第14話・誰かはここにいる
第14話・誰かはここにいる
涙一つ流さなかった、怒りならいざ知らず、悪意など一つも見せなかった、人を救うと言う行動理念以外で駄々も愚痴も一瞬だってこねた事もなかった。
そのシアナの、初めての助けを乞う叫びに、彼女もただ傷を堪えてここまで来たのだと閉口して…
『皆を』と聞こえた瞬間に、静まり返った三人の、その意味が激変した。
パタン。
フェインが持っていた本を閉じる音が大げさに響く。
「人間なんて勝手に死んでいればいい、天使シアナはただ一人間違っている。…彼女の願いなんて殆ど言ったようなものなのに、君たち馬鹿はまだ彼女の叫びが『私を助けて』だと、一瞬でも思ったの?」
人の死が正解でシアナが間違いなら、その願いなど明かしたも同然だった。揺るぐ筈もない。
「あぁそうさ、善だの仕事だの使命だのなら、天界で仕事してるでしょ普通。染まらない為食事もせず、堕天使になったらロクな目に合わないのも想像できて、それでも地上に降りる程…」
嫌だ嫌だと連呼する声。
駄々をこねるようなそれは、そんな清浄なものとは程遠く、ただ素直で…
「誰一人に死んでほしくなかったって、ただそれだけさ。全く馬鹿な話だよね。」
今までのそれと違い、馬鹿と言いながら優しさすら感じさせるような柔らかさで微笑みシアナの眠る部屋の扉を見つめるフェイン。
我欲で動く悪魔、と言っても、戦って勝つのが喜びでも自分より強いの相手に目立てないから大人しくしているような、フェインから見て情けないのも当然いる。
人を救おうとしているからではなく、ここまでズタボロの中でまだその願いに涙出来る事こそを、フェインは面白がっていた。
やがて、扉の先から声が届かなくなると、エリナは席を立ち、外の梯子へ向かう。
「…エリナさん?」
派手な反応が出来る気力がわかないまま、それでも一人で外をうろつくのを危ないと感じたセリアスがその後を追う。
エリナは、赤銅色の岩を見つめ…固く握った拳を叩きつけた。
岩は無傷のままで鈍い音が響く。
「止めておいた方がいいよ、鉄よりは頑丈なんだから。」
フェインが、さして緊張感もないまま忠告すると、エリナは岩に叩きつけた拳をより強く握る。
手からなのか骨からなのか、きしむ音が鳴り…
左右の拳を連続で叩きつけ始める。
「ちょ、エ、エリナさん無茶ですって!本当に冗談じゃ済まなく」
「っ…るあぁっ!!!」
止めようとしたセリアスの声が消える程の一声と共に右拳が叩きつけられ、砕けた。
赤い岩が。
「…うわぁお。」
軽口を叩こうとして、フェインですらそれが出来ずに割れた岩を眺めて呆けていた。
血に濡れた拳を握り締めたエリナは、うろたえているセリアスを見る。
「…まさかまだ、無理だの不可能だの口にする気じゃねえよな?」
「え…」
「生きてりゃなんでもいいなら、木でも人でも食ってりゃいいんだ。これだけ聞いてまだアイツらより先に匙投げようってんなら、もう人間名乗るんじゃねぇ。」
法を破って、人の輪を外れても通さなければならない芯。
一般人からあぶれたくらいでは死なせまいとエセリアナを指揮して人を拾って束ねていたエリナにとって、その芯こそがシアナやルシアを放りだすことを拒否していた。
「…漢ですねぇ。」
「悪かったな!どーせマスティみてぇに胸オバケじゃねーよ!くそっ…アイツガキの癖に何喰ったらあんな…」
「そう言う意味じゃないんですけどね。」
自身の周囲で感じた事のなかった熱さ、野性味、汗臭さのようなものに対してのコメントだったセリアスは、予想外の拗ね方をしだしたエリナに苦笑を漏らす。
「ま、やってみるまではただですし、故郷も敵地も指導者があてにできない以上、一枚噛ませて貰いますよ。」
「しまらねぇ奴。ま、お前らしいっちゃお前らしいのかもしれねぇけど。」
あくまで緩い返事をするセリアスに、エリナも笑みを返す。
が、しばらくしてその頬が引きつってくる。
「…やれやれ、その手の治療もサービスにしてあげるよ。生身の人間が素手で魔界の岩を砕くなんて珍事件を見せてくれたお礼にね。」
