第7話・戦禍の小さな白
第7話・戦禍の小さな白
バルニアの町に借り受けた馬を預けて通りすぎると、ルートブルグ方面の街道を迫ってくる兵士の一団が見えた。
「じきに辿り着くだろうな、向こうも此方が見えているだろう。」
遮蔽物のない平原。
豆粒ほどだろうと人の姿は視認できる。
「ルシア、殺さないのが無茶だと言うなら私が」
「無茶だが、お前が戦うよりはマシだ。」
自身の願いでルシアを振り回す事を危惧したシアナだったが、『シアナの無事』が目的を果たす条件の一つであるルシアに一蹴され、引き下がる。
ルシアが先頭に立ち、少し斜め後ろ、シアナとマスティが後衛の立ち位置で、小さな人影の群れを待ち受ける。
ほどなくして、先陣を切っていたハルカが普通に話せる…立ち会える距離まで来た所で足を止めた。
片手をかざし、背後から隊列をそろえてついて来ていた兵を止めるハルカ。
「貴方がルシアか…毒の牙を壊滅させ、天使シアナに助力する悪魔らしからぬその姿勢、敵ながら感心するぞ。」
飾り気のない賛辞を送るハルカ。
ルシアはそれに答えずシアナを見る。
シアナは少し進み出てルシアと並ぶと、ハルカと対面する。
「…ランヴァールの方々を傷つけねばなりませんか?」
「それが主命なれば騎士として。妨害されるのであれば貴女を討ち果たしてでも。」
堂々と告げて槍を構えるハルカを見て顔をしかめるシアナ。
「シアナ…どうする?」
ルシアは改めて問いを投げ掛ける。
立ち並ぶ兵士と構えるハルカを見まわしたシアナは…
「止めます。」
はっきりとそう言った。
「全軍!彼女らを捕縛せよ!ルシアは私が討つ!!」
ハルカの指示と共に周囲の兵が一斉に武器を構え…
一冊の本が舞い上がり、ほどかれてページを撒き散らした。
直後、空が燃えた。
少し後ろで様子を伺っていたマスティが中空に本を投擲して炎を放ったのだ。
「させるか。」
「あ、あの娘ヴェノムブレイカーより危険だぞ!!」
周囲の兵が降り注ぐ炎の紙片に戸惑うなか、意にも介さず駆け出すルシアとハルカ。
「はっ!!」
一閃。
並の人間には何か光っただけにしか見えないような槍の打ちおろし。
紙一重でとどまって避けたルシアに、そのまま突きに繋ぐハルカ。
鳩尾に吸い込まれるように向かってくる槍。ルシアはその柄を前に出ている右手で払いながら回転する。
左足での回し蹴り。
屈みながらかわしたハルカは逆にルシアの足を蹴り払う。
軸足を払われて転がったルシアを前に、ハルカは突きの構えを取って…
「はあっ!!」
「っ!!」
ハルカの突きと、ルシアの黒い左拳が衝突した。
けたたましい音を響かせ、互いに地面を削りながら弾かれる二人。
「ぁ…」
「す、すげぇ…」
周囲の兵も、ルシアの力を知るはずのマスティも呆然と二人の衝突を見て飲まれる。
「マスティ、シアナを守って距離をとっておけ。」
「ぁ…は、はい…」
牽制に放ったマスティの炎の雨に冗談半分に危機を叫んだ兵士も何も口にできなくなった。
次元が違う。
グランナイツは比喩でなく、『本当に百の兵との模擬戦を行っても勝利してしまう』事を兵士たちは敗者側で知っている。
そして、それが出来るハルカ本人もルシアの力を実感していた。
「成程…あのヴァルナート殿から逃れる訳だ。だがそれ故に解せないな。」
「何がだ?」
「その黒の力は天使シアナの白の力同様のただの力…であれば、今の攻防技術は『修行の成果』になる、修行して天使について悪魔等と質の悪い冗談だな。」
