本音
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食後、三十分ほど寄り添い合って昼寝したあと、一度家に帰って荷物を置き、竜舎に移動した。
「……岩壁にバカでかい穴が空いてる」
ラグナが呆然とつぶやく。
目の前には断崖絶壁。ドラグナー村をぐるりと囲う岩山の一部だ。一軒家が丸々収まるほどの入口があり、中からはドラゴンの鳴き声が複数聞こえる。
「ドラゴンの住まいですからね。広くないと窮屈で仕方ないんですよ。さ、入りましょ」
穴をくぐる。
すると、岩山の中身を丸ごと刳り貫いて作られた広大な空間が現れる。
魔力灯をあちこちに配置し、いくつかの天窓を設けているため、明るさは外と変わらない。
正面奥の壁は端から端までが階段状になっていて、総計三十個の穴が等間隔で掘られている。
つまりここでは三十頭のドラゴンが飼育されている。
穴は下の段ほど大きく、数が少ない。上の段はその逆。ドラゴンの体重を考慮した構造だ。
飼育係は約十人。その日の忙しさによって若干数が増減する。今日は──数えると九人だった。
「特に何もない、平和な日みたいですね」
「平和じゃない日があるのか?」
「脱皮が始まったり体調不良が起きたりしたときは結構バタバタしますよ。その子の面倒を見るために飼育係が一人か二人、付きっきりになるから人手が足りなくなるんです」
「大変なんだろうな」
「そうですね。全然嫌ではないんですけど、作業量が多いときは正直しんどいです。かといって他のところから人を呼べば今度はそっちのほうが疎かになってしまいますし……まあ、しょうがないです。もっと竜人族が増えたらいいんですけど……ちらっ」
「だから効果音を口で言うなっつーの」
ダメか。遠回しに子供がほしいと伝えたのだが断られてしまった。一応、初潮はきているし、妊娠できるはずなのだが。
……妊娠?
妊娠といえば男女の営み。月の綺麗な夜、寝室に自分と彼の二人きり。劣情を抑えきれずやや乱暴に押し倒してくる彼。恥ずかしがりながらも受け入れる自分。ギシ、とベッドが鳴き、それが始まりの合図。彼の指が丁寧に服を剥ぎ、這うように肌に触れ、身体中を優しくまさぐる。脈打つ心臓。上気する頬。高まる火照りは荒い吐息になり、互いの興奮を伝え合う。やがて彼の唇が耳から首筋にかけてを愛撫し始め──
「うへ、うへへ、うへへへへへ」
「おい」
ぺしっ、と軽く頭を叩かれた。
「あひゃん」
おかげで変な声が出た。
「また妄想してやがったな?」
「えっ、な、なんでわかったんですか!?」
「ここにきてからずっと一緒にいるし、それくらいは、な。だんだんわかってきたよ。顔にも露骨に出てるし」
「なるほど! つまり、可愛すぎる私から目が離せないということですね!」
「…………」
自信満々に回答するも、ラグナは呆れたようなしかめっ面を作る。残念ながら不正解らしい。
「まあ、アレだよ。妄想自体は別にいいんだ、うん。そんなのは自由だ。好きにするといい。でもな、歩いてるときはやめろ。転んで怪我でもしたらどうすんだ。今の俺じゃ庇えねえんだぞ」
「ラグナさんが私の妄想を叶えてくれれば解決しますよ?」
「腹上死すんのはゴメンだ」
腹上死。男女の営みの途中で死んでしまうことを指す言葉だ。ある意味、男性の死に方としては本望かもしれないが、わざわざ死ぬために行為に及ぶ者はいないだろう。
逆に死んでしまうほど責められてみたい、とユイは思う。ついつい具体的な内容を妄想し始める。
だが、一度考え出すとまた自力では帰ってこられなくなるので、手遅れになる前にやめておく。続きは夜、ベッドの中でだ。
「お、ユイじゃない! 久しぶり!」
飼育係の一人がこちらに気づき、歩み寄ってきた。タンクトップにショートパンツという出で立ち。ポニーテールにした金髪と日に焼けた肌が健康的だ。スレンダーながらも女性らしい肉付きをしている。ラグナが露骨に目を逸らした。
「こんにちは! 遊びにきました!」
「いらっしゃい! あんたはいつ見ても可愛いねー。そっちの彼が噂の恋人さん?」
「はい! ラグナさんです!」
「……どうも」
素っ気ない返事だ。一向に目を合わせる気配がない。
「ん〜? んー……あ、そっか! この格好のせいか!」
飼育係がタンクトップの胸元を引っ張る。
「そりゃ恋人の前で他の女に色目を使うわけにはいかないよね! いやぁ、失敬失敬! アタシたちって生まれつき頑丈だし美しいからさぁ、服とかあんまり必要ないんだよね!」
