初めまして 第3話
部屋は、まだ夜の中にあった。
妖精やドラゴンの子供が出てくるかもと
期待していたので、デカいヒヨコが出てきた事に
思わず叫んでしまったが、この大きさのヒヨコなんて
よく考えたらあり得ない事と思う。
ベッドに腰掛けたまま、俺は生まれたばかりのその存在を腕に抱えていた。
ほんのりとした温もりが腕に伝わってくる。
胸元で、規則正しく上下する小さな鼓動。
「……生まれた、んだよな」
独り言が、夜に溶ける。
夢じゃない。
さっき、確かにあの卵は弾けた。
スマホで「伝説の鳥」「ファンタジー 相棒」「謎の生物 能力」
そんな単語を適当に組み合わせて調べてみるが
当然と言えば当然で、欲しい答えはどこにも無い。
――なら。
胸の奥が、じわりと熱くなる。
ここまで来て、何も起きないわけがない。
卵が孵った。
ファンタジーな見た目のヒヨコがいる。
俺だけに見えて、俺だけが触れる。
――条件は、全部そろってる。
「……よし。試してみるか」
そう口にした瞬間、胸の奥が少しだけざわついた。
不安よりも先に浮かんだのは、どうしようもない期待だった。
片手でそれを抱え、もう片方の手を前に出す。
掌を開くと、なぜか様になっている気がして、少しだけ気分が高揚する。
――魔法って、使えるようになってないかな?
もし使えるようになっているならどうすればいいんだろ?
呪文か。
それともイメージか。
あるいは気合い一本か。
アニメやゲームで見た場面が、頭の中を次々と駆け巡る。
どれが正解かなんて分からない。
それでも、「何か起きそうだ」という感覚だけは確かにあった。
「……えーっと」
意味も分からないまま、それっぽい言葉を口にする。
「――炎よ、集え」
一瞬、息を止める。
部屋の空気が変わる気がして、無意識に身構えた。
……何も起きない。
静かなままの部屋。
視線を巡らせても、変わった様子はどこにもない。
「……あれ?」
気を取り直して、もう一度。
今度は少しだけ声を張った。
「風よ! 俺に応えろ!」
腕の中のそれが、ぴ、と小さく鳴く。
それだけだった。
空気は動かず、何かが現れる気配もない。
「……違うか」
そう呟いてからも、すぐには諦めきれなかった。
掌を開いたまま、今度は炎ではなく、
冷たい水がそこに生まれるイメージを思い描く。
指の間を流れ落ちる感触まで想像してみるが、
肌に触れるのは、部屋の空気だけだった。
次は、土。
足元から盛り上がる土や石を思い浮かべ、
床に視線を落として意識を集中する。
だが、足元には何も現れる事は無かった。
光。
闇。
雷。
目を閉じて、眩しさや暗闇、
一瞬で世界を切り裂くような閃光を思い描く。
心臓が少し早く打つのを感じながら、
何度も呼吸を整える。
それでも――
部屋は変わらなかった。
挙句の果てには――
「時よ、止まれ」
「空間よ、歪め」
「過去でも未来でもいい、干渉してみせろ……!」
俺はポケットからスマホを取り出し、画面を一度だけ見た。
時間は、相変わらず進んでいる。
世界は何も変わっていない。
腕の中の温もりだけが、
確かにそこにある現実として残っている。
魔法が駄目なら、次は身体能力だ。
そう簡単に諦めきれるほど、今の俺は冷静じゃなかった。
腕の中のそれを抱え直し、軽く屈伸してみる。
体の内側に力が満ちてくるような感覚は……ない。
だが、もしかしたら。
「よし……走ってみるか」
それを片手で抱えたまま、部屋を出て、夜の空気を吸い込む。
階段を駆け下り、外に出ると、そのまま勢いをつけて走り出した。
――速い、か?