シアナも抱いた、ルシアの悪魔らしからぬ所業。
だが、ハルカの問いにルシアは短く息を吐いて呆れ返す。
「話がしたい、戦うなと言う天使の少女に槍を構える一流騎士が言う冗談は質が悪いな。」
「成程、それを言われると否定できないか。」
ルシアの皮肉に同意しつつも、何の動揺も見せずに構えるハルカ。
ルシアは、待たずに形成した黒弾をハルカに真っ直ぐ放つ。
逡巡も一瞬、ハルカは槍を振り切って黒弾を断ち切った。
背後にはついてきた兵の幾らかがいる、全員がかわせなければ巻き添えを食う。
槍を斜め上に振り切ったハルカの懐に向かって、ダッシュを止めずに跳躍から水平に蹴りかかるルシア。
腕で防いだハルカだが、はねられたかのように地面を転がる。
追撃にと駆けるルシア。その足元を狙ってハルカは立ち上がらぬままに槍を薙ぎ払う。
だが、小さく跳躍して回避したルシアはそのまま縦に回転した。
浴びせ蹴り。
短く速い空中回転からの踵落とし。
「小賢しい!」
「っ…」
頭を狙ったルシアの踵を肩で受けたハルカは、そのまま立ち上がることでルシアを着地させずに背中から地面に落とす。
後転して顔を上げたルシア。
だが…
「穿っ!!」
立ち上がる前にその顔面目掛けて突きが放たれた。
槍に押されるように吹っ飛んだルシアは、後方に転がって立ち上がった。
「私の突きを掴んで防ぐか。その黒い力、つくづくすさまじいな。」
咄嗟に突きを捉えていたルシアの手を見て目を細めるハルカ。
対して、ルシアは軽く槍を受けた掌を揺らす。
「ヴァルナートの剣は食い込んで出血した、お前は遠いな。」
「そんな台詞は最後まで無事でいてから吐くんだな!!」
紙一重の攻防の筈なのに落ち着いたルシアの様子に余裕を感じたハルカは、気圧されることなく奮い立ち攻めかかった。
「っ…」
静かに光で出来たような弓を引くシアナ。
人を射っている事実に顔をしかめながらも、次から次へと迫る兵士を打ち抜いていく。
意思を穿つ光の矢は、穿たれた兵士の意識のみを完全に断ち切っていく。
「へぇ!少しは出来るじゃない!」
一方、シアナの牽制の間に準備を済ませた魔法を放つマスティ。
広域を凍らせる魔法。
範囲が広めであるが故に大した質はないが、足元をごっそりと凍らされた兵士たちは力任せに氷を砕き、今度は足を滑らせて転倒する。
捕縛を命じられたが故に弓の掃射策がとれないのも原因の一つではあったが、ヴェノムブレイカーのオマケと認識されているマスティと天使の少女二人相手に攻めきれず、兵士達は焦り手に汗をにじませる。
「シアナさん!!」
と、馬に乗ったフォルトが、背後にセリアスとデルモントを伴って姿を見せた。
周囲の兵が現れた騎兵を狙おうとするが、セリアスは騎乗したままで鏃のない矢を放つ。
刺さらないが、当たれば痛い上に衝撃は刺さる矢より強い。
弦の強い弓なら姿勢を崩す、武器を取り落とすのに一役買う。
「フォルトさん?どうして」
「ここにバルニアから援軍が送られてきます!グラムバルドに恨みのある人を選んだらしく、彼らを殺さず帰すなら急がないと!!」
「なっ…」
戦闘の結果が出る前にランヴァールに裏切られた事を示すフォルトの言葉に目を見開くシアナ。
だが、動揺も一瞬、今しなければならない事に気付く。
「くっ、ハルカさん!」
『殺される』のはハルカの部下。
