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目覚めの口づけを

 真紅の空が本来のオレンジ色を取り戻し、残ったのは円形状に拡散した雲だけだった。


「何よあれ……なんなのよ、あの馬鹿げた魔力は……! ドラゴンが蒸発するなんて聞いたこともないってーの……」


 コクトーが震え声を出す。


 対して、マイは口をぽかんと開けたまま空を仰ぎ続ける。一瞬で空を染め上げた真紅の輝き。その神々しいまでの美しさに心を奪われていた。


「あ」


 雲が描く円の中心から誰かが降りてくる。


「おかあさん……?」


 物心ついたときから知っている赤髪と自分たち姉妹にそっくりな顔立ちは見間違えるはずもない。


「あれ、おかあさんだ!」


「え、マジ!?」


「ほら、こっちにてをふってるもん! おーい!」


 マイが大きく手を振ると、マリアはさらに大きく手を振り返す。それから速度を落として柔らかく着地し、走り寄ってきたマイを大きくてふわふわしている胸で抱き止める。


「マイ!」


「おかあさん!」


「よかった……本当によかった……!」


 マリアの涙声につられてマイも泣きそうになったが、ここはぐっと堪えた。今はラグナのことが優先だ。早く彼を助けないと。一旦、マリアから離れる。


「おかあさん、ラグナをたすけて! このままじゃきっとしんじゃう!」


「うん、わかってるわ」


 マリアはマイの頭をひと撫でし、ラグナの傍らにしゃがみ込んで『治癒(ヒール)』を唱える。淡い緑の光がラグナを包み、まるで塗り潰すかのように焼け焦げた肌を元通りになる。


 が、ラグナは目覚めず、呼吸も戻らない。これでは無傷なだけの死人だ。


「致命的に魔力が足りてない……相当無茶したのね、ラグナさん」


「たすかる?」


「手立てはあるわ。ユイを起こしてきてちょうだい」


「う、うん!」


 しかし、こちらから向かうまでもなくルビーがそばにきていた。


「ありがと、ルビー」


「ガウゥ」


 ユイを地面に降ろし、肩を揺する。


「おねえちゃん、おきて、おねえちゃん」


「ん……」


 ユイは緩慢な動作で起き上がった。毎朝そうするように、目をこすって、大あくびと共に伸びをする。


「ほえ?」


 間抜けな声を出した。ここが自室ではないと気づきでもしたのだろう。ユイの碧眼が右往左往し、マイに定まった。


「ドラゴンはいない……でもマイはいる……。つまり作戦は上手くいったんですね! やったぁー!」


「もう、おねえちゃん! はしゃいでるばあいじゃないよ! こっち!」


 天に掲げられたユイの腕を掴み、半ば引きずるようにして真後ろ(マリアのほう)に向かせる。


「な、なんですか、いったい? ここは私とラグナさんのラブパワーが愛する妹を救ったという勝利の余韻に浸るべきところで……で」


 ユイが固まる。


「…………」


 マリアがにっこり笑っていた。


「え、えーとぉ……これには空より高く海より深い事情がありましてぇ……なんていうか、そのぉ……」


「ユイ、ふざけてる場合でもないわ」


「は、はい、すみません! って、ラグナさん!?」


 ユイの誤魔化し笑いが一気に青ざめ、次の瞬間にはラグナに飛びついていた。頰に触れる。呼吸を確認する。胸に耳を当てたあと、わなわなと唇を震わせながらマリアを見上げる。


「息、してない……心臓も……! おかあさん!」


 ひどく取り乱した様子で叫ぶ。動転しすぎて、ぜー、ぜー、と息遣いが荒くなり、目と口の端からそれぞれ涙とよだれが流れ出す。マイはそんな姉を見てかえって冷静になる。


「ちょっと過呼吸気味ね。ユイ、一旦深呼吸しましょう。ラグナなら大丈夫だから。はい、すー、はー。すー、はー」


「すー、はー。すー、はー……」


 コクトーのリズムに合わせてユイが息を吸って、吐く。それを何度か繰り返し、どうにか平静を取り戻した。


「おかあさん、どうしたらラグナさんを助けられますか?」


 目元を真っ赤にして尋ねる。


 マリアは、


「ラグナさんの肉体は無事よ。それは私が保証する。問題なのは魔力のほう……早急に魔力供給する必要があるわ。でも、それは私にはできない」


「魔力濃度の差のせい?」


 コクトーが問う。確か、竜人族と人間では魔力の質が違いすぎて拒絶反応が出やすい、という話だったはずだ。


「それもあるけど、妊娠を経験した竜人族の体液は、伴侶以外の男性には猛毒でしかないのよ。だから、ラグナさんに私の魔力(たいえき)を与えたらとどめを刺すことになってしまうわ」


