第6話・望まれぬ天使
第6話・望まれぬ天使
フローシアの役場に通された一向は、まず自分達がそれぞれに異なる理由で共に居る事を告げる。
天使であるシアナ、賊で悪魔だが主要戦力のルシア、吟遊詩人として各地の情勢を見に来ただけのセリアス。
誰に何処までの話をしていいのか、それを国の人に決めて貰う為だった。
悪魔や賊と言うものに対しての国の対応を懸念したシアナの提案に、セリアスも同意してそれを先に語る。
(自分のカードを全部切っての交渉とか馬鹿丸出しなんだけどね…)
初めからこの手のやり取りをシアナに任せることに不安があったマスティは、隣の席で不満げにそれを聞きつつ、要所で補足をする。
対賊とは言え、非正規の襲撃者であるヴェノムブレイカー。
国がどう扱うかによっては危険もあるため、マスティの心中は穏やかではなかった。
あくまで主戦力がルシアであることを含めて、これまでの経緯を話したところで、フロリスに戻ろうとしてとめられていたデルモントは腕を組んで唸る。
「天使殿の言わんとする所、守れれば正しいのだろうが、如何せんグラムバルドが攻め入って来た。我ら含めて町民に無抵抗で殺されろと言うのは些か乱暴が過ぎるな。」
フロリス本領を落とされた報を聞いているデルモントはシアナが天使と知って、責めこそしなかったものの、怒りを堪えているのが見て取れた。
「ま、当然の反応ね。正直この状況でグラムバルドの連中に気を使うほうがおかしいのよ。向こうから蹂躙されてるってのに。」
「それでも」
「とは言え、大人しくするのには私も賛成。」
いつも通りシアナの非難を徹底するかと思われたマスティがシアナに乗じたことに驚いて誰もが言葉を止める。
語らないルシアに代わりヴェノムブレイカー側の代表扱いか、デルモントは少女と馬鹿にすることなくマスティに視線を向ける。
「それはどういうことかね?」
「ルシア様がヴァルナートから逃げてきたのよ?奴一人倒すのにすら昼夜問わず殺されに行く位の兵力が必要になるわ。ランヴァールにアレと戦える奴が居るなんて話、聞いたこともない。」
二人で高名な賊の一団を壊滅させたヴェノムブレイカー。その偉業はほぼルシアの力であることを傍らに追従していたマスティはその目で見ている。
そのマスティからの戦力評価には、数で押すならどれだけが必要かを説明する言葉には説得力があった。
「比喩…ではなくてかね?」
「油で増幅させた炎を叩き斬って凌いだ上、重鎧でルシア様と戦う速さで動く化物よ。弓じゃ鎧が抜けないし、近づいたら大剣の一振りで真っ二つ。倒す手段があるなら言って見なさい。」
マスティが投げかけた問いに対して、答えはなかった。
分かっているのだ、誰もがヴァルナートと勝負になどならないと。
だからこそ、生きて帰って見せたと言う一同に期待するものがあったのだが、話した結果余計に戦闘など不可能だという事が明確になっただけだった。
「私は、グラムバルドに赴き戦争の終結を願いたいと思います。」
戦う前提の情報交換のような空気の中、シアナは当初の予定を口にした。
「それまでの防戦を願いたく、また、グラムバルドが戦乱を引き起こす原因の解決にあたり、何処までなら協力できるかの確認をしておきたく此方に来ました。」
だが、続けられた言葉に空気が凍りついた。
戦乱の終結を願うだけならまだしも、グラムバルドへの協力などと言う話が出るとは、まさか誰一人思わなかったのだ。
デルモントの腕が振り上げられ、机が壊れるほどの勢いで叩かれる。
「アンタ何考えてんのよ!!!」
デルモントより速く机を叩いたマスティの激昂。
その勢いのまま立ち上がったマスティがシアナの襟を掴みかかる。
自身より先に怒った少女を前にして落ち着けたのか、成り行きを見て振り上げた手を降ろすデルモント。
「人々の死を、惨劇を止める事です。もし道中の話にあったような、食糧難のような特殊事態でグラムバルドの方々が追い詰められているのなら、それを責めても止められません。戦争停止を願うなら、その際に原因の話は絶対に出ます。勿論無条件に全ては不可能でしょうけれど、偽りなき天使の身である私を介して両者の言葉を伝え合えれば、要人の方同士の直接対面なく交渉が出来ます。」