ルシアと互角の勝負をしている今、ハルカとてそれは分かるはずと説得を試みるが…
「ならば勝負を急ぐまでだ!!」
ハルカは捨て身気味にルシアに踏み込んだ。
神速の突きとて軌道は直線、例え尖端でなくても、尖端部の刃でも横から叩く程度なら斬れる心配のないルシアにとっては、無造作に払える直進だった。
と思われた。
「ぐっ…」
そのまま踏み込み、払われた力を利用して槍を半回転。その柄をルシアの鳩尾に叩き込む。
深々と食い込んだ一撃は、しかしそれでも刃でないためルシアを行動不能に追い込むには至らなかった。
ルシアががむしゃらに放った回し蹴りがハルカの左肩にあたって姿勢を崩す。
直後、続けるようにして左手の黒弾を放つルシア。
ある程度距離があればまだしも、踏み込んで距離を潰した所での追撃。
咄嗟に腕を交差して受けたハルカは、地面を抉りながら押し返される。
「づ…くっ…」
その辺の魔法と違い、地形を抉る威力のルシアの力の塊。
槍を構えなおそうとしたハルカの腕は痺れで僅かに震えていた。
「ば、馬鹿な…ハルカ様が押されている…」
「くっ!ハルカ様を援護しろ!」
「させるか戦争マニア!!」
ルシアへの遠距離攻撃をもくろむ兵目掛けて魔法を放つマスティだが、仮にも50規模の兵。
フォルトも馬から飛び降りてマスティの傍に向かい、近接兵に向かって剣を振るう。
今劣勢なのは当たり前だったが、このまま人が増えれば危険なのはハルカ達の方で…
「引け、でなければ」
「いたぞ!グラムバルド軍を生かして帰すな!!!」
説得をしようとした所で、怒声が響いた。
多量の足音が近づいてきていたのはわかっていたが、号令と共に足音が止まる。
ルシア達が背後を見れば、弓を引く一団の姿があった。
怒りに任せて矢の雨を放つランヴァール軍。
「散爪塵!!!」
「ワイドディバイダー!!」
「なっ…」
迫ってくるそれを、ルシアは黒い力を散らして払い、シアナが光の壁で防いだ。
ルシアに至っては、交戦中だったハルカにすら背を向ける形で。
「何故我々を庇っ…いや、本気で犠牲を止める為だけに戦うつもりなのか、天使シアナはおろか悪魔の貴方でさえ…」
自身に背を向けたルシアを呆然と眺めるハルカ。
一瞬、戦場が静まり返る。
今正に殺そうとかかっていた一団をすら庇って見せた悪魔、義賊と称されているヴェノムブレイカー。
ハルカの部下故に、無謀にも単身ハルカに挑んだシアナの姿を覚えている者も多く…
「ふ、ふざけるなっ!!」
しかし、侵略軍に知人仲間を殺されたランヴァール軍の方は叫びと共に武器を構えて動き出した。
「くっ…天使達はともかくランヴァールには応戦せねば!」
再び矢が舞い、それに対抗するように動き出すハルカの兵達。
「まっ…待ってください!」
「多少無理にでも…」
飛来する矢ではなく全員を薙ぎ払う事で戦闘不能に追い込もうと構えたルシア。
その左肩から、槍が突き出された。
「ぐ…っ!」
「はあぁっ!」
ルシアの肩を完全に貫いた槍を引きながら、ハルカは蹴りを放つ。
動く右腕で受けたものの、鞠のように吹き飛ばされたルシアは地面を転がる。
「貴方達には敬意を表して見逃します、ですが、それ以上は許容できません!」
ハルカはそれを見届ける事無く、開いた眼前の先で武器を構えるランヴァール軍に単身突撃する。
「くっ…」
「ルシア様無茶です!ここは引きましょう!!」
