみがえらせた。
知らない青年が私の顔に傷をつけたのはカリアに命じられたからできっと間違いない。
なぜならそのあとから私とカリアのコアの色が微妙にちがっていたから。青年は気絶した私の首からコアを奪いとり、すり替えがバレないように偽物のペンダントを現場に残して、本物はカリアに渡したのだろう。
聖女は通常、コアがないと力を使えない。
だからコアを奪われた私に《識別の鏡》は反応しなかった。堂々と力を使ってみせたカリアを見て私はすり替えに気づいたけれど、あがいたところでもう間に合わなかった。
──私は偽聖女にされて、アルフレッド殿下から婚約破棄と追放を言いわたされた……。
私は聖女としてたくさんのひとを助けてきた。トロフィセ王国のひとならだれだってそのことを知っているはずだった。
でも……。最後のお別れだと言われて連れてこられた大広間にいた貴族たちは、私を助けるどころか嘲笑うことしかしなかった。偽物の聖女。異端者だと。
──こんなふうに言われるためにこのひとたちを救ってきたんじゃない……!
私は心の中で叫んだ。血が噴きだすくらいに、強く。
アルフレッド殿下を──信頼していた。
会える機会はあまり多くなかったけれど、彼はいつでもにこやかで、街の男の子たちみたいに意地悪じゃなくて、私のことを婚約者として大切にしてくれているのが伝わってきたから。
カリアのことだって──頼りにしていた。
彼女は聖女の修行に乗り気ではなかったけれど、男の子にも正面から言いかえすような気の強さを持っていたし、なにかあったら助けてくれるだろうと私は勝手に思いこんでいた。
……だから。このことは、きっとなにかの間違いだって信じていたけど。
私のことをゴミを見る目で見てきたアルフレッド殿下と、その彼に甘えるように腕をからめているカリアを見たとき──
私の心は、
かんぜんに、
こわれてしまった。
「あぁ……っ」
私は床に崩れ落ちる。悲鳴を聞いてラピスさまが真っ先に飛びこんできた。
「フローラ!」
「私……私は……っ」
「…………」
「事故じゃない。事故なんかじゃない! 私は……ふたりに裏切られたことがつらくて! 自分で……っ!」
ラピスさまは絶句した。私は自分の胸を掻きむしりながら泣きじゃくる。
「私は悪くないのに。コアをすり替えられて……それで……っ」
「…………」
「どうして? どうしてだれも信じてくれなかったの? 私は、私はずっと、みんなのために生きてきたのに。なのに……!」
心と体がばらばらになってしまいそうだった。
どうして。どうして私は裏切られなくちゃいけなかったの? どうして?
「私は……私は、裏切られるために生きてきたんじゃない……!」
子供のように泣く私をラピスさまは両腕で抱きしめる。
「当たり前や。フローラはなんも悪くあらへんよ」と心の傷にふれるように言われて、私はさらに大声をあげて泣いた。
トロフィセ王国にはもどらない。
それが、すべての記憶を取りもどした私の答えだった。