滅びを意味する不吉な名
台座の道を進み、出口の前に立った。出口は周りの壁よりも白っぽい両開きの扉で塞がれていた。
しかし、取っ手らしきものがない。上から下まで真っ平ら。扉というよりただの壁。開けられる気がしない。
「どうやって開けるんだ、これ?」
軽く叩く。かなり分厚いようだ。蹴破るのは不可能だろう。
「魔力を流せば開くはずよ。扉に手を当てて意識を集中してみなさい」
「わかった、やってみる」
コクトーに言われた通り、扉に手を当て、意識を集中する。〝開け、開け〟と強く念じる。
何も起こらない。
「開かねえんだけど」
「あっるぇー? おかしいわねー、前はちゃんと機能してたのに」
「前って、どれくらい?」
「うーん……忘れたわ! ずっとここにいたんだもの。時間の経過なんてわかるわけないじゃない!」
「なんで威張ってんだよ」
引き抜かれてから妙にハイテンションだ。見ていて何か不安になる。
「っていうか、さっき言ってた〝魔力〟ってなんだ?」
「魔力はこの世界のあらゆる生命体が持つ〝精神を反映する〟エネルギーよ! 現代文明の基盤にもなってるわ。この扉も〝開け〟という念を魔力から読み取ることで開く仕掛けのはずなんだけど、どうやら壊れてるみたいね。まさかあんたの魔力がまったくのゼロってことはありえないし。あっはっは」
「あっはっは、じゃねえだろ。ここから出られないんだぞ。笑ってる場合か」
「ああぁっ!! 言われてみればそうよ! 何のんきなコト言ってんの、わたし! うぅ……やっと外に出られると思ったのに……」
「情緒不安定すぎるだろ……」
だんだん気の毒に思えてきた。
「まあ、アレだ。こんな薄暗いところにずっと閉じ込められてたんだ、いろいろおかしくなっても仕方ねえよ。あんまり落ち込むなって。な?」
「は? 何? 今の慰めのつもり? 最強の神器であるこのわたしがボケてるとでも? 見くびるんじゃないわよ、フルチンのくせに!」
「だからなんで威張ってんだよ。あとフルチンは関係ねえだろ」
もしかして下ネタが好きなんだろうか?
「あー、なんかムカついてきたわ! ねえあんた! こんな扉ぶった斬っちゃいましょう!」
「え?」
「あんたの馬鹿力とわたしの斬れ味が合わされば太刀筋がへっぽこでもなんとかなるわ! さあ、やる!」
「……ったく、しゃあねえな」
従うのは癪だが、ここから出たいという気持ちは同じだ。それにいい加減、寒い。
まずは一歩下がる。
「すぅ──……」
呼吸を整え、霞の構え。
そこから、
「……──はぁっ!」
一呼吸のあいだに、可能な限り乱れ斬り。
「おらっ!」
最後の蹴りで、分厚い石の扉は二度とその役目を果たせない姿になった。
「ヒュー! さっすがわたし! こんなの紙きれ同然ね!」
「マジですげえ斬れ味だな。石を斬った感覚じゃなかったぞ」
「トーゼンよ! わたしは最強なんだから!」
扉の向こうは細い通路になっていた。進むと小部屋に辿り着く。前方の細い通路から陽の光を取り込んでいるため、埃が舞っているのが見えた。壁には麻製の簡素な服が掛けられていて、その下には革製のブーツも置いてあった。
「服だ! サイズは……大丈夫そうだな」
いつまでも全裸でいたくない。コクトーを壁の隅に立てかけて、早速、着た。着心地はまあまあだ。
「ふぅ、やっと落ち着く格好になれたな。……ん? この文字は……?」
壁に何か書いてある。知らない文字だ。しかし、なぜか読み方が頭に浮かんでくる。
「『ラグナ』……もしかして、これが俺の名前?」
「うわっ、『ラグナ』ですって?」
唐突、コクトーが苦々しい声を出した。