立ち上がったルシアが右手に力を溜め始めるが、マスティがその腕に抱きつくようにしてルシアを止めた。
自軍とランヴァール軍の直線状を外すようにルシアを蹴り飛ばしたハルカ。
だがルシア達が引くという事は両軍の衝突を…
遠距離武器兵団を中心にしたランヴァールに対しての、ハルカの蹂躙を意味していて…
「っ…まだ!」
よろめきながら、光り輝く弓を引くシアナ。
その身体に向かって、故意か事故か、ランヴァールから流れ矢が飛来した。
光の弓を引いていたシアナは障壁を張れず…
彼女の視界に、馬が割って入った。
馬の上の人影が、自分の方に振り返るのを呆然と眺めるシアナ。
「ご無事ですか…シアナ殿…」
「あ…デルモントさ…」
胸に綺麗に吸い込まれるように刺さった一矢。
そのままでシアナを見下ろしながら微笑んだデルモントは…
笑みのまま、馬から滑るように落ちた。
誰もが、動かない。
そんな中、シアナに駆け寄ったルシアは、彼女を右腕で抱えると、デルモントが落ちた馬に飛び乗った。
戦場から離れた木陰に来て、それぞれに馬から下りる。
荷物のように抱えられていたシアナは、ルシアを押しとばすように離れると、逃げてきた戦場に目を向ける。
「あんたいい加減に」
「やめろマスティ。」
ルシアに八つ当たりをしていると怒るマスティを止めるルシア。
彼には彼女の怒りの理由に察しがついていて、マスティも分かってくれていると思うからこそ、止められた事を辛そうに瞳を細めルシアを見る。
「ルシア様…」
「お前も俺に着いてこなければいい、シアナに苛立つどころかいつ死ぬか分からない。」
「っ…」
いつまでも自身に同行するから苛立つのだと、そればかりか危険がある事を示唆しての忠告だったが、それは今、むしろマスティではなくシアナにとっての追い討ちだった。
『ただでさえ傷ついている彼女に追い討ちをかけさせまい。』とマスティを止めたルシアは、自分の発言に握り拳を震わせるシアナに気付いて額を押さえた。
「まぁ悲劇的な表情をしておられる所悪いかもしれませんが、よくあることですから。」
「っ、あんたもねぇ!」
「悼んでいないわけでも責めている訳でもないですよ。運命というものです。それとも、シアナさんやルシアさんは神にでも該当するのですか?」
セリアスが静かに紡いだ言葉に沈黙が流れる。
全てが成せるのは神。
それは、天使であるシアナにしてみれば分かり易い思いあがりの代名詞でもある。
それでも、あろう事か自身を庇って人が死ぬなんて事態は素直に流せる事でもなく…
「…間違ってる。」
普段は強く主張をしないフォルトの声が、沈んだ空気の中ではっきりと響いた。
「フォルト?」
「シアナさんが俯くなんて絶対に間違ってる!!」
「フォ、フォルトさん…」
オーバー気味に腕をふるって叫ぶフォルト。
あまりの様子の変わり様にマスティとシアナはフォルトを見て目を瞬かせ、セリアスはそんな様子を見て笑みを零す。
「だってそうでしょう!?悪いのは侵略者グラムバルドと約束を破ったランヴァールだ!何で心身を削って止めようとしてたシアナさんが責められなきゃならないんですか!!」
「あんた…いや…そりゃ…まぁ…」
シアナへの怒りを見せていたマスティも、フォルトの怒りを否定できる要素が見あたらず、言葉に詰まる。
「シアナさんは優しいから、痛めるな、と言った所でその痛みを和らげる事は出来ないでしょう。でも俯かなくても大丈夫です!微力だろうと僕は貴女の力になります!」
