黒髪が嫌われる理由
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これは子供でも知っているこの世界の歴史よ。
──遡ること数百年、突如としてソレは現れた。
黒い体。金色の双眸。触れただけで人間を喰い尽くしてしまう、不死の化け物。
その名は『魔族』。誰が最初にそう呼んだかはわからないけれど、誰もがやつらをそう呼んでいるわ。
魔族は圧倒的な数と力で人類を脅かし、人口の九割と地上の大半を奪った。
人類はもちろん抵抗した。必死に、生き延びるために、なりふり構わず戦った。それでも絶滅を免れるのがやっとだった。
これがいわゆる『人魔大戦ラグナロク』。
あんたの名前のくだりでも出たわね。人類史最悪の悲劇よ。
追い込まれた人類はなんとか滅亡を回避しようと知恵を絞り、異世界の死者を召喚・蘇生するための『転生の神殿』と、せっかくの転生者を早死にさせないための『神器』を創り出した。
この二種類の叡智は人の手には余るとされ、天より遣わされし女神によって管理されることになった。
人類は徐々に勢いを取り戻していき、限られた世界の中だけでなら生きられるようになった。
だが、魔族に対する恐怖が消えたわけではなかった。
それは魔族に似ている黒髪への忌避という形で世界中に表れ、そのまま根付いてしまった。
こうして黒髪の人間は、人間でありながら魔族のように世界中から忌み嫌われる存在となった──
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「以上がわたしの知る世界の成り立ちと黒髪が嫌われる理由。つまるところ、あんたは誰にも選ばれなかった〝売れ残り〟ってことよ」
コクトーは長ゼリフをそう締めくくった。
「…………」
腹痛、めまい、吐き気が束になって襲ってきた。
耐えきれず横になる。
気分が悪い。風邪を引いたときみたいだ。
『黒髪は世界中から忌み嫌われている』
その言葉がやたらと耳に残っている。まだ誰にも嫌われてないのに、どうしてか、叫びたいくらい不安だった。おかしい。ここまでショックを受ける話だったか? そんなにも俺は人に嫌われたくないのか?
「……じゃあ俺は、誰にも望まれないどころか生きてるだけで疎まれるのか……」
現状を声に出してみた。失敗だった。目の奥が痛い。眼球ごと脳に針を刺されたらきっとこんな感じだろう。言うんじゃなかった。
「だいぶ参ってるみたいね」
「ああ……」
弱々しい返事しかできない。
ちくしょう、指先が痺れてきた。喉もカラカラだ。さっき水を飲んだのに。
この不調の原因はストレスとみて間違いない。〝病は気から〟とはまさにこのことだ。心のダメージが体に反映されている。
「そうなっちゃうのはしょうがないわ。転生者って目覚めた直後は精神的にすごく不安定なの。女神や転生者を望んだ人が使命と一緒に強迫観念を植えつけやすくするために脳を弄ってるんだって。すっぽんぽんだったのもそれが狙いらしいわよ、服は心の鎧になりうるから。非人道的だとは思うけど、合理的よね。転生させても好き勝手やられちゃ意味ないもの」
感心した様子で言うコクトー。ラグナは怒る気にもなれず、うっとうしい長めの前髪を左手で掻き上げた。
気持ちとは裏腹に晴れた視界。そこに映るすべてが自分を拒絶しているように感じた。こんな命にはたして価値があるのだろうか?
