魔法講座と悩み事
「えーと」
ラグナが視線を上にやる。
「魔力は精神を反映するエネルギーで、この世界の基盤にもなっていて、あと生命力? まあそんな感じで、魔法陣は魔法を使うときに出るやつ、ですかね」
「あながち間違いではないけど、その説明では不充分ね。『召喚』」
魔法でスケッチブックと鉛筆を手元に呼び出す。そして、そこになるべくわかりやすく図を描き込んでいく。字は下手だが絵は得意だ。
「私たちが魔力と呼ぶ不可思議な力は、読み取った思念を現実に投影するような形で事象として顕れる非物質エネルギーのことなの。燃えろと念じれば炎が、濡れろと念じれば水が魔法陣を通して本当に出てくるわ。そのときに特定の模様が表れるんだけど、事象そのものより模様のほうが鮮明にイメージしやすいと思わない? 事象そのものをイメージしようとしたら人によって差異が生まれてしまうから、たとえば軍事利用するときなんか困っちゃうわよね。商業とかでもそう。だから誰しもが一定の効果をもたらせる方法が必要だったのよ。そうやって、より効率的かつ効果的に狙いの事象を引き起こせるよう模様を編纂したものが魔法陣。まさに人類の英知と言って然るべきもの。歴史研究家の考証によると、模様から逆算して狙いの事象を引き起こすという発想は、当時の文化レベルを著しく飛躍させる革新的な閃きだったらしいわ。ここまではいい?」
「すみません、そんなに早口で話が長いとよくわかりません」
「つまりこういうことよ」
スケッチブックをラグナに見せる。
「『火を出しますよー!』『よっしゃ俺もやるぞー!』『やぁぁぁぁ!』『おりゃぁぁ! あれれー? そっちとなんか違うぞー?』『魔法を使ったとき出てくる模様を同じにすれば結果も同じになりますよー!』『おおー、ホントだ! わーい!』」
「……今のモノマネと、この黒いやつと赤いやつ、もしかして俺とユイですか?」
「うん!」
「なんで犬耳生えてるんです?」
「可愛いから!」
「……さいですか。まあでも、今の例えはわかりやすかったです。人のイメージは曖昧なものだから、より具体的にイメージしやすい魔法陣を思い描くことで、それに対応した事象を引き起こす──つまりそういうことですね?」
「そうです! それが魔法なのです!」
「予想以上に小難しいな……」
ラグナが眉間を指で押さえ、うーんと唸る。
「魔力+魔法陣=魔法。魔力によって効力が決まり、魔法陣によって効果が決まる。どちらかが欠けると魔法は成立せず不発に終わる。とりあえずこれだけ覚えとけば問題ないわ!」
そんな彼に、マリアはウィンクしながら親指を立てた。
「あ、だからコクトーでユイの『炸裂』を斬ったときも……」
「たぶん、魔力を魔素と固有因子に分離することで無効化したんでしょうね」
「うわっ、またなんか聞き慣れない単語が出てきた」
「嫌そうな顔しちゃってまあ」
案外単純ね、この子。
「じゃあ魔素と固有因子の話はまた今度にしましょう。この二つもそんなに難しくないんだけどね」
「ホントですかぁ?」
怪訝そうな目。元の目つきの悪さもあり、睨んでいるように見える。
「ええ、魔素は自然界に満ちた、言わば無色の純粋な魔力と呼べるものであり、生物はこれを体内の固有因子と混ぜ合わせることで魔力を作るの。固有因子というのはその生物の思念をある種の物質として考えたときの呼称で、精神力の強さがそのまま固有因子の量に直結しているとも言えるわ。裏を返せば心が弱い人すなわち固有因子の量が少ない人は魔力も弱い。戦場で死線をくぐり抜けて帰ってきた兵士の魔力が急に強くなったり弱くなったりすることがあるんだけど、その現象については今の考え方によって説明できるわね。同様に魔力の大きくしたい場合は肉体と精神の鍛錬を重ねて──」
「ストップストップ! もういいです! 頭がパンクしそうだ!」
「あらそう? ここからが面白いところなのに」