傷ついたままでも構わないし味方になる。
そう明言するフォルトを前に、シアナは目を伏せた。
今さっき、その自分の力になって…自分を庇って死んだデルモントの姿がきっかけでの苦心である以上、その励ましに笑顔を返せなかった。
「責任者としては二、三流の発言ですが…まぁ、真っ直ぐで羨ましい限りですね。それに、半分は同感です。貴女は不可能事に挑みに来たのです、出来なくて申し訳ないではなく、歩むべきでしょう。」
どこか棘があるものの、それでも柔らかい口調のセリアスに、漸く頷いたシアナは、ルシアに視線を移した。
「…そうですね、ルシアもすみません。そんな傷を負ってまで人を守ろうとしてくれたのに邪険にして…」
「俺は自分の為に動いていると言っている、気にするな。」
肩を槍で貫かれているにも拘らず淡白なルシア。
綺麗な布を当てて包帯で縛った程度の処置しかしていないが、まるで傷などないかのように服を着なおしたルシアはシアナを見る。
「それよりここからどうする?」
ルシアの問いに、動く気を取り戻したシアナはそれでも再び口を閉ざす。
問題は二つ。
ランヴァールが約束をあえて破って部隊を派遣した事と、デルモントを死なせた挙句途中離脱した事。
雑兵同士なら数が多いほうが有利もあろうが、遠距離武器の通常兵士だけでハルカの相手など100人居ても勤まるものではない。おそらくはランヴァール軍は全滅しているだろう。
ただでさえ話が通じない相手に、派遣した部隊を見殺しにしたという口実まで渡した今、再びランガードの砦に顔を出す意味は薄い。
「バルニアに向かいましょう。」
「何?」
にも拘らず、セリアスが笑顔でそう切り出した。
今正にハルカ達グラムバルドの兵が占領に向かっている町。
逃げ出した一同のする事とは思えない大胆な台詞に一同は揃ってセリアスを見る。
「万一グラムバルド軍を退けられているなら良し、そうでなくても街の制圧を50人程度でやっている中で我々の捕縛は難しいでしょう。情報収集と買い物は必要と思いますが?」
もっとも険しい表情をしているルシアの左肩を指差してウインクするセリアス。
マスティも治癒術の本を読みつつ魔力での再現を練習してはいるが、まだ本を貰ったばかりの上畑違いの力を使っての再現など高等が過ぎる。
手当ての為の道具含めて補充は必要だった。
「見つかったら…」
「襲ってくるようなら俺が何とかする。」
マスティですら不安そうにルシアを見るが、セリアスの提案に否定する部分を見つけられなかったためか覚悟を決めた様子で明言する。
「ルシア…ですが貴方もその怪我では…」
「時間稼ぎ程度なら問題ない。」
一番心配されるべきルシアが町行きに乗った為、行動を決めかねているシアナも頷いて一向はバルニアに向かう事にした。
買い物をしながら町の様子を見ているマスティとフォルト。
二人が見る限り、些か暗い雰囲気のある町は、それでも普通に機能していた。
例によって領主や兵、逆らおうと武器を取って向かった者の尽くは一掃されたらしく、嘆きの声もあちこちで聞こえたが、それでも無闇な徴収の類はしていないようで、静かな平和と言えた。
「…町は割と普通なのね。」
「市民に無闇な手出しはしてないようですしね。」
一方、目立ちそうと宿に篭ったルシアとシアナは地図を広げつつ状況の整理をしていた。
グラムバルドがどこまで来ていて町にどう人を配備しているのか?
