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25 ラピスさまの趣味と、ある知らせ



 聖女としての勤めにも慣れてきた頃。


 マリウスさまからの命で私は一日休みをもらった。私付きのメイドとしてラピスさまの屋敷からきてくれたアン──そそっかしいところもあるけれど、この国では一番の友人だ──にいつもよりシンプルなドレスを着つけてもらい、簡単にメイクをしてもらう。


 はぁ、とドレッサーに映った私を見てアンは溜め息をついた。


「フローラの髪、ほんと真っ白できれいな色ねえ。あ、もうフローラなんて呼び捨てにしちゃいけないんだった」

「いいわよ、アンは特別」

「ラピスさまよりも?」

「からかわないでってば……!」


 鏡越しに私がにらむと、「照れた照れた」とアンは喜ぶ。

 大聖女の誕生祭でラピスさまが私に言ったことでひとしきりからかってきたあとで、「ところで屋敷にあったのはあれでぜんぶ? もう忘れものはない?」と尋ねてきた。


「ええ……」


 私の荷物なんてたいしたものはない。スキーニさんがくれた塗り薬とかラピスさまが買ってくれたドレス、私の肌によく馴染む化粧道具くらいで、それらは当日中に運びおえていた。


 でもひとつ見落としがあったらしい。スキーニさんが私の部屋を掃除したときに、ベッドの下に残されていたのを見つけて今日届けてくれた。


 紙の箱に入った、あの修道服。


 いつかはあれと──自分自身の過去と向きあわなくてはいけない。わかっているけどまだためらう気持ちのほうが強くて箱を開けることすらできないでいた。


 私の表情が沈んだことに気づき、「ねえ、今日はなにするの? お休みをいただいたんでしょう?」とアンは笑顔で聞いてくる。


「……そうね。午前中はお城でゆっくりして、午後になったらでかけようと思うの。ゆっくり城下町を歩いてみたいわ」

「いいわね! ねえ、私も一緒に行っていい?」

「ええ、もちろん」


 ラピスさまにも予定を伝えておこう。そう思い、私は彼の部屋につづくドアをノックする。

 返事を待ってからドアを開けると彼はデスクで手紙を書いていた。


「お邪魔でしたか?」

「いえ、かまいません。どうぞソファへ」


 デスクの上にあるものが気になった私はソファではなく彼の正面に立つ。

 何色ものインク壺がデスクにならべられていた。


「これは……?」

「調色して好きな色を作りだしているのです。相手のイメージに合わせて色を変えるのが楽しくて。私の唯一の趣味ですね」


 ──たとえば、生真面目な養父は深緑がかかったとっつきにくそうな黒。

 逆に実の両親はにぎやかなひとなので、見ているだけで気分が浮きたつような赤に黄色を多めに混ぜた橙色。


 なんだか実験みたいで楽しそうだ。ドアが閉まっていることを確認したあとで、「同じ色でも微妙に風合いがちごうてなぁ、つい色々買ってしまうんよ。スキーニに『なぜ赤色だけで五つもあるのですか?』て呆れられたことあるわ」と話す彼はコレクションを自慢する子供そのものだ。


「もし私に手紙をくださるとしたら何色のインクになりますか?」

「フローラか。せやな、大聖女の力使うときのあの光みたいな……いや、」


 彼は青色のインクが入った小瓶を見て微笑む。


「あの海の色やな。俺がフローラを初めて見つけたときの、あのインディゴブルー。大聖女になってもフローラは俺の中ではひとりの女の子のままや」

「────」


 彼の言葉に胸がじわりと熱くなった。でも私がなにか言おうとする前に、「そういや」とラピスさまは引き出しから一枚の葉っぱを取りだす。


「これは……どうしたのですか?」

「知らん。手紙の中に混ざっとった。この辺りではあまり見ない葉やさかい、取っておいたんやけど」


 彼のもとに届く手紙はきちんと検閲されるはずだ。それなのに葉っぱが紛れこむなんて考えにくい。

 でもその『考えにくい』ことが起こったのなら、


「もしかして……それがシドさんからの手紙?」

「ああ。そういうことか!」


 ラピスさまは難しい問題の答えが解けたみたいに笑う。葉っぱを窓から射しこむ光に透かし、「なるほどなぁ。自分に用があったらこの葉っぱがどこで生息してる植物のもんなのか突きとめて会いにこい言うわけか」


