23 大聖女の誕生
マリウスさまが用意してくださったドレスは純白で精巧なレース飾りがふんだんに使われたものだった。私の顔を隠すベールも白。
私の姿を見たラピスさまは「なんだか……ああ、いや……」と言葉を濁したけれど、彼が言おうとしたことはわかった。私も思ったことだったから。
まるで花嫁衣装みたい──と。
マリウスさまは先にひとりでお城のバルコニーで演説をしている。「今日はある女性を紹介したい」と言われ、室内で控えていた私はイスから立ちあがった。
ラピスさまとうなずきあう。
「行こう、フローラ」
「はい──」
ラピスさまは私の手を取るとバルコニーへエスコートした。
……まぶしい。太陽の光はもちろんのことだけれど、お城の広場に集まった人々の顔が私にはまぶしく感じられた。
「知っている者もいると思うが、彼女は第一騎士団長ラピスライト・ヒューベルによって海に漂流していたところを保護された。一命こそ取りとめたものの彼女は顔に傷を負い、自分の名前以外の記憶をすべてなくしていた。だが……奇跡が起こったのだ」
マリウスさまのセリフに合わせ、ラピスさまは私のベールをあげる。
私の顔の傷を知っていた人々がざわめいた。
「あの子、顔にひどい切り傷があったはずじゃ……」
「化粧でも隠せなかったのに」
「あんなにきれいに消えるものなの?」
集まった人々の中には、メイドのアンや病院で一緒に働いた看護師さんもいた。どういうことなんだとそばのひとに聞かれ、彼女たちが説明しているのが見える。
ざわめきが静まったところでマリウスさまが言いはなつ。
「彼女は自分が大聖女であったことを思いだしたのだ。その途端、顔の傷は跡形もなく消えた! これが大聖女の奇跡と言わずしてなんと言うか!」
彼の勢いに呑まれたように人々は歓声を上げ、拍手を返す。
「奇跡はそれだけではない!」とマリウスさまはさらに声を大きくした。
「彼女の力はある女性の命を救ったのだ。──チレット夫人、こちらへ」
今日はチレット夫人も呼ばれていた。ダニーくんを抱っこした彼女はバルコニーへとでてきて、「私は長年、首から下が動かなくなる病気にかかっていて……」と話を始める。
国民はみな彼女の話に聞きいっていた。特に女性は感じいるところがあったのだろう、私の力で病気から回復した夫人がダニーくんを再び抱きしめたくだりで涙を流すひとがたくさんいた。私もこうやってダニーくんを抱きしめている夫人を見ているだけで胸がつまる。
「ドミノ先生に診察していただいたところ、これはまったく奇跡としか言いようがないそうです。すべてフローラさんのおかげですわ。またこうしてダニーを抱っこして外を歩ける日が来るなんて夢にも思っていませんでした。ほんとうにありがとうございます、フローラさん」
チレット夫人は涙をぬぐい、私に向きなおっていつもの優しい笑顔を見せる。
たまらず私は彼女を腕の中のダニーくんごと抱きしめた。枯れ木のように細い体だけれど──彼女は生きている。ダニーくんのおかあさんとして。
万雷の拍手が広場を満たした。
「──さて、ここからは現実的な話になるが……」
民衆が落ちつくのを待ち、病みあがりのチレット夫人を室内に下がらせたあとでマリウスさまは口調を切りかえて話しはじめる。これからの大聖女の扱いについて。
「チレット夫人の話を聞いてだれもが自分や家族、大切な相手をフローラに診てもらいたいと思っただろう。だがそれはならぬ。なぜなら、彼女の治癒行為は命を削る行為だからだ」
これは制限をもうけるために必要な嘘だ。はっとしたようにチレット夫人が私を見たので、「だいじょうぶです」と小声で返す。
「そのため多くの者を続けて診ることは私が禁止する。一日に三人。それが限度だ。そしてだれでも診るというわけではない。国立病院のドミノ医師と連携を取り、彼が大聖女の治癒を受けるに値すると診断した者のみだ。徒な治癒行為は彼女の寿命を縮める。理解してもらいたい」
まさにだれでも診てもらえると思っていたのだろう、人々の熱狂がクールダウンした。けれど、「お金がなくても診てもらえますか……!」とひとりの女の子が叫んだことで潮目が変わってくる。
