第13話・悪魔の傷と天使の涙
第13話・悪魔の傷と天使の涙
フロリス本町傍の森で救出したシスター、プレフィア。
グラムバルドの騎士で単独行動を許される程の剣士カーク。
ルシアはかつて、二人と共に孤児院にいた。
グラムバルド最西端、湖を背にした崖に立つその孤児院に。
「勝負だルシア!!」
木刀を手に叫ぶカークを見たルシアは、溜息を吐いて俯いた。
孤児院の壁を背に立つルシアはカークの言葉をまるで聞かなかったかのように周囲に視線を戻す。
「無視すんな!!」
「無駄だ。」
「っ…この!!」
まるで相手にしようともしないルシア相手に、両手で握った木刀を振りかぶる。
容赦なく降り下ろされたそれを無造作に腕で防いだルシアは、適当にカークの腹部を殴る。
「ふ…ぐっ…」
無造作なその一撃だけで呼吸すら怪しくなったのか、前のめりになったカークは震える足で後退すると、膝から崩れ落ちる。
それでも木刀を取り落とすことはなかったカークは、力の入らない身体でふらふらの足どりのまま立つと、木刀を横に薙ぐ。
もはや受けても衝撃音すらしないそれを棒立ちで脇腹に受けたルシアは、足を振り抜きカークの木刀を蹴り飛ばした。
跳ね上げられるように吹っ飛ばされた木刀を握っていたせいでカークは一緒に尻もちをつく。
「あ、カーク!またルシアにちょっかい出して!駄目だよ暴力振るったりしたら!!」
孤児院から出てきたプレフィアは、カークとルシアを見て状況を察して怒る。
彼女の姿を認めたカークは、痛みでしかめた顔をプレフィアから背ける。
「っ…煩い!男の勝負に口を出すな!」
「悪魔のルシアと勝負になるわけないじゃない…ルシアは大丈夫?」
静かに立っているルシアに歩み寄るプレフィア。
「勝負じゃない、俺はいいからカークを診てやれ。」
「いるか!これで終わりだとぉお!?」
叫びながらルシアに殴りかかろうとしたカークを、背後から抱えあげる人影があった。
「あ!先生!!お帰りなさい!」
「はい、ただいま。良い子にしてましたか?」
「カークがお昼寝しないでルシアにちょっかい出してました!!」
「寝てないだけならルシアもそうだろ!!」
柔らかい笑顔で語らう先生とプレフィア達を、少し離れた場所から眺めるルシア。
ルシアの孤児院での日常は、大体がこんな形だった。
他にも子供はいたが、魔物に親を殺されルシアを怖がるものや、そもそも楽しくない彼と積極的に関わろうとする者が無く、基本的にルシアは一人静かに過ごしていた。
カークをプレフィアに任せて先に孤児院に入らせた先生は、ルシアに微笑みかける。
「いつもありがとうございます。一人でピリピリしているのは大変でしょう?」
大金がある訳でもない孤児院一つだが、グラムバルドすら警護しているわけではないこの場所で、稀にだが無粋な訪問者がある。
既に単体で大人よりも高い戦闘能力がある子供であるルシアは、先生のいない間警護の真似事をして生活していた。
「あんたは何故こんな無駄なことをしている?」
年相応の欠片もない雰囲気と口調で先生に問いを投げ掛けるルシア。
「無駄なこととは?」
「子供を助けたくて孤児院を維持しているんだろう?あんたの力なら色々とできるはずだ。なのに何故こんな孤児院一つ作って満足しているんだ?怠慢か?」
「怠慢ときましたか…さすがに手厳しいですね。」
ルシアの容赦ない問い掛けに苦笑いを浮かべた先生は、少し考えて…
「そうかもしれませんね。」
苦笑いのままでそう答えた。
「先生、何でおいのりしなきゃいけないの?」
ある日の食事前の祈りの時間、一人の子供が手を上げてそう聞いた。
「こら!失礼な事言わないの!!」
真面目なプレフィアが、面倒になったから難癖つけようとしているのだと怒る。
「だって変だよ!神様も天使様も僕達を助けてくれるわけでもないのにさ!」
「それはっ…」
確かに難癖だが、両親とも殺されたり、その両親に捨て置かれたりした者の集まる場でのそれは、プレフィアも何も言えなかった。
「助けてくれているとしたら?」
静かに紡がれた先生の言葉は、この場をいさめるために作られたものとは違い、重さがあった。