「そうですか。しかし、ユイはあまり肌を出してはいませんが……」
「私のこれは趣味です。可愛い子が可愛い服を着たらもはや無敵でしょう?」
何を隠そう、今日の格好はフリルがたくさんついたピンク色のドレス。通販で買ったものだが、ゴシックロリータ、略してゴスロリというらしい。とある転生者がわずかに残っていた前世の記憶を元に作り出したのだとか。
この世界にはこういった異世界からの輸入品がたくさんある。竜舎を照らす魔力灯もその一つだ。
「まさに〝鬼に金棒〟ってわけか」
「よくわからないけどその通りです!」
「わからないのかよ」
「私はストレートな言葉しか受けつけないのです! 難しいコト、わかんない!」
「自慢げに言うことかっ」
「あはは、二人とも仲良しだね!」
そんな他愛のない会話をしていると、もう一人、別の飼育係がやってきた。
茶色の髪を肩上で切り揃えた女性。左目元の泣きぼくろが特徴的だ。紫色の着物から胸元と太ももを大胆に覗かせた着こなしをしている。ラグナはやはり目を逸らした。
「ねえ、随分賑やかだけど、何かあったの?」
「ユイとユイの恋人くんが遊びにきたんだよ。ラグナくんって言うんだって、彼」
金髪の飼育係がラグナを指差す。
「へえ……アナタが噂の……」
「……なんですか」
ラグナの瞳が警戒の色を帯びた。怯える獣の眼差しだ。
「あら怖い顔。気を悪くしたならごめんなさい。本当に黒髪なんだなと思って」
「何か問題でも?」
少し食ってかかるように言う。怯えを誤魔化すかのごとく黒い瞳を鋭く光らせる。
対する茶髪の飼育係は、動ずることなく、むしろ微笑んだ。
「単純に珍しかっただけよ。私より暗い髪の人を見たのは初めてだったから、つい凝視しちゃった」
「あー、あんたもだいぶ黒に近いもんねー」
金髪の飼育係が茶髪の飼育係の髪をつまみ上げる。金髪のほうが背が低いので、少し爪先立ちになっていた。
「どうせならアナタやユイみたいな綺麗な髪がほしかったわ」
それを意に介さず、茶髪の飼育係は頰に手を当て悩ましげにため息をついた。
彼女の仕草が色っぽくて、ユイはちょっと見惚れてしまう。悔しいけれど、幼い自分には出せない色気だった。同性の自分ですらそう感じるのだ、ラグナには釘を刺しておくべきだろう。
「ラグナさん、竜人族は美人ばっかりですけど私以外見ちゃダメですよ」
「見たらどうなるんだ?」
「泣きます」
「オーケー、了解、承った、完璧に」
「即答してくれるラグナさんが好きです」
許されるなら今すぐ全力で抱きつきたいところだが、我慢我慢。そうしないとまた痛い思いをさせてしまう。
「ところで、ルビーちゃんはどこですか? 真っ赤で綺麗なドラゴンなんですけど」
「最近きたあの子のことね」
金髪の飼育係が応える。
「まだ空を飛ぶのが苦手みたいだったから一段目右奥の個室に入ってもらってるよ。ほら、あそこ」
「わかりました! ラグナさんはここで待っててください! 連れてきます!」
「あいよ」
ユイはルビーの部屋に行く。
ルビーは体を丸めて眠っていた。名前を呼ぶと、片目を開け、のそっと起き上がる。
「会いにきましたよ、ルビーちゃん」
〈やあ、ユイ。話は聞こえてたよ。ラグナとの関係は順調そうだね〉
頭の中に中性的な声が響く。右腕に刻まれた『契約紋』の効果だ。心の声を伝え合う以外にも魔力の受け渡しや感覚を共有することができる。ゆえにルビーは、ユイとラグナが今までどう過ごしてきたかを知っている。
「それはもう絶好調ですよ! ラグナさんはすっごく私のことを大事にしてくれるし、見た目もかっこいいし、かと思えば可愛い一面があったりもするし、あと──」
〈長くなりそうだからその話はパスで〉
「え、ひどくない? いいじゃないですか、少しくらいのろけても」
〈二人が交尾してる妄想を四六時中見せられるボクの身にもなってくれないかなぁ。とっくのとうにおなかいっぱいだよ。むしろ吐きそう〉
オェッ、と人間臭く吐く真似をするルビー。
「こ、交尾……」
〈なんで赤くなるのさ。自分から垂れ流してるくせに恥ずかしがるなんて、わけがわからないよ〉
「それは……そうですけど……」
〈とにかく妄想するときは契約紋の接続を切ってね〉
「り、了解です」
まさか契約竜に説教されてしまうとは……。 いけない、これでは契約者の面目丸潰れだ。ここはしっかりと契約者らしいところをアピールしておかないと!