マリウスさまは彼女のほうを見た。
「診てほしいのはきみか?」
「いえ、うちの父です。大工だったんですけど、仕事中に背骨を折ってしまって歩けない体になってしまったんです。もう治る見込みはないと国立病院の先生に言われて……」
「……なるほど」
「自分がヘマしたからだ、しょうがない、って父は言うんです。でも大工さんは父の子供のときからの夢で。もう一度梁の上を自由に飛びまわりたい、またでっかい仕事がしたいって思ってるのがわかるんです。しょうがないわけ、ないんです……」
話しているうちにあふれてきた涙を彼女は手でぬぐう。
マリウスさまは私の顔を見た。私がうなずき返すと、「よくわかった」と少女に向けて言う。
「どうやら、フローラの大聖女としての初仕事が決まったようだ」
「それじゃ……っ!」
「よろしく頼む、フローラ」
私は少女を勇気づけるために微笑んだ。
「ありがとうございます、ありがとうございます……っ!」彼女が泣きながら頭を下げると、人々は笑顔で手を叩く。まるでもう彼女のおとうさんが治ったみたいに。
「──とまあ、フローラの力を必要としている相手はたくさんいる。だから人数を制限することは必要な措置だ。どうかわかってほしい。そしてここにいるラピスライト・ヒューベルだが……」
名前を呼ばれ、後方で控えていたラピスさまは私の隣にならぶ。彼は騎士団長の制服を着ていた。
「本日より大聖女の護衛騎士となる。大聖女を命を懸けて守りぬく、それが彼の使命だ」
ラピスさまはこの国の人々に愛されているようだ。子供たちは無邪気に跳びはねて手を振り、女性たちは頬を赤くして友人とささやきあって、男性は誇らしそうに手を叩いて足を踏みならす。
集った人々の中にはかつてのラピスさまの婚約者──ヘルミーネさまもいた。彼女には純朴そうな栗毛の女性が寄りそっていて、幸せそうなふたりの姿に私はほっとした。
彼は護衛騎士として簡単な挨拶を述べたあと、私の傍らにひざまずいた。なにかと彼のほうを向いた私の手を取る。
「──フローラ。私の心は決まりました」
「え……?」
ラピスさまの言葉を聞きとろうとして広場がしんと静まりかえる。マリウスさままで面白そうにこちらを見ているのがわかった。
全員の注目を浴びながら、ラピスさまは私を真剣なまなざしで見上げて言う。
「初めてあなたを見たときからです。あなたは私の心の中に住みついてしまった。記憶をなくしたあなたを保護するという名目だったけれど、ほんとうは私があなたを手放したくないだけだったのです。
ですがあなたは徐々に記憶を取りもどしはじめた。もしかしたら婚約者が故郷にいるかもしれないと思い、私は自分のこの想いを捨てようとしました。それがあなたが幸せになる道だと信じて。
けれど……それは逃げているだけだと私は気がつきました。私は、あなたの故郷の婚約者と自分を比べられることを恐れている。あなたが私を選ばないという未来を恐れ、最初から勝負をしないで逃げようとしているだけだと。
そんなことはもうやめだ」
彼の紫色の瞳。その輝きが、私を体の奥まで突きさす。
「私はあなたが何者でもかまわない。たとえ故郷に婚約者がいようと。たとえ、国中の人々があなたを待っていようと。
私はあなたを愛しています。護衛騎士として、そしてひとりの男として、あなたを一生守ると誓います」
私がびっくりしてあげた声は人々の喜びの声に呑まれた。「えっ──」目を丸くして二の句が継げないでいる私に、「もちろんすべてがわかったあとでいい」と彼が言う。
「そのあとで決めてください。大切なのはあなたの気持ちだ。私はいつまででも待ちますから」
「ら……ラピスさま……」
「……失礼をいたしました」
ラピスさまは私からそっと離れる。
「国民の前でプロポーズとは面白いことをするな」とマリウスさまに冷やかされていたけれど、彼は澄ました顔で「このほうが手っ取り早いですから」と答えていた。
私はただただ唖然としてしまって……
いつ『大聖女の生誕祭』が終わったかも、まったく記憶になかった──。