「助けてくれていて、実はここまでなのだとしたら皆さんはどう言いますか?」
「えっと…」
この問いに、今度は言い出した子供が口を閉ざした。
助けには来てくれたが自分しか救えなかったもの、それは子供達にしてみれば問いを投げ掛けた先生本人なのだ。
「私達は、必ず何かに助けられています。君達や私達の見ているものや、見えていないものまで。ですから感謝するんですよ。」
「喧嘩仕掛けてたらそのうち助けてくれるのも助けてくれなくなりますしね。」
柔らかく語る先生に続くようにして納得したようにカークを見て告げるプレフィア。
「俺はルシアの助けなんか必要ない!!」
「はいはい、では皆さん頂きましょう。」
「いただきまーす!!」
カークの怒りに食事に進めないと考えたのか柔らかく流す先生。
皆が一斉に食事を始め、どうにもできなくなったカークも無言で食事を始めた。
食事を終えて一同が昼寝に、一部が遊びに興じる中、ルシアは先生と向かい合っていた。
「とりあえず助けようとしてはいるが、ロクに救えていない。」
食事時の救いの話を辛辣に表現するルシア。
「それは偽善者だ。」
ルシアの真っ向からの言葉を聞いて、微笑んだ先生は…
「残念、不正解です。」
イタズラっぽくそう言った。
あまりに予想外の返しに驚いたルシアは、眉をひそめる。
「不正解?他評に文句を言ってもどうなるものでもない筈だ、自分の行いが善行だと自分で言うつもりか?」
「はは…行いの善悪などそう簡単なものではありませんよ、それがわかっているから偽善者等と言ってくれたのでしょう?」
それだけでは罵倒にしかとれないルシアの言葉は、『成果を出すならもっと方法がある』と言う忠告。
先生はそれがわかっているからこそ『言ってくれた』と返した。それはルシアにもわかった。
だが、だからこそ不正解等と返された訳が解らなかった。
「ルシア君にならすぐにわかると思ったんですが…」
「悪魔に、自分の身を削って子供を助けて回る奴の事がすぐわかってたまるか。」
「そんな君だからですよ。まぁ貴方には珍しい疑問です、少しは考えてみるのも良いでしょう。」
知識や能力の継承力が人間より遥かに高い悪魔の血を引くルシアが抱く疑問を楽しそうに放置する先生。
だが、答えあわせの機会は訪れなかった。
グラムバルドの兵の襲撃に遭った孤児院で、ルシアは炎の中兵士と戦っていた。
「っ…貴様ら!!!」
黒い力を手に兵士を鎧ごと殴り倒すルシア。
殺そう、壊そう、ぐちゃぐちゃに、めちゃくちゃに…もっともっと…
自分を食い破るような声に堪えながら、ルシアは頭を振る。
「だ、駄目だ…駄目だっ…」
その辺の魔物数匹や賊徒ならともかく、幼いルシアにはまだ兵士相手にその力を使って、衝動に呑まれないようこらえるのは困難を極めた。
「殺したら駄目だっ…俺は…」
先生の姿を閉じた瞼のうちに描いて堪えるルシア。
一瞬なのか長い時か、ルシアが衝動を堪えきり…
ガシャン。
と、重い金属音がした。
ルシアは音の方を見ると、鎧を着込んだ重装兵がいた。
断続的に金属音を響かせながら向かってくる兵を前に構えたルシア。
直後、何かに突き飛ばされた。
その辺の兵士なら倒せるルシアが分からないほどの間の出来事で尻餅をついたルシアは、そのままの体勢で顔をあげ…
「大丈夫ですかルシア君。」
「先…生…」
片手を背後に伸ばした先生が立っているのを見た。
その足元に血が滴るのを…見た。
「…もう他の皆は大丈夫です、後は君が逃げるだけです。」
「ち…違う…先生も…」
「私に現実を厳しく言ってきたルシア君にしては中々無茶を言いますね。」
「ぁ…」
一緒に逃げようと言いかけたルシアは、先生の足元の血溜まりが広がっていく光景を前に言葉を止めた。
背中越しで傷は見えない。だが、その血だまりはどう考えても重傷で…
それでも、先生は振り返り…
「ルシア君、お元気で。」
そう言って、ルシアに向かって、微笑んだ。
皆が沈黙する中、恐る恐る口を開いたのはマスティだった。
「ルシア様がシアナに協力していたのって…」
マスティにとって最も気になる事で、ルシアが話せなかった事。