迷いも澱みも無く告げるシアナを前に、放るように手を離したマスティは鼻を鳴らしてシアナを睨み付けた。
「…一応考えてて、力もあって、自分で動いても居て、それなのに何でアンタが『胡散臭い』のか、ようやく分かった気がするわ。」
「え?」
胡散臭い。
偽りなき天使の身でそんな評をされるとは夢にも思っていなかったシアナは呆けたようにマスティを見る。
「大層ご立派で一見在り難い話なんでしょうね、全員救いたいってアンタの願いは。けど、アンタはまるで書類整理みたいに全員が綺麗に整えばそれでいいと思ってる。親殺されて領地を追われたフォルトも、フロリスに戻ろうと暴れてたこのおじさんの事も、生きてれば救われてると思ってる!天国から救済作業をしに来たアンタには命以外の何も見えてないのよ!!!」
憎悪と言わんばかりのものを隠そうともしないマスティに言葉に、何も返せずシアナは閉口して俯いた。
何も返って来ないシアナから顔を背けるように前を向いたマスティは乱暴に椅子に座りなおした。
「国を治める側の方々ならば、天使の如き公正さと、民を思う心が必要になります。」
そんな中、唐突に語り部の如く口を開いたのはセリアスだった。
「もし民の心がグラムバルドとの交戦に向かっていないのであれば、自身の怒りを抑えてでも天使の正しさに従うのは悪くない選択と思いますが、そのあたりの情報はあるのでしょうか?」
セリアスの問いはつまり、制圧された町の人がどうなっているのかという事だった。
本来なら出入りなど見張られていて当然だろうが、少数精鋭で行動しているグラムバルド軍には町全てを見張る人員などなかった為、町の情報はこのフローシアにも入ってきていた。
デルモントが無言で傍らの兵士を一瞥し、説明を促す。
「逆らうものは斬る、と触れ回っているようですが、それ以外には特に無理はしていないようです。増税、徴発の類は基本行わず、食料は購入及び鉱石との交換等で賄っていると。町人の空気としては少ししめやかな日常…と言う程度のようです。」
「無理矢理攻め入ったにしては随分丁寧な話ですね…」
兵士の説明を聞いて驚くセリアス。
今の説明と、先のセリアスの忠告を重ねたデルモントは苦い表情をする。
民にしてみれば、もしその後の悪影響がないのであれば、戦うことを望んで頼んでも町を巻き込むだけになりかねない。
「逆らって処断されたものや、兵士や逆らって殺されたものの土地や家屋を確保しているのと、シスターが一人つかまって拷問を受けていると。」
「あの馬鹿…」
民への被害についての説明に入った段で出た、シスターが拷問にあっているという事実を聞いて、マスティがやりばのない怒りを搾り出すように呟く。
「心当たりがあるのかね?」
「私達を逃がしたシスターがいるのよ。」
「そうか…」
先のシアナへの怒りにマスティの心を感じたデルモントは、淡白なマスティの回答の中にある苦い気持ちを察してか低い呟きを漏らす。
「敵へ容赦なく…というのは徹底しているようですね。処断された者の所有物だけ確保するのでも、町の将兵は皆殺しにしているようですからそれなりに確保が出来ますし、民にまで害を成す必要はないのでしょう。」
整理するように告げたセリアスは、デルモントを見る。
「領主殿は見た所天使様の言葉よりマスティさんに惹かれ気味のようですが、あくまで彼女は同行者。天使様の提案への回答をお願いします。」
一瞬むっとしてセリアスを睨むマスティだったが、天使と、それに付き従う一団として動いているのは間違いない。
あまりこじれさせればルシアの目的にも沿わない事になる為、何も言わずにデルモントの言葉を待った。
「…正直、今攻勢に出るのは愚策なのは認めるしかあるまい。だが、グラムバルドへ協力すると言うのはあまりにも色々と無理がある。私一人の心中は勿論、将兵にも親類はいるのだ。」
「そう…ですか…」
「しかし、彼女の叫び通り、貴女という者も分かった。貴女の望む事は、本来叶うべき正しい姿なのだろう。今一度それを告げる気があるのであれば、着いて来て貰いたい。」