「わ、わりぃ…」
フェインに呆れられ、拳の痛みに顔を引きつらせるエリナ。
セリアスはしまらないその有様に肩を竦めた。
落ち着いたシアナが再び寝付いたのを見届けて、ルシアはフェインの家から出ていた。
少しだけ離れた場にある、岩山の中に築かれた居城。
ゆらゆらとたいまつの火が照らす暗い洞窟のような広間を進み、その奥で玉座に座る男と相対する。
階段上の玉座から立ち上がった男は、満面の笑みを浮かべてゆっくりと数段の階段を下り、ルシアの前まで来た。
「ふむ、見たのは久々だな、半魔の少年。」
「会った覚えはない筈だが、昔修行していた時から見ていたのか。」
半魔。
そう呼ばれた事に特に動じずに立つルシア。
それを見て、男は顔を顰めた。
「お前悪魔である事にこだわりがあるならもっと楽しそうにしたらどうだ?そんな山奥の修行僧みたいな辛気臭い面して来るんじゃない。」
「…すまない。修行を頼む身で悪いが要望に沿えそうもない。」
「余計辛気臭くなるんじゃない!ああもう面倒臭い!!」
どうしてもルシアの空気が変わらないと察してか、振り切るように背中のマントを大げさに振るう。
「よかろう!力で楽しませて貰う事にする!この魔界の王にして随一のイケメンたるサタナス様の顔にかすり傷の一つもつけてみるがいい!!」
「…知るか。」
両の手に炎と氷を作り出して笑う男…サタナスを前に、ルシアは疲れたように呟き、黒い力を両手に纏う。
それ一つだけで既に細工込みのマスティの魔法を上回る炎と氷。サタナスは何のためらいもなくそれを放った。
マスティは一人、岩山を眺めていた。
ルシアが修行に行った先。少なくとも、隣近所と言う訳ではない岩山。
少なくとも、人ならこの距離で力を感じる事はマスティの経験にはなかった。
それとルシアは相対している、つまりはそういう事。
「やぁお嬢さん、一人で黄昏れてるのかな?」
背後からフェインに話しかけられ、マスティは振り返る。
「単刀直入に言うわ、魔力増幅可能な道具を頂戴。」
「本当に単刀直入だね、またどうして僕がそんなものをあげないと」
「とぼけないで。」
おどけるフェインを睨むマスティ。
一瞬驚いたフェインは、涼しげな笑みを浮かべる。
「どこまで正解か分からないから、一応全部聞かせて貰えるかな?」
「…あんたがやたら人間をコケにする形でシアナとルシアの話を展開したのは、私達を煽る為なんでしょう。エリナは割と単純なのか、もう斧持って悪魔相手に修行に飛び出してるけど、そういうのが狙いなんでしょ。」
外の事は『どうでもいい』と思われる知識欲深き悪魔フェイン。
それが行った大げさな語り。そこに意味があるとするなら、エリナの今の動きのような人間の変化が目的だと言うマスティの予想。
「魔剣とかあるって話は聞いた事ある。人を侵食する代わりに強大な力を与える類の武器。アンタが知識の塊なら、そしてわざわざ修行煽りをするなら、人間を侵食する代わりに強大な力を与える道具の類を持ってて、そのデータを取りたい。ルシア様からは傷つけないように言われてるだろうけど、私達から頼んだら話は別…違う?」
全てを聞き終えて、フェインは小さく拍手を鳴らす。
「その煽り、君が一番揺らいでいただろうにそこまでよく考えたね。おめでとう。」
笑みのまま変わらないフェインを前に、俯いたマスティは拳を固く握る。
「アンタが煽るように言おうが言うまいが…あの叫びだけで十分よ…」
「天使シアナの?君にとっては邪魔者じゃないのかい?」
マスティがルシアの傍にいるにあたって煙たがり続けていた天使シアナ。
「帰れば…安全平和だと、無関係の癖に安全圏から出しゃばって何様だと思ってた。天使の…善行趣味の奴の無責任な甘言だと思ってた。」
「無責任は正解だろうね。」
「そう…何しろ本当に責任なんて無いんだから。故郷も安全も日常も何もかも放り捨てて、泣くほど願っていたことがソレだったってだけなんだから。」
堕天使に落ち、力と正しさの証を失って処罰の対象に明確になった結果の絶望が、『もう皆を救えない』だと言う叫び。
