眠れなかった者同士
ディオスの話では、マハールを連れて、ついに帝王ケンイチが出陣してきたとの事であった。
次の戦いが決戦となるであろうことを告げられた、その日の夜、もう皆が寝静まった頃。
俺は、間接照明だけが照らす、薄暗いリビングのカウンター席に座り、一人で酒を飲んでいた。
次が決戦。いよいよあの二人、俺たちを殺すよう命じたケンイチと、実行犯とも言えるマハールがやって来る。いや、来てくれる。
そう思うと、俺は何となく眠れず、普段は飲まない酒を少しばかり飲み、そして寝よう……と、そんな事を考えていた。
そうやって、自分が眠くなるのを待ちながら、のんびり日本酒的な感じの酒をちびちび飲んでいると、カチャ……と、部屋の扉が開く音が聞こえた。
音は、リッカの部屋のある方向から聞こえた。
扉の方に顔を向けると、そこには、今扉を開けて出てきたのであろうリッカの姿があった。
なるべく静かに飲んでいたつもりだったが、物音で起こしてしまったかもしれない。だとしたら悪かったな……と俺は思った。
「ああ……ごめん、起こしてしまったかも。うるさかった?」
俺が謝ると、リッカは少し笑って首を横に振った。
「いや……そんな事はない。ちょっと眠れなくてな……ユータローはどうなんだ? そっちも眠れないのか?」
そう言いながら、棚からコップを一つ持ち出し、俺の隣にやって来るリッカ。
「ああ、何か、次が決戦だと思うと、眠れなくてね。いよいよあいつらをやっつけられると思うとさ……」
そんな事を言いつつ、酒の入っている瓶をリッカの方に近づける俺。その瓶を受け取り、リッカは立ったまま、先程自分で持ってきたコップに、その酒を注いだ。
「そうか……じゃあ、私と一緒の様だな」
リッカは、コップに口を付けて、中に入った酒を少し飲むと、そのまま俺の隣に座った。リッカの手に持ったコップがテーブルに置かれ、カタン……と小さな音を立てる。
ちょうどさっき、メイファの座っていた席にリッカ、そしてリッカが座っていた席に、俺、といった座り位置だ。
「リッカ……さっきメイファと酒を飲んでたろ? 大丈夫か?」
「ああ、問題ない。さっきは私は殆ど飲んでなくてな……メイファの愚痴を聞いていただけだったから」
「そうか……」
リッカは、またコップに口を付けて、酒を一口飲む。間接照明だけしか明かりはないので部屋は薄暗いが、リッカの表情は見て取れた。
表情はいつもと同じ様に見えるが、何となく興奮しているようにも見える。目も、一点を見つめたまま、あまり動かない。何と言うか……思い詰めた感じだろうか。
俺の横に座ったリッカは、片手でテーブルに置いたコップを持ち、残った片手で頬杖をついて前を向いたまま、こちらを見ずに俺と話している。
服装は、いつも見慣れた、ゆったりとした黄色のワンピースの部屋着だ。体のラインをそれ程強調するようなデザインでも無いし、丈も膝下まであるのではあるが、いつもはそれほど女っぽくない言動と雰囲気のリッカでも、部屋着姿の彼女をこうやって見ると、ああやっぱり女性なんだな、と改めて思い出す。
「いよいよだな、ユータロー」
「ああ、いよいよだ。あの二人にまた会えるな。マハールと……ケンイチに」
「この時を……ずっと待っていた。やっとバッツの仇が討てる……そしてエレン、そしてあの時……死んでしまった……皆の仇を」
「そうだな……」
俺がそう言ったところで、リッカはコップの酒を少し飲んだ。薄暗い中でも、リッカの喉の辺りが、酒を飲んで少し動くのが見える。
そんなリッカを見ながら、俺は考えていた。
エレンの事は、今でも愛している。
確かに、本当に愛しているのだが……
俺は、今目の前にいるリッカにも……駄目だと分かっていたのに、心惹かれてしまっていた。
いつからそうなってしまったのか……それは俺にも分からない。
この事は、誰にも言ってない。もちろんリッカにも言ってない。告白などするはずも、出来るはずもない。
あの世から見ているはずのエレンには、本当に申し訳なく思う。
エレンの事だ。今の俺の様子を見て、『あ〜、こりゃあユータローの奴、リッカの事好きになってる!』くらいの事は気付くはず。
リッカにも申し訳ない。
リッカの心の中には、今は亡きバッツさんが居るのに。
もし俺の好意が分かってしまえば、リッカはきっと、私をそんな尻の軽い女と思うのか、とか言って怒るに違いない。
もし怒らなくても、不快に思われるはずだ。
だから、今俺の中に出来てしまったこの気持ち……有ってはならないこの想いは、誰にも知られず、ひっそりと葬らなければならない。何としても墓まで持っていかなければならない。
そんな事を考えていた。
「あの時の皆は……あの世から今の私達を見て、どう思っているのだろうな……」
「そうだなあ……案外、笑いながら見物してるのかもなあ」
俺がそう言うと、リッカはこっちに向き直った。何か、顔が真面目になってるな。なんだろう。
「酒を飲んで、こうやってユータローと話している私を見て……バッツはどう思っているだろうか……」
「……分かんないけど……まあ、頑張れ、とか思ってるのかな?」
何気ない俺の答えに、何故かリッカは少し笑った。
「がんばれ……か? ふふっ、案外そうなのかもな……」
こんな話を二人でしているうちに、やっと眠くなってきた俺は、先に部屋に戻ることにした。ずっと話をしていたい気持ちは、心の奥に秘めて。
「じゃ、俺、眠くなってきたから先に休むね……。リッカはまだここに居るかい?」
「ああ、私はもう少しここに居る」
席を立つ俺に、静かにそう言ってリッカは微笑んだ。
「分かった。じゃあ、お休み」
そう言って部屋に戻る俺に、片手を軽く上げて応えるリッカ。
ユータローが扉が閉めた後、リビングに一人残ったリッカは、ユータローが入って行った部屋の扉を見つめる。
「……人の気持ちとは、ままならぬものよな……」
そう言ったリッカの目は、ユータローがリッカを見ていた時の目と、同じ輝きであった。




