黄昏の英雄
「笑わせるな小僧!! その程度で儂に勝てると思うてか!!」
「それさっきも聞いたわよ、ボキャ貧トカゲ!」
「だ、黙れ!」
コクトーの煽りを受けて悪竜は攻撃態勢に入る。直後、もはや見慣れた茶色の柱がそびえ立ち、ユイとラグナを呑み込んだ。
潰された? 否、二人は左右に分かれ走り出していた。砂煙が二人の動きを追従する。ラグナのほうがいち早く悪竜の側面に回り込み、跳躍、斬りかかった。
「効かぬ!」
「うおぉぉぉぉおお!!」
一閃、ラグナが悪竜の首の横をすり抜ける──鮮血が噴き出す。
「ぐぉあがっ!?」
「まだだ!」
再び跳躍。風車のように回転しながら、今度は目と鼻のあいだへ縦の居合斬り。またもや真紅の液体が飛び散る。
「おのれ……! 一度ならず二度までも……!」
「ハ、何度だって斬り刻んでやるよ!」
ラグナが着地しながらそう返すと、悪竜は軋みが聞こえるほど拳を握り締める。
「摂理に逆らう不届き者め! 引導を渡してやる!」
「ガタガタ偉そうにうっさいわね!! 歯だけにしときなさいよガタガタなのは!! つーか傲慢なのよあんた!!」
「え、おまえがそれ言うの?」
「あんたも黙れ! さっさと戦えスットコドッコイ!」
コクトーの罵倒を受けつつもラグナは悪竜の叩きつけを軽やかに躱す。一刀の鋭さだけでなく、反応速度、回避速度も段違いだ。ユイがそばにいるだけでこうまで強くなろうとは……!
「ええい、ちょこまかと鬱陶しい! ならば女のほうから始末してくれるわ!」
悪竜が体を反転させる。
ユイは身を低くしながらマントをはためかせ、悪竜の周りを迂回している。
そこへ、悪竜の拳撃。
「────『強化』!」
急加速。ユイが過ぎ去った地点に巨腕が突き刺さった。
「私だってこれくらいできるんですよ! ────『炸裂』!」
魔法陣から赤い光弾が放たれる。
しかし、これは怯ませることしかできない。傷には至らない。
「やっぱり足りませんか……!」
舌打ちするユイに薙ぎ払いが迫る。だが、直前でラグナが彼女を抱き上げ、重さなど感じていないかのように軽々とそれを跳び越えた。
「逃げるな虫ケラども!」
「うるせえバカ!」
「アホ!」
「マヌケ!」
「ぐぬぬ……!!」
ラグナ、コクトー、ユイの順に罵った。
おちょくっている。あの悪竜を。
勝てる。そんな気がしてくる。マイの頬は自然と緩む。
だが決定的な戦力差が覆ったわけではない。一撃くらえばそれで終わり。かろうじて生き延びようと二撃目でぺしゃんこだ。それに通るようになったとはいえ、こちらの攻撃はほとんど通用していないのが現実。
自分たちは、本当に生き延びられるのか──……?
「ガウ」
安心しろとでも言うように。ルビーは尻尾でマイの頭を撫でた。一方で、怯えた様子もなく戦いの行く末を見守っている。揺るぎなく、動じず、戦士たちの勇姿を見届けている。
「うん……そうだよね。あのさんにんならきっとだいじょうぶ!」
信じて、待つ。
それが唯一できることだ。
だから目を逸らさない。
マイはルビーに倣う。
ラグナがユイを地に下ろし、再び走り出した。苛立ちのせいか、狙いが雑になってきている悪竜の拳を最小限の動きで躱し、すれ違いざまに居合いの一太刀を入れる。悪竜の足から血が噴き出す。しかし、致命傷には遠く及ばない。
「どこ狙ってんだ! 目でも悪くなったか? ああ、すまん、悪いのは歯並びと性格だったな!」
「あんたの言う虫ケラに余裕で避けられちゃったけど、ねえ今どんな気持ち? ねえ今どんな気持ちぃー?」
「──消し飛ばす!!」
紫根の鱗の上から透けて見えるほど喉が赤く燃え上がり、口から炎がちろちろと漏れる。ブレスで一気に焼き払うつもりだ。
「ラグナ、足元!」
「あいよ!」
そんな悪竜の懐にラグナは踏み込んだ。真下から垂直に跳び、今まさに炎を吐かんとする悪竜の顎をかち上げる。地を総なめにするはずだった炎熱の奔流は空に放たれ、焼失の運命から逃れる。
しかし──
「かかったな!」
空中で身動きが取れなくなったところを、悪竜に掴まれた。ラグナの体を易々と包み込む巨大な右の手。それは容赦なく彼を握り潰そうと力んだ。
「がぁぁあ……!?」