それはマスティにとって、両親の死を前に何もできずにルシアを見た自分のようで、憎悪や敵意はなく、覚悟や意思はあった分自分のそれよりも綺麗に映り…
「…魔剣などの侵食系アイテムが使用者に力を与えるのは、身体や魂に魔力を喰い込ませて作り変えるから。君、自分を喰われる覚悟がある?」
「覚悟か知らないけど…あの二人の力になれない自分は必要ない。」
揺らぎのないマスティの目に、フェインは彼女が見ていた山…ルシアと魔王サタナスが戦っている場に目をやる。
「アレの力に…ね。それは確かに。いいよ、そこまで言うなら見せてあげよう。僕の試作禁書、…グリムネクロスをね。」
「だからその予定だった癖に調子に乗るな。ったく…」
大仰に語るフェインに肩を竦めて付き従うマスティ。
地下に戻り、魔法陣の描かれた扉にフェインが手をかざすと、扉から魔法陣が消える。
小さな部屋。
その台の上に、杭に引っかかった鎖で止められた書物が置かれていた。
「この魔書に喰われて魔性の者に堕ちたら、僕の使い魔になる。魂が喰われるまでは君自身の意思で力を使える。…開かずに持ってる間は身体だけで済むから、とりあえずは持っておくだけにするといいよ。」
「私が負けて喰われてもあんたは得するって訳ね。なら遠慮なく使わせてもらうわ。」
杭を抜いて鎖を解いて、本を手に取るマスティ。
「っ…」
直後、マスティは何か、炙られているような感覚に襲われた。
「喰われる…ね、上等…」
いつも油をしみこませた本を忍ばせている懐に、その魔書を収めるマスティ。
身体に密着しているだけで走る感覚に顔を顰めながら、それを堪えて笑みを浮かべる。
「片手間でルシア様の力になんて思ってない…使ってやるわよこれくらい…」
「…ま、持ってるだけでもマシにはなると思うし、頑張って耐えるといいよ。」
懐に入れた本からの力に耐えながら、マスティはフェインを無視して小部屋を出た。
シアナが堕天使として安定するまでの間、フェインの家を拠点に修行する日々。
マスティは本の浸食の苦痛に耐えながら魔法を行使し、エリナは戦闘や暴力が趣味の悪魔相手に喧嘩を繰り返し、セリアスはそれに手を貸しながらペンを握り…
ルシアは、魔王サタナスを前に何もできずにいた。
「っ…ぐっ…」
「…あのな、面倒になってきたから言わせて貰うが、お前本気でやれよ。」
顔を顰めて冷たい目で立ち上がろうとしているルシアを見下ろすサタナス。
「いやその力を使いながら完全に悪魔に堕ちないままでいたいってんだろ?あのフェインが興味を持つ位異常で稀少なのも分かってるんだが、少しも変わらないってのもなあ…フツーこういう時って新たな力に目覚めたり新技使えるようになったりするんじゃないのか?」
無言で立つルシア。
馬鹿馬鹿しいと言う本音、しかしその本音を返すのが修行に付き合わせている相手に失礼と言う二律背反に何も言えなかったのだが…
サタナスは頬を引きつらせ、眉を吊り上げた。
「よし、なら割と真面目に命の危機にさらされてみれば何か変わるかもしれんな。」
開いた両手の指先に炎を灯すサタナス。
計十の火炎弾が、一斉にルシアめがけて放たれた。
ルシアの黒弾単発で相殺できるかすら怪しい、圧倒的な力の差。
それがルシアに殺到し…
ルシアは、その全てを黒い掌で逸らした。
「…何?」
今まで一度たりともなかった結果に眉をひそめるサタナス。
ルシアは何でもない風に自身の掌を見つめる。
「…お前にできる事が俺にできない筈がない…か。」
それは、絶対的に力の足りない身でルシアに挑み続けているとある人間の言葉。
否定する側でしかなかった言葉。
だが、悪魔の王の強大な力を前に、噛み締めるように拳を握ったルシアは…
「一撃凌いだくらいで随分と調子に乗ってやがるようだなぁ?えぇ?地獄耳って言葉しらんのか?」
「あ…」
ビキビキと頬を引きつらせて力んだ顔を震わせているサタナスの声に我に返るルシア。
自身の思い出を懐かしんでいただけで決して侮辱していたわけではないのだが、言葉しか聞いていないサタナスは怒りをそのままに片手を翳した。