ラグナは水を一口飲み、枕に後頭部を沈めた。腕で目元を覆い、掠れたため息を吐く。
ちょっと情報量が多かったかしら? これでもかなり抑えたほうなんだけど……
「俺は魔法向きの人間じゃないみたいです」
「魔力はたくさんあるはずなのにね。もったいない」
「そんなこと言われても細かすぎて覚えてられません。魔法陣の暗記とか絶対無理」
「言うほど難しいかしら? 天才だからわからないわ」
「言いますね……」
「だって事実だし。昔は【赤き暴竜】なんて呼ばれていたこともあったのよ」
「それはまた随分と仰々しい名前で」
「うん……まあ、私にもいろいろあってね」
自然と目が細まる。
意識の半分は過去を巡る。
「家庭の温かさ、なんてものからは程遠い人生を送っていたわ。物心ついたときからずっと独りだった。私が信じられたのは、生まれつき持っていた強い魔力と他の追随を許さない圧倒的な魔法の才能の二つだけ」
ラグナが息を呑んだ。
「周りの人間どもはそんな私を利用しようとあの手この手で仕掛けてきた。私はやつらを追い払うために来る日も来る日も戦い続け、気づけば【赤き暴竜】なんて異名で呼ばれるようになり、時には英雄と称えられ、時には悪魔と謗られた。どっちも嫌だったな、本当に……」
「…………」
ラグナが何か言おうとして、結局口を閉ざした。大方、かける言葉が見つからなかったのだろう。安易に理解できると言わないあたり、気遣いのできる優しい子だ。
「私がほしかったのはそんなくだらないものじゃない。力も名声も邪魔でしかなかった。私が本当にほしかったものは──……誰かとの揺るぎない絆だった」
どんなに力が強くても、どんなに見た目が美しくても、孤独にだけは耐えられなかった。
どうして自分だけ、と泣いた夜は数知れず。
見つからないよう魔法で姿を隠し、適当に選んだ家の窓を覗き込み、世間では当たり前と言われている家族の営みを一日中眺めていたこともあった。
いや、戦いの時間以外はほとんどがそれだった。
自分にも家族がいたらと夢想することだけが生きる楽しみだった。
「そうしてやっと家族を手に入れたわ。ルイが私の人生を変えてくれた。ユイとマイが闇の中から私を掬い上げてくれた」
マリアはそこで笑みを作る。
「私にとっては家族が何より大切なの」
「…………」
ラグナはしばし考えるように目を伏せて、
「母にこだわるのはそういう事情があったからなんですね」
「うん。だから昔の私と似てるラグナさんのこともなんとかしてあげたいの」
それにラグナがユイと結婚すれば、マリアにとってのラグナは義理の息子だ。同じ境遇の者としてだけでなく、母としても未来の可愛い息子が悩んでいるのを放っておくことはできない。
「ありがとうございます。とても嬉しいです。……でも、俺は……そこまでしてもらえる価値のある人間じゃありません」
「それはあなたが一度死んだ人だから? それとも魔族に似た化け物だから?」
「……さあ、どうでしょうね」
はぐらかされた。詳しいことを話すつもりはないらしい。
なら、無理に聞き出すのも酷だろう。
「私たちはあなたが転生者であることも黒髪であることも気にしないわ。ユイを救ってくれた上に結婚までしてくれるような人を決して邪険には扱わない。そのことだけは覚えておいてね」
「……はい」
ラグナは力なく笑った。ひどくつらそうに。
「そろそろ下に降りるわ。夕飯の支度をしなくっちゃ」
「あ、これ、ごちそうさまでした」
空になった食器が差し出される。
「お粗末さまでした。じゃ、何かあったら声をかけてね。夕飯はユイに持っていかせるから」
「ありがとうございます」
「くれぐれも安静にするのよー」
シーツを胸元までかけてやり、彼の黒髪をひと撫でしてから部屋を出る。
後ろ手でドアを閉める。
「あの子はあの子で闇が深そうね……」
彼がいったい何を思い悩んでいるのか。
それがわかれば少しは力になれるのに。
歯がゆく思いながら、階段を下る。