ユイリール・ドラグナーという少女
実は〝ドラゴン〟は俗称で、正式名称を〝竜〟と言うんです。
竜は自然界の頂点に座す最強の生物であり、竜人族はその眷属です。
竜人族の肉体は極めて強く、身体能力面では子供ですら一般的な成人男性を上回ります。寿命も長く、病気や怪我で死亡することもほとんどありません。
そして、持って生まれた膨大な魔力は人類最強と謳れ、他の種族では太刀打ちできない領域にまで達しています。
また、知能は高いが人語を話せないドラゴンと対話することができ、この世界で唯一、種族単位での共生関係を築いています。
竜人族はドラゴンを労働力にしたり抜け殻や剥がれ落ちた鱗を売ったりして資産とし、ドラゴンはその報酬に安定した食料供給と安全な住処を得る──両者はあくまで対等な関係ですから、どちらかがどちらかを支配するということもなく、古来より平和に暮らしてます。
以上のことから、竜人族はこの地上において最も秀でた種族と言えるでしょう。
しかーし、そんな竜人族にも欠点があるのです。
それはズバリ、繁殖力です。
他の人種に比べて圧倒的に人口が少ないのです。
理由は、数えて三つ。
一。妊娠してから生まれるまでの期間が長いから。卵生で、妊娠・出産に五年、孵化にさらに五年。一つの命を産み落とすのに合計十年かかります。
二。流産しやすいから。卵の成長には伴侶の魔力が不可欠です。なんらかの理由で伴侶を失ってしまうと、胎内で充分に育てることができません。
三。最初に妊娠したときの相手としか子供を作れないから。竜人族は効率よく伴侶の魔力を吸収するために体質が変化し、その弊害として伴侶以外の魔力を取り込むと拒絶反応が出るようになってしまいます。
〝二〟と〝三〟のリスクを〝一〟の期間抱える──それがどんなに大変で過酷なことかは簡単に想像できるでしょう。十年。十年ですよ! 人間の子供が十歳になる頃、竜人族の子供はやっと産声をあげるんです! 同じヒトという種でありながらこんなにも生態が違うのは、なんだか面白いですよね。
ああそれと、竜人族は伴侶の喪失を防ぐために、伴侶の好みに合わせて容姿が変わっていく、本能的に尽くすようになる、などの特性も持っています。妊娠後、性格が豹変するケースも少なくありません。
つまり私もラグナさん好みの女に作り変えられちゃうってわけですね。ぐふ、ぐふふ……
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「──おっと、失礼しました。以上が竜人族の概要になります」
「……長い説明ご苦労さん」
「いえいえ、ラグナさんには知っておいてもらわないと困りますから」
鬱蒼とした森の中を、ラグナを先頭に進んでいた。
辺りは薄暗く、湿った空気が蔓延している。上を見れば覆い被さるように枝葉が茂り、日光をほとんど遮っている。下は下でぬかるんでいたり滑りやすくなっていたり、木の根のうねりが地面をいびつに盛り上げてたりしていて、かなり不安定だった。
それらのせいで移動速度が落ちていた。不快指数は高まる一方。汗で体がベタついて気持ち悪い。今すぐ小川まで戻って水浴びしたい気分だ。
……そして、今行われた、ユイ先生のありがたい〝授業〟。
「はぁ」
うんざりだった。ため息と共に肩を落とす。
コクトーといい、ユイといい、どうして女はこんなにおしゃべりが好きなのだろう。ユイが増えた分、疲れの溜まり方も倍増した気がする。草を踏みならし、枝をへし折り、ユイが通りやすいように道を作りながら進んでいるのだが、早くも体が重い。
刀でまとめて薙ぎ払えれば楽なのだが、「ふざけんな! わたしは草刈り鎌じゃないわよ!」と本気で怒られるし……やれやれだ。
ちなみにコクトーにはユイが持っていた包帯を鞘代わりに巻いている。こちらも最初は小言を言われたが、汚れるのを防ぐためだと説明したらすぐに機嫌がよくなった。単純なやつである。
「先ほども言いましたが、竜人族はドラゴンと契約することで一人前と認められるんです。正直、早く契約を済ませろって親からのプレッシャーがすごいんですよね……はぁ……」
ラグナの心情などいざ知らず、ユイもまたうんざりした様子で肩を落とす。多弁な彼女の親のことだ、よほど口うるさいのだろう。「結婚を急かされる中年女性みたいなため息ねー」と、コクトーが同情気味につぶやいた。
「それについては大丈夫です! もう相手が見つかりましたから!」
ユイがラグナに追いつき、斜め下から覗き込んでくる。……からかうようなニヤケ顔で。かなりうざい。可愛いけれど、すごくうざい。
「くふふ、ラグナさんは私に一目惚れしちゃったんですもんねー♡ メロメロなんでしょう? メロメロなんでしょう? このこの」
「なぜ二回言った。あと肘でつつくのヤメロ」
「ま、そうなっちゃうのも仕方ありませんよ。こんな可愛い女の子を前に黙っていられる男性なんていませんからね! 自然の摂理にして世界の理です!」
「自分で言っちゃうあたりが残念なんだよなぁ」
「いやぁ、本当に運がいいですよ、ラグナさんは。この私を娶めとることができるなんていったい前世でどんな善行を積んできたんですか?」
