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竜退治の始まり

*****




「いました。あそこです」


 岩陰から顔を上半分だけ出したユイが小声で言った。


 ラグナもユイと同じようにして前方を確かめる。


 そこは、拓けた岩場だ。真正面に高い崖があり、真ん中の辺りが窪んでいて、収まるように真っ赤な生き物が眠っている。


「あれが……」


 ドラゴン。


 最強の生物。


 翼と四肢を折りたたみ、長い尾を自らに巻きつけてなお、その大きさは小型の像ほどもあった。


 体躯は真紅の鱗に覆われ、手足についた鋭い爪が殺人的に鈍く輝く。


 周りには食べ残しと思われる獣の残骸がいくつか転がっていて、かなり血の匂いが濃い。無惨に食い破られたハラワタがグロテスクだ。原型を留めている部分を見る限り、おそらくユイの耳に届いた悲鳴は彼らのものだろう。驚くべきことに、ほとんどが熊などの大型動物だった。


「ふぅ──……」


 岩陰に引っ込み、もたれかかる。早くも額から冷や汗が噴き出していた。体が、本能が、ここから逃げろと叫んでいる。


 何より恐ろしいのは、手足についたあの爪だ。遠目からでも一目でわかる鋭さで、喰われた獣たちと同様、に切り刻まれた哀れな自分がたやすく想像できてしまう。


 ……身がすくむ。呼吸が乱れる。


 怖い。


 逃げたい。


 だが表には出すな。出せばユイが不安になる。あくまで気丈に振る舞え。


「私が調査しにきたものとは違いますね、あの子は」


 ユイが隣に腰を下ろす。彼女もまた、緊張した面持ちだ。


「そうなのか」


「はい。噂ではもっともっと大きくて、全身に裂傷があるらしいです」


「……よくもまあ、そんな化け物を相手にしようと思ったもんだ」


 会った瞬間チビっちまうかもな。


 そう思うと笑えてくる。


「で、あの赤いドラゴンはどうする?」


「え?」


 ユイが目を丸くした。


「あいつのことが気に入ったんだろ。見つけたとき、しばらく見惚れてたぜ? 今も顔にそう書いてある。まるで──」


 さっきの俺みたいに、と言いかけて、


「……いや、なんでもねえ。とにかく、あいつがほしいんだろ? だったら……」


「だ、だめです! パートナーとして契約するためにはドラゴンを一度倒さなくてはいけません。やっぱりラグナさんを危ない目に遭わせるわけには……」


「ハ! 何を弱気になってやがる」


 刀に巻いた包帯を、するりするりと一気にほどく。


「約束したじゃねえか。俺は必ずあのドラゴンを倒す。そんでおまえは契約する。そうすりゃ文句なしのハッピーエンドだ。安心しろ、うっかり殺さねえように手加減すっから」


「ちょっ、待ってください!」


 岩陰から出て行こうとするラグナの手を、ユイが叫びながら掴んだ。


「勝手に話を進めないでください! 言ったでしょう! 危険だと判断したら撤退するって! 私はラグナさんに死んでほしくありません!」


「あぁ? テメェ何勝手に負けるって決めつけてんだ? 俺は勝つぞ。勝って、約束を果たす」


「強引な……! 死んだらどうするんですか!」


「そんときゃ歩き回る死人が物言わぬ死人に戻るだけよ。元より誰にも望まれず、なんの目的も与えられずに蘇っちまった無意味で無価値な命だ。そんな抜け殻のような男が死んだところで、誰も損しねえし何も失われねえよ」


「ばか! あなたはちゃんとここに生きてるじゃないですか! 手だってこんなに温かいのに……。屁理屈こねてまで愚かな私に付き合う必要はないんですよ!」


「テメェの言い分なんぞ知らん。俺は俺のやりたいようにやる。邪魔だ、離せ!」


「ラグナさん!」


 乱暴にユイを振り払い、そこで待っていろと視線で命じつつ、ラグナはドラゴンに歩み寄っていく。


 異質な空気だ。ユイから離れた途端、ピリピリとした痛みが肌を突き刺す。緊張から呼吸が止まりかける。


 近づくほどに敵との体格差は明確になり、自然と刀の柄を強く握った。心臓が激しく警鐘を鳴らしていた。ユイのときとは比べ物にならないプレッシャーだ。


 それでもラグナは前に進む。


 ユイとの約束を果たすために。


「ようするに、好きな子の前でカッコつけたいだけなのよね」


 突然、コクトーがそんなことを言った。


「なんの話だ?」


「もちろんあんたの話。あーだこーだと屁理屈並べて強引に話を進めたり、本心を悟られないよう憎まれ口を叩いたり、本当は怖いのに怖くないふりをしたり、転生者特有の不安感を戦う理由にすり替えたり。実はユイを喜ばせたくて必死なんでしょ」