「未だにわからないんだ。先生が偽善者に不正解と返したのも、死にかけで振り返った先生が笑顔だった訳も。魔界でこの力に慣れてからは、その答えを探して、賊を壊滅させて人助けの真似事をしていた。」
まるで懺悔のように語るルシア。
今まで何を好きかもよくわからない位に淡泊だった彼が見せたその雰囲気だけで、その先生の事を彼がどれだけ大事に思っていたのか感じられた。
まして…
「じゃ…じゃあ…」
「どう考えても不可能な、天使にしてみれば放っておけばいい他人事に、天界を捨て、地上で堕天使として扱われるようになることまで覚悟して、『皆を死なせない為』に来たシアナが先生に被った。だから、シアナを見ていれば先生に聞けなかった答えを知ることができると思ったんだ。勿論、地上や人間をよく知りもせず来たあいつが途中で諦めたなら、協力する理由はなかったが…」
その先は、皆も言われなくても知っていた。
ルシアから冷たい事実を突きつけられても、マスティに罵声を浴びせられても、説得を望んだ相手に捕らえる、殺すと言われても、…
シアナは、人のせいにすることも、願いを変えることもしなかった。
皆は愚かと罵声を浴びせ、ルシアは『だからこそ』シアナに力を貸してきた。
「皆には話したが、シアナには言わないでくれ。」
「は?悪魔って事が引っかかってる位でアンタが唯一信頼されてるだろうに何で」
「だからだ。」
ルシアに関しての大事な話。
それをシアナにだけ伝えないと言う事に、エリナは酷だと咎めるように睨み、ルシアは承知した上で頷く。
「今まではシアナの素の姿を見るため…俺の力を借りる為と意識するのを避けるためだったが、今更になってあいつがこれを知ったら…」
「死力を尽くして協力してくれたルシアさんの願いがまるで叶えられてない、という重荷を勝手に背負うでしょうね、シアナさんなら。」
「ぁ…」
セリアスの加えた注釈を聞いて、エリナとマスティは苦いものを噛んだように顔を歪めた。
シアナのせいじゃない。
そんな言葉、そもそも地上での人の死そのものがそうなのにここまで来た彼女の傷に何の効果もない事は誰もが想像に難くなかった。
「アイツはもう…休むなら休んでいい。だから…」
ルシアの言わんとする事は皆解っていた。
他人を助けに仲間や故郷を投げて奴隷にされかねない地上に降りてくるようなシアナが信じると言ったルシアの願いがこんなものだと知ったなら、シアナは間違いなく引けなくなる。
もう十分だ。
そんなことは、罵倒を重ねてきたマスティですら心底思うところだった。
ルシアがシアナの様子を見に、水桶と布を持って姿を消しても、一同は何も言えないままだった。
「その様子だと、全部説明聞けたみたいだね。」
いつの間にか、音があったのかなかったのか、抱えた食材らしきものを棚に下したフェインが三人の座るテーブルを遠目に嗤っていた。
「どう感想は?アイツアレで、『我欲の為に天使も人間も利用している悪魔』だと思ってるんだよ自分の事。笑っちゃうよねホント。」
「そんな事…言われなくたって分かってる…」
噛みつぶすように告げるマスティ。
フェインとルシアからの話で天使、悪魔、堕天使、ルシアとシアナについて知った。
その結果判明したことは…
「最高に皮肉だよね。人間の指示で件の先生も死んで、人間同士で殺しあってて、それを責めずに先生とやらの姿を追って救い手を真似てるのに悪魔、故郷放って身を賭けて未来も捨てて戦争止めに来て嘘つき偽善者堕天使。…人間って何様なんだろうね?あはは!!」
心底楽しそうに嗤いながらフェインが告げた事が全てだった。
特に、シアナを責め、ルシアの救いに必要悪の行使を見ていたマスティは、突きつけられた事実に涙すら流していた。
「そりゃ、あの悪魔の力の衝動とやらにそうそう飲まれない訳だ、お固すぎだろアイツ。」
「先生やシアナさんに答えを求めたのは、『悪魔の自分の選択は我欲に塗れ救済に使えない』と考えたからでしょうね。そういう人の助力としてだけ動けば、戦闘能力しかない自分でも良い方に動けると。」
ただただ沈黙するマスティに、空気を変えようとルシアの凄さを語るエリナとセリアス。
