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21 大聖女はなにを望む?



 チレット夫人はこの前会ったときよりも痩せて見えた。

 今日はドミノ先生ではなくラピスさまと一緒にやってきた私に、「あら……?」と不思議そうな顔をする。


 私は彼女のベッドの横にひざまずいた。

 いきなり顔の傷がなくなっていたらみんな驚くだろう。無用な混乱を防ぐため、私は途中でベールをつけなおしていた。


「チレット夫人。もし私が、あなたの病気を治せるとしたらどうしますか?」

「え?」

「深くは考えないで。思ったことをそのまま教えてください」

「そうねえ……。それはもちろん治してほしいとお願いするわ。でもいきなりどうしたの?」


 私は「失礼します」と言ってチレット夫人の冷たい手を取る。

 そして彼女に大聖女の力をそそぎこんだ。


「フローラさん? これは──」


 光をまとう私に夫人は目を丸くし、その光が自身の全身を覆いはじめて言葉もないほどに驚く。

 やがてその光が消えたあと──ぴくりと彼女の指が動いた。


「……え?」


 チレット夫人は信じられないというふうに自分の手を見る。


「……うごいてる……?」


 彼女はゆっくり手を持ちあげて自分の前に持っていく。

「あ、ああ……っ!」首から下が動く。それが夢ではないことをたしかめ、彼女は自分の顔を両手で覆って嗚咽した。


「こんな、こんなことって……!」


 私はラピスさまを振りかえる。彼はうなずくと部屋をでていった。


 ひとしきり泣きじゃくったあと、チレット夫人は私に尋ねてくる。


「フローラさん、これはいったい……?」

「私は大聖女の生まれ変わりだったみたいなんです」

「大聖女……?」

「どんな傷も病もたちどころに治してしまう奇跡の存在です。その記憶はずっと封印していたのですが……それがよみがえった結果、力も使えるようになって」

「そう、だったの……」

「信じてもらえないとは思いますが──」

「……いいえ」


 チレット夫人は涙に濡れた瞳で優しく微笑む。


「信じますとも。優しいあなたなら聖女だったとしてもなんにもおかしくないわ。……ああ、うそみたい。ずっと感覚がなかった体がこんなふうに動くなんて。ありがとう、フローラさん。ありがとう……」


 そのとき部屋のドアが開いてラピスさまがもどってきた。傍らには乳母に抱かれたダニーくんがいる。


「ダニー……!」


 チレット夫人は起きあがろうとしたけれど、長期間動かせなかった体では上手く力が入らなかったようだ。彼女はがくりとベッドに倒れこむ。

「夫人、つかまってください」と私は彼女の体を支えて上半身を起こさせた。


「ああ、ダニー。ダニー!」


 チレット夫人は棒切れのように痩せた腕を我が子に伸ばす。ダニーくんはぱっと笑顔になると、「ママ、ママ!」と小さな手を夫人に向けて伸ばした。


 乳母はチレット夫人にダニーくんをそっと預ける。

 夫人の痩せおとろえた腕は──それでも、けして、我が子を取りおとすようなことはなかった。きつく抱きしめ、涙で濡れた頬をダニーくんに寄せる。


「ダニー。こんなに重くなっていたのね……」

「ママ、もうびょうきなおったの?」

「ええ、すっかりよくなったわ。フローラさんが治してくれたの。だからもうだいじょうぶよ。長い間さびしくさせてごめんなさいね」


 ダニーくんはチレット夫人の首に腕を回して思いっきり抱きつく。

「ママ、おそとであそぼう!」と無邪気な笑顔で言われ、「もちろん。これからはたくさん遊びましょうね」と夫人も涙を零しながら微笑んだ。


『私の願いは、チレット夫人がダニーくんを自分の手で抱きしめるところを見ることです』


 ラピスさまに語った願いは叶った。

 私はもらい泣きをしながら、ラピスさまを見上げる。


 こういう力の使い方ならいいでしょう?


