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22 第一王子マリウス



 このひとを治すか否かという選択肢すら与えられなかった。

 私はマリウスさまの手をにぎり、なかばパニックになりながらその傷を癒す。ラピスさまも見守るしかないようだった。


「これが大聖女の力か!」


 完璧に癒えた左の手のひらを見てマリウスさまは目を見開いて笑った。


「これはいい拾いものをしたな。よくやった、ラピス」

「……なんのことでしょうか」

「決まっているだろう? フローラという交渉カードを我が国は手に入れたんだ。フローラさえいれば戦も……いや、戦さえ起こさずに他国を掌握することができるだろう」


 ラピスさまの手に力が籠もり、私はびくっと体を震わせる。


「余所の国に病原菌を撒くんだ。そして充分に蔓延したところで大聖女という救いの手をもたらす。その国は喜んで我が国に服従するだろう。

 ──よくやった、ラピス。おまえには褒美をやる」

「……申しわけございません。私の理解が悪いため、おっしゃっている意味がわかりかねるのですが」

「おまえほどの人間がわからないというのか? 冗談を言うな」


 マリウスさまは私を見る。

 青くて──澄んだ──狂気をはらんだ瞳で。


「大聖女フローラはこれより、我がバルシュミーデ家の所有物になる。どんな病も傷も治す大聖女。使わぬ手はない」

「……マリウス殿下。どうか、私の話を聞いていただきたい」

「これで私の王位継承が盤石なものとなった。礼を言うぞ」

「殿下──」

「安心しろ、フローラが恋しいならちゃんと添わせてやる。表向きだがな。大聖女の血と王家の血が混ざったときどのようなことが起きるか興味がある。だから大聖女の体はこちらで管理することとなるが──」

「マリウス殿下!」


 ラピスさまは一喝するように怒鳴った。

 空気が振動するほどの迫力にだれもが身をすくませる。マリウスさま以外は。


「発言の撤回を願います」

「どこからだ。どこからおまえは気に食わない」

「フローラは道具ではありません。ましてや、だれかの所有物でもない」


 彼の手が私を守ってくれているようだった。ラピスさまは毅然とマリウスさまを見据える。


「もし彼女を道具扱いするというのなら──私はすべてを捨てて、彼女と逃げます」


 マリウスさまは鼻で笑う。


「だったら私は地の果てまでおまえたちを追いかけてつかまえるだけだ」


 ふたりは睨みあう。


 これはもしかして王族相手に逆らっていることになるのでは。ラピスさまにどんな罰が与えられるかわからない。

 私のせいで……!


「……あ、あの」


 緊張で声が震えた。でも、彼を守らなくちゃ。

 そう思いながら口を開いたとき、だれかがぷっと笑った。


 あまりにも場違いな笑い声。

 それはどんどん広まっていき──


「くくっ……ははははははは!」

「ふふっ……」


 笑い声の主がマリウスさまとラピスさまだとわかっても。

 私には、なにが起きているのか全然理解できなかった。


「これが考えられる最悪のシナリオだ。テオドール辺りは本気でやるだろうな。我が弟ながら冷酷なやつだ。そのためには、フローラが私以外の王族の手に落ちないようにしなければならない」

