第21話・動いている『モノ』
第21話・動いている『モノ』
マスティは外界とのつながり…それらを認識する体の機能が絶たれた闇の中で自分の意識が揺らいでいるのを感じていた。
(だ…めだ…もう…)
内蔵損傷や出血、頭部強打による意識の混濁。
だが、それらを塗りつぶすような脈動があった。
魔の浸食。
それに、命を懸けて戦う事は出来ても、死に向かう身体を選んで助かる方を強い意志で拒むなど、正気の人間にできる事じゃない。
即ち…悪魔に堕ちれば怪我に耐えうるという事実を拒んで死ぬ事など、人間に出来る筈がなかった。
(そ…れ…でもっ!!!)
残りかすのような自分。
だが、確かに消えずに残っているただのマスティである残りの全てを以て、彼女は立ち上がった。
「…マスティ…さ…」
「っ…これ…だけはっ!!!」
傷だらけの身体を喰らいつくす力。
それらに耐えるというよりは、残り時間のうちにと言わんばかりにマスティはグリムネクロスを開いた。
開き進めるだけで浸食と強化が同時に進むそれを、片っ端から開きつくす。
「成程、でもただの一撃で僕を仕留めきれるかな?」
シアナの攻撃能力がさほど高くない関係で、最も攻撃能力が高いとすれば完全に浸食されたマスティの全力の一撃。
余裕を装うセインだったが、喰らえば危険な範囲攻撃に備えるのは彼でも緊張感があって…
マスティが魔法を放つと、謁見の間が輝いた。
淡い光。
命全ての為の、慈悲の光。
無傷のセインの視界で、セリアスが、エリナが、フォルトが立ち上がる。
「躊躇うな…アンタなら…出来…」
魔法を終え、光が収まると、微笑んでマスティが壁を背に座り込んだ。
魔の浸食で死ななくなるとはいえ元が重体。
加えて身体ではない部分で消耗しきったマスティは、死んだように目を閉じると動かなくなった。
「…シスタープレフィアか。アーセルの継承者の置き土産はつくづく強くて予想外だね、全く。」
治癒術書をプレフィアから託された事を知るセインが、巡り廻っての意外な結果に呆れて溜息を吐く。
「ねぇ天使様、折角皆治ったことだし手打ちにしない?どうせもう手遅れなんだから。」
「え?」
「いくらヴァルナートがいるからって暇な兵士を城から出して皇帝一人になる訳ないでしょ?彼等は君たちの侵略に合わせて全軍で国境の橋を越えて進軍するように指示を出してある。ルシアに下手に戻られると面倒になるからこのタイミングを狙ったのさ。」
セインの言葉に、全員が硬直した。
「何なら僕に協力してくれると約束するなら一緒に出るための馬も貸すよ?グランナイツにヴェノムブレイカーまで敵に回す事を躊躇って兵士が逃げてくれればエルティアの有力者だけを片付ける程度で済む、多くの死者を止めたいならそのほうがよくない?」
「っ…」
エルティアと共闘することはない、ならば防衛でなく単独でグラムバルドを止めに来るはず。完全にシアナたちの行動を読まれた上での采配だった。
本人の人間離れした戦闘能力、その前にエルティアの調査まで行っていた事、そして人の配置に、のちの堕天使への対応まで視野に入れた交渉。
研鑽と才覚の塊である彼を前に、シアナは先に殺されかけた皆の姿を思い出し表情を歪める。
「ちなみに、ルシアならここには来ないよ。」
「え?」
唯一、単騎でセインを上回れそうな…波状攻撃をかけれれば確実に勝てそうなルシアの到着を否定されて一瞬戸惑うシアナ。
ただヴァルナートの事を信じているだけならともかく、セインに限ってそんなことはないとシアナは感じている。
「カークいたでしょ?彼に取り込んだ者を戦闘狂と化す魔剣を贈答してある。ルシアに勝つために。殺すまで止まらないけど、彼を殺せば君の元に来づらいだろうし、ましてヴァルナートに万一勝った場合の話。まぁどうしようもないよね。」
「貴方は…っ!!」
誰も死なせないと約束をしている事すら利用して、旧友を必死確定の状態に陥らせるセインの手口に頭脳と冷血を感じつつ、今その場にいないシアナにはどうにもできず、ただセインを睨む事しか出来なかった。
