24 護衛騎士になっても
家まで詰めかけた人々が期待に目を輝かせている中で、私は少女──ミーナのおとうさんの体を治した。
おとうさんはミーナの手を借りながらベッドから降り、「ああ……」と二本の足で自分が立っていることが信じられないように声を震わせる。
「こんな、こんな奇跡が……」
「おとうさん……っ!」
「あなた!」
ミーナと彼の奥さんが左右から彼に飛びつく。
「これは夢じゃないんだな? ほんとうに、ほんとうに……!」とおとうさんは両目に涙を溜めるとふたりの家族を抱きしめた。
「ビリー、もう動けるのか!?」
「ああ、元通りだ。大聖女さまってやつの力だ!」
部屋で治癒行為を見守っていたのは彼のかつての同僚たちだ。そこには親方さんもいて、「しばらくリハビリして勘を取りもどしたらもどってこい」と声を詰まらせながら言った。
「親方、いままでかみさんとミーナの面倒見てくれてありがとうございました。復帰したらいままでの分働きますから!」
歯を見せて笑ったあと、ビリーさんは家族の肩を抱いたまま私に向きなおる。
三人はまるで神さまに対峙しているかのように私に頭を下げた。
「──ほんとうにありがとうございます、大聖女さま。医者にも見放された俺がこうして自分の足で立てる日が来るとは思いませんでした。このご恩をどう返せばいいか」
私は首を横に振る。
「私の力は本人の生命力を増幅させるだけです。大切なのは治りたい、生きたいという本人の意志なんですよ。私はその願いが叶うよう手を貸しただけ。だからどうか顔をあげてください」
「ああ……! なんて素晴らしい方なんだ……!」
「フローラさま、ありがとうございます! ありがとうございます……っ!」
顔をあげてください、と言うけれどビリーさんたちは何度も頭を下げる。このままだとひざまずかれかねない勢いだ。
私は困って傍らに控えているラピスさまを見た。彼はうなずき、「フローラさまには次のご予定がある」と三人に向けて言う。
「だからもう行かなければならないが、フローラさまがおっしゃったことをけして忘れないように。大切なのは本人の意思だ。だれのため、なんのために健康な体を取りもどしたいと思ったのか──それを忘れないように」
「はっ、はい……!」
ビリーさんたちは深く頭を下げながら私たちを見送る。
彼の同僚が始めた「フローラ! フローラ!」の大合唱を聞きながら馬車に乗りこんだ。
かつての大聖女、フロウリラもこうやって人々を治癒していたのだろうか。きっとすごいプレッシャーだったにちがいない。
でも……と私は自分の中にいる彼女に問いかける。
こうやって力を使うことができて、あなたも嬉しいよね? と。
馬車の中に入っても人々が私を称える声は聞こえてきた。ふう、と私はイスに座って息を吐く。
「疲れましたか?」
「いえ、平気です。ただあんなに大袈裟に感謝しなくてもいいのにと思って」
「大袈裟など。一生寝たきりと宣告されたひとをまた歩けるようにしたんです、これでも足りないほどですよ」
私は隣にいるラピスさまの顔を見つめる。「なにか?」と聞かれ、あわてて視線を外した。
「……な、なんでもありません」
あの宣言は。
あのプロポーズ(?)は、なんだったのだろう。
夢の中のできごとみたいだけど、でも実際に私はいまこうして大聖女の護衛騎士となった彼と一緒に行動している。なら……彼が私の手を取りながら言ったことも、現実……。
「ひゃ……」
「フローラさま? 顔が赤いですよ。熱でも?」
彼は私の顔を覗きこむとおでこに手をあててくる。心臓が止まるかと思った。
「……ふむ。念のため、今日の治癒行為はこれまでにしておきましょうか」
「だだだだだいじょうぶです……! やれます!」
「そうですか?」
「ただ、わ、たし……は」
あなたが私に向けてくれる気持ちは、ただの同情だと思っていたから。
急にあんなことを言われても、心の準備がぜんぜんできていなくて──。
「無理は禁物ですよ。なにか不調を感じたらすぐに私に言ってください」
「……はい」
「フローラさまのかわりはどこにもいないのですから」
恥ずかしくて彼の顔もろくに見れないのに。
彼が私を『フローラさま』と呼びはじめたことが、距離ができてしまったみたいでさびしかった。
「こ、ここが私の部屋……ですか」
「はい。私は隣におりますので、なにかございましたらベルを鳴らすか直接ドアを叩いてください」
ビリーさんのあとで私はふたりの病を治癒した。三人目のひとの家をでるときにはもう空は暗くなっていて、「帰りましょうか」とラピスさまは馬車を家へ向けさせた。
ラピスさまの屋敷ではなく──お城に。
城内に私の部屋を用意する。
という話は聞いていたけれど、まさかそれがこんなに豪華な部屋だとは思っていなかった。
ラピスさまのお屋敷のゲストルームも充分贅沢だったけれど、ここは絨毯からカーテンから小さなシャンデリアから壁にかかった絵まで、なにからなにまで最上級のものでそろえられている。
部屋は手前と奥で二部屋あって、手前にはソファセットや四人掛けのテーブル。奥は天蓋付きのベッドとドレッサーなどが置かれていた。
「こ、こんな立派な部屋を……いいのでしょうか……」
「ほかに必要なものがございましたら私からマリウス殿下に伝えておきますが」
「も、もう充分です! 私にはもったいないくらいで……!」
ラピスさまはにこっと笑う。
そして私にソファに座るよううながして、自分は向かいのソファに腰かけて背もたれにその長身を預けた。
はぁっ、と天井を見上げて大きな溜め息をつく。
「さすがにしんどいわ。なんちゅー役やねん。部下背負って雪山を一日中歩きとおしたときよりもしんどいわ」
「だいじょうぶですか……?」
「ちっと休ませてな。……俺になにか不手際があったらフローラまで舐められるやろ。せやから気合入ったわ……」
私は脱力しているラピスさまをまじまじと見る。
それから、なんだかおかしくなってくすくす笑いだしてしまった。
「笑わんといてや」
「すみません。……でも、ラピスさまが変わらないのが嬉しくて」
途中、以前から私を知っているひとたちに声をかけられた。
でもみんな『あなたがこんなにすごいひとだったなんて』『私になにかあったらよろしくね』と一歩引いたところから声をかけてきたから……こうやってラピスさまが素顔を見せてくれることが嬉しい。
「ラピスさまは私のそばにいてくださいね。ずっとですよ」
「……それは俺の告白の返事ってことでええんか?」
「えあっ」
予想していなかった返しに私は素っ頓狂な声をあげる。
ラピスさまはおかしそうに肩を揺らして笑った。
「冗談やて。ちゃんとわかっとるから。
この先なにがあっても、俺はそばでフローラを守る。こっちの俺でも誓っとくわ」
「……はい」
飄々とした口調だけど彼の目の奥は真剣だった。
──ラピスさまはだいじょうぶ。《《このひとだけは》》、なにがあっても私を裏切らない。
……このひとだけは?
自分の頭に浮かんだ思いに私はどきりとする。
そんなの。まるで、だれかに裏切られたことがあるみたい……。
胸がざわつきはじめた。なぜか汚れた修道服が脳裏にちらつく。
私が着ていた洋服……。私の唯一の持ち物……。
「フローラ? なに考えとるん?」
「い、いえ……」
……いやだ。思いだしたくない。私はそれ以上考えることを拒否したけれど。
結局。
その答えは、あるひとからもたらされることになる。