予想された返答に肩を落とすシアナだったが、続けられた言葉に顔を上げる。
デルモントはマスティを見た。
「貴女が正しいが、気持ちが許すはずがない。彼女はそう叫んだのだ。天使シアナ、貴女はそれに気を落としたようだが、我々人間が未熟である事に貴女が傷つく事はない。」
頭を下げるデルモントを前に、何か言おうとしたシアナは口を噤む。
勝手にシアナの味方をしたように言われたマスティが横目でシアナを睨むが、明確な否定要素も無かった上、デルモントがこう言っているのに食ってかかることもできず、息を吐いて憤りを収めた。
「…ま、敵なら皆殺しとまで言う気は私にもないし、このおじさんがいいならそれでいいわ。それで、何処へ行くの?」
「北方のリアリス領にあるランガード砦だ。基本的にルートブルグ以外では砦があるのがあの領だけだからな、グラムバルドに対抗する為に会議に行っていたのだ。…まさかその間に町が落とされるとは思わなかったがな。」
マスティの問いに対して忌々しげに答えるデルモント。
連合国であり領地同士で戦争のような真似はしないことになっているランヴァール。
無論各領に戦力がないと言うわけではないが、町の中に兵の詰め所等がある程度。
防衛の役割を成していたルートブルグがハルカ単独の兵力で落とされるような現状で、砦もないような領地で陣を張って戦うか否か、それを話し合うための召集だったのだ。
勝算の薄い今となっては選択肢は無いに等しかったが。
「で、どうでしょうか?」
「行きます。」
迷い無く告げるシアナの声に躊躇いは無く、仲間にすら否定された上でそうまで言い切れる彼女に驚いたデルモントは、そっと手を差し出して微笑む。
シアナも笑みを返してその手を握り返した。
「僕は…」
馬車を待つ間、フォルトが小さな声を漏らす。
傍にいたルシアはそれが自分にだけ漏らしたものだと感じ、フォルトを見る。
「僕は…父さんがグラムバルドの殲滅を願っているとは思いませんし、僕自身それは望んでません。ハルカは倒せるのなら僕の手で…と思う気持ちも沸きますけど、シアナさんが言っていたような難題がグラムバルドにあるのなら…そんな事より助けるべきだと。」
弱弱しく消え入りそうな声で呟かれたそれは、フォルトの気持ちを考えていないと怒ったマスティに対しての否定だった。
「何故さっき言わなかった?」
「デルモント卿の叫びのほうが正しい…と言うより…親類を殺された人の叫びとして当然のような気がして…僕がそれを…ルートブルグ領主の息子として避難させられた僕が否定するなんて…」
引け目のようなものを潰されそうなほど感じていたのだろうフォルトの声は暗く小さなものだった。
「何故俺にそれを言う?」
「貴方は嘘を吐かない、多分、そうだと思うから。それに、セリアスさんを除けばマスティさんとシアナさんになります。言える訳…」
ただでさえ対極の話で騒いだばかりの二人に、二人の言葉に迷ってますなんて話が出来るわけがない。
セリアスのほうはこの類の話をしていいかどうか信頼しかねると言うのはルシアにも分かる。が…
「悪魔を信頼して話などするものじゃない。」
ルシアにしてみれば自分を…悪魔を信用すると言う行為もありえないものだった。
だが、それを聞いたフォルトは傍らのルシアを見上げると笑みを浮かべる。
「それを言う貴方だから信用できるんです。そもそも、人間だったら信頼していいんですか?」
「…自分に自信が無い割にそういう事だけ得意げになるな。」
まるで、『見る目があって選んでいる』と言わんばかりのフォルトの言葉に顔を逸らすルシア。
「先導者の責を負え。」
「え?」
「絶対に正しい選択肢なんてそうない。まして、即断が必要な場面は多い。お前が父の様に人の導き手になるのなら、選んで、そしてその結果を引き受けろ。」
丁寧に答えてくれるとまでは思っていなかったフォルトは、傍らのルシアを見上げる。
「お前はシアナの味方をすることになってマスティやデルモントを傷つける事から逃げたんだ。その上でどうするのが最良だったかの『答え合わせ』に困っている。もしお前が父を継ぐ気ならお前が先導者として選択する者にならなければならない。」
