偽りのプロポーズ
「実は私、もう十五歳なのにまだ一度もドラゴンと契約したことがなくてですね……」
「それって恥ずかしいことなのか?」
ユイの赤らんだ顔を見て、ラグナは尋ねた。
「ええ、この歳になっておねしょをするのと同じくらい」
「うわっ、それは恥ずかしいわ」
コクトーが哀れむようにつぶやく。
「竜人族にとってドラゴンとの契約は一人前の証なんです。でもほら、初めての契約なんですから、ちゃんと選び抜いた子と契約したいじゃないですか。そうやって先延ばしにしてたらいつのまにか今日に至りまして……」
「優柔不断なのね」
「言ってやるな、コクトー。たぶん本人が一番わかってる」
「うぅ……ラグナさんの生暖かい目が痛いです。というわけで、私もそろそろパートナーがほしいんです。最近この森に巨大なドラゴンが棲みついたみたいなんですけど、とりあえずその子を一目見てみたいと思ってます」
「なるほど。あわよくばそいつと契約しちまおうって魂胆なわけだ」
「話が早くて助かります! ああ、そんなすごいドラゴンと契約できたら、きっと村のみんなは私に羨望の眼差しを向けるに違いありません! 今からその光景が目に浮かびますよ、うふ、うふふふ……」
「うわぁ……」
「この子、危ないわね……主に頭が」
気味悪く笑う少女。見た目が優れている分、その残念さが際立つ。
ラグナは彼女に関わったことをほんの少し後悔した。今までの礼儀正しい言動は狂っている部分をカモフラージュするためなのかもしれない。いや、きっとそうだ。だから、彼女を初めて見たときから心臓の高鳴りが止まらないのだろう。彼女の本性をすでに直感が見抜いていたのだ。
しかし、勘違いで刃を向けてしまった負い目がある。別段これといってやらなくてはいけないことや、やりたいことがあるわけでもない。
いったいどうするべきか……
(ねえ、ちょっとラグナ。わたしイイコト思いついたわ)
(あん?)
決めあぐねていると、コクトーが不意に耳打ちしてきた。
(この子の依頼を引き受けましょう。竜人族はお金持ちが多いって前に聞いたことがあるの。見た感じ身なりはいいみたいだし、パパッとやってたっぷり報酬をゲットよ!)
(か、刀のくせに意地汚いやつだな……)
(お金はいくらあっても困らないじゃない! なんなら逆玉狙っちゃえば? わりとお似合いよ、あんたたち)
(えぇ……)
(嫌なの?)
(嫌っていうか……)
何せ出逢ったばかりだ。乗り気になれるはずもない。それ以前に十五歳の子供と結婚を考える時点で大人としてどうかと思う。
しかし、コクトーの言い分にも一理あった。現在ラグナは無一文。服も家も飯もない。生きるだけならともかく、稼ぎがなければ今後の生活はかなり厳しいものになるだろう。
「…………」
悩んだ末、出した結論は〝前向きに考えてみよう〟だった。その第一歩として、未だに妄想世界から帰ってこない目の前の少女をあらためて観察する。長所を見つけることで印象が変わるかもしれない──そんな思惑があった。
「ぐへへ……」とか「うひひ……」とか。とにかく気味の悪い笑い方をしているが、ユイの容姿そのものは異様なまでに整っている。まさに美少女。他のどんな褒め言葉も蛇足にしかならないレベルだ。
だが、あえて特徴を挙げるとしたら、まずはやはり瞳だろう。
碧。
青とも緑とも取れる絶妙な色合い。
ラグナが今、ユイを構成するパーツの中で最も美しいと感じている部分。彼女の碧眼なら何時間でも見ていられるような気がする。
次に印象深いのは、鮮やかに煌めく真っ赤な長髪だ。
背景から浮くほど純粋な赤色で、一本一本が薄く透き通っている。風に吹かれたりユイの頭が動いたりすると、柔らかくなびく。まるで作り物みたいだったが、花に似た甘い香りを漂わせていた。よほど丁寧に手入れされているらしい。
そして、体つきはほっそりとしていながらも随所に女性特有の丸みを帯びている。きめ細かい肌には若さゆえの瑞々しさと張りがあり、さながら真珠のように白く光り輝いている。
見ていると、どこかに歯型をつけてやりたいという衝動と抱きしめて守ってやりたいという感情の二つが湧いてくる。思わず生唾を呑み込んだ。
──未熟な少女の姿だが、しかしなお、ユイはこれだけの魅力を有していた。
成長すれば絶世の美女になるだろう。ならなかったら嘘だ。世界のほうがおかしい。深刻で致命的な欠陥を抱えている。
性格のほうも、妄想癖はともかく、人を騙すような悪辣さは感じられない。
案外悪くない……。いや、それどころかかなり……
「え……?」
そこまで考えて、気づく。
自分が、自分の思った以上に、ユイを褒めていることに。
待て。今も止まないこの胸の高鳴りは、彼女に対する警戒信号のはずだ。
なのに、これではまるで──
「どうしました? 私の顔に何かついてます?」
「っ」
ユイの、顔が、近い。
腕を、上げれば、抱きしめられる。
その、あとは。……そのあとは、何をするつもりだ?