絞り出される悲鳴。もがくが、どうにもならない。翅を抑えられた虫のようだ。悪竜がにやりと嗤う。
「儂のほうが一枚上手だったようだな。このまま粉々にしてやる!」
「うわぁぁぁぁぁああぁあ!!」
右手を左手で包み、ラグナをさらに締め上げる悪竜。
その邪悪な笑みが、不意に歪んだ。
左手を離す。
血が流れている。
右手を見る。
手の甲からコクトーの黒い刀身が飛び出している。
「俺のほうが……もう一枚上手だったみてえだな!」
ラグナが不敵に笑い、力ずくで刀を振り上げ、悪竜の右手を半分斬り裂いた。拘束が緩んだ瞬間、内側からもこじ開けて離脱、着地するまでに納刀し、二転目までを小さく、三転目を大きく後方転回して距離を取った。
「貴様……!」
出血を最小限にしようと左手で右手首を押さえる悪竜。それほど大きな傷ではないが、悪竜自体が巨大であるため、出血は滝のようだ。鉄っぽい匂いがマイのもとまで漂ってきた。
「摂理とやらも大したことねえな。たかが人間ごとき手ぇ斬られてよ……生きてて恥ずかしくないのか?」
「ただデカいだけのイキリトカゲとかわたしなら恥ずかしくてソッコー自殺しちゃうわー、やだわーもー」
「ぐぐぐ……!」
悪竜が牙を剥いて悔しがる。
「うわっ、ブッッッサイクな顔! とても見れたもんじゃないわね! っていうか歯並び悪すぎ! 歯医者行きなさいよ、歯医者! あ、でも口臭キツくて出禁にされそうね」
「ぐ──ぁ、がっ、いい加減にしろォォオ!! もう我慢ならん! ここまでの屈辱を味わわされたのは生まれて初めてだ! 圧殺してやる!」
そして、腕と翼を最大まで広げ、体軸が地面と垂直になるよう上体を反らした。正面から見た面積が最も広くなる格好。拳ではなく全身で押し潰そうと企んでいるのは明らかだった。
「これならば逃れられまい!」
「……そうだな。これじゃあ逃げられない」
ため息をつき、居合いの構えから棒立ちになるラグナ。
「ふははは! 観念したか! ならば死ねぃ!」
だが、
「死ぬのはテメェだ、クソトカゲ」
──この構図と立ち位置は先ほどと同じだ。
「今だ! やれ、ユイ!」
「何っ!?」
突如、赤い閃光が空間を満たす。
光源は悪竜の遥か後方。
ユイが両手首を合わせて魔法陣を展開していた。
悪竜はそれを首の捻りだけで確認したあと、ハッとしてラグナに向き直る。
「貴様、囮か!」
「もう遅ぇよ!」
ラグナは背後にそびえる岩壁を、悪竜の手形が作る段差を利用して一気に駆け上がる。進路を横にズラして岩の屋根の脇を通れば、あっという間に射程圏外だ。
それを認めたユイが腰を深く落とし、発射体勢に入る。蜃気楼で周囲の景色が揺らいだ。迸る熱量はすでに悪竜のブレスを上回っていた。
「全魔力装填────」
その魔法は本来、圧縮した魔力を撃ち出すだけの単純なものである。
だが、ユイの持つ膨大な魔力を以ってすれば、あらゆるものを焼き尽くす地獄の業火となる。
「くそっ」
悪竜は翼を羽ばたかせ、慌てて飛び去ろうとする。しかし、
「────『炸裂』!」
間に合わない。
轟音。
閃光。
それ以外は何もない。
他の一切は灰と化す。
その場にいた全員が途方もない熱風にさらされただろう。
ラグナを救った牽制の『炸裂』とは比較にもならない、絶大な火力。
ユイの全霊を賭した一撃。
デタラメな魔力量で放たれたソレは、大気を穿ちながら悪竜の背に直撃し、翼膜を焼き落とし、紫紺の鱗を融解させ、その下にある筋肉をも焦がしていく。
弦楽器をめちゃくちゃに掻き鳴らしたような悲鳴が竜神山にこだまする。
「くたば」
そして、岩の屋根からさらに上空へと跳び上がっていたラグナが宙空で抜刀する。
ラグナ、岩の屋根、悪竜が縦一直線に結ばれていた。
「りやがれぇぇぇああああぁぁっ!」
落下の勢いをのせた刃が岩の屋根を斬り崩す。
斬り崩された巨大な岩塊が悲鳴ごと悪竜を押し潰す。
できあがった瓦礫の山は脳天から尾の先まで余すところなく悪竜を埋め尽くした。
時刻は夕暮れ。空がオレンジ色に燃え、黄金の光が西の果てから手を伸ばしている。
ラグナは刀を振り払い、肩に担いで断崖の上から瓦礫の山を見下ろした。
黄昏を浴びて立つ黒髪の青年は、まるで伝説に語り継がれる英雄のようだった。