「ってことは、妊娠を経験したことがなればオーケーなわけね」


「理解が早くて助かるわ」


「頭脳も最強なのよ、わたしは」


「??? つまりどういうことですか?」


 わかる? と言いたげにユイがこちらを見てくる。ので、マイは首を横に振る。


「ユイはラグナさんの唾液は甘く感じたんでしょう?」


「え、なんですか急に」


「いいから答えて」


 急かされ、ユイはみるみるうちに赤くなった両頬に手を当てる。マイにはまだよくわからないが、これが恋する乙女の表情なのだろう。


「……はい。ラグナさんの唾液は今まで食べたどんなお菓子も敵わないくらい甘くて美味しかったです。それはもう我を忘れて貪ってしまうくらいに」


「じゃ、問題ないわね」


 マリアが納得したようにうなずく。次いで「ええ、そうね」とコクトーが相槌を打つ。


 二人の意図がなんなのか、やっぱりよくわからない。


「よし、ユイ。ラグナさんにキスしなさい」


 と思ったら、とんでもないことを言い出した。


「ほへぇ!?」


 素っ頓狂な悲鳴をあげて、食事中の小魚のように口をぱくぱくさせるユイ。頰にだけ差していた赤みが顔全体に広がり、脳天からぷしゅーと湯気を噴き出す。こんな姉は見たことがない。ちょっと面白い。


 心の中でほくそ笑むマイとは裏腹に、マリアは呆れ気味の嘆息をこぼすと、ユイに人差し指を突きつけた。


「彼の唾液が甘いってことはそれだけ魔力の相性がいいってことよ。ラグナさんを救うためにキスして自分の唾液を飲ませなさい。できるわね?」


「じ、自分からは恥ずかしくて無理です! しかも親の前でとか!」


「事態は一刻を争うの。それとも、あれだけ好きだのなんだの言っときながらラグナさんが死んでもいいの?」


「そ、それは……でも……」


 ユイが涙ぐんで視線を逸らす。土壇場で尻込みする、彼女の悪い癖が出た瞬間だった。


「おねえちゃ──」


 マイは指摘しようとした。しかし、マリアに手振りで止められる。


「ねえ、ユイ。好きな人にキスするのが恥ずかしいって思う気持ち、私にもよくわかるわ。自分だってそうだったもの」


 いつものような激しい口調ではなく、優しく諭すような口調。


 だからだろう。


「お母さんも?」


 ユイは短く尋ね返した。


「うん。でも、そんなくだらない羞恥心のためにルイを失いかけたことがあって……それからよ、私が素直になれたのは」


「そうだったんですか……」


「ユイの感じ方は年頃の女の子としてすごく普通だと思う。だからこそ、あなたには私みたいになってほしくないのよ。……最愛の人を死なせかけた、私みたいな女には」


 マリアは自分の腕に爪を立て、下唇を噛みしめる。それは過去の失態に対する罰、あるいは償いのようにも思える。


「もしあのとき、本当にルイが死んでしまっていたら。私は比喩ではなく本物の〝化け物〟になっていたでしょうね。目に見える全てを殺して殺して殺し尽くす……。そんな、血と呪いにまみれた人生を送っていたはずだわ」


 姉妹は母の気質をよく知っている。


 マリアンヌ・ドラグナーという女性は、普段は天真爛漫に見せかけているが、その実すさまじい激情家であり、目的のためならばどんな手段も使う非情な人物だ、と。


 女の皮を被った暴竜。それが彼女の正体だ。


 他人事ではない。竜人族は母体の特徴を色濃く継承する。マリアの血をその身に宿す姉妹にも残虐で狂気的な一面が秘められていることは疑いようもない。


 現在、ユイは在りし日のマリアと同じところに立っている。


 一歩踏み外せば人間性を失う。そういう状態だ。


 ユイの今後はラグナの生死によって別れるのだ。


 そして、その鍵を握るのは、他でもないユイ自身。


「……私、やります」


 ユイは火照った顔を決意で固めた。


 恋を知らぬ幼いマイには、ユイが今の話を聞いて何をどう感じたのか想像することしかできない。


 いつか大人になれば自分にもわかるのだろうか。姉の横顔を見て、そう思う。


「失礼します」


 ユイがラグナを抱き起こした。


 瞳を閉ざし、ゆっくりと、唇を近づけていく。


「おぉー……」


 マイはその光景に言いようもない興奮を覚えて釘づけになり、

 

「まだ早いわ」


 マリアによって目隠しされ、最後まで見届けることは叶わなかった。

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