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「あ、次のショーが始まるみたいだね」
メイン料理を食べ終わったころに、映像が切り替わった。
「かわいい……!」
今度は、イルカさんが空気を吐き出して丸いわっかを作って遊んでいる映像が映し出されました。
水族館ではタイミングが合わないとみられないものが、ここでは次々とみることができるようです。
「イルカって、右脳と左脳を上手に使い分けて、体の半分ずつで眠ることができるんだって」
「え?本当ですか?すごいですね。便利そうです、あ、いえ、便利じゃないですね。もし、人間がそういう風にできてたら、ブラック企業とか……右側で寝て左側で働け!とか言われそうです……」
「あー、本当だ。それは……想像しただけで恐ろしいね」
と、切り替わる映像を見ながら、いろいろな話をしました。
食事の時間があっという間に終わってしまいました。
「あ、会計」
和臣さんが店員を呼んで支払いを済ませてしまいます。慌てていくらか確認しようとしたら、和臣さんに制止されました。
「今度、スイーツの店でお返ししてくれるって約束だよ?」
え?
あ、確かに、そんな話をしましたが……。
また、会っても……いい、理由。
そんなの……。残してしまったら……。
「じゃぁ、行こうか」
和臣さんが立ちあがって手を差し出しました。
和臣さんの手に、手を重ねます。
段差のある店内を、和臣さんがフォローしてくれるためです。
海の底から地上へと戻ります。
ああ、なんだか人魚になったような気持ちです。
魔女に、足をもらった代わりに声を失った人魚。
ふわふわと足元が揺れます。
言いたいことがあっても、言うことができません……。
店を出ても、和臣さんの手は私の手を握っています。
もう、大丈夫です……と、言わなくちゃと思う私。このままでいいよという私。
「まだ、時間ある?」
時計は9時半。
「はい。終電はまだ先なので」
あ。終電まで一緒にいたいって、誤解されてしまうようなことを言ってしまいました。
「さすがに、終電まで連れまわしたりしないよ……。時間があるなら、海の後は空へ行かない?」
空?
「高層ビルにでも上るんですか?」
「ああ、そうか。高いところは、確かに空に近いね。もしかして、夜景を期待した?」
「いえ……あ、えーっと、夜景も好きですけど……」
「じゃぁ、僕のマンションに来る?一応高層マンションの高層階だから、夜景はきれいだよ。スカイツリーも少しだけ見えるし」
「え?和臣さんのマンション?」
びっくりして和臣さんの顔を見上げる。
表情は見えない。
どういう意味?
「あ、いや。ごめん、違う、その、大丈夫だから。やましい意味じゃないよ」
「くすっ。そうですね、信じます……。和臣さんはそういう人じゃないんですよね」
とても焦った様子で言い訳するので、本当に何も考えずに口にしたらしい。……それなのに、私が大げさに驚いたから……。
だって。
きっと、あらがえないと思います。
もし、今、誘われたら……。
私は地上に降りた人魚姫。目の前に王子がいれば……。
「いや、本当、たぶん、この時間なら菜々がいるかもしれないし……」
王子がいても……。
つながれた手を離します。
「ごめんなさい、あの、そういえば、今日は家に父から電話が入るのを忘れていました!そ、その、ごちそうさまでした。ありがとうございます」
人魚姫は王子と結ばれないのです。泡となって消えます……。
私、今、泡になりたいです。
泡になって、消えてしまいたい。
「え?お父さんから電話?」
「あ、えーっと、心配性の父なので、今日は、帰ります。ごめんなさい、あの、駅はそこなので」
ぺこりとお辞儀をして、背を向けて走り出そうと足を動かしました。
靴のヒールが、見えなかった小さな穴にはまって体が傾きます。
このままでは後ろに倒れてしまいます。
「結梨絵さんっ!」
どんっと、和臣さんの大きな胸で傾く体は受け止められました。
「よかった……」
後ろから、力強く抱きしめられました。
頭の上に背の高い和臣さんの頭がのっています。お腹当たりに和臣さんの両手がクロスしています。
「びっくりした」
和臣さんのほっとした声が降ってきました。
心臓のドキドキが止まりません。
泣きそうです。
好きです。
和臣さんのこと、好きです。
だけど、私は声を失った人魚姫だから……。
和臣さんに気持ちを伝えられません。
菜々さんとどういう関係なのか、尋ねることもできません。
「世界中が段差だらけなら……結梨絵さんとはいつも、こうなるのかな……」