「おっしゃるとおりです」

「フローラは私に保護させろ。大聖女の力は結構だが、祝福をもたらす相手は選ばなければそれはやがて自らを滅ぼす力となるぞ」

「……ええ、そうでしょうね」


「さあ」とマリウスさまは両手を広げる。


「楽しいパーティの相談をしようじゃないか。大聖女の誕生祭だ!」





 場所を食堂に移し、マリウスさまとラピスさま、私、そしてマリウスさまの家臣を交えての話し合いがおこなわれた。主題はもちろん私の処遇について。


「チレット夫人の話はじきに国中に広まる。ならば、こそこそ隠すよりも自分から発表したほうがいい」というのがマリウスさまの主張で、それには私たちも異議はなかった。


「フローラは私に仕える聖女とする。住居もこちらに移せ。私の手の内にいるのが一番安全だ。ラピス、おまえが護衛となってフローラを守れ」

「かしこまりました」

「治癒する相手は重度のケガ人と病人に限る。多くても一日三人だ。選別には医者も抱きこまなければなるまいな」

「ならば国立病院のドミノ医師がよいでしょう。彼はチレット夫人の主治医でもありますから、話が早いはずです」


 話し合いと言っても発言していたのはマリウスさまとラピスさまばかりで、私はふたりのテンポの速い会話についていくだけで精一杯だった。

「それと──」とマリウスさまが私を見たのであわてて姿勢を正す。


「は、はいっ」

「フローラ、おまえは記憶を失っていると聞いた。それはほんとうか?」

「……はい。でも、すこしずつもどってきています」


『禁忌の魔女』シドさんのことは話さないほうがいいと判断した。具体的には、と言われたのでそこは隠さずにすべて話す。


「顔に傷をつけられた理由やなぜ海を漂っていたかはまだわかっていないのか」

「……はい。申しわけございません」

「謝る必要はないが……、トロフィセ王国か。だれかを偵察に向かわせるべきだろうな」


「偵察には私の従者を向かわせました。私が心配しているのは──」とラピスさまはやや語気を弱めて言う。


「そのことです。国の人間は彼女の帰還を望んでいるのではないでしょうか」

「それがなんだ。フローラを拾ったのはおまえでおまえは私のものなのだから、フローラはルシラード王国のものだ」

「彼女の噂が広まればいずれトロフィセ王国にも話が届きます。そうしたら……」

「そうしたら、またそのときに考えればいい。──もっとも聖女の顔に傷をつけるような人間がいる国だ。フローラを帰すべきかどうかは慎重に見極めなければならないだろう」


 私は隣のイスに座っているラピスさまの顔を見る。

「かしこまりました」とうなずく彼の表情はなにも変化がないように見えたけれど、私にはなんとなくわかった。彼がマリウスさまの返事にほっとしていることが。


「誕生祭の準備は最短で何日かかる」とマリウスさまは家臣に問い、「三日あれば」という答えにうなずく。


「では三日後だ。三日後に城でフローラが大聖女の力に目覚めたことを発表する。ところで──大聖女ならば自分の顔の傷も癒したのだろう? なぜまだベールをしている?」

「え、えっと」


 王族の方の前で失礼をしてしまった。私は恐縮しながらベールを外す。


「顔の傷は……その……サンザシ共和国の薬師の方が調合してくれた薬で治りました。聖女は自分に自分の力を使えないのです」

「なんだ、そうなのか。……ふむ。だがせっかく治ったのだ、それも大聖女の奇跡のひとつにするぞ。いいな」


 私は思わずラピスさまの顔を見る。

 彼は"シドの存在を明かすよりは"という目くばせを私にしてきた。かしこまりました、と私はマリウスさまに向きなおって返事をする。


「話し合うべきことはこれくらいか。──いや待て、大事な話が残っていた」とマリウスさまはテーブルに身を乗りだす。

 よほど大事な話なのだろうと思ったとき、


「大聖女フローラよ、おまえの体のサイズを測らせろ!」

「は」

「は、じゃない。大聖女として国民の前に立つんだ、豪勢なドレスが必要だろう! 色も決めなければなるまい。聖女というイメージ通りに白か? それともおまえの目に合わせて赤か? おい女の服を考えるのは楽しいな、ラピス!」

「なによりでございます」


 ……あとになって教えてもらったけれど、マリウスさまは洋服のデザインという特技をお持ちとのことだった(あの刺繍がきらきらしたスーツもご自身で考えられたとのことだった)。

 城にもどられた彼はものすごい速さで『大聖女のドレス』のデザインを描きあげて──


 三日後。私はそのドレスを着てルシラード王国の人々の前に立つこととなった。

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