地面に働きかけたのか、盛り上がった岩が槍の如くルシアに迫る。
ルシアはその槍の先端をくるむように両手でつかみ、そのまま押されて転がる。
後転の勢いをそのままに、何事もなかったかのように立ち上がったルシアに、サタナスは目に見えてわかる程はっきりと口を動かして舌打ちをする。
「ちっ!ならば吹き飛べ!!!」
両の手から禍々しい闇を湛えた力の波を放出するサタナス。
放射状に迫って広域を塗りつぶすように放たれた力は避けようなく…
地を蹴って迷いなく闇の波に突っ込んだルシア。
両の手を手刀にして縦に回転しながらサタナスが放った闇を切り裂き、着地と同時に残滓をかき分けるようにサタナスの眼前に踏み込んだ。
「ええい!!」
ルシアの顔面目掛けて右拳を振るうサタナス。
轟音が空気を切り裂きながら迫るが、ルシアは屈んでそれを潜り、左拳をサタナスの右脇腹に叩き込んだ。
そのまま、右拳で下からサタナスの顎を打ち上げる。
淡くとはいえ黒の力を纏ったままの拳を叩き込まれたサタナスは、地面から離されてゆっくりと倒れ…
「ぬぐぅっ!!」
倒れかけた身体を、無理矢理に立たせた。
今までの訓練の傷を引きずりながら、一つの焦りもなく表情も変えないルシアに唐突に攻撃を捌かれ、あまつさえ拳を叩き込まれたサタナス。
手加減。
王手ずから訓練『してやろう』という気分でいた所に浮かんだ言葉が、サタナスの怒りに火をつけた。
「半魔風情にこんなものを使う羽目になろうとはなぁ…っ!!」
「っ…」
先程波状に放出した闇よりさらに強大な力を持つ、闇の球体。
重力なのか振動なのか、はたまた闇という魔力攻撃そのものの力か、触れたもの全てを塵に帰すほどの強力な力の塊。
やろうと思えば回避は出来た。
だが、ルシアは動かなかった。
「ナイトメアプレッシャー!!!」
およそ生命にどうこうできる代物ではない暗黒の球体が、床すら削り喰いながら迫る。
それを前に、ルシアは両の手に黒き力を湛える。
「錬黒掌!!!」
左右の力を束ねた黒の塊を、右の掌底で対象物に叩き込む、ルシア最強の破壊奥義。
サタナスが放った巨大な闇の塊に叩き込まれたそれは…
爆ぜた。
砕けた力の塊が、押し負けた方へ散り散りになりながら雪崩の如く迫る。
即ち…サタナスの方へ。
「なにっ!?ごはあぁぁ!!!」
部屋に居ただけで耳がおかしくなりそうな轟音が収まったころ、全ては終わっていた。
「っ…くっ…」
掌底を打ち込んだ体勢のまま震えていたルシアは、限界か衝動かで膝から崩れ落ち、へたり込んだままで前を見る。
サタナスは、まるで磔になったかのように岩壁にめり込んでいた。
「…やりすぎたか。」
どちらかと言えばサタナスの放った魔法の余剰が返された力が大きく仕方ないのだが、訓練に付き合わせた王が壁にめり込んで動かなくなっているのが酷く感じ、ルシアは手早く岸壁からサタナスを掘り返した。
「ぐぞおおおぉぉぉぉぉ…」
「何なんだその奇妙な声は…」
見た目には…と言うより、人なら酷いダメージだったはずのサタナスだが、ルシア以上にあっさりと傷口自体は落ち着きつつあった。
だが、玉座でダンダンと握りこぶしを手摺に叩きつけて唸り声をあげる様はありていに言ってみっともなかった。
「うっさい!まともに負けたのなんて二人目だぞ!お前本当にいきなり強くなりやがって!!」
「…悪い、そういう訳じゃないが、使える手全ては使ってなかった。」
「何…だ…と…」
半魔と舐めていた相手に手加減されていて、全力を使ったとたんに負けた。
要約するとそうなる現状に、サタナスが口を小さく震わせてパクパクと開閉する。
ルシアは右手に黒い力を纏わせ、片手間にサタナスに向かって投げる。
指先一つであっさりかき消したサタナスに、ルシアは小さく頷いた。
「…もともとこの力の使い方の、使って飲まれない為の鍛錬のつもりだったからな。だから、今日までは真正面からお前と撃ちあっていた。」
「ふ…む?」
「どうにもならなかったから、さっきはまともに力比べをするのは止めたんだ。」
