14 村での一夜
森の外へでたとき空はもう暗くなっていた。
私を連れて草原を渡るのは危険だと判断し、ラピスさまは途中にある村に宿を求めた。でも小さな村に宿はなくて、せめて、ということで村長さんの家に泊めてもらうことになる。
蝋燭の灯りでは私の髪色は目立たなかったらしい。
質素な夕飯をご馳走になったあと(私はあまり喉を通らなかったけれど、ラピスさまが食べておいたほうがいいと言うのでなんとか胃に収めた)、彼にうながされてベールを外してベッドに入る。
ラピスさまはいつかのようにベッドの横にイスを置き、それに腰かけた。「大変だったな」と言われて涙がにじみそうになる。
「……いいえ。私が決めたことですから」
「眠れそうか?」
「…………」
子供たちに石を投げられ、先生にも迫害された記憶。唯一思いだしたそれは私の胸に鋭い痛みを与えていた。まるで、もう一度石を投げつけられたみたいに。
──私だって好きでこんな髪と目に生まれたんじゃない……!
幼い私は心の中でそう叫んだだろう。おかさあさんとおとうさんはふつうなのに、どうして私だけ、と苦しんだだろう。
私のこの顔の傷は、"悪魔"を退治するためにつけられた傷なのかもしれない……。
「ラピスさまは……」
「なんだ?」
「私のことを……気味悪く思いませんか。あなたの国にもこういう髪と目の色をした方はいらっしゃいませんでした。私のことを、悪魔だと……。私がいたら、あなたに不吉をもたらすとは思いませんか?」
「なにをバカなことを」
ラピスさまは取りあわない。でもこれだけだと不十分だと思ったのか、言葉を付け足した。
「私の田舎にこんな言い伝えがある。ある日、カールという農家の子供が飼っていたウサギが子供を産んだ。両親は茶色い毛並みだったのに、その中の一匹だけが白い毛に真っ赤な瞳を持っていた」
「私と同じ……」
「そう。カールはめずらしいそのウサギをかわいがったけれど、べつの子供は気味悪がってそのウサギをいじめた。カールは怒ってその子供をやっつけた。翌日、カールの家の畑には野菜が大量に実っていていじめっ子の家の畑は無残にも枯れてしまっていた。
そのウサギは実は豊穣の神さまで、ふつうとはちがう外見をした生物にたいしてどう接するかテストをされていたのだという」
「そのいじめっ子には……神さまが悪魔に見えたのですね」
「そういうことだ。同じものを見たはずのカールは大切にかわいがったのにな」
私は彼がしてくれた話について思いをめぐらせる。
もちろん、私はただの人間で神さまではないけれど──ラピスさまが伝えようとしてくれることはわかった。
私が迫害されていたのは、私ではなく周りの問題だと。そう言ってくれているのだ。
「それに、私はあなたが我が国に奇跡をもたらす存在だと信じているよ。漁師の間では、航海中に溺れたひとを助けるとその日は大漁が約束されるという言い伝えがあるそうだ。フローラが私にどんな幸運をくれるのか、楽しみだな」
「が、がんばります」
とっさにそう応えるとラピスさまは面白そうに笑う。
「さて──」とおもむろに立ちあがり、部屋のドアの前まで行くとそれを「盗み聞きはよくないな」と言いながら開けた。
村長のお子さんふたりが「あっ」と小さく声をあげる。
「子供はもう寝る時間だ。自分の部屋に帰って、ゆっくりおやすみ」
「……ちぇっ。おとなのはなしがきけるとおもったのに」
「きしさま、あしたもうちにいるの?」
「いや、明日の朝早く帰るよ。でもきみたちが早起きできたらその前に稽古をつけてやる。そのためにはどうすればいいかわかるね?」
「……! おやすみなさい!」
「おやすみなしゃい!」
兄弟はぱたぱたと廊下を走っていく。
「ませてるんだか素直なんだか」と苦笑しながらラピスさまはドアを閉めた。そしてイスに座りなおす。
「さ、俺の姫さまもそろそろ寝ぇや。今日は疲れたやろ」
「……は、はい」
シドさんが私たちのことを夫婦だと勘違いしていたけど、それはラピスさまがさらっとこういうことを言うせいかもしれない。
ラピスさまは立場上たくさんの女性と関わるはず。
良好な関係を築くにはきっとこういうことを言うのが必要で──それが癖になっているだけ、と私は自分に言い聞かせる。勘違いしちゃいけない。
「俺はここにおるから、なんか怖い夢でも見たら起こすとええわ。ん、それよりフローラの夢の中に行ったほうが確実かな」
「夢に?」
「そう。もし夢の中でいじめられたら俺が助けにいくわ。そいつらぜんぶぶっ飛ばして、フローラの手引いて逃げたる」
彼はぽんと私の頭に手を置いた。「──約束、な」
「はい……」
その"約束"と、ラピスさまがそばにいてくれたおかげだろうか。
眠れないと思っていたのに私は自然に眠りに落ちていて、怖い夢を見ることなく朝までゆっくり眠ることができた。
そして、村のひとたち全員に見送られながら村をでて。もうあとはルシラード王国に帰るだけ、と思っていたら昨日は通らなかった道をアレクサンダーは進んだ。
「ラピスさま……?」
「もうちょっとだけ付き合うてや」
なだらかな丘を白馬は軽快に登る。登りきった先にあったのは、
「──わぁ……!」
色とりどりの花が咲きみだれた花畑だった。
ラピスさまはアレクサンダーを止め、先に自分が降りると私の手を取って花畑へと降ろしてくれる。
朝のまばゆい光を浴びて花たちは歌い、甘い香りで丘を満たしていた。美しい光景に私は言葉をなくす。
「訓練中にたまたま見つけたんや。連れてきたのはフローラが初めてやで」
「すごい、きれい……」
「な。記憶に残る景色、やろ?」
私は隣に立つラピスさまを見上げる。彼は優しく微笑んでいた。
「いっこ辛い記憶思いだしたら、それ以上の楽しい記憶を作ればええよ。いやなことなんて思いだす暇もないくらいに」
そう言われてやっと私は彼が私のためにここへ連れてきてくれたのだと気づいた。
ありがとうございます、と私は泣きそうになりながら答える。
昨日だって眠りについた私をそばで守っていてくれたのに。
彼は、私にはもったいないくらいに優しい。
「俺にはこれくらいしかできんけど──」と彼はベールの下の私の頬にふれる。「俺がフローラのそばにおる。それだけは忘れんでな」
私は黙ってうなずいた。
もしなにか言おうとしたら。涙があふれて、とまらなくなってしまいそうだったから。
+++
同時刻──
『禁忌の魔女』、シドは家の中にある本をひっくり返していた。
昨日の来客(あれはどう見ても夫婦だった。男が女にベタ惚れだし『俺のモノに手をだすなオーラ』をぷんぷん放っていたのだから)が帰ったあと、記憶の琴線に引っかかることがあったのだ。
「白い髪に赤い瞳……くそ、なにで読んだんだったか」
絶対にあるはずだと思っているのに見つからない。
薬学の専門書でも小説本でもない。どこかの国の歴史を書いた本の中に、そんなような文があったはずなのだが。
「私の記憶がたしかなら。その髪と目は、悪魔などではなく……」
シドはぶつぶつつぶやきながら本を手あたり次第めくっていく。
彼女が正解の本にたどりつくにはまだ時間がかかるであろうことは、とんでもない量の蔵書を見れば明らかだった。




