赤竜契約、その名はルビー
「──ま、冗談はさておき。可愛いの一言くらいちゃんと言ってあげなさい。言葉にせずとも伝わるものはあるけれど、言葉にしないと伝わらないものやあえて言葉にしてほしいものだって確かにあるのよ」
「お、おう。急にマジなトーンになるなよ。びっくりするだろ」
「失敬な。わたしはいつだって真面目よ」
「どこが」
「真面目にあんたをからかってたわ」
「捨てるぞ、この野郎!」
「大怪我してるくせに意外と元気ね。……いや、ただの虚勢か」
そんなやりとりをしているうちに、ユイが戻ってきた。
「なんの話をしてたんですか?」
「べ、別になんでもねえよ! それよかそっちはどうなんだ。上手くいったのか?」
「おかげさまでばっちりです!」
ユイが右の袖を捲る。そこにはドラゴンを横から写したような青痣が、手首側を頭に肘のあたりまで伸びていた。
「それは?」
「『契約紋』です。対象と主従関係を結んだ証ですね。といっても強制力があるわけではありません。『契約』は双方の合意があって初めて成立するものですから」
「ふぅん。効果は?」
「言語を介さず意思疎通できたり、遠く離れていてもある程度互いの状態を知らせたりすることができます。便利なので一般的によく使われてる魔法ですよ」
「なるほどな」
「それでは早速、『契約紋』の力をご覧に入れましょう。カモン、ルビーちゃん!」
ユイが腕を掲げ、パチンと指を鳴らす。
それを合図にドラゴンはゆっくりと近づいてきて、ユイの背中に愛おしそうに鼻先を擦りつけた。敵意は微塵も感じられない。戦闘時の威圧感が嘘のように穏やかだ。
「おお……大人しくなってる。『ルビー』ってのがそいつの名前なのか」
「はい! 赤い鱗が宝石みたいで綺麗でしょう? それに可愛い顔してますし、ぴったりなんじゃないかと!」
「雌?」
「そうです! なんでも悪いドラゴンにしつこく追いかけ回されてここに辿り着いたんですって」
「それって──」
ユイがうなずく。
「ええ、たぶん私たちが元々探していたドラゴンのことでしょう。これは一刻も早く村のみんなに報告すべき案件です。ドラゴン用の鞍を持ってきてあるので、帰りはルビーちゃんに乗せていってもらいましょう」
ユイのマントの内側から鞍が引っ張り出される。それは慣れた手つきでルビーに取りつけられ、作業が終わるまでに一分もかからなかった。
「これでよし、と。さあ乗りましょう。立てますか、ラグナさん?」
「ああ」
ラグナはユイの肩を借りて立ち上がり、ルビーを見上げた。
ルビーの眼差しはとても穏やかだ。きっとこれが本来の気質なのだろう。実はまた戦うことになったらどうしようと密かに警戒していたのだが、どうやら杞憂だったようだ。
「怖がらなくても大丈夫ですよ。私がついてます」
「あ、ああ」
安堵の息を吐く。ようやくリラックスできた気がする。
そうしてラグナは、鞍にまたがるためルビーに触れようとした。
──その瞬間、ルビーは俊敏な動きでラグナから距離を取った。
「…………」
再度接触を試みる。
また逃げられた。
「……もしかして、俺、嫌われてる?」
「そうみたいですね……」
「ふ……ふふ……くっくっく……」
「笑ってんじゃねえぞコクトー」
参ったな……だが、考えてみれば当然の反応だ。ついさっきまで殺し合っていた相手といきなり仲良くできるほうがおかしい。ルビーからしてみれば急襲を仕掛けてきたラグナはなるべく関わりたくない存在だろう。
「説得してみます。ちょっと待っててください」
「頼んだ」
ラグナは言葉以上の祈りを込めて言う。正直、立っているだけでつらい。
ユイとルビーが目を合わせると、ユイの右腕にある『契約紋テスタメント』が赤光を灯した。同様に、ルビーの体もうっすらと赤く光る。
「ルビーちゃん、さっきも話したけど、この人は敵ではありません。私の恋人であり、あなたの味方です。だからもうあなたを傷つけたりなんてしませんよ。彼は優しい人ですから。ね、ラグナさん?」
