13 迫害された記憶/増長してゆくカリア
『おい、悪魔が来たぞ! みんなでやっつけろ!』
雪がちらつく寒い日だった。家に帰ろうとして小学校の校舎をでたとき、男の子たちのひとりに私は後ろから羽交い絞めにされた。
『いや、やめて! 放して……!』
身動きが取れなくなった私にみんなが石を投げてくる。その中には女の子もいた。
石が体にあたって、痛い、と私が叫ぶとみんなは楽しそうに歓声をあげた。私の顔にあてた子はヒーロー扱いだった。
『なにをしている!』
騒ぎに先生が気づいて校舎から飛びだしてくる。私を羽交い絞めにしていた子は私を地面に突き飛ばし、みんなは蜘蛛の子を散らしたように逃げた。
『おまえたち──』とみんなを叱ろうとした先生も、いじめられていたのが私だと気づくと露骨に面倒くさそうな顔をした。
『ちっ……。おい邪魔だ、はやく立て』
『せんせい……おでこから血がでてるの』
『だからなんだ、それくらいじゃ死にはしないだろう。はやく帰れ。だが親にはこのことは絶対に言うなよ、帰り道の途中で転んだと言うんだ』
──じゃなきゃ、おまえの親が酷い目に遭うからな。
男の先生だった。みんなからは優しい先生として好かれていた。
私にだけ、残酷な一面を見せた。
……おかあさんとおとうさんになにかあったら。私は涙を呑みこむようにしてうなずく。
よし、と先生は言うと私の腕をつかんで乱暴に立たせた。
そして自分の手を丁寧にハンカチで拭く。汚物にふれてしまったみたいに。
『相変わらず不気味な髪と目だな。おまえの両親はまともな人間なのに、どうしておまえみたいなのが生まれてきたんだ?』
「フローラ……フローラ!」
「あっ……?」
夢から覚めるように雪景色が消えた。
でも私はいまにも石が飛んでくる気がして「やめて……!」と顔をかばう。
「フローラ、落ちついてくれ。ここは現実だ」
「ごめんなさい、ごめんなさい! もう許して……!」
「フローラ……!」
それが代償だ、と女性の声が言った。
「傷をひとつ消すたびに死にたくなるほど辛い記憶をひとつよみがえらせてやる。地続きの過去を持たない、生まれたての赤子のようなそいつがどこまで耐えられるかな」
「く……っ!」
私はだれかに抱きしめられる。そして、「だいじょうぶだ、フローラ。それはもう終わったことなんだ」と諭すように言われた。
「フローラ……!」
──私はどれくらい取り乱していたのだろう。
気がつくと私の顔は涙で濡れていて、そんな私をラピスさまが力強く抱きしめてくれていた。
「ラピス、さま……?」
「……フローラ。ここはどこかわかるか?」
「『禁忌の魔女』の家……」
「彼女の名前は?」
「シド……」
「ああ。……よかった、正気に返ったな」
私は床の上にへたりこんでいた。周囲を見回すと、個人の実験室のよう。
そうだ、私は『禁忌の魔女』の家にやってきて彼女に顔の傷を消す薬を作ってもらって……その代償に、過去の忌まわしい記憶をひとつよみがえらせられたのだった。
「ごめんなさい、ラピスさま。私……」
「謝らなくていい。辛かったな」
ラピスさまは私を抱きしめなおす。
彼の厚い胸板の感触に恐怖が取りはらわれていくのを感じた。私はそっと顔を押しつける。
「で、どんな記憶がよみがえったんだ?」
「シド……!」
「吐きだしたほうが楽になるってこともある」
「……おまえは興味本位じゃないのか?」
「ふん」
自分の気持ちが落ちつくのを待って、私はラピスさまから体を離した。
「かまいません。シドさんの言うとおりかもしれませんし……」と言ってふたりに話をする。子供時代、この髪と目の色のせいで周りから迫害されていたということを。
──悪魔が来たぞ!
──やっつけろ! 街から追いだせ!
──退治したやつは英雄だ!
「……ひどいな。フローラの髪も瞳もこんなに美しいのに」
「ラピスさま……」
「そういうのは家に帰ってからやってくれ。校舎の造りはどうだった? 周りの服装は?」
「……ごめんなさい。そこまで見ていられなくて」
「そうか、まあいい」
シドさんはデスクに頬杖をつく。
「さて、おまえが望むなら一本でも二本でも薬を作って飲ませてやりたいがこの薬には希少な花を使っている。一週間に一輪しか咲かないものだ。だから、次は最低でも七日開けてこい」
「…………」
次。……そうだ、私の顔の傷はひとつしか消えていない。すべて消すにはもっとたくさんの薬がいる。
でも──そのたびに、こんな辛い記憶を思いだすの……?