続けられた言葉に、フォルトは俯いた。
家を継ぐものとして、勉学礼儀作法から剣の修行まで必要なものを『指示されて』来たフォルト。
サボるような怠慢はなかったが、逆に言えば指示がなければ動く事はなかった。
フォルトが天使やマスティを自分より知っているルシアに何かを言って欲しかったのは、回答を直接貰えないにしても、自分だけで答えを出す気概がなかったから、参考に出来そうなものを聞きたかったのだ。
フォルトにとって欲しかったものとは違う、欲しかったものより必要な、痛い言葉。
「尤も、お前がそんな指導者に向いているようには見えない。シアナに協力すると言ったのが本心なら、和を乱さない者でいるのも一つの選択だろう。」
ルシアは決してフォルトを否定も批難もしなかった。
今のフォルトが領主と言うより一介の剣士のような、優れた者に付き従う者のほうが向いていると言う説明だった。
「僕は…」
父の跡を継ぐに足る資格などないんだろうか、と問いかけたフォルトは、それこそが今正に言われた自身の選択が行えていない事実だと気づいて言葉を止めて俯いた。
フロリスより北方のリアリス。そのリアリス西方に位置するランガード砦には、残る2領の領主が、臣下と共に集まっていた。
物々しい雰囲気の砦に集まった男達が、開かれた扉から入るデルモントとその後に続く一行を見る。
「デルモント卿!無事戻ったか!…うん?」
「なんじゃその餓鬼共は。」
一応デルモンテが先導している為警戒はそこまでではなかったが、それでも見知らぬ…それも大半が年若い一行の姿に領主達は疑惑の視線を向ける。
そんな中、恐れも躊躇いもせず進み出たシアナは…その背に白い翼を開いた。
「私はシアナ…天使です。」
「んなっ!?」
「て、天使!?」
領主ともなれば堕天使は見たこともあった領主達だったが、地上で白い翼を背にした者を見るのは初めてで、会議室は驚きに包まれた。
デルモント主動でヴェノムブレイカー一行と二人の領主の紹介を終えた後、シアナは、自分が戦乱を止めるために地上に降りた事、そのための話をグラムバルドに聞きに行く事、グラムバルド内の問題の内容如何でどこまで協力が出来るかについての回答を聞きたいこと、その全てを丁寧に話し…
「何とふざけた事を言う女じゃ!誰かこやつらをひっ捕らえろ!!」
シアナの話が終わっての第一声は、最西方の領であるアルザード領主、ファーネスの罵声だった。
即座に反応した周囲の兵だったが、侵略者でもない天使を前に武器を握るまでが精一杯で戸惑っていた。
「っ…攻められている今確約ができないと言うのはわかります。それでもこのまま続けても何の解決にもなりません。私がグラムバルドへ行くまでの防戦だけでも」
「黙れ!ルートブルグとフロリスはランヴァールの領地じゃぞ!元に戻すだけでも攻めんと進まんのに何を戯言を!!」
「それは今すぐでなくても町の人は殺されていません。早まらないで」
「ルートブルグもフロリスも兵士達はいいように殺されとるわ!」
説得を試みて話すシアナに怒鳴り散らすファーネス。
あまりに畳み掛けられ言葉も告げられなくなり…
「ほ、報告です!」
「ええい!今度は何だ!?」
「グランナイツ、ハルカ率いる一軍がルートブルグからバルニアへ向かっています!!」
最悪の空気の中に届いたのは、侵攻を知らせる報告だった。
「な、なんだとっ!数は!?」
「お、およそ50…」
「なっ…」
それは『少なさ』への驚愕。
領内の護衛兵程度とは言え、各町にその数倍する程度の兵はいる。
特にバルニアはリアリス領最大の町、単純に不可能事だと思われた。
だが、憤りを捨てるように短く息を吐くマスティ。
「アレとどの程度の差か知らないけど、ハルカもグランナイツには違いないものね。多分100単位ならハルカ一人で蹴散らして、鎮圧とか荷物運びとかの補佐要員連れてるだけなんじゃないかしら。」
「ルートブルグ領を制圧した力…並ではないとは知っていたが、まさかそれほどか…」
あっさりと告げるマスティに、デルモントが顔をしかめる。