「こんなことなら転生なんてしたくなかったな……」
「暗いわねぇ。生きてりゃそのうちいいことだってあるわよ、たぶん」
「他人事だと思いやがって」
「だって他人事だもーん。でもね、あんたはまだマシなほうなのよ? ひどいやつだと目覚めた瞬間に発狂しちゃうんだから」
「なんとなくわかるよ……アイデンティティがないから自分を保てないんだろう。前世の記憶もないしな」
「ふーん、そうなんだ」
「おまえ天地がひっくり返っても絶対カウンセラーにはなれないタイプだよな……。つーか、おまえだって最後まであそこに残ってたんだ。境遇は俺と似たようなもんだろ」
「失礼ね、あんたと一緒にしないで」
コクトーがぴしゃりと言った。
「わたしはわたしを扱うに足る使い手に巡り会えていないだけで、誰にも選ばれなかった惨めなあんたとはワケが違うわ。勘違いしないでね? 今あんたに付き合ってあげてるのは仕方なくなんだから!」
「じゃあ、もし俺より優れた使い手が現れたら……」
「ええ、そのときは容赦なく鞍替えするわ!」
「……地獄に落ちろ、尻軽女」
「残念でした! わたしは女である前に刀よ!」
「…………」
正論すぎて言い返せなかった。
「ま、神器にだって使い手を選ぶ権利くらいあるってコト。ちなみにわたしは最低限の仕事しかしないから期待しないでね!」
「いや、そこは真面目にがんばってくれよ」
「嫌よ、めんどくさい。わたしの目的は最強の神器として名を馳せることであって、別にあんたを生かすことじゃないもの」
「……そんなんだから売れ残ったんじゃねえの?」
というか最強って自称だったのか。
「わたしの性能を見抜けなかった連中が愚かで間抜けだったってだけよ。その点、わたしのすごさを理解できるあんたはあいつらより見る目があるわ。えらいえらい!」
「ガキ扱いすんな。……ったく、女神とやらも人が悪い。髪が黒いってだけで嫌われるような世界に召喚よぶんじゃねえよ……」
瞳を閉ざす。深呼吸する。いくらか気分が楽になる。
そうすると思考がまとまってくる。
世界に嫌われるのは仕方ない。元より死者の身。この姿で死んでしまったということは、そもそも生きるのに必要な運が足りていなかったのだろう。そういうことなら、まあ、かろうじて受け入れられる。かろうじて。本当はなんでこんなに理不尽なんだと怒りたいけれど、怒ったところで何かが変わるわけじゃないので、嫌々でも受け入れるしかない。
だから、せめて。
自分がどんな人物だったかくらいは思い出したいと、そう願った。
目蓋の裏を見つめながら、記憶の扉を何度も叩く。あるいは記憶の引き出しを片っ端から開けようとする。
しかし、どれにも堅牢な鍵がかかっていた。いや、それ自体がないと言ったほうが正しい。転生者はこの世界の言語に適応する代わりに前世の記憶を失う。最初にコクトーが話していたではないか。試みは徒労に終わる。
心細い。自分は何者なのか、これから何をすればいいのか、何もかもわからないことが、とてつもなく恐ろしい。
それを拭い去るためにもう一度記憶を探ってみたが、結果は同じだ。上手くいかない。むしろ躍起になればなるほど五感が強く働き、現実に引き戻される。
──そんな状態だったからこそだろう。
どこからか、聞こえたのだ。
パキッ、という。
小枝が踏み割られる音を。
「っ」
飛び起きて刀を正眼に構えた。気持ちはとうに切り替わっている。戦闘用の精神に。自分でも驚くくらい迅速に。
「うわっ、何!? 急にどうしたの!?」
「静かにしてろ」
どこだ。どこにいる……? 神経を張り詰め、五感をフル稼働して音の発生源を探す。
確かに何かの気配があった。まず、それは間違いない。問題はその正体が、人間か、獣か、はたまた件の魔族か、だ。
前の二つならなんとか対処できるだろう。だが先ほどの話を聞いた限り、魔族の場合は絶対に逃げたほうがいい。触れただけで人間を喰い尽くしてしまう不死の化け物なのだ。戦おうとすること自体が愚の骨頂だ。
「……チッ」
くそ。木々のざわめき、小川のせせらぎ、鳥の羽ばたきが邪魔だ。なかなか位置を特定できない。
視界の端で何かが動く。落下中の木の葉だった。
反対側で何かが動く。風に揺られた木の枝だった。
神経を尖らせているせいで事あるごとに過剰反応してしまうし、依然として続く緊張に手足は汗ばみ、体はこわばり、心臓は警鐘をやかましく鳴らしている。
こうなれば自分と相手、どちらの集中力が先に切れるかの我慢比べだ。
この競争が終わったとき、すべての決着がつくだろう。
「…………」
膠着したまま、おそらく数分が経過した。
相手は姿を現さない。物音一つ立てない。逃げたのならそれでいい。戦わないに越したことはない。
だが、もしもまだ近くに潜んでいるとしたら──
そうしていよいよ緊張が解ける瞬間、
「そ」
後方で、
「こ」
がさりと、
「か!」
茂みが揺れた。
刹那、靴底に爆薬を仕込んでいたかのような急加速。一息で間合いを詰め、茂みめがけて刀を突き出す。
返ってきたのは、柔らかな肉の手応え。
ではなく、堅い木の手応え。
しくじったか……! すぐさま刀を戻そうとする。そのとき、眼下に真っ赤な髪が見えて、なんだこれはと視線を下ろす。そこにいたのは、
「女……?」
目にいっぱいの涙を溜めた、一人の少女だった。