26 チズ先生との再会
エディさんに連れられてやってきたチズ先生は記憶の中の彼女よりもずっと小さくなっていた。
以前はかくしゃくと歩いていたのに木製の杖をつき、いつも伸ばしていた背中は丸くなっている。きれいな銀色だった髪は色が抜けはじめていて顔は骨としわが目立つようになっていた。
視力は前より悪くなってしまったようだ。不安そうに部屋を見回している。私がどこにいるかもわからないのかもしれない。
それでも。
私が彼女の前にひざまずき、「私です、チズ先生。フローラです」と言って片手をにぎりしめるとはっとしたように表情を変える。
「フローラ……ほんとうにフローラなの?」
「はい、先生。お会いできて嬉しいです」
「フローラ……。フローラ!」
杖が床に転がった。思いがけず強い力で私の手を振りほどくと、チズ先生は私の顔を両手ではさむ。
「ああ、フローラ。ほんとうにフローラなのですね」と彼女の薄青色の瞳から涙が零れた。
「まさか生きているとは……。ああ……」
「ラピスさまに拾っていただいたのです。ねえ、先生。顔の傷、治りましたよ」
「ああ、ほんとうに……。よかったわねえ、よかったわねえ、フローラ。あのときは私の力が足りないせいで治せなくて。ほんとうにごめんなさい。でも治ったのね、よかったわ。この国にも聖女がいるの?」
「いいえ。ラピスさまが『天恵の花』というとても貴重な花を取ってきてくださって、それをもとにした薬で治ったのですよ」
「それはすごいわねえ。ああ、フローラ。生きていてくれてよかった……ほんとうに……」
気がつくと私の目からも涙があふれていた。私はチズ先生の細い体を抱きしめる。
──こんなに小さくなってしまって……。
手にあたる骨の感触がつらかった。もっとはやく、彼女のことだけでも思いだしていたら手紙を書けたのに。
……でも、と再会の喜びが落ちついてから私は気がつく。
あれ、でも、チズ先生はトロフィセ王国の王都に住んでいたはず。どうして港町に──?
チズ先生はなかなか私を離してくれなかった。それでもそろそろ頃合いだと思ったのだろう、ラピスさまがデスクを回ってくると「チズ殿。お気持ちは察するがフローラさまとはこれからいつでも会えます。いまはお話を窺いたいのですが」とチズ先生の肩に手を置いた。
彼女は目をぱちぱちさせ、「え、ええ」とびっくりしたように私から体を離す。
「ああ、そうでしたね。すみません。まさかフローラが生きているとは夢にも思っていませんでしたから」
「私はラピスライト・ヒューベルと申します。ラピスとお呼びください。──こちらへどうぞ、チズ殿」
「どうもすみませんねえ……」
ラピスさまは杖を拾いあげると、チズ先生の手を取ってソファへと導く。私は彼女の横に座った。
ラピスさまは私たちの正面に腰を下ろして、「──それでは、なにがあったのかをお話し願いたい」とチズ先生に向けて言った。
チズ先生は私が貸したハンカチで涙を拭う。そして語りはじめた。
──トロフィセ王国にはふたりの聖女がいた。
ひとりが私。もうひとりがカリアというひとつ年上の少女。
四歳になると聖女は本格的に修行をはじめる。私は与えられた課題を黙々とこなしたが、カリアはサボりがちだった。
それでも、七歳のときにふたりとも国からの許可を得て聖女として治癒活動をはじめる。体と心が未成熟の間はたとえ家族相手でも力を使ってはいけないという決まりがあったのだ。
聖女が同世代にふたりというのはめずらしいけれど前例がないわけじゃない。記録では聖女がふたりいるおかげでどちらも体への負担がすくなく、治癒活動は大いにはかどったという。
けれど私たちはそうはいかなかった。カリアが治癒行為を嫌がり、すべてを私に押しつけていたから。
私はたくさんのケガ人と病人の治癒を一手に引きうけていた。
盲目のひと。足が萎えたひと。時には、大聖堂の前で転んでひざを擦りむいただけの小さな子供。どんなケガや病もひとりで治しつづけた。
そしてその功績を認められて、孤児だった私はスノウベル侯爵家の養女となり、王太子殿下の婚約者となる。
すべてが順風満帆……のはずだった。
私が治癒活動の帰りに何者かに襲われるまでは。
「あなたは裏路地で倒れているところを発見されたのです。顔を切りつけられて……」とチズ先生は肩を震わせる。