「……さあな。よくわからん」


「ほら、またそうやってごまかす。ユイもそうだけど、あんたも大概めんどくさい人間だわ。やっぱりお似合いよ、あんたたち」


「俺はただテメェの悪知恵に乗っかってるだけだ。それ以上でもそれ以下でもねえ」


「ふぅん。この行動がすべての答えだと思うけど」


「無駄話は終わりだ。──やつが目を覚ました」


 ドラゴンが鎌首をもたげ、深緑の双眸(そうぼう)でこちらを睨んだ。


 迸る強烈な悪寒。


 確信に近い敗北の予感。


「ハ」


 それをあえて大胆不敵に笑ってみせることでねじ伏せ、正眼に刀を構える。


「俺はな、(くすぶ)ったまま終わるより、燃え尽きて灰になるほうが好みなんだよ。だから、最悪の初陣だろうと絶対に退()かない。力を貸せ、コクトー」


「ほんっとに素直じゃないのね。まあいいわ。戦い方はわたしが教えてあげるからせいぜい足掻きなさい。あとで詳しく聞かせてもらうんだから死ぬんじゃないわよ!」


「抜かせ!」


 戦いの火蓋は切って落とされた。


 先手必勝、ラグナはドラゴンが臨戦体勢を整える前に一息で距離を詰め、無防備な眉間めがけて刀を振り下ろす。


 初撃は、硬い鱗に弾かれた。


 岩をも斬り裂く一太刀であるはずなのに、まるで効かなかった。


「ぐっ……!?」


 反動で腕が痺れるのを感じた直後、ぞわりと寒気がして後方へ跳ぶ。


 竜の爪が振るわれた。


 完全に躱した。


 にも関わらず、頰に痛みが走る。


 触れると、出血していた。


「マジかよ……」


「グォオオオオオオオオオオオオ!!」


 ドラゴンが縦割れの瞳孔を細め、咆哮する。たったそれだけで戦意を砕かれかねない強大な音圧に、ラグナの鼓膜は破けそうになる。両手で耳を押さえたが、なおも空気の震えが敵意として伝わってくる。


「怖いじゃねえか、くそったれ……!」


 押し殺していた恐怖が再び湧いてきた。闘争ではなく逃走を選びたくなる。


 だが、それがどうした。


 恐怖とは、突き詰めれば死にたくないという感情から生まれるものだ。


 自分はとうに死んでいる。


 死者が死を恐れる道理はない。


 だから、屈することもない。


 ──そんなふうに自らを鼓舞する。


 そして、咆哮が止んだ。


 ここからが本当の始まりだ。


 五指に力を込め直す。先ほどよりも凛とした姿勢で構える。


 戦いに不要な感情はすべて切り捨てる。勝つ。その一点にのみ意識を向ける。荒くなろうとする呼吸を鎮め、同時に精神を研ぎ澄ます。


 勝つんだ、ユイのために。

 

「──っ!」


 そのとき、心臓が大きく跳ねた。


 血が燃え滾り、筋肉が唸りをあげた。


 抑えがたい力の奔流がラグナの内側を駆け巡っていく。


 それは、ユイと奪い合った〝何か〟の感覚だった。


「これは……?」


 体が軽い。コクトーの重さも半分くらいにしか感じない。五感は鋭くなり、ささやかな枝葉の揺らぎや風のそよぎがはっきりとわかる。〝何か〟によって身体能力と感覚器官が〝強化〟された、らしい。


「戦闘中によそ見するなバカラグナ!」


 自身の変化に戸惑っていると、コクトーの一喝をくらってしまった。


 その通りだ。今は敵を倒すことが優先だ。


 だが、今なら──あの堅牢な鱗を斬れる気がする。


「いくぞ……!」


 大地を蹴る。いや、蹴った(・・・)。行動を起こそうと思ったその瞬間、すでに行動は終わっていた。


〝何か〟によって強化された脚力は爆発的な加速を生み、ラグナの体をグンと推進していた。感覚もその超スピードについてきている。


 渾身の力で刀を振り上げる。自分でも信じられないほど鋭く、強く、速い斬撃が、左斜め下から右斜め上へ過ぎ去る。ドラゴンの胸元に赤い筋が滲み、一拍遅れて鮮血が噴き出す。

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