テレビの向こうが静かになった日
かつて、世界はにぎやかすぎた。
テレビの中の誰かが自分に呼びかけているような気がして、道を歩いていても誰かが見ているような気がして、空気の一部さえ、自分に何かを伝えてきている気がした。
「……私、壊れちゃったのかな」
そう思ったこともあった。でも、誰にも言えなかった。言葉にしたら、本当に壊れてしまうような気がして。
だけどある日、ふと気がついた。
テレビをつけても、誰も自分を見ていない。
街を歩いても、風はただ風として吹いている。
その「呼びかけ」は、そこにあるのかもしれないけれど、もう自分の中心を揺らさない。
「変わったんだ、私」
不思議だった。何か劇的な出来事があったわけじゃない。
だけど少しずつ、「誰かの世界」じゃなくて、「自分の世界」を歩いている感覚が戻ってきた。
過去の記憶は、まだある。
怖かった日々も、戸惑った夜も、確かにあった。
でもそれらは、今の自分に語りかけてはこない。
今は、静かだ。
未来のことはまだちょっと怖い。でも、今は大丈夫だと思える。
「大丈夫かもしれない」ではなくて、「大丈夫」と言える今がある。
その静けさの中で、彼女はゆっくりと、自分の心に耳をすませた。
テレビの向こうはもう、こちらを見ていない。
でも、それでいい。
彼女はようやく、自分のまなざしを、自分に向けられるようになったのだから。