傷の痛み、出血の消耗程度は疲れがあったが、黒の力さえ使わなければ体力に関してはそう消耗の無かったルシアは、二階への階段に向かって駆け…
人影に、足を止めた。
「カーク…お前…」
驚くルシアだが、カークは答えない。
血走った目で、『腕に触手が食らいつくように絡んだ黒い剣』を構えるカーク。
ルシアは、一瞬目を閉じる。
人の身の癖に馬鹿みたいに真っ直ぐに真正面から挑んでくるカークの姿。
それは、ルシアの日常にとって付き纏う苛立ちで…
「憧れ…だったんだな。」
ルシアには無責任に約束することは出来なかった。
素直に先生の力になりたいと、もっといろいろ助けないのかと、その為なら何でもすると言えなかった情けない自分にとっての、馬鹿正直な光の塊。
だが、それが魔剣を手にしている。
魔の浸食によって力を得る禁忌の剣を。
「…馬鹿野郎。」
今まではその姿にこそ馬鹿と言ってきたはずなのに、全く逆に確かな力を手にするために魔剣を持った事こそ胸を痛め、それを振り払うようにルシアは構えた。
「がああぁぁぁぁっ!!!」
獣のように叫びながら、カークは振りかぶった剣を力任せに袈裟斬りに振るってきた。
力は圧倒的に感じる一撃。
だが、振りかぶりから肩にまでこもった力のせいで斬撃の鋭さがまるで感じられない。
直撃すれば黒の力があっても傷つくだろうが…
ルシアは少し屈んだ上で迫る剣の側面を撫でるように払った。
屈む勢いをそのままに回転しながら足払いを放つルシア。
あっけなく床を転がったカークは、今度は思い切り腕を引く。
突き。隠す気もなく丸見えだった。
左手の甲で軽くはらいながら踏み込んだルシアは鳩尾目掛けて右拳を叩き込む。
まともに腹部に打撃を受けて下がった顎をサマーソルトで打ち上げる。
たたらを踏んで下がったカーク。
ルシアは静かに、足を大きく開き構えた。
それは、先にヴァルナートを沈めた黒の力なきただの渾身の一撃。
「眠れ。」
それは、カークの顔面目掛けて吸い込まれるように振るわれ…
ルシアは、気が付くと石壁にめり込んでいた。
(な…んだ…何をされた…か…わから…な…)
チカチカと明滅する意識で壁を押し、立つ事を確認するルシア。
壁を背に、前を見る。
歪んだ視界の中には、剣を振りぬいた姿勢で立つカークの姿。
峰打ちで。
カークは、腕で顔を覆うように剣を振り上げ、ルシアに向き直る。
「何度も言わせるな。」
揺れていた視界が戻ってくる。
剣の柄で瞳のように怪しく輝いていた何かの光が収まっていた。
「貴様に出来る事が…俺に出来ない筈がない!!」
カークが剣を一閃すると、腕に突き刺さり飲み込むように伸びていた触手が引き抜け砕けて塵と化し、まるで元からそうだったように静かな黒塗りの剣になった。
「マスティが書の浸食に耐える方法は?」
「不可能だね。いや、ほぼだけど。」
ルシアの問いに、自分でグリムネクロスを渡しておきながら楽し気に応えるフェイン。
出来たとして実験がしたい彼がその方法まで教えるかは分からないが、彼はあっさりとそう答えた。
「魔剣だの魔書だのを欲しがるって事は、力を求めている上に、自分の力が魔性の類より低いと認める行為だ。そんな有様で、しかも浸食途中で拒めば死ぬ可能性すらあるのに全力で拒むなんて、出来たらもはや生命として壊れてるよそんな奴。」
ほぼ、不可能と言った理由が本人依存である事に歯噛みするルシア。
間違いなく、『ルシアの力になるには』と考えた結果だとわかる為、マスティへの侮辱になりそうだと思いつつも、自分のせいという思いが湧いてくるのをルシアは止められなかった。
「だから耐えられるとしたら、罠にはめられて望んでもないのに魔剣を持たされた物語の勇者みたいな奴とかならあるいは。後はそうだね…」
魔の浸食を撥ね退け耐えうるものがそれらを手にする可能性を語るフェイン。