「うわっ、ってなんだよ。感じわりぃな」
「あら失礼。随分と縁起の悪い単語が聞こえたからびっくりしたのよ」
「何?」
「『ラグナ』は古い言葉で〝滅び〟って意味なの。遥か昔、人類が魔族に滅ぼされかけた『人魔大戦ラグナロク』っていう戦争があったんだけど、それが由来ね」
「そりゃ確かに縁起が悪いな……」
「個性的な名前でよかったわね」
「嫌味かテメェ」
「ま、あんたみたいなやつでもしばらくは見捨てないでおいてあげるわ! わたしの寛大な心に感謝しなさい!」
自画自賛して高笑いするコクトー。……おちょくられているのが腹立たしい。仕返しに、彼女の峰を軽く小突く。
「ぁいたっ!?」
悲鳴。おそらく気分の問題だろう。本当に痛みを感じるのなら武器など務まるまい。
「ちょっと何すんのよ!ぶっ殺すわよ!」
おい、寛大な心はどこに行った。
「さて」
コクトーを担ぎ直し、他にめぼしいものがないか調べてみる。なさそうだ。となれば、
「とりあえず外に出てみるか。それで……まずは飲み水を探そう。飲み水の確保はサバイバルの基本だからな。おいコクトー、この辺りで水が飲める場所を知らないか?」
「ふん、知らないわよそんなの! たとえ知ってたって教えてあげないもんね!」
「つまんねえことでヘソ曲げんなよ。転生者をサポートするのが神器の役目なんだろ?」
「うるさいバカ! べー!」
「ガキかテメェ」
この様子だと案内役は期待できそうにない。やっぱり重さだけじゃなく性格にも問題があったから誰にも選ばれなかったんだろうな……
「しゃあねえ。自分で探すとするか」
気持ちを切り替え、外から射し込む光の中へと進んでいく。
最初に、森林の匂いが鼻腔をくすぐった。
*****
「お、あったあった」
かすかなせせらぎが聞こえた。音を頼りに茂みを掻き分けていくと、綺麗な小川を見つけることができた。
しかし、すぐには口をつけない。底まで透けて見えるほど澄んでいるが、もしかしたら有害な成分や寄生虫が含まれているかもしれない。濾過や煮沸をしようにもそんな道具はどこにもない。飲むとしたら、ちょっとした賭けになる。
「ええい、ままよ!」
思いきって飲んでみた。
……うまい。腹痛、めまい、吐き気、そういった症状は現れない。とりあえずは大丈夫そうだ。
「あ……?」
ふと上流に目をやれば、途中で二股に分かれて一方を神殿のほうに延ばしていた。人の手が加えられた痕跡がある。それで、損した気分になった。つまり、この小川は神殿で飲み水として使われていた可能性が高いのだ。あんなに警戒した自分がバカらしい。
だが、同時に安堵も込み上げてきた。飲み水を確保できたおかげで心に余裕が生まれているのがわかる。もう一口飲もう。
──として、停止した。
水面に男の顔が映っている。
狼の毛並みを思わせる黒髪に、黒い瞳の凶悪な三白眼。精悍な顔立ちにくっきりとした眉毛。鼻筋も通っている。年齢はおそらく二十歳を超えているだろう。
「ほう、これが俺の顔か。なかなかかっこいいんじゃないか?」
意味もなく表情を決めていると、
「うわっ、自画自賛とかナルシストなの?」
コクトーが引き気味に言った。
「おまえにだけは言われたくねえよ。でも、悪くはないだろ?」
「まあ、好きな人は好きそうよね。黒髪なのはいただけないけど」
「え、黒髪だとダメなのか?」
「ダメっていうか、黒髪は不吉の象徴なのよ。だからあんたみたいな黒髪の人間は人々から忌み嫌われてるわ。あんたが最後まで神殿に残っていたのもそのせいね」
「どういうことだ?」
「休憩がてらもうちょい詳しく話してあげるわ。感謝なさい」