いや、そんなことはない。
風を切る感覚も、地面を蹴る力も、いつもと変わらない。
息はすぐに上がり、胸の奥がじんわりと熱くなってくる。
それでも諦め悪く、近所を一周するまで走った。
足は重く、呼吸は荒く、最後はほとんど惰性だ。
立ち止まり、膝に手をつく。
はぁ、と情けない音が喉から漏れる。
「……上がって、ないよな」
腕の中のそれは、相変わらず温かい。
ぴ、と小さく鳴いて、何事もなかったようにこちらを見上げてくる。
力が増したわけでも、体が軽くなることもない。
ただ――
抱えている腕だけが、少しだけほっとするような温もりに包まれている。
「……これも違う、か」
そう呟きながらも、胸の奥に残る微かな期待が、まだ消えきらずにいた。
魔法も駄目。 身体能力も上がらない。
走ったせいで、脚は重く、喉の奥がひりつく。
肺のあたりが熱を持って、呼吸のたびに疲労が残っているのがはっきり分かった。
「……はぁ」
思わずその場にしゃがみ込む。
期待していた分、反動は正直だった。
それでも、まだ一つ残っている。
むしろ、これこそが本命かもしれない。
俺は腕の中にいるそれを見下ろした。
相変わらず、何も分かっていない顔でこちらを見返してくる。
「なぁ……」
声に出すと、少し弱気なのが自分でも分かる。
「回復とかさ。そういうのは……ないか?」
答えが返ってくるはずもない。
それでも、無意識に抱き寄せていた。
腕の中に収まった小さな体から、じんわりと熱が伝わってくる。
さっきから変わらない、あの温かさだ。
胸元に顔を近づけると、ほっと息が抜けた。
不思議と、呼吸が楽になる気がする。
……いや、違うな。
楽になった“気がする”だけだ。
脚の重さはそのままだし、息切れも消えていない。
体力が回復した感覚は、どこにもない。
ただ―― 温かい。 それだけだ。
湯たんぽみたいな熱が、疲れた体に染み込んで
張り詰めていた気持ちだけが、少しずつほどけていく。
「……癒し系、ってやつか?」
思わず苦笑が漏れる。
期待していた奇跡とは、だいぶ違う。
それでも、腕の中のそれは、気持ちよさそうに目を細めて 小さく「ぴ」と鳴いた。
その声を聞いた瞬間、 なんだかどうでもよくなってしまった。
能力はない。 力もない。 世界を変える何かも、きっと持っていない。
「……はー」 短く息を吐く。
期待していた分だけ、気持ちが空振りした。
「部屋、戻るか」
そう呟いて、俺はそのまま踵を返した。
部屋に戻ると、俺はベッドの上にヒヨコをそっと置いた。
少し沈んだ布団の上で、コイツは何事もなかったようにこちらを見上げてくる。
そのまま、俺は床に座り込んだ。
「……はー」
思っていた以上に、深いため息が漏れる。
見た目はどう考えてもファンタジーだ。
普通のヒヨコで済ませるには、どうにも違和感がある。
――なのに。
魔法も出せない。
身体能力も、上がらない。
回復もしない。
ここまで何も起きないと、逆におかしい気すらしてくる。
「……もしかしてさ」
俺は半ば冗談みたいな気持ちで、コイツを見た。
「食べたら、能力とか手に入ったりしてな」
自分で言っておいて、少しだけ喉が鳴る。
冗談だ。
分かってる。
分かってるはずなのに、頭の片隅でそんな発想が浮かんでしまう自分が、少し嫌だった。
ベッドの上に、にじり寄る。
ヒヨコは逃げない。
警戒もしない。
ただ、何も知らない顔で、まっすぐこちらを見る。
黒くて、小さな瞳。
疑いも恐れもない。
「信じている」という感情を、そのまま形にしたみたいな視線だった。
……ああ、駄目だな。
俺はそこで動くのをやめて、そのまま腰を下ろした。
こんなの、考えるだけ無駄だ。
「そんなわけ、ないか」
誰に言うでもなく呟くと、ヒヨコは「ぴ」と一つ鳴いた。
まるで、危害を加えられる可能性なんて微塵も考えていない。
そんな、のんきな鳴き声に聞こえた。
俺は視線を逸らして、もう一度、小さく息を吐いた。




