白と黒の邂逅
清浄な…そんな言葉では済まされない澄んだ空気。
否、空気ですらない。
物質と言う状態のモノが存在しないその場所に、彼女はいた。
白い四枚の翼を背に、羽と同じような純白の衣を身に纏った少女のような姿。
天使。
人が見れば、そう呼ぶ他無いだろう存在。
彼女は周囲を見渡し、拳を硬く握る。
「人の救いって…これで良い筈が無いじゃないですか!!」
叫んだ彼女が示した場所では、ふわふわと白い炎のようなものが列を成して漂っていた。
死者の魂。
それが、ぞろぞろと列を成していた。
近年地上の戦火によりその数を急増させたその群れを悲痛な表情で眺める彼女。
その背後から、ゆっくりと別の天使が近づいてきた。
六翼をその背に持つ天使が。
「シアナ…貴女は優しすぎます。」
シアナと呼ばれた四翼の天使は、六翼の天使を振り返ると周囲の魂の列を示すように腕を開く。
「優しすぎるって…リエル様は何故この状況でそのような事を!」
「貴女がどれほど苦心しても、貴女の言う状況は変わる事が無いからです。」
六翼を開いて閉じたリエルは、シアナを前に静かに首を横に振った。
「人の世の戦乱がこの原因…死後の魂を清め、返すことが任の私達に、それを止める手立てなどありません。」
「でしたら、私がその戦乱を止めてきます!」
隠す事もなく叫ぶシアナを見て、リエルは額を押さえた。
「貴女は…隠れて飛び出すのではないかと思えば、まさか堂々とそれを言ってしまうなんて…そんな貴女だから放っておくわけにはいかないのです。」
「戦乱と言われましたが、ここにいるのがその戦乱に喜び勇んで参加していた方だけなら私だってここまで言いません!私一人は放って置けなくて、これはこれで良いとおっしゃるのですか!?」
魂になってしまえばもう区別も何もあったものではなかったが、天使は清める過程でその辿った道筋を知ることが出来る。
道にされた村、町に住む人々、職にあぶれた賊に殺された者、巻き込まれたものの苦悩を目の当たりにして、シアナは耐えかねていたのだ。
「貴女一人が降りた所でどうにかなる問題ですか、落ち着いてくださいシアナ。私は貴女を失いたくは」
リエルの声を最後まで聞かず、シアナは飛び立った。
六翼を持つリエルには、力任せにシアナをとめる術が無いではなかったが、同属相手に…まして近しい相手にそんな力を扱う事が出来ず、リエルは目を伏せた。
地上に降りて早々、シアナは戦乱を招いた元凶である、グラムバルドの軍に向かい合っていた。
「な…天使!?」
「止まりなさい!人同士で殺しあって一体何をどうしようと言うのですか!!」
真正面から堂々と先導する騎士に啖呵を切るシアナ。
そのあまりの堂々とした姿に追従する兵達は戸惑う。
そんな中、先陣に立つ騎士が、短く息を吐いた。
「我らが主はグラムバルド皇帝を除いて他にない。たとえ神の使いとて、主命に背くに値はしない!引かぬのであれば力づくでも進ませてもらいます!!」
「っ…」
人同士で殺し合いをする中、全てが話で止まるとはさすがのシアナも思っていなかった。
それでも神にも抗うと明言され、少なからず衝撃を受けた。
だが、だからと言ってそれですぐに立ち止まるつもりもないシアナは、手を翳し…
次の瞬間、眼前に踏み込んできていた騎士の姿に驚いている内に受けた衝撃によって地面に転がった。
一瞬で打ち倒したシアナには目もくれず、騎士は槍を納める。
「ハルカ様、この天使は連れ帰らなくても?」
「天使として彼女の言葉は正しい。堕天使でもない彼女を戦利品のように扱えるものか、放っておけばいい。」
「はっ!」
倒れたシアナを無視するように馬にまたがったグラムバルドの騎士達は、彼女を置き去りにいなくなった。
「っ…くっ…」
槍の柄で殴られたシアナだが、身体の作りそのものが人のそれと異なる彼女は気絶せずに起き上がる事が出来た。
身体がダメージを負っていたものの、人同士の殺し合いを止めにきた彼女がこの状況下で彼等を放って置けるはずも無く、後を追う。
力を使い、飛行する事で急ぐシアナ。
だが、その眼前に見えたのは、兵士の遺体と血に塗れた城だった。
城のあちこちで、グラムバルドの兵士が慌しく動く。
遺体はまるで邪魔だとばかりに追いやられ踏み敷かれ、手遅れだったと悟るシアナ。
今直接彼等の説得は出来ない。いかなシアナでも悟らざるを得なかった。
と、空から様子を見ていた彼女は、城から離れる二人の人影を見つける。
制圧とその事後処理を急いでいるのか、グラムバルドの追撃は見当たらない。
生き残りなら、話さなければならない。
戦争を止める為にきた以上、憎しみをばら撒くような真似は出来ない。