「私の衰えた力では傷をふさぐだけで精一杯でした。カリアもそのときは留守で。だれもあなたの傷を治せなかった……」
私に降りかかった災厄はそれだけではなかった。
王太子、アルフレッド殿下から城に呼びだされた私は《識別の鏡》の前で聖女としての真偽を問われる。聖女が鏡に手をかざせば曇った表面が晴れてゆくのに、なぜだかその日私が手をかざしても鏡は一切様子を変えなかったという。
その瞬間、私は聖女ではなくなった。
いままでの聖女の力はすべてカリアのものだったことになった。カリアを脅して、陰から力を使わせていたと。
私は聖女を騙った罪に問われ、追放罪を言いわたされる。もちろん婚約は破棄。
さらに牢にいる間にスノウベル侯爵家から縁を切られた。
「そんなはずはない、あの子の力は本物ですと私は周りに言いつづけました。アルフレッド殿下に直訴もしましたが、『ならなぜ鏡が反応しなかった』と言われると返す言葉がなく……。許してください、フローラ。私はあなたを助けられなかった」
「チズ先生……」
私の追放先が決まった日、お城ではパーティが開かれていた。
そこでなにが起こったかチズ先生は詳しくは知らない。聞いているのは、アルフレッド殿下に最後の別れを告げるために大広間に連れてこられた私が錯乱してバルコニーから落ちて死亡したということ……。
私の遺体は水葬されたという。
「それからはカリアが真の聖女として人々を癒しはじめました。でもね、よかったのは最初のうちだけですよ。あの子はすぐに診る人間をえらぶようになった。お金を持っているひとしか診ないのです。治癒活動の場も大聖堂から自分の屋敷へと移して、服も修道服ではなく派手なドレスを着て。
私が目ざわりだったのでしょう。ある日私はアルフレッド殿下から追放を言いわたされました。貴様はフローラこそが真の聖女だったと嘘を吹聴して回っているようだが、《識別の鏡》が間違っていたというのか。それは王家への侮辱だぞ、ってね。
殿下のお考えではないことは明白です。おそらくカリアの差し金……。想像ですが、私が国を去ったあとで殿下とカリアは婚約したのではないでしょうか」
ラピスさまは壁際で控えているエディさんをちらりと見る。エディさんは首肯し、チズ先生の考えが現実になったことを肯定した。
「私はコアを奪われた上で国外へ追放されました」
「コアとは?」とラピスさまが聞く。
「聖女の力を使うために必要な紅い石です。聖女はみなこれを持って生まれてきます。
私が追放された国には港がありました。私は海が見えるところに家を借り、毎朝、海に花束を捧げることにしたのです。フローラ、せめてあなたの魂がやすらかに眠れるように。
まさかあなたが生きているだなんて夢にも思わなかったから……でもそのおかげでエディさんとお会いできてここまで運んでもらえたのですから、無駄ではなかったのね」
話をしているうちにチズ先生の顔つきは以前の理知的なそれにもどってきていた。彼女の話に嘘はなさそうだ。
話に刺激されて私の記憶も次々とよみがえってきた。
自分の顔が傷だらけになっていたときの絶望。《識別の鏡》が曇ったままだったときの絶望。冷たい牢の中に閉じこめられ、婚約者のアルフレッド殿下が誤解を解いてくれるよう祈りつづけたけれど、それが裏切られたと知ったときの絶望……。
きっと忘れていたほうが幸せだった。
「フローラさま、だいじょうぶですか」とラピスさまが気づかわしそうに私に聞いてくる。私は唇を噛んで涙を堪え、こくりとうなずいた。
思いだすだけで胸が引き裂かれそうになる。
でも、知らなくちゃ。自分の過去を知らなくちゃ、この先の未来には進めない。
「すこし休憩を入れますか?」
「……いいえ、平気です。いまははやく自分のことが知りたいのです」
ラピスさまは無理をしていないか確かめるように私をじっと見つめたあと、「エディ、トロフィセ王国のことを教えてくれ」と壁際にいる彼を呼んだ。
エディさんはテーブルの横に立つ。
「ご報告いたします。トロフィセ王国ですが、結論から申しあげますと──」
「滅びかけております。聖女カリアは力を失いつつあり、国の守り神である『生命の樹』は枯れはじめていました」