「……フローラ。今日はもう帰ろう」
「…………」
「よくがんばったな」
私をいたわるようにラピスさまが言ってくれる。それは慈愛さえ感じるほど優しい声だったけれど。
ふと。
彼も私を悪魔と思っていたらどうしようと、考えずにはいられなかった。
+++
「はっ? できないってどういう意味?」
「そのままの意味です」
貴族が内密の話をするときに使われる、街の地下にある小部屋。そこでカリアは思わず声を荒らげた。
目の前にいるのは青年──フローラを襲わせ、彼女のコアを奪うのに使った青年だ。彼に今度はなにか感づいているらしいチズを襲わせる気でいたのだが、予想に反して青年は渋ったのだった。
「そのチズってひとの家を内偵してきましたけど、ただの老婆じゃないですか。聖女としての力なんて全然残ってない。夫は亡くなってるみたいだし子供もいない。あとは残り短い余生を生きるだけ。そういうひとを襲うのはどうもねえ」
「……そう。で、いくら欲しいの?」
「お金の問題じゃないですよ。弱いものいじめはしたくないってだけです」
『奇跡の聖女』さまを襲うならともかくね。罪悪感などかけらも持っていない顔で青年は言う。
「ついでに言っておきますけど、俺はこの国を出ますよ。カリアさまから頂いたお金がたんまりあるんでね。どこか、南の島にでも行ってのんびり暮らします」
「使えない男」
「なんとでも」
青年はさっさと小部屋をでていく。
──あの男が使えないとなると……。カリアは冷静に作戦の立て直しを計る。
(アルフレッド殿下を使うしかないわね)
聖女であるカリアの言うことなら彼は頭から信じる。不敬罪でも適当にでっちあげて、この国からあの老婆を追放させてしまおう。余計なことができないよう、コアを没収した上で。
「さあて……」
地下通路を通ってレイクエスト家の屋敷へもどり、《聖女の間》と名づけた広間のイスにカリアは腰を下ろす。華美な化粧とアクセサリー、装飾を凝らした派手なドレスで。
側近として騎士団から引きぬいた男がさっそく「面会希望者のリストです」と紙を持ってきた。
カリアはそれに素早く視線を走らせる。見るのはどれだけ寄付金を持参してきたかだけだ。
どんな病を患っていてどんなケガをしているかなどは知らなくていい。聖女の力を使えば──フローラから奪ったコアさえあれば──なんだって治せるのだから。
「──これは帰して。これは会うわ。これはもうすこし寄付金を上乗せすれば会うと伝えてちょうだい」
「かしこまりました」
大聖堂で治癒活動に励むことはやめていた。あそこだとシスターたちが金はもらうなとうるさいし、無償で治癒してもらえると勘違いしたバカな貧乏人たちが押しよせてきてキリがない。
だから途中から屋敷の一室でおこなうことにした。もちろんだれもが聖女の奇跡を与えられるわけではない。
それに見合った《《寄付金》》を払える者だけが治癒という奇跡に預かれるのだ。
(また宝石商を呼んで新しいネックレスを見繕おうかしら。それとドレスね。新しい口紅もほしいし……)
カリアはいまでは国で一番の美女として称えられている。
彼女の髪型を令嬢たちは真似して、同じデザインのドレスを買いもとめる。化粧の流行もカリアが作りだしていた。
(いままでフローラばかり褒められていたけれど──)
同じ聖女として彼女の名が引き合いに出されることは多かった。
そしてなぜかみんなフローラを褒めるのだ。あんな"異端者"を。明らかにカリアよりも冴えない顔だちをした少女を。
でももうフローラは死んだ。
聖女として、国が誇る美女として名があがるのはカリアだけ。
──あのときフローラをちやほやしていた連中に見せつけてやる。
やっぱりカリアさまが一番美しいと。この国の王妃にふさわしいのは、私だと……!
もともとカリアを甘やかしていた両親は、彼女が聖女の力を発揮しはじめたことでさらに娘に頭が上がらなくなっていた。いまや娘の操り人形だ。
使用人たちも気に食わない者はすぐにクビにした。たかが使用人。替わりなんていくらでもいる。
──お言葉ですが。──クビを覚悟で申しあげますが。深刻な顔でそう切りだして、『カリアさまの最近のお振るまいはいささか目に余るかと……』などとふざけたことを言う使用人などこの国からでていけばいい。
ケガや病気をしたら聖女に頼るしかないくせに。まったく、ふざけている。
「それでは、いつもどおり一番寄付金が多い方からお呼びいたします」
側近の男が恭しくカリアに告げる。
カリアは「ええ、よろしくね」と応え、聖女としての完璧な微笑を作る。




