〝くろかみ〟は悪である
ばん!
「いいかげんにして」
テーブルを叩いた両手が痛い。けれど、どうでもいい。周りを黙らせることができれば。
「マイ?」
姉が眉をひそめ、ラグナの袖をつまむ。その仕草が気に入らない。こんなにも強烈な殺意が芽生えたのは生まれて初めてだ。
「みんな、おかしいよ。いったいどうしちゃったの?」
それを極力抑えながら家族に訴える。理解してくれたらもう他に言うことはないのだ。さあ、早く賛成して。マイがただしいと、いって。
「おかしいとは、どういうことだ?」
イクサスが聞き返してくる。周りも同じような様子でこちらを見てくる。
本当にわからないのか、この人たちは……
「みんなどうしてそいつとなかよくできるの? そいつは〝くろかみ〟なんだよ? 〝くろかみ〟は、まぞくとおなじなんだよ? だったら──マイたちのてきじゃない!」
溜め込んでいたものが一気に溢れて思っていた以上に大きな声が出た。
「っ……」
ラグナの表情が沈み、
「マイ!!」
ユイは激昂する。
やっぱりそいつのみかたをするんだ……マイは椅子から降りてイクサスの後ろに隠れる。
「イクサス! あれやっつけて!」
「待て待て、急にどうした? ラグナ殿を倒せだと?」
「はやくやっつけてよ! あいつはまぞくなんだよ!」
「っ、ラグナさんは魔族なんかじゃありません!」
ユイも机を叩いて叫ぶ。
「れっきとした人間です! そして私の夫になる人です! それ以上の侮辱はたとえ妹であっても許しませんよ!」
「ユイ、あなたまで興奮しないの。お姉ちゃんでしょ」
「今はそんなこと関係ないです!」
姉がすさまじい迫力で牙を剥き、睨んでくる。瞳孔が縦に割れていた。まさしく怒りに燃える竜の相貌。極めて興奮したときに現れる竜人族の特徴だ。
マイも負けじと睨み返す。唸り声を上げ、魔力を迸らせて威嚇する。もちろん魔力量では敵わない。だが、屈するつもりもない。姉を〝くろかみ〟から解放するんだ。なんとしても。
「二人とも一旦落ち着きなさい。家を焼き尽くすつもりかい?」
「「っ」」
父の言葉でハッとする。そうだ、喧嘩したいわけじゃない、我が家を燃やしたいわけでもない、ただわかってほしいだけなのだ。
見れば姉妹の周りには薄い膜が張られていた。母が作った魔力障壁だ。おかげで被害は触れていた家具が軽く焦げた程度で済んでいる。
マイは魔力を収めた。
ユイはまだ空気を煮え滾らせている。
「ユイ、怒り狂っているのはおまえだけだぞ」
「だからなんなんですか」
なだめに入ったイクサスを一蹴した。瞳孔も縦割れのままだ。
冷静になってみると、今の姉はとてつもなく怖かった。こんな姉は見たことがなかった。〝くろかみ〟という倒すべき悪がそこにいなければとっくに泣き喚いていたかもしれない。これまでにない敵意だった。
「イクサスもわかってるんでしょう? マイの今言ったことは、ラグナさんに対して一番言ってはいけないことです。それを口にした以上、黙ってるわけにはいきません。何より私の気が済まない!」
「なら、可愛い妹に手をあげるつもりか」
「そうだと言ったら?」
「全力で止める」
イクサスがそう言った途端、ユイはビクッと震えて縮こまった。恐怖のリアクション。瞳孔が元通りになり、魔力も鎮まる。それを見たマリアが魔力障壁を解く。
「数少ない竜人族同士で争うなんてことがあってはダメだ。ユイならもう理解できるだろう?」
「…………」
腑に落ちていないかのように眉根を寄せてテーブルを睨む。
イクサスは嘆息して、
「それに、ラグナ殿のフォローが先ではないのか」
「──あ……」
今だ。
「〝くろかみ〟なんかだいっきらい!」
言いながら駆け出した。二階にある自分の部屋を目指す。誰かがマイのことを呼んでいたが、確かめる余裕はなかった。
力任せにドアを開いて、閉じて。
鍵もかけた。
それからベッドに飛び込んだ。
もう我慢できない。
涙と、叫びが、溢れ出す。
「う、うぅ……ぐ、ぐっ、ううう……!! おねえちゃんのばかぁぁぁ……!! うわぁぁぁぁああああ!!」