第23話・悪魔の裏切り
第23話・悪魔の裏切り
ルシアが目を覚ますと、殆ど石畳の部屋の天井が見えた。
身を起こすが、硬さも寒さも感じず周りを見ると、布の類が十全に用意された場に寝かされていた。
(グラムバルドでここまで設備が良いか?随分好待遇らしいが…)
見張りの一人もついていない部屋で、痛みが残ってこそいるが普通に動かせる左腕に誰にでもない感謝の念を抱くルシア。
いくら自己治癒が早いとて放っておいてそう簡単に治るダメージではない。
誰かが治した事は明らかだった。
城のあちこちから感じるいくつかの強大な力の反応。
その中で一つ、優しいものの元へと歩を進めるルシア。
空色の四翼を広げたシアナの姿を見つけ、ルシアは歩み寄った。
シアナの目の前には一つのベッド。
布団の類は駆けられないままで眠るカークと、その傍らの椅子に祈るように座るプレフィアの姿があった。
「…やりすぎですよ、ルシア。」
翼を消すと、感じていたのかシアナは振り返らないままそう言った。
唐突に出た名に反応したプレフィアが顔を上げてシアナの背後に来ていたルシアを見る。
「済まない、手加減できる相手じゃなかった。」
「分かってます。でも、二人とも無事で何よりでした。」
泣き笑いのような表情で振り返ったシアナは、そっと右手でルシアの左肩に触れる。
ルシアは、『動くから大丈夫』と示す意味も込めて左腕を動かして、シアナの手をそっとよけた。
「ごめんなさい、私じゃカークを治しきれなくて…天使様はルシアやヴァルナートの治療までしたのに…」
「大丈夫ですよ、以前と違って使いっぱなしじゃありませんから。ちゃんと休めば力だけならルシアにだって負けません。」
「空元気もほどほどにしておけ、俺には分かるんだ。」
プレフィアに対して強がったシアナを一蹴するルシア。
シアナは嘘など吐かない。
だから大丈夫と言うのは、『この程度で死んだりしない』と言う意味。
怪我の治療でそこまで力を使いつぶす気など馬鹿げてる。
「悪魔のルシアに弱っちい人間がかなう訳なんてない。孤児院の皆はそう言ってカークを嗤って、私は心配でルシアに迷惑かけてるって止めて…カークだけがルシアと引き分けた。」
浅い呼吸を繰り返して眠るカークの額をそっと撫でるプレフィア。
「カークはきっと、ルシアと同じ場所に立った唯一の友達。何も進んでなかった私が止めたいなんて、筋違いもいい所だったんだね…」
壊れかけのその姿に謝るように言葉を紡ぐプレフィアに、ルシアは首を横に振った。
「お前は俺を拒絶せず、グラムバルドにも引かなかった。力だけが肩を並べる理由なら、シアナが俺の上にいる筈がない。」
「上?」
「シアナが空色の翼を背にしたあの時まで、俺は自分の答えも持たないままうろついていた間抜けだったんだ、傷つける事を選ばず心身の癒し手であるシスターとして折れなかったお前が恥じるところなんて何もない。」
ルシアの顔を見上げていたプレフィアは、今度はカークの顔を見る。
今度は、苦いものを見るように。
「困窮しているグラムバルドから統一状態を作って平和にする…認められるかはともかく、答えの一つではあるさ。」
「他者に認められない…と言う意味なら、私のほうが散々でしたからね。」
ルシアのフォローまではともかく、自嘲交じりのシアナの言葉には人を傷つける事を望まず一人囚われの身に過ぎなかったプレフィアには何も言えなかった。
「状況が聞きたい、場を移そう。」
「はい。」
ルシアとシアナは眠るカークと沿っているプレフィアに向かって一礼しながら、その部屋を出た。
ルシアが倒れた後、戦闘停止を指示させるために気絶したセインを拘束した上で起こした一同。
セインからは『反撃の侵略に対する防御にとどめる指示』が出て、伝令を伴いそれを伝えに国境の橋へ出立したセリアスとエリナとフォルト。
ハルカとガントは幸い互いに負傷した段階で周りの兵士が止めに入った為、また、二人が割れた状態での進軍はどのみち不可能との判断で伝令を待つ事になった。
その後、あくまで現状はグラムバルドからの進行を止める許可が出た程度で荒らしただけのような状態のランヴァールも防戦約束しただけのエルティアも危険と、フォルトはエリナを護衛に伴ってランヴァールへ、セリアスはソルクレイヴの元へ現状や今回の一件についての伝達をとそれぞれに向かっている最中。
魔の浸食を受けたマスティは、魔剣を安置していた部屋の術を起動させた上で安静にさせている。