その手順や人数などの予測と、どう動くべきか…あくまで何をするかはシアナの決定についていくだけのつもりでいるルシアだが、状況整理に関しては地上に最初からいた身であるルシアの方が詳しい為話し合いの体の方が事が進む。
「地形や戦術にもよるが、グランナイツ単騎で通常の軍は100規模でも蹴散らされる、市民が武器を取った所で死体が増えるだけ…」
「その事実を示す事で早期に反乱を防ぐ…理屈だけなら理解は出来ますが…」
あくまでもグラムバルド軍の手法としてのみの正しさに歯噛みするシアナ。
とは言え、誰一人話し合いの段階に持っていけていないシアナには正解のように語れる『何か』も無く、現状の痛ましさに苦しむことしか出来ずにいる。
「只今戻りました。」
「ルシア様、薬も買ってきたので傷口を見せてください。」
甲斐甲斐しく世話を焼こうとするマスティ。
断ると隙を見て何が何でもと動こうとする事を知っているルシアは逆らおうとせず服を脱ぎ捨て包帯を剥いだ。
「セリアスさんは?」
「吟遊詩人として同行したのは世界の現状確認と言ってたからな、お前達と別で人の話を聞いて回るそうだ。」
「怪しさ満点ね。」
呆れた様に呟くマスティだが、フォルトは首を横に振って否定を示す。
「グラムバルドと交戦してますし、デルモント卿が亡くなってます。同行さえ安全を保障されて無い以上策略と言うのも変でしょう?」
「そもそもシアナに策を練って近づく価値が天使という以外にない。」
「なっ…貴方が一番訳が分からないまま着いて来てるのにそれを言いますか?」
畳み掛けるように価値がないとまで切り捨てられたシアナが怒りかけ、それでも手当ての真っ最中の深い傷を見て怒声は上げれず、複雑な呟きを漏らす程度に留める。
ルシアに一蹴されて意気消沈しているシアナを一瞬見て嗤ったマスティは、鼻歌交じりに包帯を巻き直し始める。
「…耳寄り情報です。」
そこに、どう聞いても張り詰めた空気を湛えたセリアスが部屋に戻ってきた。
とてもじゃないが耳寄り情報等と言う明るい話とは思えない空気に、皆は続きの言葉を待つ。
「エルティア聖王国の正規軍、白翼騎士団が進軍を開始…グラムバルドとの国境にあるメティロス砦を取り返した…と。」
沈黙。
一見、進行を繰り返すグラムバルドへの反撃が成功した話。
だが、シアナにとっては戦果の話が上がる事自体が救えなかった話でしかない。
それに…ルシアには、それが意味する未来に察しがついていた。
「ヴァルナートがいなかったからだろう?」
「そのとおりでしょうね、そして、取られたと言うことは…」
「取り返しに奴が動くだろうな。」
「っ…」
淡々と告げるルシアの言葉に、ソレが想像出来てしまったシアナは、改めて地図を見る。
「…エルティアに向かいます。」
シアナは覚悟を決めたように呟いた。
「エルティアに?」
「はい、ただグラムバルドに行っても意味が薄いです、食糧難と言われている点を解決するに当たる協力がどの程度できるかの話を聞いておかないといけません。」
ランヴァールではまともに話にならなかったが、それが両国とも同じかは行って見なければ分からない。
「それに…一応、市民の方に進んで手は出していないのは間違いないようですし…」
言いつつシアナはマスティとフォルトが買い物を済ませてきた袋を見る。
店が機能していて、旅人に普通の価格で物を売れる状態ではある、それは一応平和と呼べる状態である事を意味していた。
「大陸制覇後もそうかは分かったもんじゃないけどね。」
マスティの皮肉に拳を握りこむシアナ。
だが、それも一瞬で力を抜いたシアナは静かに目を閉じる。
「保つのか?」
「っ!」
「…急ごう。」
シアナの様子を確認して、服を着なおしたルシアが立ち上がる。
「さすがに国境二連続突破は現実味が無さ過ぎます、南西の『人ならぬ山脈』を通りエルティアに入った方が良いでしょう。」
と、セリアスが地図の現在地から、エルティアへ行く通常の経路を指でなぞって首を横に振り、湖を挟んで反対に位置する人ならぬ山脈と呼ばれる高峰を指し示す。
「ってなると、さすがに小荷物でうろつくのはね…もう少し買い足さないと…」
ある程度の買い物をしたマスティとフォルトではあったが山脈越えとなるとまるで話が変わってくる。
必要量揃え、速やかに動く為、一同は準備を手早く済ませて、泊まってもいない宿を出た。
※微修正