それは識る者としての興味からなのか、例外を考えられるだけ考えようとしているらしく…
「『単に魔性の力に飲まれずに勝ったよ』って結果が欲しいためだけに浸食に挑む奴とか?そんなバカいる訳ないけどね。あはは!!」
あっけらかんと、頭のおかしい例を挙げて笑った。
今、ルシアの目の前に、いつかフェインが語った馬鹿がいた。
『悪魔の力の衝動に、俺の意思、願いが勝った結果だ。』
黒の力の完全制御、それに至った訳を、ルシアはこう話した。
きっと、だから魔剣を取りに帰った。
恐らくはグラムバルドがルシアへの対抗意識を溜めさせて持たせようと準備していた魔剣を、カークは確かにルシアに勝つために手に取った。
ただし、魔剣の力を求めてではなく、魔の力をねじ伏せたルシアと同じことをする為だけに。
そして勝った。
ヴァルナートどころかグランナイツ程度にすら特別でなかったはずの本当に普通の人間だったくせに、魔に身体を書き換えられ、下準備も終わった苗床から魂を喰らって乗っ取ろうと暴れていた魔の浸食を、限度を超えた苦痛にも死や力を失う事への恐怖にも打ち勝って、その馬鹿は馬鹿のまま立っていた。
「温存のつもりか知らないが、お前はここで打ち止めだルシア。遊んでないで全力で来い!!!」
今まで一度たりとて勝利したこともないのに、浸食を拒んだ結果魔に落ちてない為、触手が食い込んでいた腕の穴からはだらだらと血が流れ出ているのに、微塵も揺らぎも怯えもない…
ルシアが苛立ち憧れた…馬鹿正直な光の塊。
「俺はここで止まる訳にはいかない!!!」
ルシアは叫び、黒の力を全力で解き放った。
ルシアのものでない得体のしれない力は、少し前から感じていたシアナ。
だが、唐突にその力が消えたのを感じて驚きのあまり入り口を振りかえる。
少し先にある階段、その下で戦っているらしく力と衝撃音が城を揺らす。
その一つはルシアの力で、もう一つは謎の強大な…人間のものだった。
「馬鹿な…あの魔剣の浸食を拒んだのか?一体何がどうなってる?」
魔剣を与えたはずのセインが理解できずに座り込んでいるマスティを見る。
彼女は間違いなく人間有数の強い意志と力を持つ人間だったとセインも認めている。故に、ただ強い意志程度の理由で耐えられる訳がないと疑念しか湧かなかった。
「くっ…くくくくくっ…」
唐突に、場違いな笑い声がした。
何かを堪えるような笑い声。それはセリアスのものだった。
「敵を倒す戦闘能力に敵の把握に戦力の配置に流れに交渉…武力国家の皇帝だけの事はありますね、全く。」
「お褒め預かり光栄だけど、どうしてそれで笑う?」
全く喜んでいない淡泊な返事を返すセインを、笑い声をあげたままの顔で見返すセリアス。
「貴方、肝心の誰の為に戦ってるのか忘れてません?」
「は?」
セインが疑念の表情を浮かべた所に、兵士の一人が一同の背後、入り口から息を切らせて入ってきた。
「で、伝令っ!エルティア国境大橋に1000近い市民が武器を持たず集結!先頭はグラムバルドの子供で、殺して進もうとしたガント殿とハルカ殿が交戦中です!!!」
ただ一人、笑うセリアス以外がその言葉の意味する所の理解が及ばず固まっていた。
「『人』は国名や所属の道具じゃありません、動く心の先に進むんです。つまり、天使シアナと悪魔ルシアの物語に心動かされた人がそれだけ居たって事ですね。」
「物が…貴様まさか…」
一人気づいたセインがセリアスを睨むが、当のセリアスは涼しい顔で微笑むと…
「私は吟遊詩人。ソルクレイヴにも依頼してかの活躍を歌に語りに伝令…いいえ、願いを飛ばしたのです。『誰も死なせず戦争を止めるために皆の心を貸してくれ』…とね。」
何でもない事のように、セリアスは誰にも伏せていた切り札を明かして見せた。
橋を塞ぐ、武器すら持たない群衆。
その先頭に立つ子供の姿に、ハルカは足を止めた。
セリアスに頼まれ早馬で移動したロウだった。
