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石川和治

石川和治イシカワ カズハル


 空手団体『道心会館』の館長にして格闘技イベント『Dー1』の創設者。




 ゴングが鳴る前に、荒川元司とグレート高津は飛びかかって行った――




 今回の対戦相手は、ザ・マッドマックスという外国人レスラーである。これは個人のリングネームではなく、二人で一組のタッグチームなのだ。片方はモヒカン頭が特徴的な大男であり、もう片方は白い覆面を被っている。どちらも、筋肉隆々の体に黒い革のロングパンツを履いている。

 元司は、モヒカン頭のウエズにヘッドバットを叩き込む。するとウエズは、頭を押さえてうずくまった。もちろん、それほどのダメージではない。

 しかし、元司はなおも攻撃していく。脳天にチョップ、さらにストンピング……一方、元司のパートナーであるグレート高津は、覆面のヒューマンガスと場外で乱闘中だ。

 ストンピングを落としながらも、元司は冷静に計算していた。そろそろ、ウエズに逆襲させなくてはならない。外人レスラーというのは、やりづらい部分がある。初顔合わせの相手だと、言葉による意志疎通が出来ないのは厄介だ。果たして、こちらの思惑通り逆襲してくれるかどうか……。

 ウエズを立ち上がらせると、ロープに振った。彼は素直にロープに飛んでいき、返って来る。グスタブとは違い、一応は合わせる気があるらしい。

 突進し、体ごとぶち当たっていく元司。だが、ウエズは倒れない。平気な顔で、元司を睨み付ける。きちんと流れを読んでくれているのだ。

 元司は驚愕の表情を浮かべ、後ずさっていく。内心ではニヤリとしているが、怯えているようなリアクションをしている。

 そんな元司に、ウエズは猛然と襲いかかって来た。プロレス式のキック、さらにパンチ……強烈ではあるが、ケガをするような打撃ではない。見た目は派手だが、ちゃんと「抜いた」技になっている。

 元司は苦悶の表情を浮かべつつ、内心ではウエズの上手さに感心していた。ボディービルからプロレスに入ったと聞いていただけに、その技量を不安視していたのだ。ところが、彼らはキャリアの割に上手い。

 これなら、いずれはアメリカのメジャー団体を狙えるかもしれない。


 ウエズは元司を痛めつけると、自軍のコーナーへと力任せに引きずっていく。手を伸ばし、覆面のヒューマンガスにタッチした。

 タッチにより選手が交代し、リング内にはヒューマンガスが登場する。ウエズより背は低いが、それでも百八十五はある。体重は百二十ほどで、分厚い筋肉に覆われた肉体だ。

 ヒューマンガスは、凄まじい勢いでチョップの雨を降らせてきた。元司は呻き声を上げながら、そのチョップを受け続ける。こちらも、見た目は派手だが威力を押さえるコツを心得た打撃だ。二人とも、まだ少し荒削りではあるがセンスは悪くない。

 さらにヒューマンガスは、グロッキー状態の元司を掴んだ。

 直後、一瞬にして持ち上げた――

 観客がざわめく中、ヒューマンガスは元司を軽々と持ち上げた。頭上高く挙げると、勢いよくマットに叩きつける。

 呻きながら、腰を押さえる元司。もっとも、ヒューマンガスは上手い具合に落としてくれている。ダメージを残さない投げ方が出来ること……これもまた、プロレスの上手さなのだ。

 そのヒューマンガスは、観客に向かい己の筋肉を誇示している。自分をアピールしつつ、元司に逃げる隙を与えている……一昔前ならば、筋肉モリモリのマッチョなレスラーはプロレスが下手、と相場が決まっていた。

 しかし、ヒューマンガスは違う。力強さと上手さとを兼ね備えている。いや、ヒューマンガスだけではない。パートナーのウエズもそうだ。

 時代は、確実に変わってきている。若い新たな世代が台頭し、レスラーのレベルも上がって来ている。自分が付いて行けなくなるのも、そう遠い話ではないかもしれない。

 一抹の寂しさを覚えながらも、元司は素早く動く。自軍のコーナーに戻り、パートナーの高津にタッチした。

 と同時に、勢いよく出ていく高津。リング上で筋肉を誇示しているヒューマンガスに、ドロップキックを叩きこんだ。不意を突かれ、倒れるヒューマンガス。だが、これも演技だ。ドロップキックは寸止め……いや、寸当てである。お互いの役割をきっちり把握していればこそ、瞬時の判断で動くことが出来る。これもまた、プロレスの上手さなのだ。