 口にはしなかったけれど彼には伝わったらしく、しゃあないな、と言いたげに彼は肩をすくめてみせたのだった。





「すぐ国中の大ニュースになるぞ」

「そうでしょうね……」


 念のためドミノ先生に往診してもらうよう伝え、私たちはチレット夫人の家をあとにした。


 夫人は何度も何度も私にお礼を言っていて──ほかの方には内緒ですよと釘は刺しておいたけれど、難病が突然治ったのだからみんな不思議に思うはずだし、夫人も仲のいい友人にはきっと話してしまうだろう。そうしたら噂が広まるのなんてあっという間だ。


 馬車の中でラピスさまは難しい顔をする。


「そうしたらだれもかれもフローラに治してもらおうとするだろう。ちょっとした風邪やかすり傷でも。だが、そういった相手まで治すのは私は反対だ」

「なぜですか?」

「ひとつにはキリがないということだ。全員診ていたら患者の相手をしているだけで日が暮れてしまう。

 先程のチレット夫人のように医者でも治せない病ならばわかるが──たいしたことがなければどんどん病院に行かせるべきだな」


 私は曖昧にうなずく。


「不満か?」

「いえ、……」

「病を癒して、フローラ自身はなんともないのか? 体力が削られていたり、気分が優れなかったりとかは」

「ええ、それはだいじょうぶです。体調は変わりありません」

「ならよかった」


 彼はほっとしたように息を吐きだす。けれどすぐに顔を引きしめると、「実際、そうやってなんでもかんでも治すのは本人たちのためにもならないからな」と言う。


「ケガをしても聖女さまが治してくれる。そう考えると慎重に動かなくなる人間もいるだろう。本来、痛みというものは脳が体に送る警告なんだ。その警告を通して人々は危険なものを学び、自らの限界を見極める。その意味がなくなってしまったら……」


 ──人間は、退化してしまうかもしれない。


「……シドさんもなんでも治すことには反対のようでした。シルバがケガをしていたでしょう? あの子を聖女の力で治癒しようとしたら、動物はなるべくそのままにしたほうがいいと言われました。自己治癒能力を失ってしまうかもしれないからと」

「そうだな。それは動物だけでなく人間にも起こりうることだと思う。

 フローラ、あなたは道具ではない。あなたがほんとうに救いたいと思ったひとだけ救えばいい」


 私は神妙にうなずく。

 大聖女としての力。それは思っていたよりずっと強大だけれど、だからこそ使い方をきちんと考えなくてはいけない。


 ……記憶をなくす前の私はどうしていたのだろう? ちゃんと、聖女の力が必要なひとだけを治癒していたのだろうか?


 そんなことを話しあっているうちにヒューベル邸に到着する。ラピスさまはさっそく自分の従者をトロフィセ王国へと向かわせた。


 私の故郷でなにがあったのか、これで明らかになる……。


 ぼんやり考えこんでいると、ラピスさまが「昼食にしようか」と言ってくれたので私はうなずいた。食堂で、彼とふたりきりで摂ることになる。


 屋敷のドアがノックされたのは食後の珈琲を飲んでいるときだった。

 執事長が応対にでたようだけれど、「あ、あなたは……!」と驚いたような声をだしている。


 私たちは視線を交わした。


「フローラはここで待っていてくれ。まさか、またヤンのような客人が来るとは思えないが……」


 彼は首をひねりながら食堂をでていく。

 気になって私もこっそり後を追いかけた。ドアの陰から顔をだし、客人の顔を見る。


 家臣らしきひとに取りまかれて立っていたのは──銀髪に青い瞳の青年だった。すらりとした佇まいで、金糸の刺繍がきらびやかなスーツを着ている。


 そしてやたら眩しい。

 なんだかとても眩しい。


「うう……」


 目をやられて私はよろける。

 その声を聞き、「フローラ?」と青年と相対していたラピスさまが振りかえった。


「おお、彼女がフローラか! チレット夫人の友人の従姉のそのまた知り合いから話はすべて聞いたぞ! 伝説の大聖女よ!」


 青年は颯爽と玄関ホールを横切って私のほうへやってくる。

 そして、「私はマリウスだ。出会えて光栄だぞ、フローラ」と言いながら私の手を取ると手の甲にキスをした。


 私はぽかんとする。


「ま、マリウスさまって──」


 たしか、この国の第一王子……!


「……マリウス殿下。フローラから離れていただきたい」

「そう言いながらすでに彼女を私から遠ざけているじゃないか。わかりやすいやつめ」


 一瞬で飛んできたラピスさまが私の肩をつかむとマリウスさまから引きはなす。そしてハンカチを取りだすと私の手の甲を丁寧に拭いた。


 王子さまの目の前で……。


 けれどそんなこと気にした様子もなく、「さあ!」とマリウスさまは腰に下げていた短剣を引きぬくと自分の左の手のひらをざっくりと斬りつけた。


 ぼたぼたと赤い血が滴る。


 驚きのあまりなにも言えない私に、彼は血で濡れた手を差しだしてくる。


「存分に治すがいい。《《そういうこと》》なんだろう?」

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