自分の判断…我欲で動くまいと心に決めて、頑なにそれを通してきたルシア。
そんな彼だからこそ、本来は飲まれて当然の衝動にのまれず、今までを過ごせたのだ。
この位別にいいや、などと少しでも思うような者なら、とっくに笑いながらあちこちを壊して回るだけの化物になっていただろう。
「まぁ気にすることはないさ、天界でちまちま仕事をしてるのが本来正しかったのに、勝手に降りてきた彼女だけが、彼女の願いが間違いだったんだ。…人間なんて勝手に死んでればいいのにさ。あはははは!!!」
散々言うフェインだが、彼は殺していない。
勝手に死んでればいい。ただその通り、人同士で勝手に殺しあっているのだ。
それも、悪魔や地上に降りただけの天使すら巻き込んで。
今に至って人間は何を言える訳もなかった。
椅子のような固めの台の上に布が置かれただけの場所で横たわるシアナ。
その頭を首を、傍らの椅子に座って濡れた布で丁寧に拭うルシア。
シアナの背中には、もはや力場ではなくなった黒い翼が残っていて…
その命を救おうとした人間に『罪』と称され鞭打たれた、ただ地上で飲食をしたと言うだけの証を撫でるルシア。
ふと、シアナが静かに目を開いた。
ゆっくりと身を起こすシアナ。
「気分はどうだ?」
「…良い訳ないじゃないですか。」
ルシアの問いに悪態を吐くシアナ。
その言葉には最近としては珍しく毒が含まれているように感じ、ルシアは目を伏せた。
シアナは気づいたら変わっていた自身の背の翼を数度撫でて、乾いた笑いを漏らす。
「あはは…私を堕とすのが目的だったなんて知りませんでした。お陰さまで真っ黒になっちゃいましたよ…はは…」
無言で立つルシア。
シアナはそんな彼を前に口をつぐむとうつむいて首を横に降った。
「ごめんなさい、そんな訳ないのはわかってます。罪科を積むだけなら他にやりようなんていくらでもあったんですから。」
「俺は俺の都合でお前を利用してきたんだ、謝る必要はない。」
平坦な口調で告げるルシアだったが、シアナには慰めにもならなかった。
「…謝りますよ、謝るに決まってるじゃないですか。」
うつむいて、シーツを握りしめたシアナは震える声で絞り出す。
「まだ貴方の願いは叶っていないのでしょう?戦えば気が狂う自分と必死で戦いながら、ずっと力を貸してくれていたのに…私は…」
シアナは言いながらルシアの顔を見る。
ルシアは嘘を吐かない。
叶っていないという問いに首を横に振る事もなく何も答えられない時点で、それは答えを言ってしまっているようなものだった。
孤児院での話は聞こえる声でなど喋ってはいない。だが、ルシアは元々『自分の目的でシアナをつけている』と宣言している。
叶っていないと判断するのは、むしろ自明だった。
右手を左肩に…その後ろにある黒い翼に伸ばすシアナ。
「天使であった私の言葉ですら、争いをやめてくれなかった。それどころか、天使の身ですら疑われた。…この黒い翼での話なんて、まともに聞いて貰える筈がない。」
シアナが急いでいた訳、ルシアがシアナの温存を買ってシアナに戦うなと言いながら戦闘要員を引き受け続けた訳。
それは、堕天使と成った後は、ただでさえ低かったシアナの願いが叶う可能性が無に等しいものになると知っていたから。
「貴方の目的が私の願いに準ずるものならもう…」
言いながらルシアを見上げていたシアナは俯いた。
「何で…どうしてこんな…」
俯いて呟くシアナ。
弱々しくシーツを握り締めた手の甲に涙がこぼれ落ちる。
涙。
それは、天使の間はなかったもの。
遺体を見ても裏切られても自身が死に直面しても、デルモントやフォルトに庇われても。
秩序の為に清らかな平静、平坦な存在で、肉も水も持たなかったシアナには、流す事が『出来なかった』もの。
それが、ぼろぼろと零れ、シアナの手を濡らす。
助けようとしていた当の人間に罵倒され、処刑されかけ消失に直面して尚、人を死なすまいと意思する自分であり続けた彼女が見せる傷の証を前に、ルシアは目を細めた。
