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11 記憶の手がかりを求めて(2)



 今日は一日休むようドミノ先生に言われていた。

 ヒューベル家のメイド、アンと一緒に屋敷のそばの川で洗濯ものをしながら私は彼女からラピスさまのお話を聞く。


 ベールをつけていると不便だからいまはかわりに病院からもらってきたマスクをつけている。服もメイド服があまっているからと一着貸してもらった。


 客がメイド服を着て家事をするなんてとんでもないことなんだろうけど、スキーニさんは「あなたのやりたいようになさいませ」と苦笑交じりで許してくれて、さらに自分が使っているハンドクリームを分けてくれた。

 朝食室での一件以来、彼女は私に優しくしてくれる。アンがちょっと引くくらいに。


「その暴れ馬を止めたときからマリウス殿下はラピスさまのことがお気に入りなの。ほんとは自分の側近にしてつかずはなれずいてほしいんでしょうけど、そういうのは面倒だってラピスさまが逃げててねえ」


 マリウス殿下、とはこの国の第一王子のことだ。王位を継ぐことに一番意欲的で、順当にいけば彼が次の王になるという話だった。


「ほんとは遠征も行かせたくないのよ。マリウス殿下は。なにかあったらすぐラピスさまラピスさまなんだから。でも今回のは難しい(いくさ)になりそうだからラピスさまが行くしかなかったってわけ」

「いつから行かれてたんですか?」

「七ヵ月くらい前かな。私たちにもお土産を用意してくれるのはいつものことだけど、まさか人間を持って帰ってくるとは思わなかったわ」


 はあ、と私はうつむく。

「やだ、そんな顔しないで」とアンは私の背中をばしっと叩く。


「あんたがきてくれて助かってるんだから。っていうかいいのよ? 家事なんてしなくて。ゲストなんだし、なんたってラピスさまの恋人なんだからふんぞり返ってれば?」

「でも、なにかすることで記憶がもどるかもしれないので」

「それはそうだけどねえ……」


 不思議ねえ、あんた、と洗い終えた洗濯ものが入ったカゴを持ってアンは立ちあがる。


「おっとりしたご令嬢のようにも見えるし、物凄くしっかりした職業婦人にも見える。いったいどこでなにをやってたの?」

「シスターだったのは間違いないと思うんですけれど……」

「で、ご令嬢ね。ご令嬢が失踪したんだから、国のひとたちは血眼になって探してそうだけど」


 私の唯一の持ち物──あの修道服はまだ着られていない。思いだしてはいけないことまで思いだしてしまいそうで。


「もしかして、あんたがここにいるのは神さまの思し召しなのかしら?」

「どういうこと?」

「ふとそう思ったの。ねえフローラ、記憶がもどってもずっとここにいなさいよ。うん、それがいい。あんたみたいなのが奥さまになるならあたしは大歓迎だわ」

「お、奥さまなんて」

「あははっ、赤くなった!」

「からかわないで……!」



 午後はメイドのみんなと焼き菓子を作った。

 オーブンに入れたクッキーがいい匂いを漂わせはじめたころ、「今日はなにを作ってるんだ?」とラピスさまがひょっこり顔を覗かせる。


「ま、旦那さま。いくらフローラが恋しいからってこんなとこまできちゃだめですよ」

「フローラ……」とラピスさまはオーブンの前にいる私を見つけ、「今日はメイドたちと家事をやってみると言ってはいたが、メイドの服まで借りたのか。そこまでしないでもいいだろうに」


