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姉妹喧嘩

 朝だというのに、ラグナはベッドの上にいる。


「…………」


 あれからラグナは眠り続けていた。すでに一週間が経過している。点滴を打っているので命に別状はないが、日を増すごとに痩せ細っていく彼の看病を続けることは、ユイ自身の負担にもなっていた。


「ユイ、入るわよ」


 マリアが食事を持ってきた。ユイと、ラグナの分だ。マリアはラグナがいつ目覚めてもいいよう、いつも二人分を用意してくれる。そして、いつも片方が手付かずの状態でキッチンに戻される。運ぶのはユイ。毎回毎回、あまりの虚しさに泣きたくなる。


「起きる気配は?」


 ユイは黙って首を振る。


「そう」


 マリアはそれだけ言うと部屋を出て行った。そっとしておいてくれるのはありがたい。


「ラグナさん……」


 彼のこけた頬を撫でる。骨の感触ばかりで肉の柔らかさがない。目の下には、眠っているのに濃いクマがあり、肌も青白かった。まるっきり病人の姿だ。痛ましい。


「死んだりしないよね……大丈夫だよね……」


 目の奥が熱くなって、涙がこぼれた。温かな雫はラグナの手へと落ちた。


 その瞬間、ラグナが目蓋がゆっくりと開き──なんてことはない。


 そんな都合のいい展開は散々夢想し尽くした。


 夢想は現実には及ばない。


 ねえ、あんなに私が泣くことを嫌がっていたじゃないですか。


 どうして目を覚ましてくれないんですか、ラグナさん。


 ギィ、とドアの開く音。


「おねえちゃん」


 マイの声。


「このあいだはごめんなさい」


「…………」


 肩越しに妹を見た。たぶん、睨んだふうになっていただろう。


 マイは両手に赤と緑のドラゴンのぬいぐるみを抱えていた。二人で遊ぶときによく使っていたものだ。赤がユイで、緑がマイ。赤いほうは緑のほうより古ぼけていて、生地が薄汚れていたり縫い直した後があったりした。


「おねえちゃんとあそびたい」


 マイが一歩近づいてくる。こちらの気を損ねないように注意したのだろう、静かな一歩だ。


「おねえちゃん、あそぼ? まえみたいに、ふたりで──」


 また一歩。


「こないで」


「っ」


「そんな気分じゃないの。見ればわかるでしょ……」


「…………。……なんでそんなこというの?」


「なんで……? なんで、ですって?」


 立ち上がった拍子に使っていた椅子が倒れる。


 その音に、マイの小さな体が跳ねる。不安げにぬいぐるみを抱きしめる。


「いったい誰のせいでラグナさんが倒れたと思ってるんですか!?」


「それは……」


「あなたがあんなことを言わなければ! ラグナさんは今頃元気になっていたかもしれないのに!」


「おねえちゃんはマイよりも〝くろかみ〟のほうがだいじなの?」


「っ」


 一瞬、頭の中が真っ白になった。


「……ど、どっちも大事です」


「それならどうしてマイのことはみてくれなかったの? ずっと……さみしかったんだよ」


「…………」


 返す言葉がない。


 今更になってようやく気づいた。


 同時に後悔した。


 ──寂しい。


 マイがラグナに攻撃的だったのは、それが理由だ。


 自分の行動がマイに寂しい思いをさせ、結果的にラグナを苦しめたのだ。


 自分のことしか考えていなかった。


 すべての元凶は、私だ。


「マイ。私は……」


「……ぜんぶ、〝くろかみ〟がわるいんだ」


 マイが歯噛みして言う。怒りと悲しみに縁取られた碧い瞳がラグナを射抜く。


「マイのおねえちゃんはもっとやさしいもん。〝くろかみ〟がいるからヘンになっちゃったんだよね? 〝くろかみ〟がいなくなれば、きっともとのやさしいおねえちゃんにもどってくれるよね?」


「マイ、何を──」


 問いかけるとほぼ同時、緑竜のぬいぐるみが振り上げられ、


「きえちゃえ」


 ラグナの顔面に叩きつけられた。


 その行動にユイは愕然とする。


「おまえなんかいらない! おまえなんかうまれてこなければよかった! なんでおまえみたいなやつがここにいるの!? おねえちゃんをだましてるくせに! このまぞくモドキめ!」


 悲鳴まがいの罵声が響く。舞い上がった埃が日光に照らされてはっきりと見えた。感情のままぬいぐるみを振り回すマイの姿はあまりにも痛々しい。


「……っ」


 そして、ラグナが呻き、表情に苦悶を浮かべる。それが殴られた痛みよりもマイの呪詛(じゅそ)によるものだということは傍目(はため)にも明らかだ。


「や……やめてよ!」


「きゃっ!」


 ユイは我に返ると、咄嗟にマイを突き飛ばし、


「あ……」


 直後、また愕然とする。


 手にじんと痺れる感覚。床に転がったマイの頰は赤く腫れあがっていた。


 そして、マイは立ち上がり、


「おねえちゃんのばか! もうしらない!」


「ち、違うの……。今のは……」


「なにがちがうの!? おねえちゃんはもうマイのことなんかどうでもいいんでしょ!」


 緑竜のぬいぐるみをユイに投げつけ、涙を散らして部屋を飛び出した。


「私、マイを……」


 手が震える。


 悪い夢だと思いたい。


 けれど、見下ろす手のひらには平手打ちした感触が確かに残っている。


 足元に落ちた緑竜のぬいぐるみが恨めしそうに自分を睨んでいるような気がした。


「どうしよう、どうしよう……」


 罪悪感で息苦しい。たまらず喉を掴む。


「私はなんてことを……!」


 今まで妹に手をあげたことなんてなかった。


 喧嘩してもせいぜい言い合いを少しするくらいの、仲のいい姉妹だった。


 これからもずっとそうだと信じていたのに、自らの手で破り捨ててしまった。


 あらためて自覚すると、今度はめまいが襲ってきた。よろける。反射的に手を出す。


 ラグナの手に触れた。


「ラグナさん……」


 彼を放っておくことはできない。だが、マイを追いかけないわけにもいかない。


 こんなとき、彼ならどうするだろう。なんて言ってくれるだろう。


「……俺に構わず行け、って言うよね、あなたは」


 そんなあなただからこそ放っておけなくて、あなた自身の分まであなたを大事にしたくなる。


 でも、今は。


 乱れたシーツを簡単に直す。


 膝をつき、祈るようにラグナの手を握る。


「マイに謝ってきます。少しのあいだ離れますけど、すぐ戻ってきますから」


 ユイは部屋を飛び出した。




 けれど、マイはどこにもいなかった。

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