最早人には戻らないが、起きた時にどういう状態かが分からない為出来るだけ魔性関連を置いておくのにふさわしい場で彼女を休ませることにしたのだ。
中庭まで歩きながらそれらを聞かされたルシアは、深く息を吐いて肩を落とした。
「終わった…と見ていいな。」
「はい。もちろん、グラムバルドの現状をどうにかする事、憎しみからの逆襲を止めること、その法律とか治世とか、誰が着くのかどうするのか…人間としての学が高いわけではない私がどこまで見るべきで止められるかわかりませんが、それでもやり切らないと…」
かかわった者としての責任と、単純に悲劇の連鎖を止めるための大事な締めとして、シアナは拳を握る。
それでも、人の死の乱立の象徴たる戦争状態を止めることまでは成功したと、シアナは笑みを浮かべていた。
「それと、堕天使の始末もね。」
と、そんな二人の元に割り入るように現れたセインが声をかけた。
二人は咄嗟にセインを見る。
ローブを着ていて、力の反応がなかったのだ。
「お前…拘束されている筈じゃ…」
「おいおい、君たち主要人物全員出払ってるのに止めておけるわけないだろ?ま、安心してくれよ。堂々戦って負けて、約束違えて背後から刺すような真似をすればヴァルナートやカークに殺される。」
あっけらかんと言うセインは、まるで先導するように首だけ動かしたあと歩き出す。
毒気を抜かれるようなセインの様子に、それでも素直に鵜呑みには出来ないルシア。
だが、シアナは笑顔のままルシアをみて頷くと、セインについて歩き出した。
(…そう言う奴だよな。)
絶対大丈夫だからじゃない、悪意を振るっていない相手を警戒してどうこうと言う選択はシアナがする訳がないのだ。
治癒術と悪魔の生命力から既に身体は動く、何かあれば止めるだけとルシアはシアナに寄り添うように歩きだした。
裏口の細工をいくつか弄って抜けた先、地下への階段を進むセイン。
少しして、そのさして広くもない場所に辿り着いた。
「これは…門…か?」
「ああ、君たちが魔界へ逃げたあの魔の島と同じ門…にかけた封印術さ。」
魔界へと移動可能な通路にしてつなぎ目の見えない門。
そこに、宝石の埋め込まれた石碑がたてられていた。
「さすがに当時戦ってたのは外だけど、外に門そのまんまにしてたら危なすぎるからね、こっちに移したのさ。」
『門』と言う呼び名だが、力場、繋ぎ目、道と言った方が良い形のないものである。
相応の…それこそ世界有数の実力者が方法させ知っていれば移動自体は可能だった。
「先生…」
「彼に恨みはないよ、多分殺すように言った父さんすらね。」
封印の結果グラムバルドが丸々衰退した事について調べたまま、何の解決もできないうちに存在ごと抹消された先生の事を思い石碑を撫でるルシアに、セインからフォローのように言葉がかけられる。
「さて、まず一つ。お二人のどちらかこの門の移動方法は?」
「…すみません。」
「俺も分からん。」
何もない島の門すら移動方法などわからないのに封印術の施された門の移動など出来る筈もなく、予想してたとばかりに小さく頷くセイン。
「となると予定通り…ヴァルナートと君たち、僕も戦力になるかな?とにかく少数精鋭で乗り込んで戦うしかない。」
「封印を解いてしまう訳にはいかないのか?」
ルシアの問いに肩を竦めて鼻で笑うセイン。
「飛ぶんだよ。アーセルの術と魔界の闘法か知らないが軽い空戦が出来たらしいマシュアが門の中送りにしたから上下左右なく戦えたし封じてこれたが、外に出たら僕たち人間が重力につかまってる間に魔法を雨のように落とされて打つ手がなくなる。」
「魔法…」
元々堕ちたばかりの時はただ何もできない身だったシアナは苦い表情をする。
ルシアがシアナの空色の四翼をシスターたちのように清い堕天使だったから再び変わったと言った。
ならば、魔法を使えるという事は堕ちた堕天使がその後マスティのように魔法の習得、強大な魔法を扱うという事は、マスティのように魔の浸食を…
「まぁそういう訳さ。何、封印…以前と変わらない状態の筈の相手に、前よりはるかに強いヴァルナートとそれを打ち破ったルシアがいるんだ、さすがにどうにか出来るさ。」
堕天使についてのシアナの思考を断ち切るように、セインの軽い声が届く。
封印によって国の力が衰退している事を知っているにも拘らず、一番落ち着いているセイン。元から知っているのもあるが、解決間近かつその後の国の状況改善にも動く事を確約しているのもあって、侵略戦争中より肩の荷は下りているのだ。