 リング上では、高津が攻め続けている。彼はとても小柄だが、動きは素早い。蹴りをぶちこみ、拳で殴り、さらにブレーンバスターを仕掛けにいく。

 だが、ブレーンバスターはかからない。ヒューマンガスの怪力で強引に止められる……観客には、そう見えている。しかし実は、お互いに流れを読んで動いているのだ。そろそろ、ヒューマンガスのターンのはず……高津は、それを分かっている。

 ヒューマンガスも、すぐに理解した。逆にブレーンバスターで高津を投げると、その髪を掴んで自軍のコーナーへと引きずっていく。時間的にも、そろそろ終わらせる頃合いだ。

 元司はというと、ただボケッと見ているわけではない。助けに入るため、すかさずリングへと乱入する。だが、一瞬にしてモヒカン頭のウエズに掴まった。ウエズは、元司を軽々と持ち上げる――

 傍目には、ウエズの怪力ぶりだけが光って見えるだろう。確かに、ウエズの腕力は大したものだ。しかし、元司の方も上手く体重を移動させている……ウエズが持ち上げやすいように。これもまた、プロレスの技なのである。

 ウエズに投げられ、リング下に落ちる元司。高津はヒューマンガスのストンピングを受け、リング上で倒れている。

 不意に、ヒューマンガスが高津の両足の間に頭を入れ持ち上げる。肩車の体勢だ。

 それを見たウエズは、するするとコーナーを登りトップロープへと上がる。

 自身の首に親指を当て、線を引くようなジェスチャー……その直後、ウエズは飛んだ。肩車で高々と上げられた高津めがけ、ラリアットを食らわす。

 と同時に、ヒューマンガスが後ろに倒れる。高津を後方に投げた――

 ザ・マッドマックスの必殺ツープラトン攻撃だ。高津はリング中央で大の字になり、すかさずウエズがフォールしにいく。


「ワン! ツー! スリー!」




「モトさん、お疲れ」


 控え室にて、高津が声をかけてきた。この男、プロフィールでは百七十センチとなっている。だが、実際には百六十二センチくらいか。真・国際プロレスでも、もっとも小柄なレスラーである。


「お疲れさん。しかし、あいつら大したもんだな」


「あいつらって、マッドマックスか? 確かに上手いよなあ」


 そう言いながら、高津はパイプ椅子に座った。


「昔だったら、ああいう連中は下手くそだったんだがな……マッドマックスは、本当に上手いよ。グスタブとは大違いだ」


「ああ、あれはどうしようもねえな」


 そう言った後、高津は不意に真顔になった。


「モトさん、後で話がある。ちょっと付き合ってくれねえかな」




 そして二時間後――


「おい、ここで何の話をするんだよ……」


 うんざりした表情で元司は言った。周囲は、女装した男たちの歓声に包まれている。そう、ここはゲイバー『虎の穴』なのだ。二人は並んで、カウンター席に座っている。


「いや、ここがちょうどいいかと思ってな」


 言いながら、高津は真剣な顔つきになった。


「モトさん、俺は今年いっぱいで引退するよ」


 その言葉に、元司は何も言えなかった。黙ったまま、カウンターを見つめる。周囲からは野太い嬌声が聞こえていたが、その騒がしさはかえってありがたいものだった。

 ややあって、高津は再び口を開いた。


「俺も、もう四十二だよ。体も、昔みたいには動かなくなってきた。俺みたいなロートルがいつまでもうろうろしてたら、業界のためにならねえ」


「何を言ってんだよ。長龍さんだって、まだ現役でやってんのに――」


「あの人は別格だ。俺らとは違うよ」


 高津は、冷めた口調で言葉を返した。

 うつむく元司。確かに、高津の言う通りなのだ。長龍は他団体のレスラーであり、六十近い年齢である。かつては一時代を築いたが、今の動きは全盛期の頃とは比べ物にならない。