「それはそうとルビーちゃん、周りの子たちとは上手くやれてますか? 何か困ってることとかありません?」
〈特にないね。人間もドラゴンもいい人ばかりだし〉
「そう、ですかぁ……」
〈…………。……あー、強いて言うなら運動不足かな。たまには思いっきり山の中を駆け抜けたいよ〉
「っ! じゃあ、今度一緒に行きましょう! 日が暮れるまでなら許可が下りるはずです!」
〈ほんと? やったぁ!〉
どうやら名誉挽回できたようだ。いや本当にできたのか? ……まあ、できたということにしておこう。
〈ところでユイ〉
「え?」
急にルビーが神妙になる。ユイは目をぱちくりさせる。
〈君のほうこそ本当にラグナと上手くやれてるのかい?〉
「なーんだ、そんなことですか。さっき言った通りですよ。私たち、心も体もすごく相性がよくて──」
〈本当はラグナが弱音を吐いてくれないことに不安を感じているんだろう?〉
「…………」
言い返せない。
図星だった。
ユイは笑顔から真顔になる。
視線は自然と落ちる。
〈妄想と一緒に伝わってくるんだ。自分はそんなに頼りないのか、自分の価値はその程度なのかっていうユイの不安が。表面上取り繕ってるみたいだけど、ボクにはわかる〉
「……全部筒抜けなんだね」
〈契約竜だからね〉
「ルビーちゃんが言ったことは全部正しいよ。ルビーちゃんとの契約を手伝ってもらったときからずっと感じてたんだ。この人は私のために命まで賭けてくれたのに、私はこの人に何も返せてない。なのに好かれてていいのか。私にその資格があるのか。むしろ負担になってるんじゃないか、って」
〈それであんなにラグナを求めるんだね〉
ユイはこくんとうなずく。
「はっきりした形がほしかった、って言うのかな。私とラグナさんを繋ぐものがちゃんと存在してないと、いつかラグナさんが私より頼りになる人のもとに行っちゃいそうな気がして怖いの。そのために私が差し出せるものといったら、私自身しかないから、ラグナさんに受け取ってほしかった。ラグナさんのモノになって永遠に離れられないようにしてほしかった。それがつまり……ルビーちゃんに見せちゃってた妄想の真実だよ。も、もちろん純粋な願望でもあるんだけど」
〈で、それをラグナに言ったら余計な負担をかけちゃうだろうから黙ってる、と〉
「……うん」
〈本音を隠してるのはお互いさまってわけだ。人間って不思議だね。せっかく〝言葉〟という便利な道具があるのになぜそれを有効活用しないんだい? あれかい? センサイなオトメゴコロってやつ?〉
「人間には真正面から言えないこともたくさんあるんですっ」
〈そっか。じゃあ、ラグナにもユイには言えないような秘密があるのかもしれないね。たとえば前世で離れ離れになった恋人を探しているとか〉
「不安になるようなこと言うのやめて」
〈涙ぐまないでよ、ボクが悪かったから〉
すん、とユイは鼻水をすすり、
「私でいいのかな……ラグナさん、本当は私のこと迷惑に思ってたりしないかな……」
もはや不安を隠せない。暗くなったらそのままどん底まで落ち込んでしまう。だから日頃明るく振る舞っているのだが、落ちるときはどうしても落ちる。
〈やれやれ〉
ルビーが呆れたようなため息をついた。
〈ユイは自己チューでヘタレで泣き虫だ〉
「は、はっきり言いすぎ……」
〈だけどね、そんなユイだからこそラグナと仲良くできてるんじゃないかってボクは思うよ。実際に戦ったからわかる。彼は自分の命を軽く見ている。守るものが──ユイがいなかったらきっとすぐ死んじゃうよ〉
「ええと……私の弱さがラグナさんをこの世に結びつけてるってこと?」
〈うん。ユイが弱いからこそ生きて守らなきゃいけないって気持ちが働くんだ。だから大丈夫。ラグナはユイから離れないよ〉
言われてみれば腑に落ちる。
自身より大切なものを置き去りにして死ぬなんてことは、ラグナは絶対にしないだろう。
だが、〝大切なもの〟がラグナを必要としなくなったら?
それこそラグナは存在意義を失ってしまう。
生きる理由がなくなる。
ああ、そうか。
それがラグナの弱さなのだ。
ユイとラグナは弱さで結ばれ、互いを補っている強固な関係なのだ。
だから、絶対大丈夫。
「ありがとう、ルビーちゃん」
考えがまとまり、気が晴れた。感謝を込めてルビーの顎を撫でる。ルビーが気持ちよさそうに目を細める。
〈どういたしまして、ご主人様〉
「ラグナさんのところに戻りましょっか。きっと喜んでくれますよ!」
〈うん、ボクもラグナに会いたい〉
ユイとルビーは個室から出た。
そして、
「ラグナさーん! ルビーちゃん連れてきまし──」
「へぇ、そのときの傷がこれなんだぁ」
「強い男は好きよ。……ね、今夜ウチにこない? たっぷりサービスしてあげる」
「い、いや、俺は……」
「…………」
〈あ……〉
〝虫〟が湧いてる。
駆除しなきゃ。