(無理もない…皆を救うために身投げに近い覚悟で天から降りて、その皆に追い詰められた挙句何も出来ないまま終わろうとしているんだ…)
笑顔の先生に背を向けて駆け出すしかなかった絶望を思い返して、ルシアは固く拳を握る。
未だ手に入らない答え。
だが、シアナにもう無理をさせたくない気持ちの方が強くなっていた。
「…嫌だ。」
小さく、だが、はっきりと聞こえた言葉。
「やだ…こんなのやだ。助けて…誰か…」
度々、シアナが傷ついていることは分かっても、何かにおびえる子供のような有様は初めて見たルシア。
完全に何もかもが届かなかった、終わってしまった、無意味だったことを悟っての震えと、流すことを許された涙。
「嫌だっ!こんなのやだっ!誰か、誰か助けてっ!」
堕天使の末路はシアナも知っている。まして、天使偽証や戦争妨害の罪過のおまけつきで。
何一つ叶わぬまま天界にも帰れずこのまま実験台なり肉人形なりとして買われるのが想定できる末路。
何より、それを、死なせまいとしていた人々の手によって。
とどまらない涙を拭うことすらしないままのシアナの懇願。
(…こんなもの間違ってる。)
最低な予想に冗談じゃないと心底思ったルシアは、この叫びと涙に沿おうと覚悟を決め…
「誰か皆を助けてよぉっ!!!」
天を仰いで絶叫したシアナを前に、ルシアは動かなくなった。
その背の翼は黒の筈なのに、一瞬白く輝いたようにすら見えた。
「こんなのおかしい!どうして!なんでっ!!誰も死にたくなんか死なせたくなんかないはずなのに!嫌だ!こんなの嫌だっ!!!」
整理もなにもされていない、感情そのままに溢れる言葉の山。
「分かってる!私じゃ足りないって分かって!でもやだ!嫌だこんなの!間違ってる!!誰も死にたくなんてないはずなのに!!死にたがってなかったのに!!皆皆泣いていたのに!!なのになんでっ!!」
天使の頃から見つめてきた人々の魂を、その嘆きを悲鳴を思い返して叫ぶシアナ。
「誰か助けて…誰か皆を助けてよぉっ!!!」
再びの絶叫。
まるで拷問にでもかけられているかのように皆の救いを願って黒い翼を震わせて泣き叫ぶシアナ。
その体を、ルシアが包み込むように抱き締めた。
シアナの震えが止まる。
「俺が…お前を助ける。」
静かに、しかしはっきりと告げるルシアの宣誓。
それは、シアナの望みとはずれた宣誓で…
「だから…お前はお前の望むだけ俺を使え。それが、世界中の力の全てと戦ってでも殺し合いを止めろと言う望みでも、俺の力の続く限りは叶えてみせる。」
「ルシ…ア…」
そして同時に、嘘を忌諱するルシアからの最大級の誓いだった。
シアナは知っている。
これを言ったルシアは、本当に『力の続く限り』戦っても、殺さないでもいてくれることを。
「お前の望む形で戦争を終わらせる、それまで俺はこの力の全てをかける。…約束する。」
「あ…ぁ…」
それは、悪魔の契約。
ルシアにとって、例えその先に待っているのが自身の破滅だろうと覆さない不文律。
何故こんな事を言うのか?ルシアの全ては知らないシアナにとっての答えは…
(私が泣いていて、ルシアが優しいから…)
自分の為の優しさだとしか出なかった。
柔らかく、それでいて少し強く。
大事なものを手放さないようにと抱き締めるルシアの力と暖かさに、一度止まったシアナの涙腺が再び決壊する。
「う…ああぁっ!!ごめんなさい!ごめんなさい!!私が…私のせいでっ!!!」
「違う。俺がただそうしたいだけだ。」
「ごめんなさい!ごめんなさい!!」
泣き叫ぶシアナを抱き締めながら、ルシアは目を閉じる。
瞼の奥に残る、先生の笑顔を見つめるつもりで思い返すルシア。
(俺の側にいるものは傷ついてばかりだ…悪魔の癖にこんな真似をしているせいなのか?悪魔の力を使っているせいなのか?先生…俺は…未だに貴方の宿題が解けていないんだ…)
先生が偽善者を否定した訳も、それが自分にならわかると言われた訳も、笑顔で死んでいった訳も、何一つ解っていないルシア。
(彼女を…シアナを守らせてくれ…頼むから…せめて悪魔にすぎない俺に災厄を回してくれ…)
強さだけで叶わない願いを前に、力しか持たないルシアは祈る事しか出来なかった。