 それでも、長龍は客が呼べる。老舗の団体であるSWFにおいて、未だにメインイベンターを務められるのも……その名前だけで、客を集められるからだ。

 しかし、グレート高津は違う。年齢は元司より下だが、同じ時期に入団した高津。彼は元司と同期であり、共に真・国際プロレスの前座を務めてきた。

 小さな体でありながら、リング内を動き回っていた高津……だが、メインの試合に抜擢されることはなかった。

 それでも、高津はレスラーを続けてきた。真・国際プロレスから大量に選手が離脱した時にも、元司と共に前座の試合をこなしていた。

 元司にとって、いわば戦友である。


「俺には家族がいる。最近では、万が一のことを考えるようになっちまった。もし、俺が下手くそな奴と試合して壊されたら……いや、それどころか殺される可能性だって、ないとはいえねえ」


 淡々とした口調で、高津は語る。

 元司は何も言えなかった。確かに、事故の可能性は0ではない。特にグスタブのようなマイペースの外国人レスラーを相手にすると、シナリオにないはずの動きをすることがある。結果、不測の事態に発展することもあるのだ。

 若い頃の元司は、怪我など考えたこともなかった。正直いうなら、今もあまり深く考えたことはない。怪我が怖くて、プロレスラーが出来るか……そういう思いがどこかにある。もちろん、相手には怪我をさせないよう注意しているが。

 しかし、高津には家庭がある。その上、二児の父でもある。仮に試合中の事故で、半身不随にでもなってしまったら……家族にとって、大きな痛手になってしまうのだ。

 高津は、プロレスラーとしては小柄な体格である。怪我のリスクも、他のレスラーよりは高いのだ。

 例えばプロレスの打撃は、決定的なダメージを与えないように打っている。かといって、手加減すればいいというものではない。力を加減しつつも、速いスピードで相手を殴り、そして蹴る。でなければ、観客に迫力が伝わらない。

 怪我をさせず、それでいて痛そうに見えるギリギリのラインの打撃……これは本当に難しい。格闘家のように、ただ強い打撃を放てばいいというものではないのだ。

 これは打撃だけに限らない。投げ技もそうだ。マットに優しく落としていたのでは、迫力が伝わらない。だからこそ、レスラーは相手を思い切り投げる……ただし、怪我をさせないように。また受ける方も、きっちりと受け身をとり怪我をしないように投げられる。この加減こそが、プロレスの上手さなのだ。

 ところが高津のように小さく軽いレスラーの場合、他のレスラーより受けるダメージは大きい。同じ感覚で技をかけようものなら、怪我のリスクが高くなるのだ。

 それでも若いうちなら、受けの上手さでカバーできた。しかし、年齢を重ねることにより……高津の肉体には、隠しきれないダメージの痕がある。このままだと、いつか取り返しのつかない事態になるかもしれない。だからこそ、引退という道を選んだのだ。

 もちろん、四十二歳という年齢は転職するには厳しいだろう。だが、高津は敢えてそちらを進むことにした。

 全ては、家族のためだった。


「タカ、お前が選んだ道だ……俺がどうこう言う権利はねえ。頑張れよ。俺には何も出来ねえが」


 元司には、それしか言えなかった。正直いうなら、高津には辞めて欲しくない。なじみの深い戦友が、また一人プロレス界を去る……元司にとっては、たまらない気分だ。

 しかし、小さな体で真・国際プロレスの前座を支えてくれた高津に、これ以上の無理はさせられない。

 それに最近、高津はぼやいていたのだ……前座のプロレスラーという職業を、子供にどう説明すればいいのか分からない、と。

 元司には分からない悩みである。だが、それもまた引退を決意させた一つの要因なのかもしれない。


「モトさん、すまねえな。俺も、もう限界だよ。せめて、モトさんの半分くらいの頑丈さがあればな」


 しんみりした口調で高津が言った時、不意に目の前に皿が突き出された。見ると、オムライスが入っている。


「おい、なんだこりゃ? 俺は頼んでねえぞ」


 高津が言うと、ママのラジャが切なげな表情で彼を見下ろした。


「いいのよ、アタシのおごりだから。これくらいしか出来ないけど、食べてってよ」


 その言葉に、高津はうつむいた。この男は、ラジャとは因縁がある。

 かつてラジャが引退した時に、高津は激怒し控え室で暴れたのだ。さらに酔っ払った挙げ句にラジャの家に乗り込んでいこうとして、元司に取り押さえられている。

 その時、高津はこう叫んでいた。


「ラジャの野郎、ふざけやがって! 俺にあいつくらいのガタイがあれば、死ぬまでレスラー続けてやるのによ!」


 高津にしてみれば、恵まれた体格と才能を持ちながらも、その力を充分に発揮することなく引退していくラジャが、たまらなく歯痒かったのだろう。実際、高津がこの店に普通に通えるようになったのは、つい最近のことである。

