定期検診、能力解明の予兆
ドラグナー診療所・治療室にて。
「体調は問題なし、と。じゃあ最後に魔力を測定するよ」
「はい」
ルイは懐中時計のような形をした魔力測定器を、ベッドに腰掛けているラグナに向ける。この測定器は感知した魔力を針の回転で表す仕組みで、多少の誤差はあるものの、それなりに精度が高い。
「…………。……やっぱりほとんど反応がない」
ゆえに、ラグナに魔力がないことは、まぎれもない事実と言えた。
「そう、ですか」
ラグナは目を伏せる。最初の頃は落胆の色を浮かべていた黒い瞳も、近頃は諦めの色を浮かべるようになっていた。期待していない人の目だった。
ラグナが目覚めてから今日でちょうど一週間。そのあいだ、彼はしっかりと休息を取ってきた。普通ならとっくに魔力が回復しきっているはずだ。
しかし、ラグナの魔力は一向に戻る気配を見せない。体調自体はすこぶるいいというのがまた不思議だ。
「このまま魔力が戻らなかったら……何かあったときにユイを守れないかもしれない。どうにかならないんですか?」
「慌てない、慌てない。こういうのはね、焦ると余計に失敗するものだよ。ほら、景色でも見て落ち着いて。今日は晴れてるから竜神山がよく見える」
彼を窓辺に行くよう促す。カーテンと窓が全開にされる。いい風が吹いていた。
「大きな山ですね」
景色の奥。彼は窓の桟に手をかけ、空気の青を被っていながらも圧倒的な存在感を放つ巨山を眺める。
「ドラグナー村自体が盆地の中にあるのに山頂がはっきりと見えます」
「あそこは竜人族の神、すなわち竜神が住まう霊峰とされている立ち入り禁止区域なんだ。近づくと魂を抜き取られると言われている」
ルイはその背にそう返す。
「それはまた物騒ですね」
「真偽のほどは定かでないけどね。わざわざ近づく理由もないし、せいぜい祭りのときに祈りを捧げるくらいさ」
「祈り……俺も祈ったら魔力が戻りますかね?」
深刻そうに言う。振り返らずともどんな顔をしているのか容易に想像がつく。
「その話題から少し離れようよ、ラグナくん。ここのところずっとそればかりだよ」
「…………」
ユイが一緒にいないときのラグナはかなり寡黙だ。余計なことを言わないし、余計な動きもしない。表情も変えない。ただその場でじっとしている。自分から何かをするということは滅多にない。あるのはせいぜいトイレくらいか。
心配だ。なんだか彼が抜け殻のように感じる。ユイがいて始めて起動する機械のような印象を受ける。
「あ、祭りと言えば」
ラグナが肩越しにこちらを見る。
今の彼を主治医として放っておくわけにはいかない。患者を元気づけるのも医者の仕事だ。
「去年ユイが祭りの巫女をやったんだけど、そのときの写真、見たい?」
わざとらしくニヤリと笑って尋ねる。
ラグナは一見興味なさげに目を逸らして、
「……見たいです」
小声。
「よっしゃ、ちょっと待っててよー。片付けついでに引っ張り出すから」
ラグナに背を向け、使い終えた医療道具を棚に運び、元の位置に置いていく。測定器だけは別のところにしまうのでひとまず脇に置いておく。慣れた作業だ。考えなくても体が勝手に動いてくれる。
だからその分、考え事をすることができた。
──なぜラグナくんの魔力は回復しないんだろう?
三日間眠っていたときは傷の修復に魔力が回されていたから回復しなかった。それはわかる。
だがそれ以降は? そこまで魔力を使うようなことはしてないはずだ。歩くだけで魔力が空になるなんてことはありえないし、絶対に何か別の理由がある。
では、その理由とはいったいなんなのか?
知りたい。
知りたい、知りたい、知りたい。
いくらか考察してみたが、どれも推測の域を出ない。
ルイの中にいる好奇心という名の学者が、ラグナの魔力が回復しないメカニズムをなんとしても解明したがっていた。
こんなに不思議な人間は初めてだ。
正直、ユイの恋人である以上に、研究対象として興味深い。
「はは、こんなこと言ったらユイに怒られそうだな。……ん?」
視界の端で、測定器の針が震えた。
「なんだ? 針が……」
振り切れている──そう認識した直後、
「っ!?」
背後から、すさまじい圧力。
それは暴風となって荒れ狂い、棚のガラスにヒビを入れ、ルイの体をも押し潰そうとする。
「ぅ、ぁ、くせ、る……!」
身体能力を向上させる魔法『強化』を使ってなんとか振り返った。
ラグナが窓から身を乗り出している。
一目でわかるほどの怒りが全身から発せられていた。
それは人間のものではない。
もっと獰猛な、言うなれば獣の覇気。
禍々しいまでに強烈な、魔力。
「────」
唐突、ラグナが膝から崩れ落ちた。
同時に暴風も収まる。
「い、今のは……?」
ラグナくんは何を見ていた? 窓の奥に視線を飛ばす。
ユイがいた。
かなり離れているが、愛娘を見間違えるはずがない。ドラゴンの餌を積んだ荷車を引いている。
その傍らには、旅人らしき風体の若い男が腰を抜かしていた。
男は情けない悲鳴をあげると、まるで化け物にでも遭遇したかのように村の外へと逃げていく。
「……まさか、ユイがあの旅人に話しかけられていたことに怒って、魔力を爆発させたのか?」
ラグナは窓の桟を握り潰したまま気絶している。答え合せはできないが、状況からしてそれしか考えられない。
棚のほうに戻り、測定器を確認する。
針が一周したまま戻っていない。
壊れている。
竜人族用の測定器が。
「並みの竜人族を明らかに上回っている……なんて魔力だ……」
思わず生唾を呑む。
ひょっとしたらラグナはこちらの予想を遥かに超えた力を宿しているのかもしれない。
常識を覆す圧倒的な力を。
人知を凌駕する未知の力を。
「ラグナくん、君はいったい……?」
恐怖とも好奇心とも取れる震えが起こった。体の芯が冷たい。興奮しているのに寒い。なのに胸の奥が熱い。怒っているときみたいだ。
「ん?」
〝怒っているときみたい〟……?
「──そうか」
閃いた。
今度は落雷に打たれたような痺れが起こる。
「そういうことだったのか。ラグナくんの魔力は怒りをトリガーに……! こうしちゃいられない! マリア! きてくれ、マリア! ラグナくんを頼む! 気絶してる!」
妻を呼ぶ。すぐに返事がくる。テンポの速い足音が近づいてくる。到着までおそらく五秒。これほどまでに待ち遠しい五秒は生まれて初めてだ。
気持ちを抑えられない。早く研究したい。早く、早く……! やっとラグナくんの力を解明できるかもしれない……!
興奮は留まるところを知らない。もう完全にルイは、医者でなければ父親でもなく、ただの一人の学者になっていた。