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嫌な夢とユイの父

「全部、嘘だったんですね」


 暗闇の中、ユイがぽつんと立って、ハイライトが消えた恨めしげな目をこちらに向けていた。


「ひどいです。あんまりです。私はこんなにあなたのことを愛しているのに、あなたは私を裏切るんですね」


 ユイが踵を返す。


 ラグナは彼女を繋ぎ止めようと手を伸ばし、待ってくれと何度も叫ぶ。


 だが、ユイの後ろ姿はどんどん離れていく。


「さようなら、裏切り者のラグナさん。二度と私の前に現れないでください」


 暗闇に亀裂が走り、砕けた。




 ******




「──っ」


 目を覚まして最初に分かったことは、自分が全力疾走したあとのように息を切らしていることだった。


 鳥のさえずり。朝の陽射し。真っ白なカーテンが窓から吹き込むそよ風に揺れている。見慣れぬ天井は木造。胸から下には薄いシーツがかけられていた。冷や汗が全身に滲んで気持ち悪い。


「夢か……」


 どんな夢だったかはもう思い出せない。


 ただ、すごく嫌な夢だったということだけは感覚的に覚えている。


 目を閉じていたらまた同じ夢を見そうだ。


 思い切って体を起こす。


「っ……」


 起こせなかった。


 背中とベッドがくっついているみたいに動かない。


 指一本動かすだけでも一苦労だ。


「参ったな……。でも、声が出せるだけまだマシか」


 ひどく掠れているけれど。


 乾燥で喉がへばりついていた。


 水が飲みたい。


 ぐぎゅるるるるるるるる。


 加えて、盛大に腹の虫が鳴った。


「腹減った……なんか食いたい……それか水……」


 願望が自然と漏れる。


 なんでもいいから口に入れたい。


 やっぱり無理やりにでも動いて食べ物を探しに行こう。


 深く息を吸い、肺を満タンにしたところで、


「ふっ!」


 上半身を起こしにかかる。


「う、ぅぁ、ああぁあ……!」


 ぎしぎし軋む。


 みしみし軋む。


 曲がるはずのない骨を力ずくで曲げているかのような激痛。


 上等だ。むしろ気つけになって、いい。


 おかげで自分がどうしてここにいるのかも思い出せた。


 そうだ。


 俺はルビーとの死闘の末、瀕死の重傷を負いながらもどうにか勝利を収め、ユイの故郷・ドラグナー村へとやってきた。


 そして、村の門でユイと別れたあと、緊張が解けて気を失ったんだ。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 息が荒い。上体を起こしただけでこのザマか。〝休め〟という痛みのシグナルが体を元の姿勢に戻そうとする。


 けれど、抗う。


 進め。


 心はそう訴えている。


「ユイ……」


〝腹減った〟は〝会いたい〟になっていた。


 不安だ。


 自分が今、ここにいること自体に違和感がある。


 ここにいてはいけない。


 生きていてはいけない。


 ──ユイの隣以外は、どこにも存在()てはいけない。


 そんな強迫観念に突き動かされる。


 ベッドから降り、無様に床を這った。


 自重で押し潰されている胸が痛い。そういえばルビーの一撃をもろに喰らったんだった。


 でも、進む。


 進む。


 進め。


「三日も寝込んでいた怪我人がすることじゃないね、それは」


 上から聞き慣れない声が降ってきた。


 柔らかい話し方で、声そのものは少ししゃがれている。おそらく三十代から四十代くらいの男性だろう。


 次いで、視界の端に茶色いズボンと白衣の裾が映った。黒いサンダルを履いていた。医者もしくは研究者の格好だ。


「やあ、おはよう。体の具合はどうかな、ラグナくん」


 視線を上げる。


 柔和な微笑みを浮かべた白髪の男性がこちらを見下ろしていた。


「ユイは、どこに?」


 やはりまともな声が出ない。


「もうすぐくるよ。さっき妻が起こしたからね」


 そうか……もうすぐ会えるのか……


「安心したかい? 大丈夫。あの子は食事・睡眠・入浴のとき以外は甲斐甲斐しく君の世話をしていたよ。君を死なせてしまいそうになったことに対してひどく負い目を感じているらしい。あんなユイは初めて見た」


 嬉しそうに、寂しそうに、男性は言った。


「……よかった、見捨てられていなかったんだな」


「見捨てる? 随分後ろ向きなことを言うね。──ああ、まだ魔力が回復してないからか」


 男性はしゃがみ込み、顎を掴んでラグナを観察()る。


「怪我自体はほぼ完治、だが体力の減りと疲労は健在、か。眠っているあいだに回復した魔力はすべて治癒に回されていたようだね。道理ですっからかんなわけだ」


「なんのことです……?」


「あとで詳しく教えるよ。とりあえず今は──お、きたきた」


 どたどたぱたぱた。慌ただしくて軽い、可愛らしい足音。それだけでもう誰がきたのかわかる。


「おはようございます、お父さん! ラグナさんの様子は──」


 男性の後ろから飛び出すように現れたユイが、


「ラグナ……さん……?」


 一瞬で固まった。


「よう」


「…………。……うわぁぁぁぁん!!」


「おごっ!?」


 すさまじい力で抱きしめられる。同時に大量の涙と鼻水とよだれがこれでもかと降り注いでくる。水がほしいとは思っていたが、こういうことではない。


「ラグナざぁん! ラグナざぁん! 死んじゃっだがど思っだぁぁぁぁ!! あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


「ユ、ユイ、苦しいっ、首の角度、おがじいっ」


「おぉぉぉぉぉぉぉぉん!!」


 聞いちゃいねえ。


「はーいはいはい、そこまでだよユイ。怪我人にヘッドロックかけたらダメでしょ。離して離して」


「やだぁぁぁぁ! もうずっど一緒にいる゛ぅぅぅぅ!」


 一生が終わりそうなんですが。


「えー、でもほら、ラグナくん、真っ青になってるよ? このままだとホントに死んじゃうよ?」


「え゛っ」


「がふっ!?」


 顔面から落ちた。急に解放するな。


「まずはラグナくんをベッドに戻すよ。ユイはそのまま頭のほうを持って」


 そう言われ、ユイは袖で乱暴に顔を拭い、


「はい!」


 髪と同じくらい真っ赤な顔で男性の指示通りに動いた。


 ラグナは再びベッドの上へ。ついでにシーツもかけてもらう。


「失礼しました。嬉しくて、つい」


「あ、ああ……次から気をつけてくれ」


「曲がりなりにも医者の娘なんだから患者の扱いくらいちゃんとしようね?」


「はい。ごめんなさい……」


 ユイが男性に頭を下げ、男性はユイの頭を軽く撫でる。


 その光景に、ラグナは確信を持って、


「あの、あなたはユイのお父さんですか?」


 と、尋ねた。


 男性は、


「いかにも。僕がユイの父、ルイ・ドラグナーだ。今は君の主治医でもあるがね」


 と、朗らかに笑って言った。

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