エルティア貴族の扱いやその後についての齟齬を問題なく埋める事さえできればとりあえずの大問題はほぼ確実に片付く事になる。
ビキリ、と、音のない地下にはあまりにも不釣り合いな音がした。
その場にいた全員が、無言で石碑を見る。
宝石に、罅が入っていた。
あまりにもわかりやすい、危機を示すモノ。
「…セイン、ヴァルナートの奴を起こしてこい。カークより怪我の程度が軽いからアイツなら使える。」
「すぐ行く、最悪この部屋からだけは逃がさないでくれ。」
言うや否や、セインは全力で来た道を帰る。
あっという間に足音が聞こえなくなるほどの速さだった。
「私が行きます、ルシアは後の事をお願いします。」
「何?」
「武力を盾にした交渉、調整もまだ必要なはずです。相手が人じゃないなら相打ちにする手段位はありますから。」
言って、罅の入った石碑に迫るシアナ。
ルシアは無言で、その襟首を掴むと思い切り後方に引っ張って放り投げた。
「あいっ…っ…な、何をするんですか!!」
「天使ならいい加減にお前の死が人間を傷つける事も理解したらどうなんだ?人々を傷つけない為に動いているんだろう?」
「で、ですが!そもそも出して戦うだけでもこの城に残っている人は危険ですし、回復して悪魔だったルシアが全快してないのに他の方が全力で動けるわけがないのに!」
傷が塞がってはいるルシアだが、それが完全に回復した事とは繋がらない。
出てきて止められなければ、地上全てが災厄に見舞われることになる。
そんなことここまで来て、シアナに看過出来る筈がなかった。
「あぁ、だから俺が行く。」
ルシアはそう言って、石碑に近づいた。
「俺の黒の力は、狙った対象を意図的に攻撃、破壊することが出来る。きっと、中から『道』を破壊することで封印なしで堕天使を閉じ込めることが出来る。」
淡々と事実として語るルシア。それは、封印や堕天使の討伐成否など関係なしに絶対に封じることが出来る方法。
だが、『中から外への道を破壊する』という事は…
尻もちをついていたシアナは慌てて立ち上がり、そんなルシアの手を取る。
「ば、馬鹿を言わないで下さい!貴方だったら誰も悲しまないと言うんですか!!」
「俺は悪魔だからな。」
「っ…今更ふざけないで!!!」
掴んだルシアの手を思い切り引くシアナ。
されるがままにと言わんばかりに振り返ったルシアは…
「我欲で他人が悲しんでも悪魔には関係ないんだ、天使のお前と違ってな。」
そう言って、微笑んだ。
少し悲しい、でも優しい、心からの笑み。
それはシアナが…ルシアを知る者が、初めて目にする表情。
硬直するシアナの手から優しく、掴んでいたシアナすら気づかないようにそっと自分の腕を外すルシア。
「やっと先生が最期に笑顔で俺を逃がした訳が分かったんだ、これは譲れない。」
「そん…なの…ずるい…ずるいずるいずるいっ!!!」
天使だから皆の為に生き残れと言い、悪魔だから誰が泣こうが知らないと死地へ向かおうとしているルシア。
『人』を救いに来たシアナを縛り、悪魔の自分を全ての枷から解き放つ、最も優しい反則的な裏切り行為。
石碑の宝石が、完全に割れる。
ルシアは、そっと拳を突き出してシアナの顔を叩いた。
音すらしないほどそっとした一撃。
だが、それだけでふらついたシアナは再び尻もちをついて動けなくなる。
まともに肉弾戦などしたことがないシアナが知る由もない、肉体故に存在する急所。
「い…や…ルシアアァァっ!!!」
這うように手を伸ばすシアナの眼前で、ルシアはその身体を石碑に進め、門を通って姿を消した。
はぐれたらまともな人間を拾ってくるのが面倒な、方向と言う概念の怪しい奇妙な空間。
歩けはするが感覚が色々異なり、上下があるようなないような、そんな空間。
「門の中で戦闘か…さすがに考えなかったが…」
数度拳を振るって状態を確認したルシアは、あてもなく異空間を進む。
少しして、ルシアは人のような姿を見つけた。
倒れるように横になり、まるで動かない。
その姿にゆっくりと近づいていくルシア。
と、唐突に人影は起き上がった。
「ん…んーっ!!!」
気持ちよさそうに片腕を上にあげて伸びをする女性。
黒を基調とした衣服に長い銀色の髪のその女性は、ルシアに気づき…満面の笑みを浮かべた。
「お!ヴァル!久しぶりー!!…うん?あれ?違う?」
親し気に声をかけた割にすぐに表情を歪める女性。
そんな反応をする、こんな場所にいる存在に、ルシアは一人しか心当たりがなかった。
「あんたがマシュア…ヴァルナートの妻か。」