「記憶喪失に訊くな」
「んー、察するに、きっと多くの人々を救い、数々の悪を打ち倒してきたんでしょうね! その結果、私という奇跡に巡り逢うことができた! ああ、なんてロマンチック! いや、ドラマチック?」
「どっちでもいいし、そんな大層なことはしてないと思うよ」
「私は超絶モテるので、他の男性から言い寄られてるところを見て嫉妬することもあるでしょう。ですが、そこはご安心を。結婚するからには貞淑な妻を目指しますとも。不倫や浮気はダメ、ゼッタイ。あんなものは一時いっときの昂りが生む人類悪の一つです。私はラグナさんを裏切らないし、裏切らせるような真似もしません。ただしラグナさんにも同じことを求めますので覚悟してくださいね! 大丈夫、細かいことは恋愛経験豊富な私に任せてください!」
「さっき一度も恋人ができたことないって言ってなかったか?」
「ねえラグナ。さっきから律儀にツッコミ入れてるけど、正直無駄じゃない? あ、そこ。段差になってる」
「おう。サンキューな、コクトー。大丈夫だ、ハナっから返事は期待していない」
地面は巨大な生き物が歩いたあとのように激しく起伏している。ラグナは脛ほどの高さにまで盛り上がった土を慎重にまたぐと、
「ほら、ユイもつまずくなよ」
夢中で自分語りするユイの白く小さな手を引いてやる。ユイは足元をろくに見ようとしないため、こうしなければすぐに転んでしまうのだ。それはラグナが先頭を歩く理由の一つでもあった。
「ありがとうございます。で、どこまで話しましたっけ? ……あ、そうそう、不倫と浮気についてでした。確かに人間は背徳感を愉しんでしまう側面を持っていますが、それを否定するつもりはありません。特に男性は元来浮気性だとお母さんも言ってました。そもそもそういうふうに進化してきましたしね。多くの女性に目移りしてしまうのは自然なことです。では、そんな男性に対し、女性はどうすればいいのか? ──簡単な話です。浮気されるくらいなら相手の女を亡き者にしてしまえばいい。夫を最も愛するのは自分であり、夫には自分しかいないのだと思い知らせてやればいいのです。これぞ女の戦い。恋と戦争においてはいかなる手段も許されるという言葉がありますが、まさにその通り。女の情念を舐めてはいけませんよ」
「おい、なんだか物騒な話になってきたぞ」
「え、そう? わたしは今の部分すごく共感できるんだけど」
「女って怖ぇな……」
浮気した男に罰を下すのはまだわかる。だが、泣くとか問い詰めるとかではなく、真っ先に浮気相手の女を始末しようと考えるその思考回路が恐ろしい。
「しかし、浮気は男の甲斐性とも言います。お母さん曰く、これは本来浮気を擁護するための言葉ではなく、愛情面や金銭面で本妻に文句を言わせないほどの甲斐性があるなら愛人を作っても構わないという意味らしいです。私も器の小さな女ではありませんから、私を一番に愛してくれるなら愛人だろうと側室だろうといくら作っても構いません。これでも男性のサガについてはそれなりに理解してるつもりですので!」
「住所不特定無職のあんたには縁のない話ね」
「うるせえほっとけ。つーか道がかなり悪くなってきやがった。くそっ、歩きにくくてしょうがねえ」
悪路に体勢を崩され、危うく転びそうになる。ギリギリのところで踏みこたえる。
足元に注意を払ってこのざまだ。草木の密度も増しているし、前も下も危険だらけ。おまけに横には危機管理能力に乏しい少女が一人。障害物の回避に集中しなければ、あっという間に服を汚すはめになる。
「ラグナさん、私の話ちゃんと聞いてるんですか!?」
「ハイハイ、聞いてるよー。ラグナさんちゃんと聞いてるよー」
「むぅ、なんですかその適当な返事は! 人と話すときは目を見て話しなさいと親に習わなかったのですか!」
ユイが半分閉じた碧眼でラグナを睨みつけ、聞き分けのない子供のように頰を膨らせる。言いたいことはわかるが、今は態度の悪さより道の悪さのほうが重要だ。
「おまえは俺より下を見ろ。それと親のことなんざ覚えちゃいねえ」
「だとしても相手に対して失礼ですよ!」
「ああもう、わかったわかった。あとでちゃんと謝るから。服を引っ張るな。転ぶって」
「ラグナさん!」
「うわ、バカ、お、と……っ!」
「ねえ、ちゃんと私を見て!」
「だぁっ!?」
まずい、と思ったときにはもう、手遅れだった。
ラグナはユイのほうに倒れ、せめて潰してしまわないようにと咄嗟に両腕を前に出し、コクトーも横に放り投げる。
できたのはそれだけだ。転倒自体は免れない。
ラグナは土の感触を知った。
「……?」
何かが唇に触れている。
土とは真逆で、温かく、柔らかい。
ほんのりと甘く、瑞々しさに満ち溢れ、物欲しそうに吸いついてくる。
ずっと食んでいたい……
「っ!」
などとまどろみに似た幸福を味わっているうちに、気づいた。
自分の下にはユイがいる。倒れる際、反射的に閉ざしていた目をうっすらと開けると、やはり、いる。とろんとしたユイの碧眼に自分が写っている。
つまり、この温かく柔らかいモノは──
ユイの唇だ。