その人はもう
このお話はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
また悪戯行為を推奨するものでもありません。
短くてサクッと読めるというには長くなってしまいました。
それは、ある日の土曜日の深夜、日付で言えば日曜日に既に切り替わっている午前二時のことであった。
ゲームをしていてなかなかキリの良いところまで進まず、途中で諦めて仕方なくセーブをして電源を落として時計を見ると午前二時、世に言う丑三つ時になっていた。
その時、普段なら考えはしても実行しないのだが、その時は妙なテンションになっていて、何故かとある悪戯を実行してしまった。
その悪戯とは会社へ電話をして、この時間帯にまさか人がいるはずもないだろうと数回コールをしてから電話を切ると言うものである。
誰もいないであろう会社に、誰もいないと承知の上で電話をする、というのがどこか滑稽であり、面白いとは思うものの馬鹿馬鹿しい悪戯なので実行しないでいたのだが、その日は何故か深夜のテンションにつられたのか、実行してしまった。
会社に電話をかけて、一回、二回と呼び出し音が鳴り、やっぱり誰も出ないよな、そう思って電話を切ろう三回目の呼び出し音がなったとき。
「もしもし、阿会商事の井村です」
「うぇっ!? 井村さんっ!?」
思いがけず電話が通じてしまったことにびっくりして、思わず変な声が出てしまう。
「なんだ、浮田か。どうした? こんな時間に」
「あ、いえ、実は別に用事があった訳じゃなくて、まさか誰かいるとは思わなかったもので」
不思議そうな相手の声に、しどろもどろになってしまう。
まさか、誰かいるとは思ってなかったし、電話に出てくるとも思っていなかったので慌ててしまったのだ。
「ああ、誰もいないだろうって思ったら俺がいたからびっくりしたとか?」
「あ、はい、実はその通りで……え、井村さん、土曜日なのに休日出勤して残業ですか?」
「おー、そうそう、そんな感じ。まぁ、そんな急ぐ仕事でもないけど」
職場の先輩である井村さんは、ちょっぴり変わった面白い愉快な人で、元気で明るく仕事の出来るムードメーカーともいえる人だ。ただ、元気過ぎて騒々しいのが玉に瑕ではあるが。
急ぐ仕事でもないのにわざわざ休日に出勤して遅くまで仕事をしていたり、逆に平日の朝、やたらと早くに来ていたりするのである。
どうしてそんな変な時間に仕事をしてるのかと尋ねた時、遅くまで残業したり早い時間に出てくるのが面白いし、朝日を見ながら飲むコーヒーは美味いぞ? と言われて分かったような分からないようなという気分になったことがある。
「えっと、お仕事の邪魔をしてすみません。でも、あんまり無理したら駄目ですよ? もう、切りますね」
「えー、もう切るのか? もうちょっとお話しよう?」
「いえ、流石にそれは……」
「ははっ、まぁ遅い時間だし、仕方ないか。それじゃぁ、お休み?」
「はい、失礼します……」
そう言って電話を切り、確実に切れていることを確認して大きく息を吐く。
「あぁぁぁぁぁぁ、びっくりしたぁぁぁぁぁ、まさか誰かいるとは思わなかった。というか、井村さん、休みなのにこんな時間まで会社にいるって何してんの!?」
お役所に知られたら怒られるようなことをしないで欲しいものである、というか身体は大丈夫なのだろうか。無駄に元気とは言え、五十代後半だったはずだが。
ともかく、この悪戯はしない方がいいということが今回の事で良く分かった、うちの会社は変な人が多いから、井村さんじゃなくても誰かが出てくる可能性がある。
「なんかどっと疲れが出てきた。もう寝よう」
思いがけない事態に疲れを感じて、直ぐに寝ることにして電気を消す。ゲームの疲れもあったのか、直ぐに眠りへと落ちていって……翌朝、電話のコール音で私は目を覚ました。
その電話は……井村さんの訃報を報せる電話だった。
そして出席した葬儀の席で、親族の方が話をしているのを聞いて私は我が耳を疑った。
井村さんは土曜日の二十二時に自宅で急に倒れられ、すぐさま病院へ運ばれたものの病院に到着したときにはもう息をしておらず、懸命の延命処置もむなしく午前二時に息を引き取ったというのである。
それが事実なら、あの時、電話に出た井村さんは何者だったのだろう。まさか、電話をしたと寝ぼけていたのか、それともあれは夢だったのだろうか。
「……午前二時頃、会社への通話履歴、ある。やっぱり電話してるし、通話時間も表示されてる……」
スマホの通話履歴に、記録が残っていた。つまり、夢でも寝ぼけていたのでもない、間違いなくあの時間に会社に電話をかけたということだ。
ならば、あの井村さんは一体……? もしかして、自分が死んでいることに気付かずに会社に迷い込んで、死後にまで仕事をしようとしていたのだろうか。
あの人らしい、そう思うと悲しみの中にほんの少しだけだが、暖かな気持ちが沸いてきた。
……もし、あなたが誰も出るはずのない時間に何処かへと電話を掛けたとき、誰かが電話に出たなら気を付けて話を聞いてあげて欲しい。
その誰かはもう……この世の人ではないかも知れず、その誰かと会話の出来る、最期の機会かも知れないのだから。
このお話は完全に創作です。