気配
「運がよかっただけだろ」
「ラグナ、ここはユイに従うべきよ」
コクトーまでもが真剣に言った。
「ええい、二人してなんだってんだ。意味がわからん。もっとわかりやすく言ってくれ」
「はぁ……鈍い男ね」
悪かったな、鈍くて。思いはしたが言葉にはせず、沈黙で先を促す。
「気づかない? ユイが調査しにきたっていう巨大なドラゴン。さっきからずっと姿を見せない動物たち。そして、ここら一帯にある巨大な足跡。これらのことから導き出せる答えは──」
そこまで教えられて、ようやくラグナはハッとした。
「……ドラゴンが、近くにいるかもしれない?」
ユイに目配せすると、彼女は片腕で自分を抱きながらおずおずとうなずく。
「ま、待てよ。じゃあ、この足跡は、ドラゴンの──」
あらためて確かめると、大の大人が余裕で寝転べるほどもあった。
「マジかよ……」
バカな。
地上最強の種族というくらいだから、ある程度は覚悟していた。
だが、この足跡から想定される全体の大きさは──はっきり言って予想を遥かに上回っている。
冷や汗が噴き出す。
こんな巨大な生き物に踏み潰されでもしたらひとたまりもない。もちろん引っかかれたり噛みつかれたりしても即死だろう。体力も桁違いなはずだ。もし襲いかかってきたら、そのときは……
嫌な場面を想像してしまった。しかし、竜人族のユイがいるならなんとかなるはずだ。竜人族はドラゴンと対話できるのだから。
「…………」
ユイは顔を伏せていた。
「……ユイ?」
覗き込む。
先ほどまで自信に満ち溢れていた碧い瞳が、今は弱々しく頼りない光を宿している。
「どうしたんだよ? ドラゴンは見慣れてるんだろ。しっかりしてくれよ」
首を、横に振られた。
「……すみません。実は私、野生のドラゴンとはまだ遭遇したことがないんです。村にいるのは人間に慣れたドラゴンばかりです。だから今、すごく怖くて……」
「なん、だと?」
頭の中で話を整理する。
「つ、つまりアレか。おまえは野生のドラゴンが危険だと知りながら、単身乗り込むつもりだったっていうのか」
「まあ、そういうことになりますね。ラグナさんにも出逢えましたし、なんとかなるかなーってあまり深く考えないでここまできました」
「おいおい……無計画、無鉄砲にもほどがあるだろ……」
「えへへ、それほどでも」
「褒めてねえよ!」
「ごめんなさい……」
涙目になるユイ。ラグナは怒るに怒れず、左手で前髪を掻き上げる。
「ったく、なんなんだおまえは」
思い込みが激しくて、計画性がなくて。
なんでも自分中心に考えて、都合のいい妄想に引きこもりがちで。
口だけは達者で、人を巻き込むくせにいざとなったらヘタレになって。
彼女には見た目の良さを打ち消すのに充分な性格的欠陥が揃っている。
一言で表すなら〝自己愛の塊〟だ。
付き合っていて楽しいタイプのでは決してない。
「……チッ、しゃあねえ」
しかし、そんな彼女を憎みきれない自分がいることもまた、事実だった。
理由はわからない。
思い当たる節もない。
ただ、そう思うだけだ。
この少女は放っておけない──否、放っておきたくない、と。
「おい、コクトー。ドラゴンってのはどれくらい強いんだ?」
「少なくとも普通の人間が太刀打ちできるような相手ではないわ。一流の戦士でやっと五分ってトコかしら」
「つまり戦闘経験のない俺の勝算は限りなく低いっつーことだな」
ふん、と鼻で笑ってしまう。それはこのあまりにも不利な状況に対してであり、自分の弱さに対しての嘲笑でもある。
「あ、あの、ラグナさん」
ユイが潤んだ瞳で袖を引いてくる。
「もしかして戦うつもりですか……?」
「そういう約束だろ」
ユイがあっけにとられたように口をぽかんと開けて、
「…………。……やっぱり帰りましょう。野生のドラゴンは人間を嫌う傾向にあります。そして人間と同じように黒髪を嫌っています。行けばタダでは済みません」
「じゃあ、諦めんのか」
「…………」
「即答できねえならそれが答えだ」
「……確かに私はドラゴンを……でもそうしたらラグナさんが……」
「ええい、まどろっこしい! さっきまでの威勢はどうしたよ! らしくねえぞ! 後先考えないのがテメェの十八番だろうが!」
「それはそうですけど……。あれ? もしかして責められてます? 私」
「〝そんなことないよ! 僕はユイちゃんに振り回されるのが嬉しいんだよ! むしろご褒美ですたまんねえなハァハァ〟」
「コクトー、今マジメな話してるから黙ってろ」
「……さーせん」
こいつは空気を読むということを知らないのか。
まあいい。
「テメェはただ決断すりゃいいんだ。このまま行くか、引き下がるか。たったの二択だ。どっちを選んでもテメェに危害が及ぶことはねえ。それは俺が保証する。さあ、どうする? 俺は依頼主であるユイリール・ドラグナーの意思に従うぞ」
「…………」
ユイは十数秒考え込んだのち、
「様子を見てみて、危険だと判断したら撤退します。命あっての物種です」
「その言葉が聞きたかった」
ラグナは不敵に笑ってみせる。戦いの恐怖など微塵も感じていないかのように。
もちろん虚勢だ。だが、ここで弱気になったらユイはきっと前進することを選ばない。臆病な自分に屈し、本当にほしかったものに手を伸ばさなくなる。
「ラグナさん」
「なんだ」
「この先は冗談抜きで死の危険が伴います。それでも私についてきてくれますか?」
「バカが」
ユイにデコピンする。
「おまえが俺についてくるんだよ」