「おかしいですか?」

「いや、かわいいよ。フローラはなにを着てもかわいい」

「ま、真顔で言わないでください……」

「フローラ、よかったら先にサロンにいってたら? 焼きあがったら持っていってあげるわ」


 そうアンが提案し、「ああ、それがいい」とラピスさまも同意したので私はそれに従った。ラピスさまと二階のサロンに行き、窓際のソファに腰を下ろす。


「ここでの暮らしはもう慣れたか……と聞くまでもなさそうだな」

「はい、おかげさまで。みんないい方たちばかりでよかったです」

「そういうが、うちのメイドも執事も曲者ぞろいだぞ。特にスキーニは人間の好き嫌いが激しくてな。彼女のお気に入りなんて片手で数えられるほどしかいないよ」

「そうなのですか……?」


 ラピスさまと話をしているうちにクッキーが焼きあがり、アンが持ってきてくれる。

「今日はフローラのレシピなんですよ」とアンは皿をテーブルに置いていった。


「フローラの? 記憶がもどったのか!?」

「い、いえ。そうではありません」


 立ちあがりかけたラピスさまの勢いに驚きながら、私は説明する。バターや砂糖を見ているうちに体が勝手に動いたのだと。


「私はひょっとしたら修道院でお菓子を焼いていたのかもしれません」

「ああ……、そういうことか。そういえば私も修道院から菓子を受けとったことがある」

「体が覚えているくらいたくさん焼いていたのですね」


 アンは微笑ましそうに「冷めてもおいしいですけど、焼きたてはいましか味わえませんよ」と言って壁際に下がる。

 ではさっそく、とラピスさまはクッキーをひとつ摘まんだ。


「いかがでしょう?」

「……こいつはうまい。いままで食べた菓子の中で一番だ」

「ふふ、ありがとうございます」

「こんなにおいしい菓子が毎日食べられたら幸せだろうな」

「毎日なんて。そんなに召しあがったら、いくら騎士さまでも太ってしまいますよ」

「…………」


 ラピスさまはむすっと窓のほうを向く。


「……口説いとるのにここまで手応えないのは初めてやわ」

「はい?」

「いや、なんでもない」


 ラピスさまはアンに目くばせをする。アンはお辞儀をするとサロンをでていった。

 私は彼にお礼を言って、それからマスクを外した。アンも気にしないだろうとは思うけれど……まだ素顔を見せてもいいと思えるのはラピスさまだけだ。


 私はこんがり焼けたクッキーを口に運ぶ。焼きたてだからまだ熱い。バターと卵黄の風味をよく感じられる。


 記憶をなくす前に作っていたものを食べたことで記憶がよみがえる──なんてことはなかったけれど、おいしいものはおいしい。私は顔をほころばせる。


「ほんと。おいしくできましたね」

「案外、シスターじゃなくてパティッシエだったんじゃないか?」


 ああそうだ、と思いだしたようにラピスさまは懐からガラスの小さな入れ物を取りだしてテーブルに置いた。


「塗り薬だ。国で一番高名な薬師に頼んで調合してもらった。傷跡を薄くする効果があるという。毎晩、眠る前に塗るといいとのことだ」

「いただいていいのですか?」

「ああ。なくなったらまたもらいにいくから、そのときは言ってくれ」

「ありがとうございます……!」


 私は深々と頭を下げた。

 きっと高価な薬だろうに──私なんかのためにここまでしてもらえるなんて。


「それと、その薬師……ヤンというが……から面白い話を聞いた。記憶を取りもどすいい方法はないかと尋ねたら、『禁忌の魔女』は知っているかというのだ」

「『禁忌の魔女』……?」


 ヤンという薬師はサンザシ共和国という東方の国出身らしい。そこでは独自の文化が発展しており、薬学もまたこの辺りとはちがう進化を遂げているという。


「そこでは、薬の知識を極めた女性を魔女と呼ぶらしいが……」


『禁忌の魔女』は国でもっとも名高い薬師だったが、ある日超えてはいけない一線を超えてしまった。死者を復活させる薬を調合したのだという。


「彼女は死刑になった。……と、表向きにはなっている。だが実際は火刑になる前日に脱獄して、いまはとある森の奥でひっそりと暮らしているそうだ」

「おとぎ話ではなく……?」


 ラピスさまはシャツの胸ポケットから折りたたんだ紙を取りだす。

 けれどそこにはなにも書かれていない。私が不思議に思っていると、彼はマントルピースの上にあったマッチに火をつけて紙をあぶった。


 なにが起きるのだろう。気になって私は彼の横まで行き、紙を覗きこんだ。

 あぶられた紙の上にじわりと地図が浮かびあがってくる。


「これは……!」

「魔女の居場所だそうだ。万が一のことを考えて特殊なインクで書いたから、帰ったら火あぶりにしろと言われたが……なるほどな」


 火あぶりになるところだった魔女の居場所を火あぶりにすることで浮かびあがらせる。ひとの悪い冗談みたいだと私は思う。


「これはキルケの森だな。私の馬なら半日でいける。

 ……どうだ、フローラ。明日にでも共に行かないか」

「『禁忌の魔女』のところに──ですか?」

「死者を復活させる薬……もっとも、これは噂に尾ひれがついているだけの可能性が高いが……を作りだすほどの薬師だ。記憶を取りもどす薬も作れるかもしれない。あなたの顔の傷だって……」

「…………」

「行ってみるだけの価値はあると私は思う」


 魔女。その言葉で思いうかぶものはないけれど、死者の復活、火あぶり、となんだかおどろおどろしい。森の奥に住んでいるというのも不気味だ。


 でも、それで記憶を取りもどせるのなら……。


「連れていってください、ラピスさま」


 ラピスさまは無言でうなずく。

 その瞳がすこしだけさびしそうに見えたのは、きっと私の気のせいだろう。

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