横断歩道の小学生
ある日、通勤で朝いつも通っている道が工事中になっていて、迂回路を通っていたときのことである。
その日は雨が降っていて、やや見通しが悪かったので通り慣れていない道ということもあり、いつも以上にスピードを落として安全運転を心掛けていた。
そしてある横断歩道に差し掛かったとき、左側に傘を差した小学生らしき子供が立っているのに気付いて、後ろを確認して後続車がいないことを確かめてから、ブレーキを掛けて横断歩道の手前の停止ラインで停車した。
そうすると子供は横断歩道を渡り出して、途中でひょい、と頭を下げるような仕草をしてくれた。
傘で頭が隠れていたので、恐らくそうだろうという仕草だったものの、車が停まるのは義務であったとしてもこうやって感謝して貰えるのは嬉しいものだ。
子供が渡り終えるのを待ってから、アクセルを踏んで再び進み出し、ふと渡り切った子供がいる方を向いて私は首を傾げた。
何故なら雨が降っているとは言えそこまで見通しが悪くないにも関わらず、横断歩道を渡った子供の姿が見えなかったからだ。
曲がり角があって見えなくなったというようなことはなく、横断歩道を渡って直ぐなら見える範囲にいるはずなのに、おかしいな、と思いつつもそのときは深く考えずにそのまま通り過ぎた。
後で聞いた話なのだが、その横断歩道では雨の日に渡っていた小学生が一時停止をしないで突っ込んできた車に撥ねられて、命を落とすと言う痛ましい事故があったそうだ。
もしかすると、あの時、私が見た小学生はその時に亡くなった子で、自分が死んだことにまだ気づかないであの横断歩道を渡り続けているのかも知れない。
そう思った私は、休日にその横断歩道を訪れて、そこに置いてあった花瓶に花を手向けることにした。
花を花瓶に入れて、手を合わせて早く天国に行けますように、そう祈ってから立ち上がってその場を離れる。
――――ありがとう――――
ふと、後ろから声が聞こえたような気がして振り返ったものの、当然、そこには誰もおらず。
もしかしたらあの小学生の声だったのかも知れない、そう思えば私は心の中でどういたしまして、と呟いてその場を立ち去ることにした。
それ以降、その横断歩道で雨の日に現れる小学生を見たという人は誰もいなくなったということだ。
このお話は完全に創作です。