これからの生活
「どういった経緯でここにきたのか覚えているかい?」
「ええ、まあ」
ラグナは『転生の神殿』で目覚めてからドラグナー村の前で気絶するまでのことをかいつまんで話した。途中、ユイが水を汲んできてくれたので長くしゃべることはそれほどつらくなかった。
「すべてユイから聞いていた話と一致している。記憶の混濁や喪失がないみたいでよかったよ。娘が世話になったね」
「い、いえ、こちらもこうしてお世話になってますから」
「はい! はいはい! 私もラグナさんのお世話しました! 褒めて褒めて!」
ユイが割り込むように手を挙げる。
「おまえもありがとな。おかげで元気いっぱいだ」
「むふふー」
人懐っこい小動物みたいだな、なんてことを思いつつ、ラグナは、
「ルイさん、これからのことなんですが……俺はこのままドラグナー村に居座っても大丈夫なんでしょうか?」
「もちろんだとも! 娘の恩人であり恋人でもある君を追い出す理由なんてどこにもないよ。それともなんだ、この村を離れたいのかい?」
いぶかしむような視線に、首を横に振る。
「そういうわけではないんですが、ほら、この世界では黒髪が嫌われているんでしょう? 自分が居座ることでいろいろと迷惑をかけてしまうんじゃないかと……」
「そのあたりは気にしなくても平気さ。ここは大陸の中心地だし、魔族はそうそう現れない。竜人族自体が強いから魔族に対して過剰な恐れを抱く人も比較的少ない。それに、小さな村だからね、君がユイのためにしてくれたことはもうみんなが知っている。黒髪だからって無条件に迫害されるようなことはないよ。安心してくれ」
「もしいじめられたら私がやり返してあげますよ! こう見えて結構ケンカ強いんですよ! 任せてください!」
ユイがその場で人を殴る真似を始める。が、明らかに素人の動きだ。拳の中に親指が入っている。
「野生とはいえ子竜相手にビビって何もできなかった竜人族とは思えない発言だねぇ」
「うぐっ。い、いいじゃないですか! 結果的にはこうして恋人までゲットできたんですし!」
「その言い方だと俺が野生動物っぽく聞こえるな」
「えっ、いや、そんなことは!」
「冗談だ」
「……もう!」
頬を膨らませてそっぽを向くユイ。子供っぽい反応が楽しい。そして可愛い。もっとからかいたい。
とまあ、それはさておき、
「わかりました。どのみち今はまともに歩くこともできませんし、ご厚意に甘えさせていただきます」
「うん、これからよろしくね」
「ラグナさんと一つ屋根の下かぁ……うふ、うふふ……」
「隙あらば妄想にふける娘でごめんね」
「……ユイが幸せそうでなによりです」
泣かれるよりはよっぽどマシだ。相変わらず気持ち悪い笑い方だとは思うが。
「お父さん! ラグナさんのお世話係は引き続き私がやっていいんですよねっ?」
「ユイに一任するよ」
「やったー! ラグナさん、気軽になんでも言ってくださいね! なんでもしてあげますから!」
「な、なんでも……?」
「なんでも!」
ということは[自主規制]や[自主規制]をお願いしちゃってもいいのだろうか。……ユイなら大抵のことはやってくれそうな気がする。ラグナも男だ、正直たまらない。無意識に生唾を呑む。
最初は子供のじゃれあいにも等しかった行為は次第にエスカレートしていき、やがて物足りなさを覚えるようになった二人はついに男と女の一線を──そんな想像を膨らませてしまう。
いかん、これじゃユイと同レベルだ。頬の内側を噛んだ痛みでよこしまな考えを振り払う。下半身のある部分に一点集中とする血と意識を上へ上へと押し上げる。
煩悩退散。煩悩退散。恋人の父親がいる前で考えていいことではない。
「遠慮しなくていいんですよ! さあ! さあ!!」
「……とりあえずなんか食わせてくれ。腹減った」
「なるほど、早速、私を性的な意味で召し上がっちゃうわけですね!?」
「違ぇよ! 普通に飯食いたいっつってんだよ!」
「またまたー、お父さんがいるからって恥ずかしがらなくていいんですよ? 竜人族的にはこれくらい日常茶飯事なんですからっ」
「マジかよ」
ルイに目配せすると、遠い目をしながらこくんとうなずいた。
「竜人族は寿命が長い上に全体の数が少ない分、子孫繁栄にはかなり積極的なんだ。男からすれば天国かもしれないけど……二、三ヶ月もすれば静かな夜が恋しくなるよ」
ちなみに僕の髪が白いのもそれが理由ね、とルイは付け足す。乾いた笑みがすべてを物語っている。
「い、一応、覚悟しておきます」
