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19 『天恵の花』/崩壊のはじまり



「──討伐軍の者たちを弔ってくる」


 ラピスさまとシドさんの話が終わった、と思ったら彼がそう言って立ちあがった。

「もう動けるのですか?」と私が尋ねると「ああ、なにも心配いらない。あなたのおかげだ」と笑ってみせる。


「ほかに仲間がいないかも調べてこよう。フローラ、今夜はここに泊まるつもりでいてくれ」

「ええ、わかりました」


 ラピスさまは再び剣を携えて家からでていった。

 私はふとシルバのことを思いだし、「そうだ、あの子の治癒もしてあげないと」とシドさんに言う。


 シドさんはひらひら手を振った。


「いや、あいつはいい。致命傷ではないからな」

「……いいのですか?」

「動物の場合はなにもしないほうがいいだろう。なにかに頼るということを覚えさせると、自分で治す力が弱くなってしまう。あいつ自身の自然治癒力に任せたほうがいい」

「シドさんがそう言うなら……」


 使える力を使わないというのはすこし罪悪感があるけれど、彼女の言うことももっともかもしれない。

「なにかしたいなら化膿止めを塗って包帯をしてやってくれ」というので私はそうすることにした。


「シルバ──」


 銀色の狼はさっき見たときと同じ場所で伏せていた。でも休んでいるうちに楽になったのか、私の呼びかけに反応して目を開ける。


 私はシルバの傍らに膝をつき、「ごめんね、ちょっと沁みるよ」と声をかけて彼の背中に巻いたシャツの切れ端を解いた。シドさんが渡してくれた薬を傷口に塗っていく。

 くう、とシルバは力なく鳴いた。


「痛い? ごめんね。もう終わるから……」


 彼の傷口にガーゼを貼り、その上から包帯を巻いていく。

「はい、おりこうさんでした」と言うとシルバは私の手をぺろぺろ舐めた。お礼を言っているみたいに。どういたしまして、と私は微笑む。


「なんだ。一発噛まれるかと思ったのに」

「シドさん……」


 陰で様子を見ていたらしいシドさんが家からでてくる。

「それはさすがに冗談だが……」と彼女に気づいて尻尾を振るシルバを見下ろして、「シルバが人間に懐くのなんて稀だ。もっと警戒すると思ったんだが、おまえは特別らしいな」


「ふふっ、大聖女の力です」

「呑気なやつめ」


 私たちは荒らされた家の片づけをしながらラピスさまを待つことにした。

 けれど、日が暮れて、夜になっても彼は帰ってこない。


「なにかあったんじゃ……」


 不安を募らせる私にたいしてシドさんは平然としている。「ま、そのうち帰ってくるだろう」と言うだけだ。


「ラピスさまが出かける前、ふたりでなにか話していましたよね。あれはなんだったのですか?」

「秘密だ」

「…………」

「……わかった、わかった。そんな目で見るな」


 シドさんは根負けしたように溜め息をつく。「私も大概フローラに甘いな……」


 そして彼女は明かした。ラピスさまは、『天恵(てんけい)の花』を取りにいったのだと。


「『天恵の花』……?」

「十年に一度咲くと言われている花だ」


 それを煎じて飲めばどんなに深い傷痕でもたちまちのうちに消えるという。


 だが生息地が問題で、この花は峻険な山の頂上にしか咲かない。夏でも雪が溶けず、一歩足を踏みはずせば死が確定するという危険な山にしか。


 ラピスさまはそれを取りにいったとシドさんは言った。


「なっ……! どうしてそんな危険なところに──」

「おまえのために決まっているだろう。どこまで鈍いんだ」


 そういえば私にお礼しなくてはと彼が言っていた。ラピスさまは私のために──。


「私を殺しにきたやつらの遺体を弔うのも増援がきていないか見回るのもほんとうだがな。……だが、今回のことがなくてもあいつはいずれ『天恵の花』を取りにいっていたと私は思う。おまえが気兼ねせず自分のそばにいてくれるように」

「それって……?」

「自分で考えろ。私は縁結びの魔女じゃない」


 三日だ、とシドさんは言った。「それだけ待って帰ってこなかったらあいつは死んだものと思え」


「たった三日なんて! 無理です!」

「私もさっさと栖を移さなくてはいけない。三日が限度だ。幸い、花の生息地自体はここからそう遠くない」

「…………」

「あいつがその花を取ってきたら私は薬を作る。いままでのものより強力なやつを。……そうすれば、おまえはもうそんな暑苦しいベールをしなくて済むんだ」


 私は彼が出ていった玄関のほうを見つめた。


 いま彼はどこにいるだろう。ひょっとしてもう山を登りはじめたのだろうか。


 私はルシラード王国の人々がするように神さまに祈ろうとしたけれど、それよりももっと確実なものがあることを思いだす。

 ──どうか、と両手を固くにぎりあわせて祈った。


 どうか、大聖女の加護が彼にありますように。



+++



「カリア、来てくれたか。母上のほうが症状が重い。母上から頼む」

「かしこまりました」


 王太子アルフレッドの呼びだしを受け、カリアは城へとやってきていた。家臣たちは壁際に寄り、アルフレッドだけでなくカリアにも神妙に頭を下げる。


 彼女の指には銀色に輝く婚約指輪があった。


 先日、二日間に及ぶ盛大な婚約披露宴がおこなわれた。祝福に訪れた人々にカリアは自身の美しさをアピールし、『真実が明らかになってほんとうによかったですわ』と同情を惹いて、『前回の婚約は間違いだった』『真の聖女の力によって罪人フローラは処罰された』と他国の人間にも決定的な印象を植えつけた。