「まるで魔女ですね」

「いや魔女やろ。あいつ、ほんまもんの魔女やで」


 私はデスクの前に立って、彼がインクを調合したり「フローラのこと自慢したろ」と言いながら手紙を書いたりするのを眺めていた。彼の字は美しくて流麗な水の流れを思わせる。


 兄弟──彼は三人兄弟の真ん中だという──に宛てた手紙に封蝋を垂らしながらラピスさまはつぶやいた。


「……そのうち顔見せてな」

「え? どなたにですか?」

「そりゃ……あー……」


 ぎゅっ、と指輪に刻印された羅針盤の紋章を封蝋に押しつけながらラピスさまはもごもごと口の中で言う。「まあ……俺がいまどないな仕事しとるかとか家族にもわかってほしいし……そんだけや、そんだけ!」


 私は胸の前で両手を合わせる。


「では、そのときはとびきり大聖女らしくしますね」

「……頼むでほんま」


 そこから何通か封をしたときだった。彼の部屋のドア──廊下に続いているほう──がノックされて、ラピスさまが誰何(すいか)すると「エディです」と帰ってくる。


「──入れ」


 エディさん。トロフィセ王国に行っていたラピスさまの従者だ。

 私は思わず緊張で身をこわばらせながら、いつも落ちついているエディさんが私たちに丁寧な礼をするのを見守る。


「フローラさまはそちらへ。──よくもどったな、エディ。ご苦労だった」

「恐縮です」


 顔をあげた彼の表情はわずかに硬かった。私でもわかるくらいに。


 当然ラピスさまにもそれは伝わっただろう。ソファに座った私と入れかわりでデスクの前に立ったエディさんに「なにがあった」と尋ねる。


 エディさんは一瞬私を振りかえりたそうにしてから答えた。


「レトレ大陸に着き、港町で一泊した日の翌朝のことです。私は海に向けて花束を投げている老婆を見ました。思わず私が『ご家族ですか』と言葉をかけると──彼女は答えました。『いいえ、無実の聖女を弔っているのですよ』と」


 私は息を呑んだ。ラピスさまも表情を変え、「その老婆はいまどこにいる!」とエディさんに勢いこんで尋ねる。


「トロフィセ王国の偵察が終わったあとで連れてかえってまいりました。ラピスさまならそうされるだろうと思いましたので」

「ここに──きているんだな?」

「来賓用の控えの間で待たせております。お呼びいたしましょうか?」

「頼む」


 聖女。トロフィセ王国がある大陸の港町で、その言葉を口にしたという高齢の女性。私に関わっていないはずがない。


 気がつくと二の腕に鳥肌が立っていた。私は自分の両腕をさする。

 近づいてきている。私の過去が。確実に。


「待て」とドアを開けようとしたエディさんをラピスさまは呼びとめた。「その老婆の名は? なんという?」


 エディさんは振りかえって答える。


「チズと申します。なんでも本人が申すには、かつてトロフィセ王国にいた聖女……フローラさまの先生をやっていたとか」

「チズ先生……っ!」


 気がつくと私は叫んでいた。脳が記憶をよみがえらせるよりも速く体が反応したかのように。

 ラピスさまが私のほうに身を乗りだした。


「お知り合いで間違いないのですね、フローラさま」

「は……はい」


 思いだした。間違いない。彼女が言ったとおり、チズ先生は私の聖女としての先生で。

 時に優しく、時に厳しく私を導いてくれたひと……だ。


『聖女の力は祝福ですが、同時に大樹が私たちに与えられた試練でもあります。修行を怠ればこの力は身を滅ぼすものとなるでしょう。それをゆめゆめ忘れないように』

『フローラ、あなたは優しい子ですね。きっと国を……いえ、世界中の人々を救う聖女になりますよ』

『ここにいたのですね、フローラ。新作クッキーを焼いてみたのですが、よかったら味見しませんか?』


 チズ先生の記憶が次々とよみがえってくる。聖女としての修行が始まってからずっと彼女は私を見ていてくれた。私は彼女のことを尊敬していて──同時に、実の祖母のように慕っていた。


 ──チズ先生と会える……!


 いままで彼女のことを思いだせなかったのが嘘みたいだった。

 エディさんは得心したようにうなずく。


「すぐに連れてまいります」

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