その背後にいる群衆は、セリアスが広めた『物語』に心動かされた者や、かつてシアナが殺さず止めた賊の一部、ランヴァールの人ならぬ山脈入り口にある滅ぼされた村にゆかりのあるもの等の姿があった。
加えて、流れに乗る為に手回しで寄っている者等もその背後の安全圏に。
策略交じりだが、確かにそこには戦いを望まぬ側に加担する事を決めた者達が集まっていた。
「俺たちはグラムバルドの兵士に殺されかけたのにその兵士すら助けたんだぞ!!お前ら一体何やってんだ馬鹿野郎っっ!!!」
武器はなく、両手を目いっぱいに広げ、泣きながら叫ぶロウ。
そんな彼を前に、斧を手にしたガントが一歩踏み出して…
その前を、横に槍が突き出して遮った。
「…何のつもりだ。」
「自国の子供を殺してやる事が天使の言葉を踏みにじる…この有様でまだ騎士を名乗る気か、貴方は。」
「こんなもの奴らの策略にすぎん、皇帝の命に…」
ガントが話す中、二人が率いてきたはずの兵士達の中からばらばらと、橋に向かって歩き出し、橋を背に立つ兵士が出始めた。
それは、ハルカが従えランヴァールの攻撃から彼等を守ろうとすらした事を知る兵士達や、湿地帯での戦闘から誰も殺さず、状況によっては治療すらして逃がしてくれたマスティたちを知る兵士達。
「…あくまで背くと言うか。」
「この国の為、敵を討つ。それならばまだ私も裏切るつもりなどない。だが、民を裏切って敵でないものの願いを砕いてやる事が武器も持たぬ者の皆殺しなど…それで騎士など名乗れるものか!!」
緊張感が走る中、ガントが斧を振り上げ…
ハルカの槍の一閃と交錯した。
グランナイツ同士の交戦。それはただの人間に割って入れるものではなく、また、二人のどちらとも戦う気になれない兵士が多く、周囲の人間は二人の一騎打ちの観客となった。
伝令の報告からあらましだけを聞いた城の一同は、誰も言葉を発せなかった。
青天の霹靂には違いない。
だが、そんな事よりも、そんな理由でなく驚いている者がいた。
シアナは、静かに泣いていた。
嗤い、馬鹿にし、ついていくことがおかしいのだと、傍にいるものすら言われ続けてきたシアナの願いに、動いた人々がいる。
戦ってほしいとか、命がけで味方をしてほしいという訳じゃない。
ただ、武器を持たずに集結した市民が道を塞いだという事は、敵だの死だのを願わなかった人々が動いてくれた証明で…
ハルカがソレを前に敵対したという事は、シアナすら捕らえようとした彼ですら、皇帝の命を為すと言うだけでの虐殺は選ばなかったのだと言う証明で…
シアナはただただ、ソレが嬉しかった。
『躊躇うな…アンタなら…出来…』
マスティが最後言いかけた言葉。
今更、彼女が足を止めるさせる訳がない。
皆が傷ついて倒れても、下る方を選ぶなという意味に決まっていた。
「皆さん、力を貸してください!!!」
宣言するや否や、シアナは空色の四翼を広げる。
直後、光が広がった。
「コレ…は…」
「…へぇ。」
フォルトとエリナが自信を包む淡い光を見て、それと同時に全身に湧き上がる力を感じる。
それは、聖剣等を授ける際に天使が授ける加護と同様の、その場で強化する力。
ルシアと同等以上の力の翼をもっていても近接戦闘が出来ないシアナ。
その力を、戦闘の心得がある二人に使わせる。
最適解とは思いつつ、自身の願いに人を矢面に立たせることへの抵抗があったシアナだが、それ以上に託されたもの負ったもの目指すものの方が大きかった。
「伝令さんは見学か退場でお願いしますね。ま、殺しはしないお約束なんですが。」
翼を展開して二人を強化しているシアナに護衛のように寄り添うセリアス。
弓を引かれ、飛び込んできた伝令は剣を置いてマスティと反対の壁を背に正座で座り込んだ。
自身の力で手向かっても無意味と知りつつ皇帝を放って逃げる事も選ばない結果の選択。
「やれやれ…人の所の一般兵を、選りすぐりの癖に脅さないでよね。心配しなくても僕が相手をしてあげるよ。」
淡い光を纏ったフォルトとエリナを前に、セインは特に動揺することなく両剣を構えた。