「精力剤が必要になったらいつでも言ってくれ。たくさん常備してあるから。そういったコトの指南書みたいなものも取り揃えてあるから」
つまり、そうしなければ体が保たないというわけだ……。目の前にいる天使のようなユイが急に悪魔に見えてきた。
いや、捕食者か。竜の眷属は伊達じゃない。
「お父さんもこう言ってることですし! さあ! さあ!!」
圧がすごい。
だが、ここで〝はい〟を選べば行き着く果てはミイラだろう。
「ユイ、おまえの気持ちは嬉しいし、俺もおまえを召し上がりたいのは山々だ。でもよ、お楽しみは俺の体調が万全になるまで取っておこうぜ? このザマじゃこっちからおまえに触れることができない。どうせなら満足のいく営みにしたいだろ?」
「む……確かに……」
ユイが顔をしかめる。理屈はわかっているようだ。あと一押し。
「やっぱりさ、大切にしたいじゃないか、ハジメテのことなんだからさ」
「そうですねぇ……一理あります」
「だろ?」
「今のラグナさんでは私を存分に愛でることができません。それはあまりにも残酷です。こんな美少女を前にお預けを食らうなんて拷問もいいところです」
どこからくるんだよその自信はよ、と言いたいのをグッとこらえて、
「だから今はお預けより飯を食わせてくれ。な、頼むよ。そろそろ腹が減って死にそうだ」
「わっかりました! ちょっと待っててくださいね、すぐに持ってきますから!」
ユイは勢いよく部屋の外へ出て行った。
直後、
「お母さーん! ごはーん!」
という叫び声が聞こえた。
「やるぅ」
ルイに冷やかし交じりで言われ、ラグナは明後日の方向を見る。
「自己防衛です。今、ユイに襲われたらひとたまりもありませんから」
「それでいい。正しい判断だ。僕のほうからも釘を刺しておくよ」
「よろしくお願いします」
森で押し倒してしまったときのようになられたら本当に危険だ。体力が回復するまではなんとか上手くしのいでいこう。
「じゃ、僕も朝ごはん食べてくるかな。終わったら家族を紹介するね。そのあと、君の部屋を用意しておいたから案内するよ」
「はい」
ルイは片手をひらひらさせながら部屋を出て行った。
ばたん、とドアが閉められる。
「……はぁ」
天井を仰ぐ。
ユイの父親か……優しい人だったな。どこの馬の骨ともわからない男に無償で治療を施し、今後の住まいまで与えてくれるなんて。
ありがたいけれど、一周回って申し訳ない気持ちで胸がいっぱいだった。もう少し雑に扱ってくれたほうがまだ安心できる。
「これでコクトーがいたらちょうどいいんだろうな……」
まさかあの性悪刀のことが恋しくなるとは思ってもみなかった。彼女はイクサスの管理下にあるはずだ。歩けるようになったら会いに行こう。憎まれ口を一つか二つ叩いてもらえればそれで充分だ。少しは気が楽になるはず。
しかし、どうしてこんなにも居心地が悪いのだろう? 不思議だ。人は優しく、空気も綺麗、穏やかで、暖かくて、ユイがいて、何も嫌なことなんてないはずなのに、どうして。
「……ああ、そうか」
さっき見た夢を思い出した。
「ユイを騙してるからこんなに居心地が悪いんだ、俺」
おまえに一目惚れした。だからドラゴン探しを手伝う代わりにおまえをもらう──ラグナは彼女にそう言った。コクトーにそそのかされて偽りのプロポーズをした。
ユイはすっかりその気になったが、ラグナのほうはそうじゃない。
心の底から結婚したいと思っていたかと問われれば、答えはノー。挑発に乗り、勢いに任せ、流れに沿った結果、現状に至っただけ。
口から出まかせで好意を伝えてしまったのだ。
これを偽りと言わずなんと言う?
「丸々三日も寄り添ってくれて、目が覚めたら泣いて喜んでくれるようなやつを、俺は騙してるんだよな……」
言葉にしてみると罪悪感で死にそうになる。こんな自分が幸せを味わっていいはずがない。村を出て行くという言葉が何度も口からこぼれた理由はこれだ。逃げたいのだ、この幸せから。
だが、ユイがいないと生きていける気がしない。正確には、ユイがいなければ生きていく理由がない。幸せから逃げたいくせに理由がいないと生きられないなんて、我ながら呆れ返る矛盾だ。
また、足音がする。ユイの足音だ。さきほどより緩やかで、慎重さが伝わってくる。
ドアが開く。
「ラグナさーん! 朝ごはんですよー!」
「……おう」
いつか打ち明けねばなるまい。
本当のことを。
そうしたらきっと……ユイを泣かせてしまうんだろうなぁ。