黒弾で相殺するのではなく直撃軌道のみを外し、石槍は破壊せず押されるまま倒れ、放射状に広がる波動は切り裂く一点のみに集中させた力で裂いて安全地帯を作って凌いだ。
迫ってしまえば後は力…出力が高いだけの男。
ヴァルナートの剣すら直撃せずに凌げたルシアがただ振り回すだけの腕に当たる訳もなく、黒い力を乗せた拳を叩き込むことが出来た。
「済まない、つき合わせたが結局ものになっていないと言う意味では手間をかけさせただけになった。」
頭を下げるルシア。
深々と謝罪する悪魔と言う姿に憤りのやり場をなくしたサタナスは、音を立てるように乱雑に背もたれに背を叩きつけると、鼻息を鳴らす。
「お前、最後の技。錬黒掌とか言ったか?」
「あぁ。」
「アレの時はお前、力が膨れ上がってたぞ。今落ち着いてるならそれがヒントになるんじゃないか?」
拗ねたのか疲れたのか投げやりに言うサタナスだが、少なくとも嘘偽りでの謀るタイプではないとルシアは感じていた。
魔性の力の心身への侵食。それが比較的落ち着ける技。
(身体が変わるわけが無い。あるとすれば精神状態…か。)
自身の力を開放すれば狂気に向かい、我慢すれば力が出せない。
そこから一番遠い必殺技の時。
「しかし…この俺を倒しておいて、後人間界で誰を倒す必要があるって言うんだ。噂に聞く三英雄とやらは聖剣でも持ってるのか?」
「黒の力で打ち合えたからそんな類じゃないと思うが、今の俺は一対一で勝てない。」
淡々と告げるルシアの言葉に、今日一番の驚きをみせるサタナス。
がっくりと開いた口から言葉も出せず、深呼吸をして背もたれに完全に重さを預けるサタナス。
「…いつの間に地上は化物の巣窟になったんだ?その黒の力を使って勝てない人間なんて…」
「化物はアイツだけだ。グランナイツならいざ知らず普通の人間ならその辺の悪魔に蹂躙されるさ。」
「むしろ他にも悪魔を何とかできそうなのがいるのか…」
ルシアはフォローしたつもりだったが、サタナスはもう聞きたくないとばかりに俯いた。
だが、それよりも気にかかる事があった。
「この力、何か特別なのか?単純な力場の一種だと思ってたんだが…」
『その力を使っても』と、魔界の王がわざわざ言うほどの代物。
使いこなせば多種多様に発動可能な魔法と違いただの破壊力としか思っていなかったルシアは、思わぬ扱いに疑念を抱く。
「ま、この俺が不可能と言う訳ではないがな。魔法のように何を為すかで指定して単発で放つものと違い、その黒の力は勝ってさえいればあらゆるものを破壊できる力なのだ。それこそ、使用者が意図すれば耐霊、神仏相手だろうと攻撃可能な力。」
「あらゆるもの…」
掌を見るルシア。
自身の力が神にも届くと評され、そんな大それた気など欠片もなかったルシアはいきなり放り込まれた事実に戸惑う。
同時に…そんな特殊な相手など、基本実態を持たない天使…シアナの側のものを討つための力でしかない気がして眉をひそめる。
「しかしお前が知識を継承できてないとなると、あの馬鹿女はその力を何かも理解しないまま使ってやがったのか、バトルジャンキーめ…」
悪魔は人間と異なり、使用能力周りの継承度が高い。
記憶はともかく、自身が扱う黒の力についてルシアが知らないという事は、親も知らない可能性が高い。
「馬鹿女?」
「…マシュア。俺に何度も喧嘩を売ってきたバトル馬鹿女で、勝った末に『もう相手がいないから地上で遊んでくる』とか言っていなくなった。悪魔自体外にそんなに出ないし出してもないから、あいつがお前の親だろうよ。」
「親…か。」
唐突に聞かされた事実は、ルシアの心を大して動かさなかった。
(背を追い、慕い、案じ、そんな存在がいるとするなら…俺にとっては先生だけだ。)
ばらけたカークやプレフィアですら、きっとそうだろうと感じつつ、ルシアは小さく頭を振る。
(答えも出ないまま、シアナに付きまとっている俺に背を追う等と言う資格はないか…)
自分なりに生きていた二人を思い、ルシアは何もない手の上で何かを握りつぶすように掌を握り込んだ。