フロリス本町を制圧された憤りだけで戦おうとしたヴァルナートより弱いハルカですら理解不能な戦闘能力なのだ、絶望と無力感がランヴァールの一同に湧き上がっていた。
そんな中、ファーネスがシアナを指さす。
「おい貴様!人を守るのが目的だと言ったな!それが嘘でないのならとっととハルカをとめて来い!」
「え…」
「貴様らがランヴァールの兵士に先んじて当たって終わらせれば此方の兵士が敵討ちと叫ぶ事もないし、向こうの死人も貴様ら次第だろうが!!」
非戦を謳っている天使のシアナに戦って来い等と叫ぶファーネス。
まるでシスターに対して戦うか嘘つきかを選べと言うような暴論にさすがにその場の一同が苦い視線をファーネスに向ける。
「俺には戦争に協力する理由もランヴァールだけ守る理由もない。」
唐突に、それまでただ成り行きを見ていただけだったルシアが、静かにそう告げた。
天使の同行者として、本当の戦力として見られていたルシアが戦わないと言うような台詞を口にしたことで、全員が驚き、壁を背に会議の様子を眺めているルシアに視線が集中する。
「ま、当然ね。天使を貴様呼ばわりした上で戦わせようって言うんだから、大方このお人よしだけ担ぎ出せばヴェノムブレイカーを前線に駆り出せるって魂胆でしょ?デカイ腹して底は浅いのね。」
「な…こ、この賊徒どもめ!ええいもうひっ捕らえろ!」
「アンタが来なさいよ、正当防衛で焼き豚にしてやるわ。」
席を立ったマスティの重ねての暴言にさすがに回りの兵も緊張感を以って武器を握り始める。
収拾が付かなくなりそうな空気の中、シアナも立ち上がり…
「分かりました、では私一人で行きますから皆さんはランヴァールの兵士の方に防戦や撤退を指示してください。」
淀みなく告げた言葉に、殺気立っていた会議室が静まり返った。
隣の席を立ったシアナをマスティが睨みつける。
「アンタ正気で言ってるの?」
「はい、私は人の死を止めに来たんです。それに、悪魔であるルシアがどうするかは関係ありませんし、元から私の行動に人の命運を巻き込めません。」
ヴァルナートの強さを知り、ハルカとも対面した上で出したシアナの結論。
ルシアはともかく、他の一同は人間なのだ。人の死を止めに来たシアナが巻き込んでいい者ではない。
「単騎でグランナイツをとめるなど不可能です。分かっているのでしょう?」
会議室を出ようとしたシアナの背に声をかけるセリアス。
誰がどう見てもわかる結論だった。ルシアならいざ知らず、グランナイツに単騎で勝てるものなどいない。まして、50とは言え補助に兵士も連れているのだ。
「皆さんは、無理だから諦めろと言われて死ぬことが出来ますか?」
会議室を振り返ったシアナの問いかけに、誰もが沈黙する。
それだけ見て、シアナは微笑んだ。
「なら十分です、止めてきます。」
今度こそ会議室を出るシアナ。
その歩みには何の迷いもなかった。
『貴女がどれほど苦心しても、貴女の言う状況は変わる事が無いからです。』
地上に降りる前にリエルから告げられた宣告。
実際に動いて、シアナはこの言葉を否定するだけの何一つを未だに用意できずにいる。
けれど…それでもシアナは地上に降りた。それは何故か、簡単だ。
そんな事、人の嘆きを止めたいと願って動いたシアナの足を止める理由にならなかったからだ。
(不可能事だから止まれと言われて頷けるなら、私はそもそも地上にいない。リエル様が告げた不可能に抗っているのに、こんな程度で止まっていられない。)
改めて思い返したシアナは、馬車から馬を一頭借り受けると馬に寄って…
今更ながら乗り方など知らない事に気づいた。
「…ど、どうすれば…」
離れた町まで全力移動のちグランナイツ相手に戦闘。
さすがに無意味と言うか、そもそも移動に時間がかかりすぎる。
それでも、動いてくれないのなら走るしかないと覚悟を決めて降りるシアナ。
「ま、馬なんか乗ったことないわよね。」
「え?」
そんな彼女に唐突に声をかけたのは、マスティだった。
シアナが声のほうを見ると、マスティとルシアが馬に乗っていた。
「乗って掴まれ。」
「えっ?で、でも」
「置いてくわよ。」
