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「さぁ、行こう!」
「あ、はい」
菜々さんが楽しそうな声を出します。
ロッカーに化粧道具を片付け、かぎをかけています。
「あ、もしかして、それ……」
ロッカーのカギにぶら下がっているストラップを指さします。
「へへ。そうだよ。結梨絵ちゃんからもらったトンボ玉」
「使ってくださってるんですね、ありがとうございます」
嬉しいです。
菜々さん、本当にいい人です。
「これ、友達にも評判いいんだよ。どこで買ったの?ってよく聞かれるの!あ、ねぇ、トンボ玉でかんざしとか作れないかな?デザイン科の子が、夏の浴衣ファッションショーで使いたいと言ってたんだけど……えっと、あまり高いとだめだけど買わせてほしいって」
「え?買いたいんですか?いえ、売るようなものじゃないので……トンボ玉はストラップと同じように穴に通して加工すればかんざしにもなると思いますが……」
「十分売るようなものだよ!」
「えーっと、あの、じゃぁ、今度いくつか持ってきます。えっと、売り物ではないので、じゃぁ、材料費をもらうという形で」
「え?そんなのでいいの?うん、分かった。友達に伝える!ありがとうね!あ、ファッションショーは結梨絵ちゃんも見に行く?食堂の仕事ある日なのかな?」
夏の浴衣ファッションショー?どこかでポスターを見た気はしますが、あまり興味がないので一度も見に行ったことはありません。いつですたっけ?
土日ならば食堂は休みです。平日でしょうか?
「あ、いたいた。おーい!じゃぁ、また連絡するね!」
話しながら歩いていたら、いつの間にか目的の駅に着いたようです。駅前の広場に背の高い人影が見えます。あれが、和臣さんでしょうか。
菜々さんがそのまま速足で駅へと入っていきました。広場の背の高い人影が近づいてきます。
「結梨絵ちゃん、今日はありがとう」
「あ、はい。いえ、あの、楽しみです。お店の写真見ました。あれを見たら、一度行ってみたくなりますね」
「よかった。なんか、菜々がだまし討ちみたいに、僕の名前伝えずに返事もらったみたいだから」
「え?」
「本当は、後で、僕と一緒だって知って断りたかったんじゃないかって思って……」
どきんと、心臓の奥が痛くなる。
和臣さんの言うように、断りたかった。でも……。
「楽しみでしたよ。もしかしたら、モニターに映る魚の話とかもしてくれるかもしれないって思うと」
「え?それは困ったな。魚はあんまり詳しくないんだ……」
和臣さんが頭をかいた。
「ふふふ、じゃぁ、気になることがあったら、一緒に調べればいいですね」
「いや、気になることがあっても、結梨絵さんと一緒にいるときに調べたりするつもりはないよ」
二人で並んで駅へと向かう。お店はここから2駅先にあるらしい。
「いいですよ、調べてください。私も、美味しいなって思ったら、その食材についてすぐに調べだすかもしれませんから!なんか、あまり日本では食べないような南国のカラフルな魚も出てくるんですよね?」
電車に乗り込む。立っている人はまばらで、席は座れるか座れないか程度空いていた。
2駅ですし、このまま立っていればいいですよね。
「あ、ごめん、ちょっと、席取り付き合って」
和臣さんが私の手を引いて、空いている席に腰かける。
席とり?
しばらくして、抱っこひもで赤ちゃんを抱っこして、3歳くらいの幼児の手を引いた女性が乗り込んできた。
和臣さんがすぐに立ち上がる。
「こちらへどうぞ」
声をかけられた女性が私の隣、和臣さんが立ちあがった席に視線を向ける。
「どうぞ。ほら、ここに座って」
3歳くらいの幼児に声をかける。
「すいません、ありがとうございます」
「いえ、私たち、ここからすぐなので」
女性に笑いかけながら、泣きそうになりました。
駄目です。
駄目です。
なんで、こんなに……和臣さん……。
私、和臣さんのこういうところ、大好きです。
ずるいです。今日だけ、今日だけ楽しんだら、もう和臣さんと会わないようにしようって思っているのに。
和臣さんと一緒に扉近くに立ちます。
「ごめんね、座らせてあげられなくて」
そんな言葉いりません。
ずるいです。
「いえ、2駅ですし、全然平気ですよ。それよりも、ありがとうございます。誰か譲ってあげないかなと思ってはらはらして見ているより、すっきりしました」
わざわざ席取りしてまで譲らなくても、他の誰かが譲ってくれたかもしれない。だけれど、小さな赤ちゃんを抱っこして、まだ電車の中で立っているのが大変そうな小さな子供と手をつないで……。電車が動き出す前に席に座ってもらえてよかったです。
「よかった」
譲った女性に視線を向けると、男の子が手を振ってくれました。それにこたえて手を振り返します。
「本当は電車じゃなくて、車で行けたらよかったんだけど」
「車、持ってるんですか?」
このあたりでは珍しい。自動車を持とうと思ったら、維持費が大変なのです。
駐車場を借りるだけでも、万単位のお金がかかります。そのくせ、近場に出かけようと思っても、コンビニには駐車場一つついてない場合も多いのです。
少し郊外に出ればそんなこともないのですが……。
「まぁ、一応……でも、お酒、飲めないのもつまらなかったから」
「そうですね。和臣さん、お酒行けるタイプですものね」
「結梨絵さんも分かる口だよね」
そうでした。合コンの日に、飲み放題なのをいいことに、飲んだことのないお酒をいろいろ注文して飲んだのです。その時に、たくさんおいしいお酒があることに気が付いてしまいました。