裸の男と抜き身の刀
俺は誰だ?
ここはどこだ?
何も思い出せない。
真っ暗闇の中、意識だけが浮上していく。
「っ……」
目覚めると、そこは薄暗いドーム状の空間だった。
どうやら自分の眠っていた台が青白く光っているらしく、天井や壁がぼんやりと見える。辺りはしんと静まり返っていて、何者の気配もない。
「……寒っ」
起きてから一拍置き、芯をなぞるような冷気に自身を抱きしめる。
そうして、気づく。
全裸だ。
肩幅が広く、なかなかの筋肉質で、体毛は黒い。よく鍛えられた若者の肉体といったところだろう。寒さのせいでまんべんなく鳥肌が立っていた。
何か着る物はないのか。あらためて周囲に視線を巡らす。
何もない。砕けた壁の破片。床の隙間から生えた雑草。目につくのはそんなものばかりだった。
「やっと起きたわね!」
「うおっ!?」
と思った矢先、女の声がして飛び上がる。首を右往左往させ、声の主を探す。見つからない。誰もいない。
「幻聴、か……?」
「んなわけないでしょ! こっちよ、こっち!」
声のほうへと向き直る。
そこには、台座に突き刺さった一本の黒い刀があった。暗闇に紛れていたのでさっきは気づけなかった。
「おまえは?」
「わたしは『神器・コクトー』。最強の神器様よ!」
「お、おう」
あまりにも自信たっぷりな態度に面食らい、少々どもってしまった。
まあ、それはいい。いろいろと訊きたいことがある。
「あのさ、ここはどこなんだ? 自分が誰なのか、どうしてここにいるのか、全然思い出せないんだ」
「それはあんたが転生者だからよ」
「テンセイシャ?」
「そ。この世界の新たな住人として異世界から召喚された死者。それがあんたよ。記憶がないのは、記憶があった部分にこの世界の言語を上書きしたからね。だから異世界人のあんたはわたしとしゃべれてる」
なるほど、理屈はわかった。筋も通っている。だが、
「いきなりそんな突拍子もないことを言われても……」
「戸惑うのも無理ないわ。でも、これが現実なの。とりあえず受け入れなさい。そうじゃなきゃ話が始まらないんだから。いいわね?」
「……わかった」
早口で諭され、渋々うなずく。
「物分かりがよくて結構結構。さて、早速だけどわたしを引き抜いてくれる? 早く出たくて仕方ないのよね!」
「ん」
青白く光る寝台から冷たい石の床に降り、コクトーの前に立つ。
「いい刀だな」
一目見て率直にそう思う。
「お、わかるぅ? あんたなかなか見どころがあるわね。さあ、がんばってちょうだい!」
「引き抜くだけなのにがんばるも何もないだろ」
言いつつ、右手でその柄を握った。
「ふっ! ……む?」
引き抜けない。
もう一度試してみる。
「んぐぐ……! くぁっ!」
引き抜けない。
「おい、ちっとも動かんぞ。台座にくっついてんじゃないのか?」
「……やっぱりあんたもダメか」
あからさまな落胆の声。先ほどとの態度の違いに、ラグナは少しムッとする。
「どういうことだ?」
「神器っていうのは目覚めたばかりの転生者を早死にさせないために女神が与える〝人の精神を宿した武器〟のことでね。基本、その転生者の能力に合ったものが選ばれやすいのよ。周りを見てみなさい。台座がたくさん並んでるでしょ?」
確かに台座は青白く光る寝台を中心として放射状に壁際まで連なっていた。
しかし、一ヶ所だけ何もない列がある。そこはおそらく出口への道なのだろう。突き当たりの壁の色が微妙に周りと違っている。
「この台座の数だけ神器とやらがあったのか。すげえ数だな」
「そして同じ数だけわたしを扱えない愚鈍で非力な転生者がいたってワケ。まったく、どいつもこいつも弱っちいわ根性ないわで嫌になるわ。ああ、ごめん、あんたもその一人だったわね」
「んだとテメェ」
嘲笑うような言い方をされ、自分の中に火が灯ったのを感じた。わかりやすく言えば、男の意地を刺激された。自分はひどく単純で挑発に乗りやすいタチらしい。
「よーし、こうなったら是が非でも引き抜いてやる!」
「あはは、無理無理! あんたごときじゃできっこないわ! やれるもんならやってみなさい!」
「絶対引き抜いてやる……!」
右手だけで握っていた刀の柄を、今度は両手で握りしめる。腰を深く落とし、踵で床を踏み潰し、
「せーの」
というかけ声で、
「うおおぉぉ!!」
全力で上に引っ張った。
力みによって血圧が上昇し、手や腕に血管が浮かび上がる。脳も破裂しそうだ。その代わり、冷えていた体が急速に温まっていく。
刀はまだ動いていない。もっともっとパワーが必要だ。
「お、おお、おぁぁぁぁ……!」
「はいはいがんばってるアピールごくろーさまでーす。でも結果を出せなきゃ意味ないのよね。実力皆無の意識高い系っかっつーの」
「ぁあ、ああ、あ……!!」
火に油を注ぐとはこのことだ。コクトーの煽りが自分の中にある火をより大きく凶暴なものに育てていく。それに比例して四肢に込めた力がどんどん増えていく。不思議な感覚だ。怒れば怒るほどパワーアップしている……!
「あ……ぐっ、ぁあ……あっ!!」
ズッ、と石の擦れる音。刀がほんのわずかに動いた。
「え、今、ズッ、って」
コクトーも驚いているようだ。いい気味だ。このまま一気に引き抜いてやる!
「ぁぁぁぁああああ……!!」
「マジ? もしかして、もしかするの?」
「ああああァァァァッッ!!」
ついに。
ついに、刀身のすべてが露わになった。
それは夜闇を固めたような妖しくも美しい漆黒に染まっていた。纏う雰囲気は明らかに異様で、特に何もしていないのに気が昂たかぶり、人を斬りたい衝動に駆られる。
けれど、体を突き動かすほどではなかった。というより、難なく衝動をコントロールできていた。まるでこの感覚を昔から知っているみたいだった。刀を持つこと自体にも違和感がなく、左袈裟、右袈裟と振ってみると、自分がこういった動作に慣れているとわかる。
「嘘……ホントに引き抜けちゃった……」
「ふん、造作もない」
刀の峰を肩に載せる。重い。とてつもなく重い。見た目詐欺だ。身の丈を優に越える巨大な鉄の塊でもないと辻褄が合わない。それくらい重い。
これは選ばれないだろうな、とひとりでに得心する。目覚めたばかりで右も左もわからない転生者には不向きだ。性格も高飛車で傲慢だし。
「すごいすごい! 今まで誰にもできなかったすばらしい偉業よ! あんた、ただのフルチンじゃなかったのね!」
「フルチンは関係ねえだろ」
一言余計だということも付け加えておこう。本人(本刀?)はそんなつもりはないのだろうが。
「なあ、鞘はないのか? さすがに抜き身のまま持ち歩きたくはないんだが」
「バッカねー、わたしに見合う鞘なんてそうそうあるわけないじゃない! それよりも早く行きましょう! あそこに出口があるわ!」
「……はいはい」
やっぱり引き抜かずそのまま放置したほうがよかったかもしれない……。思わずため息がこぼれた。