侵略を受けた側を守ることは、反撃をしないように頼むのに重要だと思い、シアナは彼等の後を追うことにした。
空から追ってグラムバルドの兵士に自分が誰かを追っている事に気づかれたら、彼等を余計に危険に晒しかねない。
シアナは地上に降りた上で林から山へ隠れて進んでいると思われる彼等の後を追った。
シアナが追いつくと、丁度老人が山賊に殺されるところだった。
「このガキ、あこの領主の息子じゃねぇか。グラムバルドに引き渡せば高く売れるんじゃねぇか?」
「へへっ、そりゃいいや。」
血を滴らせた斧を持った男が少年の襟首を掴んで持ち上げている。
少年のほうは、恐怖か絶望か、震えて動けないようだった。
賊は既に人を殺している。シアナは殆ど衝動的に動いた。
先程の騎士、ハルカ相手にはまるで展開すら間に合わなかった力。それを今度は編み上げる。
淡く光る…否、光で構成された弓矢。
シアナは静かに、連続でそれを放った。
「ぐぁっ!!」
「ぎゃっ!!」
連続で肩と足を捕らえたその矢が突き刺さった二人はそのまま倒れる。
光る矢が消えると、彼等の身体には傷も無かった。
神術による無傷の弓矢。
邪気や意識に直接攻撃する事が出来、殺すことなく対象を止められる術として最悪使用を予定していた武器だった。
シアナはそれでも人に武器を振るいたくは無かったが、少年の命には代えられなかった。
「大丈夫ですか?」
「え…天使…様?」
「はい。」
呆然としている少年に駆け寄るシアナ。
と、矢を射られた賊二人がゆっくりと立ち上がった。
傷はつかないので、『意思』に関係する心臓や頭を狙うのが一番効果があるのだが、そこまで出来なかった結果であった。
だが、それでも特に動じることなく起き上がった二人を見据えたシアナは弓を手に二人を警戒する。
「引いてください、これ以上痛い目にあいたくも無いでしょう?」
「へっへっへ…冗談じゃねぇ…堕天使ですらねぇ天使の女だぞ?見逃せる訳ねぇだろうが!!」
立ち上がった男は興奮した様子で指笛を鳴らす。
と、それと同時にわらわらと多数の男達が姿を見せる。
弓やナイフを持った男達に囲まれ、シアナは少年を庇いながら弓に力を込める。
(くっ…他者を襲う暴漢の類も知ってはいましたが…今ここで捕まってあげる訳には…)
動揺してくれた騎士達はまだ話が通じたと言わざるを得ないほど、シアナから見てすら説得しようの無い集団。
シアナが全力を振るう覚悟をしかけたところで、一つの人影が降り立った。
黒い…何かが噴出しているように広がる翼のようなものを背にした青年だった。
シアナと少年を庇うようにその前に降り立った男の表情は、シアナの目には見えないが、賊徒は彼を見ると震えて後ずさる。
「げえっ!?て、てめぇはまさか…ヴェノムブレイカー!?」
「別に名乗ってないが、そう呼ばれてるな。」
指笛を鳴らした賊が大声でうろたえる中、静かに同意する黒い翼の青年。
怯える代物に会った事に後ずさりする賊。だが、シアナを見て、踏みとどまった。
「…け、けっ!こんな場で囲んでんだ!うろたえんな!遠距離から一斉にかましてやれ!!」
ヴェノムブレイカーを倒して天使を手に入れる。
賊としても箔が付きおいしい話に引く事を選べなかった首領の叫びに反応するように、衝撃音が響いた。
何かがぶつかるような音。明らかに弓のそれではなかった。
「ルシア様ったら崖なんて飛び降りたら追いつけないじゃないですか。」
上からした声に見上げるシアナ。
見上げた先、崖の中間あたりで、ゆっくりと降りれる場所を探して降りてきたのか、身体を崖に預けるようにしている少女の姿があった。
先の音は、彼女が放った魔法による氷塊が、弓を構えていた賊に直撃した音だった。
「別に追ってこなくていい。」
「そうでしたね。あ、弓は私が片付けますから。」
「て、てめぇら舐めやがって!!」
呑気とも言える様子で会話する少年少女に怒りを顕わにした賊は斧を振りかぶる。
それを前に、ルシアと呼ばれた青年は拳を構え、振り下ろされた斧の刃を真っ向から殴りつけた。
黒い何かがまとわりついた拳は、打ち合った斧の刃を砕いた。
砕けた斧を見つめて呆然と立ち尽くす賊。
だが、少年が一歩踏み出す音を聞いて我にかえる。
「く、くそっ!退却だ!」
素手で斧を破壊するような真似を見せられてまで強がれなかったのか、瞬時に逃げると決めて駆け出す首領。
青年はそれを見送って振り返り…
自身の額に狙いを定めて光り輝く弓を引き絞る天使と向かい合った。
空を染める白と黒の翼の出会い。
これがこの世界に小さく大きな変化をもたらす事を、このときはまだ、誰一人として知るよしもなかった。
ぐだっていたら5月になってしまったという体たらく(苦笑)。
す、進めるったら進めるんだいっ!