戸惑うシアナだったが、戦闘準備をしたマスティに置いて行くと言われて二人が行く先など一つしか思いつかないシアナは慌ててルシアの後ろに跨る。
「しっかりつかまっていろ。」
掴まれと言うも、そんな場所もなくルシアに腕を回してつかまる事しか出来ず、少し躊躇うシアナ。一瞬マスティを見てしまい、視線だけで殺してきそうな目で睨んでいる事に気づいて慌ててルシアにしがみつく。
すると、手綱を握ったルシアは馬を走らせた。
「あの…二人はどうして…」
「俺は、ランヴァールに協力する理由はない。」
「だからどうして…あ。」
恐る恐ると言った様子だったシアナ相手に繰り返されたルシアの言葉を聞いて、シアナは気づく。『シアナに協力しない』とは言ってない事に。
「…ひょっとして…試したんですか?」
意地が悪いルシアの言葉にむっとするものの、さりとてそれと関係なくルシアに無理をさせる理由はないため結局悪い気がして複雑なシアナ。
「初めから俺は俺の都合で動くと言っている。約束は守るが、それ以外は別に人のためじゃない。」
「そう…ですよね、分かりました。」
試された怒りも、命がけの戦いに巻き込む申し訳なさも、纏めて『関係ない』と片付けるルシアの言葉。
彼なりの気遣いとは思うシアナだったが、気にしない所か余計に悶々とした気持ちを抱えることになった。
要人と言う立場と、大した戦力じゃないと言う負い目、それに、自身を逃がす為にランヴァールの領主達の下に来たという経緯もあってランガード砦に残ったフォルトは、落ち着かずに部屋を出ていた。
と、会議室の扉の前でふと足を止める。
(シアナさん…何であんな中で笑えたんだろう…)
死にたくない。
それが人の結論なら、どんな無茶でも挑めると言うような彼女の姿に、フォルトは自分が同じように出来るか考えて俯いた。
(役に立たないから残るなんて選択をしている癖に、同じように出来るかなんて、考えるまでもない。)
目を伏せ、自分には既に出来てないと部屋に戻ろうとするフォルト。
「ふん!やっと行ったかあの賊徒共め!」
だが、会議室から聞こえてきたファーネスの怒声に足を止めた。
「ファーネス殿…彼等は仮にもランヴァールに侵略してきているグラムバルドと交戦しようと動いているのですぞ?その物言いはあまりにも」
「当たり前だ!でなければ奴らは捕らえるべき罪人共だぞ!?賊が奪った町村の資材を奪っているコソ泥なぞなんで連れてきた!」
(コソ泥って…毒の牙なんて僕でも聞いたことがある危険な一団だって言うのに…何処の国も放置してたそれを片付けて賊扱いなんて…)
似たような事はマスティも自分で言って褒められた事じゃないとは言っていたが、フォルトにしてみればまるで納得できなかった。
フォルトは既に旅人の遺体が魔物に変貌して襲い掛かってきた様を見ている。
賊がそのまま潤えば武器を揃えたりしてより危険になるし、その弊害で先の魔物も増える。
仮に兵士として国でやれと言うにしても、どうせ悪魔だからと雇う気もないだろうに、対応策もないまま好き勝手言っているようにしかフォルトには見えなかった。
「騒がなくても問題ありませんよ、彼等が戻ってくることはありませんから。」
「む?」
「彼等が互角か優勢なら弓兵と魔法を用いて中遠距離からグランナイツにトドメを指すよう伝令を出しました。」
嫌な気分で済まない、リアリス領主ソレムの声が聞こえて、フォルトは再度離れようとした足を止めた。
「な、なんだとっ!?」
「正しくは援護しろ、ですがね。ルートブルグ領の兵に友人や親類がいるものを募ってそう命じました。まぁ、十中八九彼らはトドメを差しにかかるでしょう。我々はともかく、前線兵の『総意』となれば、彼女の妄言を否定するのには十分でしょう。」
中から聞こえるデルモントの怒声を凍らせるように淡々と、感情を感じさせない言葉が並べるソレム。
「はっはっは!それは傑作だ!さすがソレム殿は切れる方よの!」
「力相手に必要なのは知と策、願えば救えるのなら世界は教会で支配されているでしょう。デルモント卿、貴方の領地を守護していた兵は侵略者より愛国心の無い者だったと思いますか?」