「……?」
ユイが小鳥のように首を傾げた。その仕草は二秒ほど続き、「あ!」と片手に拳を乗せる動作で終わる。
ユイは挑発的な笑みを浮かべ、
「……ははーん。さてはこの超絶美少女ユイちゃんに見惚れてましたね? もうっ、いくら私が可愛いからってそんなに熱い眼差しを向けてもだめですよ! 私は誇り高き竜人族。自分の伴侶は自分で見つけると決めているのです! ラグナさんも見た目は悪くないですが、私の好みは王子様系なのでごめんなさい! 気を悪くしないでくださいね? そうそう、王子様といえばやっぱり金髪ですよね! でも銀髪も捨てがたいです! 太陽のような微笑みと氷のような冷笑の二人の王子様が私を取り合って争う。これぞ乙女の夢! ロマン! きゃー! たまらないです! それからそれから──」
前言撤回。
スッと熱が引いていく。
(なあ、見てただけでフられたんだけど。やっぱりやめようぜ。確かに見た目はとんでもなくいいが、同じくらい脳みそお花畑だぞ、こいつ)
(逆に考えなさい、ラグナ! これだけアホなら口説くのも簡単なはずよ!)
(マジで言ってんのか!?)
(ここは恋愛のプロフェッショナルであるわたしに任せなさい。大丈夫、必ずあの子を堕としてあんたのものにしてあげるわ)
(気が進まんな……)
(つべこべ言わない! 男でしょ! それとも何? あんたは女を口説く度胸もない玉無しなのかしら?)
(……あ? テメェ今なんつった?)
聞き捨てならないセリフが聞こえた。コクトーを睨む。黒い刀身に険しくなった自分の目元が映っていた。
(玉無しって言ったのよ。聞こえなかったんなら何度でも言ってあげるわ。女を口説く度胸もない玉無し野郎。ハ、棒のほうもさぞかし立派な〝お飾り〟なんでしょうね)
(────)
下品で、安い挑発だ。
こんなもの真に受けるほうが馬鹿げている。
だが、なぜだろう。
(上等だ……やってやろうじゃねえか!)
コクトーに言われると無性に腹が立つ……!
男には罠だとわかっていても退けない時がある。ラグナにとっては今がまさにそれだ。絶対に譲らない。どうせ一度死んでいるのだ、どうなったって構うものか。
(やる気出た? じゃあ、まず)
(黙ってろ! 誰がテメェの力なんか借りるか!)
コクトーを地面に突き刺す。そして一歩前進し、
「ユイ!」
先ほど刺した木を壁に見立てて手をついた。ユイに覆い被さるような姿勢だ。いきなりの急接近に驚いた表情が顎のすぐ下にある。
「え? あ、あの、ラグナさん? お顔が怖いですよ……?」
ユイがしどろもどろになって目を泳がせる。そこへ、さらにずいっと近づくと、次第に呼吸が乱れ始め、形のいい耳にほんのりと赤みが差す。
「おまえのドラゴン探しを手伝ってやる」
ラグナは言った。
そして、こう続けた。
「ただし条件付きでな」
「条件……ですか?」
少し潤んだ上目遣いで訊き返してくる。
「報酬のことだ。まさかタダで手伝えとは言わんだろう?」
「もちろんです! 竜人族は受けた恩を必ず返します!」
「いい子だ。なら、報酬におまえをもらう」
「へ?」
呆けるユイ。
すかさずラグナは彼女の手を取り、いわゆる恋人繋ぎにする。同時に空いたほうの手で腰を抱き、体の前面を密着させる。
「おまえがほしいって言ったんだよ」
「……そ、そそ、それってつまり……」
腕の中の少女はみるみるうちに肌を紅潮させていく。ばくん、ばくん、というテンポの速い鼓動を可愛げのある強さで響かせる。なんて華奢なのだろう。うっかりへし折ってしまいそうだ。
だが、あくまで淡々とした調子は崩さない。
「ああ。俺はユイに一目惚れしてる」
「一目惚れぇ!?」
ユイが一気に火だるまになった。
「で、でも、全然そんな様子なかったし、私たち会ったばかりですし、そもそも私の好みは王子様みたいな人でっ」
「好きな女にはついぶっきらぼうになっちまうんだ。それによ……おまえが望むってんなら王子様にでも何にでもなってやる。空想上の男なんかより、目の前にいるこの俺を選んだほうがいいと思うぜ?」
「ラグナさんが……私の王子様……?」
とろける眼差し。荒く熱くなる吐息。細く小さな体は服越しにもわかるほど火照り、汗のせいか、甘い匂いもグンと強くなる。
「…………」
「…………」
互いの視線が固く結ばれている。
陥落は半ば確定だ。
トドメに、ラグナは唇でユイの耳朶に触れ、低い声でささやく。
「──ユイリール。俺の女になれ」
「ぼひゃああぁぁん……!?」
ユイは目を回して気絶した。
「どうだ。これで満足か?」
脱力しきったユイの体を抱き支えつつ、口角を吊り上げてコクトーに尋ねる。
「うっわー……」
「ンだよその反応は」
「誰もそこまでやれとは言ってないわよ……。あんたって、もしかしてとんでもない女たらしなんじゃないの?」
「女を口説くのなんて生まれて初めてだぞ」
「……イマイチ信用ならないわね。っていうか、この子ちょろすぎ! 他人事ながら将来が心配になるレベルでちょろいわ! 絶対悪い男に引っかかるタイプよ、絶対!」
「……おい、悪い男って俺のことか……? だがまあ、同感だ。こいつはなんだか放っておけねえ。そばにいなくちゃいけない気がする」
「……起きるまで待ちましょうか」
「ああ」
それから十数分、王子様はお姫様の目覚めを待った。