 そのときにはもうチズは他国へ追放済みだった。彼女のコアは奪い、川に流した。


 これでもうカリアを疑う者はいない──フローラの味方も。

 彼女は嫣然と微笑み、お気に入りの深紅のドレスで病床の王妃を訪う。


 昨夜から王と王妃は高熱をだして寝付いている。一晩様子を見たが治らないのでカリアが呼ばれたというわけだ。


「失礼いたしますわ」とカリアは王妃の手をにぎり、もう片方の手で胸に下げたコアをにぎりしめる。


「ああ……」と王妃が息を吐きだした。火傷しそうなほど熱かった彼女の手はもう平熱にもどっている。

 アルフレッドが身を乗りだした。


「治ったのか?」

「ええ、もう心配いりませんわ」


 カリアはにっこり微笑み、つづいて国王の病も癒した。

「ありがとう、カリア。なんと礼を言ったらいいか……」とアルフレッドは感激したようにカリアの手をにぎりしめる。


「おふたりとも、もう私にとって実の両親のようなものですもの。当然ですわ。お礼なんていりません」

「カリア……きみは素晴らしいひとだな。さすが聖女だ」


 ──殿下は私に心酔しきっている。謙遜しながら、カリアは冷静にそう分析する。


(これで両陛下にも恩を売れた。弱っているときに優しくされるとひとは弱いもの。私がこの国の実権をにぎるのもそう遅くはなさそうね)


 だが、カリアの目論見は大きく外れることになる。



 翌朝、再びアルフレッドから呼びだしを受けた。まだ身支度も整っていないような早朝にだ。


(いったい何の用かしら……)


 婚約者にだらしのない姿は見せられない。美しく着飾ってから城へ向かうと、「遅い!」顔を合わせるなりアルフレッドは怒鳴った。


 カリアはぎくりとしたが、すぐに表情を取りつくろって頭を下げる。


「申しわけございません、昨日の疲れが残っておりまして」

「ああ……そうだったのか。私のほうこそすまない。──きみほどの聖女が疲れるとは、やはり母上と父上の病は簡単なものではなさそうだな……」


 聞き間違いかと思ったが、「こっちだ」と連れられて国王と王妃の寝室へ行くとふたりは昨日と同じようにベッドで寝込んでいた。


(昨日、ちゃんと癒したはずなのに。どうして)


「夜に熱がぶり返したのだ。カリア、頼む」

「え、ええ……」


 戸惑いながらも昨日のようにふたりの病を治癒する。

「今日は城に泊まってくれ。なにかあったらすぐ癒せるように」とアルフレッドに言われ、カリアはうなずくしかなかった。


 そして、その夜。国王と王妃は時間を巻きもどしたかのように高熱を発し。

 今度はカリアの治癒も効かず。

 五日後に、ふたりは息を引きとった。


「母上! 父上! 目を覚ましてください……!」

「そ、そんな……」


 両親のベッドに取りすがってアルフレッドが慟哭している。カリアはその後ろに立ち、最後は水すら口にできず弱っていったふたりの亡骸を呆然と見下ろした。


(いままでこれくらいの熱なら簡単に治してきたのに。ただの高熱じゃなかった?──いえ、そうだったとしても聖女の力なら治せたはず。きっと……)


「なぜだ! 聖女の力はどんな病も治癒できるのではないのか!?」

「──申しわけございません、殿下。私の体調が万全ではなかったばっかりに……」

「……なんだと?」


 涙で濡れた顔をアルフレッドはカリアに向ける。


「実は二週間ほど前から気分がすぐれないのですわ。こうやって立っているのもやっとなのです。それでもおふたりのために気力を振りしぼったのですが……ああ、すみません。眩暈が……」

「…………」


 アルフレッドはカリアをじっと見つめる。

「その割には化粧もしてドレスにも着替えてきたな」と当てこすりを言うと、「すっかり痩せて顔色も悪くなってしまいまして……。そのような顔を殿下にお見せするわけにはいきませんから……」とカリアは息苦しそうに答えた。


「……もういい。はやく帰ってくれ」

「はい……。お力になれず大変申しわけございませんでした」


 しおらしく謝り、カリアは家までの道を馬車でたどる。まあいい、こんなこともあるわ、と気分を切りかえながら。



 その胸に下がっているコアが紅さをなくしつつあることに彼女は気づかず──


 広場の大樹がすこしずつ萎れていっていることにも気づいていなかった。彼女だけでなく、国の住民たちも。

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