と言われても、ピンとこない。むしろ逆に自分は優しくないほうだと思う。優しいやつはいきなり斬りかかったりしないし。
「ラグナさんからも声をかけてあげてください。きっとラグナさんの人柄のよさが伝わります」
「人柄ったって自信ねえよ。目つき悪いし、口も悪いし、髪も黒いし……」
コクトーが小声で「自覚あったのね」とつぶやいたがそれは聞き流す。
「そんなこと言わずに。ほら、笑顔笑顔! 肝心なのは相手と打ち解けようとする心ですよ! ラグナさんなら絶対、大丈夫!」
満面の笑みを作るユイ。
ラグナはそれを視界の端で眺め、自分がほだされていくことを実感する。
同じ表情ができるのかは甚だ疑問だったが。
「……わかった。ユイがそこまで言うんならちょっとがんばってみる。──ルビー」
なるべく刺激しないように小さな声で語りかける。
ルビーは露骨に嫌そうな顔をラグナに向け、一歩後退。やはりかなり嫌われているらしい。
和解するには真摯な姿勢が必要だ。
そのために、ラグナは胸の内に残っていた戦意を深呼吸で消し去った。
……よし、大丈夫。
「いきなり襲いかかって悪かった。あと、殴ってごめん。許してくれ」
ルビーは忙しなく尻尾を揺らし、ゴロゴロと喉を鳴らす。警戒しているのが一目でわかった。
「やっぱりだめか……」
「表情が硬いのよ! ただでさえ目つき悪いんだからもっと顔の筋肉を動かさないと!」
「こうか?」
コクトーに言われ、意識して笑顔を作ってみる。
「うわっ、ぎこちなっ! つーかキショい! 人殺しの笑みだわ!」
「やらせといてそれはないだろ!?」
「わ、私は好きですよ?」
「せめて目を合わせて言ってくれ……」
フォローがフォローになっていない。流石に凹む。がっくりと肩を落とす。
やはり誠意を込めて謝るしかないだろう。
ラグナは再びルビーと相対する。表情は普通に戻して。
「ルビー、本当に悪かったよ。傷つけてごめんな。もうあんな真似はしないから許してほしい」
手を差し伸べる。
ルビーはそれを見つめたまま微動だにせず、他の誰も一言も発さない。
時間が停止したかのような沈黙だった。
どこからともなく蝶がやってきた。
黄色い翅の蝶は風に散る花びらにそっくりな軌道でラグナの指にとまり、緩やかに翅を開閉する。次の行く先を考えているのだろうか。
しばらくすると、蝶はまた不規則な軌道で宙へ旅立ち、風に流されていった。
ラグナはルビーを注視し続ける。
やがて、ルビーは悟ったように目を細め、ゆっくりとラグナの手のひらに鼻を擦り寄せた。
「ルビー……!」
優しく撫でてやる。ルビーはくすぐったそうに身をよじったが、すぐにそれを受け入れた。
「よかったですね、ラグナさん!」
「ああ。こうして近くで見ると結構可愛いな」
「ええ、契約者の私にそっくりです! 私は遠目からでも美少女なんですけどね!」
「自分で言っちゃうのがアレだけどな!」
「「あはははは!」」
よかった、ユイが笑ってくれて。
死ぬほどがんばった甲斐があった。
これこそが最大の報酬だ。
文句なしのハッピーエンドだ──
「あっ」
「え?」
急に真っ暗になる。血生臭い息吹が顔に吹きつけられる。
それからぬめりとしたものに舐めあげられ、顔の周りに棘が刺さったような痛みが走る。
「あわわわ……」
ユイが震え声を出す。
ラグナの頭は、ルビーに呑み込まれていた。
「いってぇぇぇぇぇっっ!?」
「ルビーちゃん!? ラグナさんを食べちゃだめですよ! ……うん? 甘噛みだからセーフ、ですって?」
「甘噛みで済むか!」
暴力を振るわないと言った手前、強引に抜け出すこともできず、首から下をばたつかせてもがく。しかし、
「あだだだだ! 余計に牙がぁぁ!? しかもさらに呑み込まれ……る!」
「ラグナさんを離してください! 本当に死んじゃいますから!」
ルビーの顎は一向に緩まない。
「あ、もうだめだ。意識が、遠のい、て……」
「ラグナさん……? ラグナさーん!」
「やれやれ。一難去ってまた一難、ってトコかしらねぇ……」
ラグナたちが騒ぐ横で、コクトーが呆れたようにつぶやいた。