「ぐ…」
淡々と語るソレムの言葉に、返す言葉が無いと同時に受け入れきれないデルモントが歯噛みして…
ガチャリ、と、フォルトにしては乱暴なほど強めに、音を立てて会議室の扉を開いた。
「フォルト君…」
「盗み聞きはあまり行儀がいいとは言えませんね。」
扉を開けて姿を見せたフォルトは、集まった視線を意にも介さず、大きく息を吸い込んだフォルトは…
「ふざけるなっ!!!」
隠すことなく怒声を叩きつけた。
「守るべき者を守る為に手段を選べないって言いたいのかもしれないけど…命や心を道具扱いするような人がシアナさん達より守るべき者なはずが無い!!!」
フォルトがマスティとシアナの口論を前に、シアナの味方をしたいと思いながらそれができていなかったのは、結果を考えてシアナの方針に沿って自分が何かを成せるとはとても思えなかったからだった。
こんな場で一人、味方であるマスティからすら罵声を受けながらあんなことを願えるシアナを凄いと思い、同時にルシアから言われた先導者の責について考えて、余計に喋れなくなっていった。
けれど、その全てが吹っ切れた。
結果を出せない事など意味が無いと言うのも避けられない話だが…そもそも願う結果そのものが『ろくでもない』者なんかに成り下がって良い筈が無い。
「…もう少し立場と言う物を考えるべきですね、君は保護される立場にあり、またルートブルグの民の」
「必要ない!僕はシアナさんを助けに行く!」
心が動いている様子すら見えないソレムの呟きを断ち切るように叫んだフォルトは、踵を返して扉を叩きつけるように閉めた。
そして、砦の外に向かって駆け出す。
(初めから考える事なんて無かったんだ。父さんがハルカに殺されたからって戦った事が無駄だったわけがない、戦争が始まるまで来なかったからって今来ているシアナさんが無駄なわけが無い、そんな事あってたまるものか!たとえ僕が力でルシアさんの足手纏いにしかならなくても、シアナさんが僕が傷つく事を望んでいなくても、何の成果も出なくても…)
だから、何もするべきじゃないなんて、彼らのように会議室で座って言っていられる訳が無い。ましてや、救おうとしているものを騙した連中と安全圏になどいられる訳が無い。
義憤とよべる怒りに身を任せて拳に硬く力を込めて早足で歩くフォルト。
出口付近まで来たとき、その肩が唐突に背後から掴まれた。
フォルトが振り返ると、後を追ってきたらしいデルモントの姿があった。
「大人しいかと思えばやはりファルス殿の息子と言う事か、グラムバルド相手に戦いながら兵より戦果を挙げてきた彼にそっくりだ。」
「…離して下さい。」
「そう言うな。」
睨み返すフォルトに対して微笑むデルモント。
「一人より二人だ。ファルス殿ほどではないが役に立とう。」
「デルモント卿…」
怒鳴って飛び出してきた子供の後を追ってきて止めるつもりかと思えば、まさか役に立つから連れて行けなどと言われるとは想像もしていなかったフォルトは驚いてデルモントを見つめる。
「二人より三人ですよ、馬は用意してもらえましたので。」
「え、セリアスさん!?」
外から顔を出したセリアスの言葉に、フォルトは勿論の事デルモントですら驚きを禁じえなかった。
グランナイツはどう考えても物見遊山で戦う敵ではない。まして、セリアスにとっては会ったばかりのシアナ達のために戦う事になり、リスクが過ぎる。
疑問は当然だと思っていたのか、セリアスはフォルトを真面目に見る。
「フォルト君、細かい事は置いておいて、一つだけ絶対に間違い無い事があります。」
区切ったセリアスが次に何を言うのか、それだけ重大な理由なのだろうとフォルトは真剣に待ち…
「女性は大切にするものです。覚えておきましょう。」
「…そうですか。」
真顔でいつも通りなセリアスに、待った自分が馬鹿だったのかもしれないと、フォルトは肩を落として外へ向かった。
「それが理由なら最初からついて行ったろう?主も彼の言葉に動かされたクチだろうに。」
「さぁ、何のことでしょうね。」
小声で交わして笑い合う二人の言葉は先行したフォルトには届かなかった。
※微修正