「む、その辺の雑魚にそんな口で…ん?あれ?アンタってひょっとして…」
不思議そうにルシアの顔を眺めるマシュア。
コロコロと表情を変える彼女は、幼めの顔立ちのせいで少女のようにすら思える。
「ルシアなの?へぇ…そんな時間経ったんだ…」
「悪いがお前と過去話などする気はない、堕天使は?」
大量殺戮を許容した馬鹿親と並ぶ戦闘狂の純正悪魔。
家族なら先生とカーク達だと言い切れるルシアにとっては大した縁のない、持ちたくない他人でしかなかった。
だが…
頬をむくれさせたマシュアは、ルシアからプイと顔をそむけた。
「おい…」
「理由も分かんないのに意地悪とかヤダ。弱い奴なら怖がってとか、誰か死んだとかで怒った奴はいたけど、アンタは何でかわかんないもん。」
ヤダ。
あまりにも端的に示された理由に、ルシアは頭を抑えた。
「こーてー…だっけ?ヴァルに付き合って堕天使と戦うって言ったら泣きながら喜んでくれたし、悪魔祓いに来たアーちゃんだって見逃すって言ったのに…」
「ぁ…」
むくれたまま告げられた言葉に含まれたモノに気づいたルシアは、怒りが沈んでいくのを感じた。
三英雄。
ヴァルナートが、封じられた彼女と断ち切った先生と肩を並べるものとして負っていた称号。先生の…件の『アーちゃん』にとって彼女がどういうものだったのかも考えずに、ルシアは自分の怒りで関係を断ち切っていたのだ。
「…すまない、望まない破壊衝動をお前のせいだと恨んでいた。」
「ん?え?何?堕天使と戦いに来たんじゃないの?」
素直に頭を下げたルシアの言葉に耳を傾ける気になったのか、それとも内容が意外だったのか、不思議そうに問いかけてくるマシュア。
「…封印に使った力のせいで外の食料が無くなりつつある、だから止めに来た。戦いは好きじゃない。」
「はぇー…アーちゃんが育てたから?残念…ヴァルも一緒に親子バトルとかやりたかったのに…」
心底残念そうに、スポーツが一緒にできない親のように落ち込むマシュアに頭が痛くなるルシア。
責められない。が、心底馴染みたくなかった。
「…とりあえず状況を教えてくれ。出来るなら完全に止めておきたい。」
「うん。と言っても戦ってる間に封印されたから近くに…」
マシュアが言いかけた所で、二人は遠方から強大な力を感じた。
二人が視線を向けた先から、光の柱のようなものが迫る。
「全開っ!!!」
楽し気に叫んだマシュアが、黒の力を纏った拳を振るって光の柱を殴り砕いた。
直後、何処からか天使の姿をした白い塊が、数人二人を囲むようにして武器を振り上げる。
「この分裂兵士!結構強い上に倒しても倒しても出してくるからキリが」
憤るマシュアを無視するように近場の一体に踏み込んだルシアは、迫る槍を回転跳躍で回避しながら黒の力を纏った拳を打ち下ろしてその白い天使兵を二つに割った。
脅威と思ったか続けざまにかかってくる二体。
ルシアは自分から片方に近づいて武器を掴むと、適当にもう一体の方に放り投げてぶつけた上で黒弾を左右から二発連射する。
一発ずつ綺麗に放り込まれた天使兵達はそれで塵のように消えていった。
「…あれ?ひょっとして結構強い?」
「人間全部を救えと頼まれるくらいには。」
驚いたマシュアに何でもないように返したルシア。
淡泊極まりないその態度を嫌がっていたマシュアだったが、涼しい顔で今の戦いを出来る事には興味を覚えたのか、楽しそうに笑いかける。
「アイツ、全身防御幕に包まれててあたしやヴァルの攻撃でも割れなかったんだよね。でも、同時にいければ」
「俺は破れる、道だけ開けてくれればいい。」
今になって、ヴァルナートが一発芸に近い錬黒掌を楽し気に推していた訳を感じたルシアがマシュアの提案を蹴る。
初めて同時攻撃に挑むよりは単騎で挑んだ方が楽だと思ったからだが…
マシュアは、下手をすると戦うのをやめかねないくらい不機嫌そうに拗ねていた。
「…もし無事に片付いたら親子バトルとやら付き合ってやるからそれで手を打ってくれ…」
「むー…わかった…」
子供をあやすように餌をぶら下げざるを得ない事に心底疲れたルシアは溜息と共に肩を落とす。
が、10近い数の天使兵が作られたことで、頭を切り替えるように黒の力を纏った。
ルシアは白い天使兵の先にいる、黒の四翼を広げる少女を見据える。
罪とも言えない罪で堕ちた天使となってエルティアで仕上がった、世界に破壊をばらまいた堕天使。
一瞬、その姿が、鞭に打たれているシアナの姿に重なる。
振り切るように頭を振ったルシアは、天使兵の群れに向かって駆けだした。