 自分に、もっと体格があれば……高津は口にこそ出さないが、その思いをずっと抱えたままプロレスを続けていたのだ。

 全ては、プロレスを愛していたから出来たことである。そして今、ようやくプロレス界を去る決意をしたのだ。


 大盛りのオムライスを食べる高津を横目で見ながら、元司は人生の皮肉について思いを馳せていた。

 プロレスを愛していたが、プロレスの神には愛されなかった高津。

 プロレスの神に愛されていたが、プロレスを愛していなかったラジャ。

 自分は、果たしてどっちなのだろう。


 ・・・


「いや、まいったなあ」


 ホテルの寝室にてガウン姿で、わざとらしく呟いている石川和治。

 ベッドの上では、ネグリジェ姿の女がスマホをいじっている。年齢は、二十代後半といったところか。美しい顔立ちではあるが、キツい目付きは意思の強さと知性をも感じさせる。


「こりゃあ、どうしたもんかなあ……」


 石川は、もう一度呟いた。すると、女がようやく顔を上げる。


「どしたの和くん?」


 五十代の半ばである石川を和くんと呼ぶ、この時点で二人の関係がどういったものかは誰でも分かるであろう。


英華エイカちゃん、わしゃ困っとるんじゃよ。リクソンのアホがごねちゃってさ。何かいいアイデアはないかねえ……金と手間隙をかけずに、東京ドームを満員にするようなカードがさ」


 冗談めいた口調で、石川はぼやいた。

 金と手間隙をかけずに儲ける……この部分だけを聞くと、世間の底辺を蠢くチンピラの意気がった戯れ言にも似ている。少なくとも、多少なりとはいえビジネスを知っている人間の言葉とは思えない。

 しかし石川は、単なるチンピラとは違う。よく回る頭と行動力と多方面の人脈を持ち、さらに運が味方している。これまでの彼は、やることが全て上手くいっていた。

 そして今回も、幸運が味方する。


「だったらさ、いっそのことどっかのアイドルみたいに一般公募しちゃえば?」


 英華の言葉に、石川は怪訝な表情になった。


「一般公募? なんのこっちゃ?」


「だからさ、マルコの対戦相手を一般公募するの」


「はあ!? 英華ちわ〜ん、そりゃいくらなんでも無茶だよ。マルコの相手になる奴なんか、いるわけないじゃない」


 思わず苦笑する石川。マルコの相手になるような選手が、一般人の中に埋もれているはずがない。仮に実現させたとしても、何の話題にもならないだろう。マルコに秒殺されて終わりである。

 だが、次いて英華の口から出た言葉に、石川の表情が一変する。


「確かロッキーも、そんな映画だったじゃない。偉大なるチャンピオンがさ、無名の選手にチャンスを与えるみたいな。同じことやったら、そこそこウケるんじゃない? 今の世の中、閉塞感が強いしさ」


 その瞬間、石川はガバッと起きた。


「チャンスか……なるほどなあ。Dー1は他の格闘技と違い、無名の人間にも広くチャンスを与える……こりゃあ、面白いかもしれんぞ」


 石川の頭脳が、恐ろしい速度で計算を始めた。まずDー1チャレンジという名前で、大々的に挑戦者をつのる。キャッチコピーは「Dー1のリング上に生まれ育ちは関係ない。格差も存在しない。あるのは弱肉強食の掟のみ」でいこう。

 他の格闘技との明確な差別化を図り、さらに、アメリカンドリームならぬDー1ドリームという幻想を与えられる。その上、仮に失敗したとしてもダメージは少ない。何せ、ギャラがただ同然の素人をマルコと闘わせるだけなのだから。

 ほとんどノーリスクのギャンブルだ。反面、上手くいった時のリターンは大きい。


「英華ちゃん、冴えてるなあ……だから好きだよ」




 この英華という女は、かつてグラビアアイドルだった。しかし今では、頭の回転の早さと喋りの上手さとを買われ、グラビア以外の仕事も増えてきている。もちろん、石川という男の後ろ楯もあっての話だが。

 言うまでもなく、彼女は格闘技に関してはド素人である。その英華の何気ない思いつきがきっかけとなり、日本の格闘技界は大きく動いていく――








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